ツンデレ悪役令嬢、異世界に転生する。
林奈
第一章 悪役令嬢は、転生する。
悪役令嬢は目を覚ます。
「くっはぁっ!」
詰まる息を吐きだして、ガバっと身体を起こした。酸素の足りない身体は、肩を大きく揺らすほどに息が切れている。首元にある布をしっかりと掴みながら、自分が悪夢を見ていたのだと、エリザベスは気が付いた。
ふいに、風が吹いた気がした。呼吸は少し落ち着いてきたけれど、ぶるりと震えた体にエリザベスは自分が汗をかいていたことを知る。
(悪夢、だわ。)
最後に見た景色は、何だったかしら?――――そんなことを考えながら、「はあ、はあ。」と苦しい息を繰り返す。上下する肩を押さえるように唾を飲み、視線を下げれば、布団を掴んだ手に少し違和感があった。その違和感の答えがわからないまま、また一度大きく息を吸い、吐き出す。顔を上げ、周りの景色を見る。頬に髪の毛が張り付いている気がするが、そんなことは気にしていられないような景色だった。すぐそこに壁が見えた。白い壁、狭い布団。
(平民の…家? 拉致、されたとでもいうの?)
自ら好んでしたことではなかったが、平民の住む地域にも行ったことはある。といっても、商人の屋敷であり、ここまで狭くはなかったが。
エリザベスは、誰かに拉致されたにしては不思議な部屋な気がしていた。とてもシンプルなベッドではあったが、かけられた布団はフカフカだ。ごちゃごちゃと、見慣れない物が置かれた部屋。ベッドの脇、おそらくは机と思われるものの上には、平民では手に取る事さえ難しいはずの書物と思われるものが、数冊ほど乱雑に積まれている。しかも、それは驚くほどに薄く、そして小さい。
エリザベスは、首元の汗が気になって、手で髪を一度括るようにまとめて、肩の前に流そうとして…驚いた。
(髪が! 短い⁉)
あまりの驚きに、完全に目が覚めた。腰まであったはずの自慢の髪が、肩辺りまでしかなくなっていることに呆然とする。
(こ、こんな! 屈辱的なこと!
短くなってしまった髪先を肩の所で掴み、ぶるぶると震える。髪の長さは、貴族女性にとって当然の身だしなみであり、その艶は威厳とプライドの現れでもあった。唇を噛みそうになりながら、それでも皇太子妃教育の中でしつこいほどに教え込まれた通りに、感情を表さないようにと一度ふと目を瞑る。そして、余裕ある表情を取り繕ってから、掴んだ髪先を目の前に持ってきて、そこで再び違和感が襲った。
(———く、黒?)
何とか、その言葉は飲み込んだ。エリザベスの髪は、輝くプラチナブロンドだったはずだ。しかし、目の前に見える自分の髪であるはずのそれは、この国では忌むべき「闇色」と言われる黒髪だった。それは、恐るべき魔力量を持つ者を意味する。
エリザベスは、ゆっくりと立ち上がる。お妃教育では、優雅に、お淑やかにと口酸っぱく言われ、時には叩かれることもあった。今はそんなことを言っている場合では無い気がするが、幼い頃から身体にしみ込もされたそれらは、どうやらこんな時でも忘れられないらしい。
自分が寝ていた布団から数歩、部屋の外に出られそうな扉らしき場所の取っ手を手に取る。それを引いてみれば、開いたそこにはひどく質素な服らしき布がいくつもかけられていた。エリザベスのドレスからすれば、かなりお粗末なもの。しかも全てが恐ろしいほどに短い。
(これは、服?)
その質素さは平民の服に見えるが、色とりどりで様々な形をしたそれは、生地も仕立ても良いものに見えた。ただその短さに、それが本当に服なのかという疑問は残る。
持ったままだった取っ手を押して、扉を閉める。次に、すぐ隣のドアのようなものの取っ手を掴んだ。しかし、それは押してみたが開かず、引いてみても開かなかった。無理矢理にその取ってを押したり引いたりしてみれば、音を立ててドアが揺れる。これは、やはり閉じ込められているのだ。
とん、とん。
そっとドアをノックしてみる。「どなたか! どなたかおられませんの⁉」とエリザベスが外に向かって声をかけてみる。すると、しばらくして、部屋のすぐそばで「がちゃり」と音がした気がした。
(隣の部屋に、誰かいる?)
そう気が付いて、エリザベスはぐっと息を飲み、耳を澄ます。そして、それは数歩の足音をさせて近づいてきて、エリザベスのいるドアの前で止まったようだった。
がちゃり。
エリザベスが持っていたドアの取っ手が斜めに下がる。すると、目の前の扉が開いた。
(ま、魔法?)
開かなかったはずの扉が開いて、呆然としたよう立つエリザベスの前には、黒髪黒目の少年らしき人物が立っていた。
(ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!)
短い黒髪、そして黒目。それは忌むべき魔術師の中でも、特に強烈な力を持つ封印すべき存在。それが、自分の目の前に現れたのだ。思わず口元を押さえるようにして、心の中で叫び声を上げた。その黒目は、しっかりとエリザベスを捉えて、呆れたように言った。
「お姉ちゃん、…うるさい。」
少年はただそれだけ言って、バタンと扉を閉じた。
一体、何が起きたと言うのか。
今起きたことに混乱するエリザベスだったが、自分が無事であることだけはわかった。そして、混乱する頭で今起きたことをリプレイする。
恐ろしい黒髪黒目。そして…
(オネエ、チャン?)
それは、平民の使う言葉で「姉上」のことを差しているのではなかったか?
エリザベスは、ふと自分の妹を思い出す。自分の婚約者にもたれかかるようにして腕をからめる妹、マーガレット。恥ずかしそうな初心な笑顔を自分の婚約者に向け、エリザベスを「困った姉」の様に見たその口元には侮蔑の笑みがのっていた。
思い出して、再びぶるりと身体が震える。
しかし、先ほど目の前にいたのはマーガレットとは似ても似つかない少年だった。エリザベスは、誰かがエリザベスを閉じ込めて、あの少年を見張り役としたのかもしれないと、まずは気持ちを落ちつかせる。そして、斜めに取っ手が動いたのを思い出し、それをそっと下に押した。
がちゃり。
先ほども聞いた音と共に、扉はいとも簡単に開いた。扉を開けると、ひどく狭いまっすぐな廊下の先に階段が見える。そして、その階段を黒髪が下りていくのが見えた。
「あの、…そこの貴方。」
エリザベスの声に反応して黒髪が止まり、こちらを振り向いたのがわかった。エリザベスは彼の顔が見える所まで廊下を進み、階段途中でこちらを見上げている彼を見下ろしながら問いかけた。
「ここは? どこなのですか?」
黒髪の少年は眉間に皺を寄せ、「はぁ?」と言った。そして、「何、その設定。きもっ。」とだけ言って、再び階段を下りていってしまう。
どうやら危害を加える気が無いらしいことがわかり、エリザベスも慌ててそれについて行った。
「少年、ここはどこなのか言いなさい。このまま私を帰らせれば、罪には問わぬから。」
少年を追いかけるようにして一人しか通れないような階段を下りながら、エリザベスが諭すようにかけた言葉を、彼は無視しているようだった。あっという間についた階下は、先ほどの部屋よりも広かったが、それでもエリザベスの私室の半分も無い。何やら良い匂いのするその部屋で、少年はエリザベスの言葉を無視するようにして、奥にあるドアに向かって声をかけた。
「お母さーん、お姉ちゃんがまた変になってる。」
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