思い出自動販売機

@kyu-ri

第1話

 夏祭りの夜には不思議な話がよく似合う。

 飴色をした淡い月灯りの下。はしゃぐ子供たちの声、遠くで鳴る救急車のサイレン、太鼓の音。

 騒がしい屋台は向こうの通りで終わっているから、この石畳の階段には人通りが殆どない。初めて着た浴衣に気を使いながらその二段目に腰を下ろすと、ふいにさつきの目から、涙が溢れそうになった。

 隣では鈍く光る自販機が控えめに稼働音を鳴らしていて、遠くの喧騒のなか、静かな音はそれだけだった。あれそういえば、こんなところに自販機なんてあったっけ。頼りない記憶を巡らせていると、

「やっと見つけた……」

 息を切らせながら呼びかけられる声に、さつきは顔をあげた。

「……葉介ぇ」

「わ、おい。いきなり泣くなよ。どうしたんだよ、時間になっても待ち合わせ場所に来ないし」

「片方無くしちゃって、下駄」

 堪えていても涙声になってしまうのが恥ずかしかった。

「なんだ、そんなことか」

「そんなことってなによー」

 ほっと息を吐いて、昔と変わらない顔で笑うから、そんな葉介にさつきも釣られて少し笑った。よいしょっ、と葉介が隣に座る。

「ねえ、葉介」

「ん?」

「ごめんね。待ち合わせ場所に行けなくて」

「それはいいよ、見つけたし。俺のスニーカー履くか?」

「ありがと。でも、浴衣とは合わないよ」

「あ、そうか」

 こんな理由で納得してくれる馬鹿さ加減が今は助かる。

「ま、いいか。また来年来れば」

「……来年も私と来るつもりなんだ?」

 からかい口調で聞くと、夜のなかでも顔を赤らめたのが分かった。

 悪いかよ、とむくれたようにそっぽを向く葉介に、さつきは目を細める。

「なに笑ってんだよ」

「べーつにー?ね、葉介。今日私とお祭り行くこと、誰かに言った?」

「なんでそんなこと聞くんだよ。……言ってないけど」

「じゃあさ、今日のこと、2人だけの秘密にしない?ほら、子どもの時みたいにさ️」

「秘密ごっこ?確かにやってたけど。なんでまたそんな急なんだよ」

「だって葉介ってば中学にあがった頃から私のこと急に無視しだしてさ。これでも結構傷ついてたんだよ?理由だって全然教えてくれないし」

 理由って、と葉介は呟いた。

「分かんねえの?」

 葉介の顔が、さつきのおでこに触れるか触れないかの距離まで近づく。上目遣いで覗き込まれた瞳が、濡れて見える。友達では絶対にできない距離。さつきは両手で顔を覆う。

「……今わかりました」

「……ならいい」

 顔が暑い。すごく暑い。葉介もかなり恥ずかしかったみたいで、近くにあった顔をすぐにどけた。じゃあ初めからやらないで欲しい。っていうのは嘘だけど、心臓が全くもって追いつかない。

 それから、少しの沈黙が流れて、夜の生温い風がさわさわとあたりの木々を揺らした。遠くでは、他人事みたいな祭囃子が鳴っている。

 のど渇いたな。ジュースでも買うか。うん。

 交わされる会話は何故だか少しぎこちない。

 葉介が階段から腰を浮かせる。

「さつきはそこで座ってろよ」

「やったあ。じゃあオレンジジュース」

「お、やっぱり」

「なんで分かったの?」

「だっていつも飲んでただろ」

 ちゃりん、と音を立てて、葉介の指先から100円玉が飲み込まれていく。ボタンが光って、四角い箱の中に選択肢が浮かび上がる。

「なんだこれ」

 葉介が小さく声をあげ、自販機をまじまじと見つめた。

「どうしたの?」

 不思議に思ったさつきも、片足でケンケンして自販機に近づいた。辺りが暗いから、目に入る光がやけに眩しい。

「ほら、これ」

 葉介が指さしたのは、機体に大きくプリントされた文字。

『思い出自動販売機』

 思い出と、自動販売機。2つの単語の組み合わせは、普段見慣れないもので、その不自然さにさつきは戸惑った。

「なにこれ、こんなの今まで無かったよね?」

 隣を見ると、いつもの無愛想な表情のまま、葉介は目を輝かせていた。

「面白そうだ」

「え、でも何が出てくるか分かんないよ?」

「わかってないな、そこがいいんだろ」

 葉介は迷わず光るボタンを押した。昔からそうだ。頑固で向こう見ずで、平気で無茶ばかりをする。だからさつきはいつでも葉介から目が離せなかった、色々な意味で。

 ゴトン、と音がして何かが落ちてきた。

「なんだこれ……チケット?」

 取り出し口から出てきた長方形のチケットは、古いものらしく、イラストの印刷が薄ぼけていた。

「これ、隣町の遊園地のチケットだよ。ほら、数年前に閉園した」

「俺、そんなとこ行ったことあったっけ?」

「あったじゃない!小学生の時の遠足!覚えてないの?」

 葉介は言われてはじめて、ああ、と頷く。ようやく思い出したみたいだ。

「あれ行ったのって何年前だっけ?」

「確か、小6の時だから……4年前?」

 葉介はにやりと笑って、チケットに印刷された数字を見せた。

「4年前の日付だ……」

「すげえ。本当に思い出なんだ」

 そう言って気を良くしたらしい葉介は、100円玉を何枚も投入し、光るボタンをどんどん押し始めた。

 ボロボロになったサッカーボールに目を細め、赤点テストにこんなのいらねえと眉を下げる。珍しく積もった冬の思い出は、雪だるま。季節外れの雪だるまは、あっという間に溶けて水溜りになった。

