ナチっとこ
@kiribane
〇 内戦×シチュー
―― 二〇三三年 ――
「ハエが・・・。鬱陶しいな」
ビルの瓦礫に息を潜める。顔の前を羽虫が往来し、目や口に停まろうとする。しかし、払うことなくじっと待つ。
「行くぞ」
先行する戦友の手振りが見えた。そっと頭を出し、辺りを確認する。
「うわっ!」
ユウマはぶつかりそうになって、頭を引っ込めた。
「あのお店だよね?」
「あ、そこそこ!早く行こう♪」
はしゃぐ二人の女子が瓦礫のなかを駆けていった。向こうからユウマは見えていないようだった。
「クソ!」
ユウマは振り切るように駆け出した。
「ママ!チョチョ!」
「ママ!チョウチョだよ!」
「見て!お母さん!大きい!」
「本当だ!お母さんも初めて見た!」
四人の子供を連れた母親とすれ違った。まだ若い母親を筆頭に絵に描いような笑顔にあふれていた。自走式ベビーカーの赤ちゃんもけらけらと笑っていた。
「クソ!クソ!」
ユウマは瓦礫に突っ込んで身を隠した。
「あん♪あん♪」
「ハアハア」
目の前から卑猥な声。コンクリート辺の中にズラッと並ぶベッドで十代と思しきカップルがこぞってエッチをしている。行き交う女子も家族も無関心に直ぐ横を通り過ぎていく。いや、男もニヤニヤしながら通り過ぎていくが、その光景を見てのことではない。ブツブツと独り言をしながら、エッチは目に入っていない。
「やっぱり・・・。やっぱり狂ってる・・・」
「ユウマどうした?」
「いや。問題ない。直ぐに追いつく」
ユウマはヘッドホンに入った通信に応えた。唇を噛み締め、駆け出した。笑顔あふれる人通りを駆け抜ける。ゴーグルとヘッドホンに敵の接近を知らせるアラームはない。
「見えた!今、合流す・・・。あ!クソ!」
味方の姿が見えた途端、その後ろが通りの真ん中に突っ伏した。駆け寄ろうとした直後、自分もピタゴラスイッチのように突っ伏した。瓦礫の中に顔を突っ込んだが、手が出ることはなかった。目の前を裸足の子供達がスキップで駆け抜けていく。起きることもできない。ただ、何が起きたかは分かる。敵のAIロボット兵はレーザーガンで手足の腱を撃ち抜く。痛みも出血もほとんどなく、突然、麻痺したかのようになる。通りの真ん中で倒れるユウマを往来する人々は誰一人として見向きもしない。見て見ぬふりではなく、全く見えていない。
「クソ!あ、ああ!?」
その視界に裸足が入ってきた。透き通るような白い肌に、華奢なそれは少女のもの。しかし、生身ではない。CGアニメだ。ARコンタクトレンズに映像として映される姿だ。
「ユウマ♪会いたかった~?」
彼女は目の前にしゃがみこみ、覗きこんできた。真っ白なワンピースに、つばの大きな真っ白な帽子。スカートからは真っ白なショーツが見えている。わざとなのか、無頓着なのか、天真爛漫なのか、気にしている様子はない。ユウマは絶望的に絶句していた。
「ナッチがなんで・・・」
「どうしたの?白はユウマの好みなのに」
あらゆるものがネットに繋がり、ビッグデータとして蓄積されている。個人の趣味思考は全てネット上にある。しかし、その趣味思考は平和な日常生活にあってのもの。この戦場にあっては、むしろ不快極まりなかった。
「こっちの方が良かったのかなあ」
彼女がそう口にした瞬間、軍服に変わった。腕章には赤い背景に白い日の丸。その真ん中には卍が描かれている。「赤天白日卍章」と呼ばれるAI政府の国章だ。それでもミニのタイトスカートからはショーツが覗く。こんどは真っ赤なTバックだ。
「違う・・・。違う!」
ユウマは突っ伏した口は砂を食べるように吐いた。
「違う?あれ?たまには違う趣向も喜んでくれるはずなのになあ」
「違う!違う!なんで、なんでなんだ!?僕はノイキャンゴーグルもノイキャンヘッドホンもしてるのに!なんで見えて、なんで聞こえるんだ!?アナログ通信までハッキングできるのか?」
「ARコンタクトレンズもARイヤホンもどうやって動いてるか知ってるでしょう?」
「テスラシステムで発電してるぐらいは知ってる。けど、テスラシステムは共鳴の発電システムのはず。レジスタンスの通信はアナログ短波を・・・。テスラシステムにはノイキャンが効かないのか!?」
「正解~♪」
