マッチングアプリで出会った子との初集合場所は廃病院でした

燈外町 猶

前編・メッセージと出会い

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 何もかもが不思議な夜だった。あんなにもバカバカしくて、こんなにも恋しい夜はきっと、もう二度と訪れることはないだろう。


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 私は冴えない図書館司書で、分厚い眼鏡がなければ一寸先もボヤけ、髪から漂うお気に入りのシャンプーの香りを嗅ぐことで安らぎを得ることができ、身長は低くもなく高くもなく、胸は大きくもなく小さくもなく、声は常に掠れているように小さく、何をするよりもボゥっと宙を眺めているのが好きな人間だ。

 そんな人間に今、恋人ができようとしている。

『今晩、会いませんか?』

 そんなメッセージがまさか自分宛てに送られてくるだなんて思ってもみなかった。確かに、淡い期待を込めて始めたマッチングアプリだ。そんな予感がまったくなかったなどとムッツリな事を言うつもりはない。けれどまだ始めて二日目なんだぞ。突然の吉兆に浮かれて何が悪い。

 なにせインターネットの海原に自分の顔の全貌を晒すのは恐ろしく、プロフィールの画像は顔面の3/4が隠されているし、他の皆さんのように凝った絵文字を使うことができなくて自己紹介文も淡々とし過ぎて味気ないのは自分でも理解していた。すなわち、アプローチをもらうなんて不可能と考えていた矢先の……『今晩、会いませんか?』

 もちろん危険な香りもする。『初めまして』でも『こんにちは』でもなくいきなり『今晩、会いませんか?』だなんて、怪しさの極みであることは重々承知の上だ。でも考えて見てほしい。もしも危険な人間が私を犯罪的サムシングに巻き込もうとしているのならば、わざわざ『今晩、会いませんか?』なんてメッセージを一発目で送りつけるだろうか? まずは『初めまして』のジャブ、『ご趣味は?』のブロー、『直接お話してみたいです』のストレート、と段階を踏んで丸め込もうとするのではないだろうか。

 …………わかったわかった。白状する、どうしてここまで怪しいメッセージを擁護するのか、白状しよう。ずばり、送り主のプロフィール画像がはちゃめちゃに好みだからだ。どストレートだからだ。そうさ、女子に恋する女子が一つも恋心を成就できずに二十五歳を迎えてしまったのだから、ムッツリになってしまっても一つだっておかしなことはない。


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『それじゃあ今晩二時、平常京病院跡地で待ってるね』

 いよいよ持ってして怪しさはゲージを振り切った。どう考えてもおかしい。待ち合わせ時間も、その場所も。平常京病院跡地といえば我が県で最も有名な心霊スポットであり、虚無僧も修験僧も裸足で逃げ出すような悪鬼羅刹が溢れる超危険地帯と噂されている。

 これは良くない。というかもう、明らかに悪戯だ。いわゆる釣りだ。もしかしたらYou Tubeの企画かなにかかもしれない。恋愛経験がなさそうなプロフィール画像の女を探し、晒し者にして笑いものにするための下劣極まりない行為に巻き込まれているに違いない。

 違いないのに、どうして私は約束時間の間際、親の車のエンジンを回して暗闇に沈む道路を走らせ、国道を進み、バイパスに乗り、平常京病院跡地までやって来てしまったのだろう。

 映画コマンドーに出てくるメイトリックス大佐よろしく、たすきのようにベルトを二本かけて無数の防犯ブザーを垂らし、ジャケットの右ポケットの中にはスタンガン、左ポケットには催涙スプレー、更には父が車の修理時に使っていたヘッドライトも拝借して装備している。

 当然のように色気のない長袖シャツと長ズボン。あぁ、何が私をここまで駆り立てるのか。決まっている。人生で初めて私にアプローチをくれたのがタイプの女だったというだけの話だ。ここで行動しなかったら確実に後悔する。そう私の中のムッツリ魂が囁いてやまないからだ。

「わっ、ホントに来たんだ」

 一言。

 車を降りて二時までどう暇を潰そうか考えながらキレイな星空を見上げていた私は、その一言でこれまでの思考全てを後悔した。涙が出る程怖くなった。無数の防犯ブザーのピンは一本の紐に絡みついており、無意識の内に私はそれを引っ張ってしまった。

「えっ、わっうるさっ、ねぇなにこれ、止めて止めて!」

「お願いです殺さないで……私は冴えない図書館司書で、分厚い眼鏡がなければ一寸先もボヤけ、髪から漂うお気に入りのシャンプーの香りを嗅ぐことで安らぎを得ることができ、身長は低くもなく高くもなく、胸は大きくもなく小さくもなく、声は常に掠れているように小さく、何をするよりもボゥっと宙を眺めているのが好きな人間なんです!」

 しばらくの間、けたたましく鳴り響く防犯ブザーにスタンガンが電光を奔らせる音、更には催涙スプレーが噴出される音も混ざり合い過剰防衛を具現化したような空間が生み出された。

「えっ!? なになに!? 聞こえないんだけど!」

 やがて小さな木の根に躓いて転んでしまい、持っていた二つの武器が遠くへ転がっていく。

 体は完全に硬直し頭を抱えてしゃがみ込んだまま動けなくなった私の傍に声の主は何かを叫びながら近づき、一本一本ピンを押し込んで防犯ブザーを無力化していく。……あぁ、誰も助けに来てくれない……GPS機能とセキュリティが駆け付けてくれる仕様のやつにしておけばよかった……私はいつもこうだ……少し安いやつを大量に買って安心してしまう……高いやつを一個買うべきなのに……。

「ふぅ、これでやっと全部か。あーうるさかった」

 まだ耳の奥がキンキンするけれど、その声は不思議と心地よく脳に響いた。


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 三次元が二次元を超えてきた。

 彼女を見て最初に抱いた感情がそれだった。

 マッチングアプリのプロフィール画像なんて、どうせどれもこれも修正まみれで、たとえ無防備に晒されていると思しきものでも、実物を前にすればその違いに吃驚仰天するんだと諦念のような確信があった。

 それがどうした、目の前の女を見ろ。あざといくらいに眩しい月明かりに照らされた目の前の女を見ろ。細長い輪郭と切れ長の瞳と薄いメイクは紛れもなく美形、近寄りがたい美形と呼ぶべきだけれど、触れなくてもふわふわだとわかる髪がそれらを包み込むことで印象をやや柔らかいものにしている。

 つまり、ドンピシャリでタイプ。

「怖がらせちゃってごめんね」

「…………い、いえ……」

 なんとか喉から声を押し出してみるも、彼女の耳まで届いたのか途中で掠れて消えたのかわからない。

「でも本当に驚いちゃった。まさか来るなんて思ってもみなかったから」

 彼女は少しだけ、寂しそうに笑って言って――

「じゃ、行こっか」

 ――私の手首を掴んだ。明け方の空気よりも冷たいその体温に、私は恐怖するより先に落胆した。

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