「うお、これ取り出しにくいな」

 葉介が指を攣らせそうになりながら苦労して取り出したのは、古いA4のノートだった。

「さつき」

 葉介は、さつきの名前を呼んで、ノートをぱらりと開けた。

「わ、これ、秘密ノートだ!わー懐かしい、よくやったよね、秘密ごっこ」

「なんでもかんでも秘密にしてこのノートに書いてたよな。っておい、これ、昼飯の内容なんて秘密にしてどうすんだ、そんなもん親が絶対知ってるだろ。ごっこってのもよく分かんねえし」

 そうやって悪態を吐くけど、2人で約束した秘密を、葉介は律儀に絶対守っていた。

 次に出たのは、消しゴム。に見えるけど、それにしては変わった形をしている。

「これなに?」

「消しゴム飛ばして遊ぶやつ、これが1番よく飛ぶんで人気だったんだよ。中学ん時に仲間内で流行って皆持ってたな」

「子供っぽ!」

「俺準チャンピオンだった」

「わーすごーい!じゃなくて、そういうところが子供っぽいって言ってんの」

「なんで拗ねてんの?」

「だって、小学生まではわかるのに、中学のがわかんないのがくやしい」

「またそれかよ。だから、悪かったよ」

「なによその言い方ー。ちゃんと思ってんの?」

「いいだろ。思い出なんてこれからもっとつくれるんだから」

 ピッ、ガタン。

「あ、これ」

 葉介は新たに取り出した栞を懐かしそうに眺めた。

「死んだばあちゃんが大事にしてたやつだ」

 葉介の祖母の葬式には、さつきも出席した。線香の匂いが残る部屋で、葉介と一緒になって泣いた。物知りで、優しかった声を今でも覚えている。さつきは、ふいに不安な気持ちに襲われる。どれだけ近くにあっても、ある日突然消えてしまう、悲しみにも似た不安。

 そういえば、と葉介がさつきに投げかける。

「幽霊って、足ないだろ?」

「何急に。怖い話はやめてよ」

 ただでさえ祭りの夜なんて、普段なら起こり得ないことまで起こりそうな雰囲気がある。

「怖い話じゃないって。昔ばあちゃんが教えてくれた御伽話」

「御伽話?」

「そう。ばあちゃん曰く、幽霊が生きてる人に見えないのは、足が無いからなんだってさ。足が無いと、生きてる人間と差ができちゃうから。でも、靴を履けば会えるようになるんだって、それが足の代わりになるからって」

「それじゃあなんで幽霊に会えるのに、皆幽霊を見たことないっていうの?」

「ああ、それ、俺も気になってばあちゃんに聞いたんだ。えっと、なんだっけ」

 葉介は、少し考えてから顔をあげた。

「思い出した。幽霊って生きてる人には見えないからさ、見えないってことは存在してないのと一緒だろ?だから、会ったことは幽霊とその人だけの秘密なんだと。秘密の中でしか幽霊は生きていられないんだって、ばあちゃんは言ってた」

「……そんな話聞いたこともなかった」

「な。俺も」

 でもさ、と葉介は続ける。

「それってすげえ嬉しいんだろうな」

「え?」

「だって、もう会えないと思ってた人がそうまでして会いにきてくれるんだろ?そんなの絶対に嬉しいに決まってるじゃん」

「葉介」

「なんだよ」

「……恥ずかしっ」

「なんだと!」

「ごめんごめん」

 言いつつ、笑いが止まらない。

「いつまで笑ってんだよ」

「だからごめんって。あ、そうだ」

 さつきは浴衣の袂を抑えながら自販機を指さした。

「私もやってみようかな」

「お、やるのか」

「葉介があんまり楽しそうなんだもん」

 さつきは笑って100円玉を投入する。

「どれがいいかな」

「どれもおんなじだろ、思い出なんだから」

「そっか」

 光るボタンを押すと、ガランと何がが落ちる音がした。

「何が出たんだろうな」

 葉介が興味深々という風に覗き込んでくる。さつきもどきどきしながら、取り出し口に手を向けた。

「下駄だ!」

 出てきたのは、さつきが履いているのと同じ型の下駄だった。履くとサイズもぴったりだ。

「じゃあ、これで祭り行けるな」

 嬉しそうに笑う葉介に、さつきも同じ顔をして頷いた。薄暗い石畳の上を、祭りの喧騒に向けて歩き出す。

 それにしても、と葉介の背中が呑気に呟いた。

「どうして思い出自動販売機なのに下駄なんて出たんだろうな。なんか思い出でもあるのか?」

「まあね」

 ピーポーピーポーとサイレンの音が遠くを通り過ぎだ。

「今日はよく救急車が通るな」

「祭りだからかな」

「なんで祭りだから?」

「祭りで浮かれた人が事故を起こしたみたい。大通りで見たの」

「へえ知らなかった」

「知らなくていいよ」

「なんだそれ」

 葉介が笑った。

 さつきは、サイレンの中、薄れていく意識を思い出す。

「葉介」

「ん?」

「ありがとね、私を見つけてくれて」

「?おう」

(ありがとう)

 今度は自販機に向けて、心の中で呟いた。

「何してんの」

 前を行く葉介がさつきを振り返る。

「ううん、なにも」

 首を横に振ると、ほら、と目の前に手が差し伸べられた。

「え?」

「……また迷子にならないように」

 重ねると、手のひらはじんわりと温かかった。

 葉介の声が頭の中で繰り返される。

 どうして下駄が出たんだろうな?

 ぼんやりと明るい人混みに近づけば、祭りの夜にサイレンはもう聞こえない。

 さつきはそっと答えを出す。これが、最期の思い出だから。

「じゃ、行きますか」

「うん」

 歩み出す足に合わせて、からん、と小さく下駄が鳴った。

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