彗星

その夜。沓掛の家に泊めてもらっている俺はあぐらをかきながら外を眺めていた。


「はあぁ…」

案の定寝れずに部屋に面する縁側の先から見える畑をみて黄昏れていた。

眺めると都会暮らしだと見る機会がないまだまだ蒼い稲の景色が遠くまで続いていた。暗い部屋からは山にある小さな光もよく見えた。


「俺も田舎だったら別の暮らしになってたのかなぁ…」


そんな事を静かにぼやく。ただ逆に田舎の人も都会暮らしを望んでいたり…という様なことを考えていると時が過ぎてゆく。



そんなとき急に目に光が入って来た。俺は反射的に光が来る方へと手を向ける。


「…だ…だれ…ですか…!?」

幽霊…というオカルトチックな単語が脳裏をよぎる。




そこに立っていたのは…


「あら…君も?天文学は取ってないって聞いてたけど。でもまあ知ってるかぁ…」

「うわっ!?な…なんで…こんな時間に?」

そこにいたのは懐中電灯を持った沓掛だった。いつもとは全く違う白い寝間着を纏っている。

何故かちょうど縁側に出るという奇跡のシンクロである。

「それは君にも言えるでしょ……」

沓掛は懐中電灯を切る。また部屋が暗闇に包まれた。

「まあ私もペルセウス座流星群を見に来たのだけど……うん。月明かりも少ないし見やすいね。」

「えっ…あぁ……そんな季節だね…」


沓掛さんは俺の横に立って閉まっている一枚窓を開けた。

山の爽やかな夜の空気が入る。

さっきまで聴こえなかった遠くの森の葉が擦れ合う音がする。


「それに今日は極大に近いからね…ほらそこのペルセウス座の上の方の星から見えるよ…」

「…どこだ…それ。…さっきまで俺ずっと外見てたんだけど分からなかったなぁ…」

「まあ分からなくてもいいから流星群探そうよ。みつけたらきっと願い叶うよ!」

「それは火球レベルじゃないと…」

「火球なんて見る機会少ないでしょ…」


2人はペルセウス座流星群を眺めた。


濃藍の空を横切る小さな光はすぐに消える。だが少し待つもう1つ、2つと来る。ただそれも儚く去ってしまう。


星の煌きと2人以外の時間が止まっているかの如く短く、そして清閑な時間が続いた。


「…ねぇ。」

静寂を切り裂き、沓掛は聞く。

「…どうしたの沓掛さん」

「彗星って好き?」

「彗星…ですか。……まあ嫌いでもない…かな」

俺は突然の質問に少し惑いながらも返す。だが少ししどろもどろな返事になってしまった。

「…ふーん。………私。彗星好きなんだ。太陽に近づいたときのあのほうきが子供の頃から目に焼き付いててね…」

「…あぁ…あの15年ちょっと前に来た彗星か…。俺も覚えてるよ。あの大きく弧を描く軌道がいいよね」

「…君も見たんだね!あの大きな彗星」

「えっ…ぁ…ぁあ。うん。」

俺は脳裏に浮ぶあの彗星の記憶と同時に、あの思い出も蘇る。


「…どうしたの?そんな顔して?」

「…いや……何でもない…」

俺は誤魔化すように顔を上げた。


「……本当に大丈夫?」

沓掛は訝しげそうに聞く。

「…っああ。…そうだ。あれだ…あの…今降ってる流星群ってなんの彗星の塵なんだっけ」

咄嗟に俺は思いついた事を聞き、話を逸らす。

「……まあ、言いたくなければいいけど。」

沓掛は何時でも優しかった。それはこの時でも同じだった。そして俺が返事を返せないのも同じだった。



「スイフト・タットル彗星。私達が見た彗星とは違うけどね。」


沓掛は少し冷たい風の吹く空を見て言った。


「発見した人の名前を2人分取ってこの名前になってさ。確か…前に来たのが1992年か1993年くらいだったんだけど…まあ勿論私は生まれて無い訳でして…」


「そんな前なんだね」


「そんな前…って言っても天文学的には…」


沓掛は彗星の話を進める。そして時間は10分、20分と過ぎていく。


そうしていく間に、俺の中の心情は変化していった。





「沓掛さん。」

「…?どうしたの?」


「俺の昔の話。やっぱり聞いてくれるかな…?」


「…いいよ。」

沓掛は小さく頷く。