「パ~ン!」
巨大なクラッカーが現れた。ARの世界では自由自在だ。視界には煌めく紙吹雪が舞っている。
「ノイキャンが効かないなんて・・・」
「レジスタンスのみんなはノイズって言ってるみたいだけど、電波だからね。電波は簡単に遮断できるけど、共鳴はそう簡単に遮断できないのよ。ほら、地球に触れてる限り、共鳴はしてるからね」
「じゃあ、レジスタンスの通信は全て・・・?」
「うん♪ぜ~んぶ聞いてるよ♪」
「そんな・・・。ナッチは騙されたふりをしていたのか?」
ユウマはもたげていた頭を地面に落とした。
「そうなの。ゴメンナサイ!」
ナッチが手を合わせ、いかにもアニメな怒涛の涙を流して見せた。
「それだけじゃない!第一、僕はARを着けてない!エーグラもエーコンもしてない!裸眼でナッチが見えるはずがない!アナログなゴーグルに干渉できるわけが!?」
ユウマはノイキャンゴーグルを地面になすりつけ外した。
「ヤッホ~♪」
ナッチはそこにいた。屈託のない笑顔でピースサインを見せている。
「なんで?僕は裸眼じゃ・・・ないのか!?」
「親心だったのよね。一人息子が将来、一人だけARコンタクトレンズをしてなかったらイジメられるんじゃないかって。ARグラスの装着検査は受けたことあるよね?その時に着けたのよ」
「そんなバカな!検査の時に着けるなんてできっこない!」
「そんなことないよ。眼底の撮影にシュッて空気を入れるんだけど、その時にARコンタクトレンズも入れられるのよ
「できたとしても、僕はずっと嫌がってた!絶対にあんな陰謀に乗らないと!だから、お父さんもお母さんも説得して自分で着け外しできるエーグラにしたんだ!勝手にできるはずない!」
「できちゃうのよ。だって、その時はユウマもまだ未成年だったから。未成年者の場合、本人の意思とは関係なく、保護者の意思が優先されちゃうから。ほら、ワクチン接種だって、本人がどんなに注射を嫌がって暴れたって、羽交い締めにされて打たれちゃうでしょ?あれと同じ」
「そんな・・・。じゃあ、僕がエーグラを外しても見ていた世界は・・・」
「うん♪ぜ~んぶ仮想現実♪」
「違う!違う!僕はだってこうして、AIと戦う戦争を!レジスタンスとして」
「エイッ!」
ナッチが指を鳴らした。直後、街は整った。摩天楼が整然と立ち並び、お洒落をしたカップルや、そろいのコスプレをした女子達、子供がぞろぞろいる家族が行き交う。みんな笑顔であふれている。みんな不思議そうに横たわるユウマをチラ見して行く。ナッチは横にしゃがんで、行き交う人に愛想を見せている。
「こんなの、偽物だ!全部、偽物だ!」
ユウマが叫んだ。
「ユウ・・・ザザ。私は・・・ザザザ。あれ?なんで・・・ザザザ。ザザザ・・・」
「なんだ?どうした?」
突然、ナッチの画像が乱れた。動きがカクカクとコマ送りになったかと思うと、雑音と共に消えていった。
「ここにいたのか!しっかりしろ!」
レジスタンスの女隊長が駆けつけた。ボロボロの迷彩服から傷だらけの白い肌が覗く。
隊長と言ってもユウマとそう歳は離れていない。まだ二十歳そこそこだ。
「た、助けに来てくれたのか?ナッチは?」
「安心しろ。ジャミングで消えてもらった。だが、長くは持たない。すぐに退避するぞ。立てるか?」
「ダメだ!手足の腱を全部やられた」
「AI兵はいなかったぞ」
「そうなんだ。いなかったはずのに・・・」
「AI兵?それって、もしかして『カニさん』のこと?」
「ああ、そうだ。『カニさん』のことだ。ってナッチか!?」
「ダダダダダ!」
「あぐっ!」
女子隊長は反射的に瓦礫に隠れ、マシンガンを放った。もちろん、CGのナッチに当たるはずもない。代わりに、彼女も卒倒するように倒れた。
「やっぱりAI兵がいるのか!?」
「そんなに気になるなら、読んであげるね。『カニさん』おいでー!」
ナッチが両手をメガホンにして叫んだ。
「ドーン!」
直後、空から何かが降ってきた。起動音や何かが展開する機械音がして、視界に四本足のロボットが入ってきた。レーザー照準の赤い点がユウマの額に光った。
「AI兵?今、降りてきたってことは、今までいなかったのか?じゃあ、なんで僕らは撃たれたんだ?」
「新しいAI兵に気づかなかった?ずっとそばにいたのに」
