第31話
「や。これは厳しい」
一撃で体幹を崩してはいるが、後が続かない。エイブラハムは眉尻を下げながらほんとうに小さく呟いた。
更に一歩踏み込めれば話は変わってくるが、押し切れるほどゴッドウィンの軸は揺らいでいない。更に押すか、それとも引くか。いやいや、押してみる方が面白い。
エイブラハムは剣を合わせたままに後ろ脚を前へと送り出す。接地と同時に、ふ、と肩がほんの僅か動いた。
たったのそれだけで、拮抗していた場が歪む。
斬撃を受け止めていた剣が、ぐぐ、と押し込まれるのをゴッドウィンは感じた。力のほども、圧力もすら変わっていない。何故、と考えるよりも先に後ろへと下がろうとした瞬間、右脇に衝撃が走った。
「一本」
リュウの声が響いた。特段取り決めがあったわけではないが、両者ともに仕切り直すべく一足飛びに後ろへと下がる。エイブラハムは静かな笑みを湛え、ゴッドウィンは巌のように険しいままである。凡そ七歩程度の距離を保ったまま、両者はやや大仰なほどにゆっくりと正眼に構えた。
これはゴッドウィンを知るものであれば目を疑っただろう。彼は、いつ、何時も、大上段に構えることを是としてきた。間合いを気にせず、技量を気にせず、ただただ一刀のもとに両断する。これこそがゴッドウィンの求める剣である。
一撃で一切合切の決着を見る。これほど爽快なことはなく、わかりやすすぎるほどの最強だ。獣を斬り倒す。人を斬り殺す。どちらも一回の攻撃で命を刈り取れるのであれば、後の危険は遠のくのだから、理にもかなっている。それ即ち、ゴッドウィンにおける理合いである。
技は修めた。二の太刀要らずとは言え、初撃を外した後に続く技もある。であれば、ゴッドウィンに負ける道理などない。
しかし。
だがしかし。
「勝気と怖気の両方が見えますなあ。若い、若い」
対する剣聖は必殺を全て躱し、それどころか脇腹を打ってきた。これは道理に合わない。無理筋ではないのか。今も無造作に一歩距離が詰められた。もう互いの剣は触れんばかりに近づいている。逆に言えば、まだ距離はある。
「やる、やるな。よく自制している」
相対したリュウだからこそわかる。ゴッドウィンは既に喉を抉られている。いや、現実に抉られているわけではない。正確には、剣先で喉を抉られたという幻視を覚えているだけだ。
ゴッドウィンからしたら、すぐ目の前に見える剣を払いたいところだろう。だが、あの巨剣ではそうもいくまい。どうしても取り回しに難があるのだから、エイブラハム相手では決定的な隙を晒すことになる。
ならば如何とする。
抉り返すのだ。
そしてそのまま根競べと相成る。
「それでは華がありませんなあ」
探り合いを飛ばし、さらにエイブラハムは歩を進めた。同時にそれは実際に喉を抉るかのような突きへと変貌を遂げる。当然ゴッドウィンは軌道を反らすように剣の腹を押し当てるようにして受けた。
そっと反らすような受けに対して、エイブラハムは逆らわない。押されるままに刀身を流し、くるりと返して斬り上げる。ゴッドウィンは受け―――ず。刀身に沿わせるように剣閃を受け流し、一歩、二歩と後退して上段に構えた。
対するエイブラハムも追撃することなく八相へ。間合いは一足一刀のままで止まった。
この仕切り直しは正しい、とリュウは考える。受けた場合、一度目の繰り返しとなりかねない。二度目ともなれば対応できるかもしれないが、その場合はエイブラハムも虚実の選択肢を押し付けることが可能になる。分の悪い賭けに乗るくらいであれば、間を外して後の先を伺うのは当然の手番と言えよう。
なかなかに味のある攻防。繊細な技も使うゴッドウィンにリュウは感心しきりだった。
「さてさて。参りますよ」
軽やかに一歩を踏み出し、剣聖は楽しそうに笑った。先ほどとは打って変わって若々しい、一方では乱雑とも言える運足。七歩の距離を二歩で詰め、剣を合わせる。受ける、押す、下がる、どれでも選べるはずのゴッドウィンはしかし、そのいずれも選べず。
きぃ、と金属が擦れる音と共に、大剣がふわりと持ち上がった。それを成したエイブラハムは、無骨な大剣、その横っ腹をぱちんと叩いて身体をぐるりと回転させる。
(なんたるッ!)
無意識に崩され、横合いから力を加えられれば抗するも能わず。僅かに傾いだ巨剣をできうる限りの速さで構え直す、が。
鋼が衝突する音が響き渡る。雷鳴の如く、空が割れたのかと思わんばかりの大音声。受け流すことは叶わず、巨石の重さを持った剣撃を辛うじて受け止めた巨漢はしかし、二の腕にまで痺れを覚えるほどの剛撃に苦鳴を漏らした。
「化け物めェ…!」
驚愕と感嘆の響きを載せて、巨漢の口から怨嗟の声が滑り落ちる。口の端を吊り上げ、心底愉しそうに笑いながら、静を捨てた老爺の身体が地を滑った。
一歩、二歩。エイブラハムはゴッドウィンの間合いの内に身体を晒しているが、ゴッドウィンは動かない。否、反応が遅れている。
「…目で追えないわけではないだろうに、何故?」
少し離れた位置で俯瞰的に眺めているイリーナからすれば不思議な光景だった。エイブラハムの踏み込みは決して速くはない。しかしゴッドウィンは、気付いていなかった、という反応を示している。目の前で繰り広げられていた立ち合いの内容を見る限り、不自然な挙動と言えるだろう。これにも当然からくりは存在するが、イリーナは実体験に欠けるため気付けない。
(体軸が揺らがないからこそ、初動が見えんのだ)
人間はどの動作にも起こりが存在する。それは一般に気配などと呼ばれることもあるが、末端の極々小さな動きを察知して相手の動作を予測・感知している。この起こりを消すことは極端に難しい。人間は身体が偏ることが普通であり、動けば軸もまた揺れる。手を動かす、足を動かす、それだけで重心が移動するのである。この偏り、動作こそが起こり。これを消すことは困難を極める。
しかしそれに近づくことこそが武の深奥を探ることである。呼吸をするように己の身体を律するのだ。無念無想、自然体とは其れを指す。
剣を持つとて余分な力が入らず、相対して尚凪の如く。整った軸が滑るかのように動くのならば、初動を見切るのは至難である。
「ぐ」
ゴッドウィンからすれば、エイブラハムの姿が突然大きくなったように見えたろう。そこから伸びる突きもまた、察知がまるでできなかった。
勝負勘だけが告げた危機を感じ取り、首を傾けることで回避する。返す刀は、間に合わない。既にエイブラハムの剣は手元に戻っていた。
(こうまで、差があるというのか)
遠い。
あまりにも遠い。
剛剣を振るおうと流され、毛ほどの隙を晒せばお返しとばかりの剛撃を放ってくる。あの小さな躰、年老いた体躯で何故ここまで。道理に合わぬ。理屈はどこへ行った。
至近の距離を離すべく、踏み込んで肩を当てる。同様に当てられた肩から不動の気配。押した瞬間、身体が流れ、崩される。反射的に一歩を踏み出して体勢を保つが、決定的な居付き。
「そこまで」
リュウの宣言が成される一瞬前、ゴッドウィンの首に剣が添えられていた。
静かな、決着であった。
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