「俺。本当は大学に行きたかったんです。」

俺は少しばかりの勇気を出し切り言った。

「高校から先も学んでいたいっていう。そういう思いだったんです。でも行けなくて。やむなく…って言ったらあれですが…。募集が来てたこの千研に入ったんです」

「……大学か。確かに私は就職したかったから行かなかったけど…。どうして“行けなかった”のかな…?」

「……」


「嫌なら言わなくていいんだよ?」

沓掛は分かってくれていた。


「…いえ。」

ただ俺は止める気など無かった。


「俺の親は、“本当の親じゃ無いんです”」


沓掛の表情が少し濁る。

「本当の親じゃ…ない…?」


「まあ義理の母…まあ年齢的には祖母に近いんですが…」


「……」

沓掛は何かを心の中で押し殺したような表情でこちらを見ていた。

「まだ言葉も話せない時に引き取られたんです。俺の義母さんに。…でも大学は金銭的な余裕でできなかったんです。でも俺の義母さんはいつでも笑っていて…。俺の人生を救ってくれた恩人ですよ。」

俺はあの義母の笑顔を思い出し笑う。




「頬」沓掛はポツリ言う。

俺は何を言いたいかが分からなかった。

そして。理解が追いつく前に沓掛は口に出した。


「頬、涙が流れて…」


そういって沓掛は俺の目尻にぽっけから出したハンカチを当てた。

俺はその時、ようやく涙が流れていることに気が付いた。

「な…涙……が…。」

「…はい。これ使って。」

左手に持つハンカチを俺に渡した。


「ありが…とう…」

俺は手に取ったハンカチを頬に当てた。ハンカチが涙を吸い取るのがよく分かる。

風が吹くと頬の涙跡が微かに分かった。


沓掛は少し心配するような顔を見せ、こちらを覗く。

俺は一通りの涙を拭き取った俺はあの話に戻した。


「……その義母さんとの思い出で一番だったのが子供の時に見た彗星なんです。」

「…そうなんだね。」

「…夜に屋上から見たあの景色は一生忘れることはないですよ」

俺はまた少し溢れる涙を拭き取った。

「…どうしてそれが…嫌な思い出になるの…?」

沓掛は静かに訊く。しかし少し怒ったような表情で。







「…その次の日に、義母さんは亡くなったんです」

「えっ…」

沓掛の顔は一変した。

「重い病気でね。余りにも若すぎた終わりだったと俺は思ってるよ…。」

俺は鼻声で話す。

「だから俺はこんな嫌な思い出なんか忘れたい…。見ず知らずの俺を引き取ってくれたのに……親孝行も出来なくて…そんな自分が悔しいだけなんだよ…。」



「…忘れちゃ駄目です。何があっても……忘れたくても。」

沓掛は少し泣きそうになりながら言った。


「それでも…忘れたいのに忘れられないんだ…!思い出すたびに胸が締まるんだよ!義母さんのこと…」


「でも…」

沓掛は強く手を握る。


「例えどんな苦しい…辛い思い出でも…忘れなかったらその人はまだ生きてるんですよ…!ただ自分が悔しいだけで忘れるなんて身勝手です!拾ってくれた恩とか育ててくれた恩を忘れているんですか!」


沓掛は目に涙を浮かべながら続ける。 


「それこそ親不孝者ですよ!人の恩に甘えて来たのに投げ捨てるなんて私が知っている貴方なんかじゃない…!さっきの話は何だったんですか…」


「それは…」

言葉が詰まる。


「またそのお母さんを死なせるんですか…?」

沓掛の頬が静かに光る。


その瞬間。俺の中の何かが目覚めた。



「それでも…貴方は忘れようとするんですか?…もし気が変わったなら……今からでも恩は返せるんです。例えその人が旅立っていったとしても。」


「青空の上から見てくれているはずだから…ね…?」



俺は開いた窓から天を仰ぐ。


「青空……か…。」


無数の星に煌めく彗星の欠片。


あの屋上の景色、そして忘れようとしていたあの笑顔が浮かぶ。



また零れ落ちる涙は頬を伝う。

ただその表情は悲しみでは無かった。







「まだ見てるよな…母さん」

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