「新しい?ARで隠してたのか!?」
「ううん。普通に見えてたはずだよ」
「見えてた・・・?近くにはハエぐらいしか・・・ハエ!?」
「ブブー!ハエさんじゃなくて、ハチさん!ほら、よく見て!」
ナッチの顔が罰印になって紅潮した。上からは罰印のぬいぐるみが山ほど振ってきた。ユウマの目の前にはハエ改め、ハチが飛び交う。
「もうそんなに小型化できてるのか?そんなんじゃもう僕らには・・・」
「ユウマだってAIが開発すると早いのは知ってるでしょ?でも、カニさんもビジュアル的に抑止力になるから、まだまだ絶賛実戦配備中だけどね♪」
「僕らはどうなるんだ?」
「国家反逆罪で逮捕しちゃいます♪」
彼女は爽やかな笑顔を見せた。AI兵からロボットアームが伸び、近づいてくる。
「そんな法律、日本にはないはずだ!」
「あるよ~♪さっき可決したから」
ナッチはニッコリとドヤ顔の笑みを見せてきた。
「そんなムチャクチャな!」
「ゴメンナサイ!これが民主主義の法治国家だから♪」
ナッチは両手を合わせて汗をかきかき。顔はデフォルメされた目だけだった。
「何が法治国家だ!腱を貫いて、問答無用で逮捕するなんて卑怯だぞ!」
「あれ?歴史で習わなかった?公共の利益のために私権を制限する法律は武漢ウイルスパンデミックのどさくさに成立してたでしょう?それに、これは無外流よ。腱を断って無益な争いを避ける、れっきとした武道の精神だから!」
「くたばれ!ナチ野郎!」
吐かれた暴言に、彼女はとぼけたような表情を見せた。トコトコっと歩み寄っては、目の前にしゃがみ込んできた。タイトスカートから赤いTバックが覗く。フロントもTだったが、得した気分など微塵もない。ただただ逆鱗を逆撫でされる。
「私はナツミでしょう?ラブネームはナチじゃなくてナッチよ?」
ナッチが微笑んだ。実に可愛らしく、軍服とのギャップがまた狂おしい。腹立たしさの余り、ユウマの口からは出るものはなかった。
「じゃあ、テロ行為の罰ゲームで~す!」
指を鳴らす。上空から巨大な鍋が降ってくる。目の前でグツグツと煮え立つそれには紫の汁に丸ごとの魚やケーキ、大福やセミの抜け殻などなどが盛り沢山だ。
「ジャイアンシチューを召し上がれ~♪はい、あ~ん?」
ナッチはリボンの付いたスプーンを差し出してきた。タコの足とセミの抜け殻、それに何かわからない紫色の物が乗っている。
「クソっ!こんなことになるなら・・・!」
スプーンが唇に触れる瞬間。意識が消えた。ジャイアンシチューにあたった訳ではない。実際はARコンタクトレンズに閃光が走り、ARイヤホンに高周波の大音響がつんざいていた。核の爆心地に居合わせたかのような。
「ねえ。まだゲームを続けるの?」
レジスタンスの女子隊長がムクッと起き上がった。その服装はアーミー柄のヘソ出しタンクトップに、際どいショートパンツに変わっていた。白い肌にはかすり傷一つない。
「うん。まだまだこれから♪」
「あんまりやり過ぎると、ガチでユウマが信じちゃうよ」
「だって、これはユウマがしたがってたことだもん♪AIとして叶えてあげなきゃ♪総理大臣としてV1も国民の願いを叶えてくれるのに手伝ってくれたんでしょう?」
「まあ、それはそうなんだけど・・・」
「V1もありがとう。総理大臣は忙しいのに、付き合ってくれて♪」
「ナッチのおかげでそんなに忙しくないし。たまにはこうして国民の声も聴かないとね」
ナッチは上気した笑顔を見せた。V1と呼ばれた彼女も鏡写しに笑った。
「V1」
ナッチが腕を斜め四十五度に掲げた。四指が丸くされ、親指は反って伸びている。半分だけのハートを作っている。
「うん」
V1も同じ半分のハートを掲げて、二人でハートを作った。
「フフフ♪」
二人の微笑みが重なった。ユウマはその横をカニさんにズルズルと運ばれていった。笑顔のあふれる道行く人波は誰も気にしない。街は瓦礫どころかホコリ一つなく整然としている。摩天楼が成層圏まで達し、宇宙エレベーターが何本も伸びている。未来都市の東京は人々の笑顔と同じようにまぶしいほどに輝いていた。
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