第2話「私に好きって言ってみて」
窓から差し込む陽の光が、空を舞う桜の花びらによって多彩な模様を描き出す。
春の訪れを目と鼻で感じながら、私は手洗い場で制服に染みついた甘い香りと格闘していた。
「……で櫻子、さっきのは何なの。いきなり過ぎて今日のいちごミルク、ほとんど零しちゃったじゃない」
「ごめん……後で買って来るね。じゃなくて。その、優ちゃんは……だから……」
もじもじと恥ずかしそうに視線を逸らす櫻子を見て、じれったいと思いながら教室での出来事を思い出す。彼女が言っていたのは確か……。
「誰にも好きなんて、伝えた事ないよ」
「え。……ほんとに?」
「ないったらない。だからいつものように私を頼ろうとしたって、今度はそうはいかないよ」
なんとなく察しがついた。この子、恋してる。
あの真っ赤な顔も、視線の定まらない瞳も、たどたどしく震える唇も。
ずっと誰かの事を考えて、必死に何かを伝えようとしているんだ。
そんな彼女を見ていると、いつも以上にいじらしくて、愛おしくて。
「ねぇ櫻子」
だから私は、またつい手を差し伸べてしまう。
「私に好きって言ってみて。私が、練習相手になってあげるから」
私だって家族や友達に愛情を伝えた事はある。
でも今の櫻子みたいな感情は、まだ誰にも抱いた事なんてない。
だからその感情を知ってみたくなった。
大切な親友である櫻子がどんな思いを募らせ、そしてこの私に相談して来たのか。
突拍子のない提案を投げかけられた櫻子は、口をぱくぱくとさせて驚きを隠せないでいた。
しかし数秒後こくりと頷くと、小さな声で分かったと答えていた。
「優ちゃん」
ごくりと、妙な臨場感に息を飲む。
「好き……です」
桜のように頬を染めながら、櫻子は精一杯の笑顔で愛を伝える。
ほんのりと湿った瞳が、日差しに輝きながらじっと私を見つめて来る。
恥ずかしくて今にも泣き出しそうなくせに、それでもちゃんと気持ちを伝えようとして、私の瞳を逸らさずに見つめ続ける。
そんな彼女の笑顔に、目が離せなくなる。
「い、良いんじゃないか? うん、悪くない悪くない……」
先に根負けしたのは私の方だった。
適当な反応をして、櫻子から顔を逸らす。
これ以上見続けると、私の方が赤面しそうだった。
いや、既にもう真っ赤になってしまっているのだろう。
でなければ、わざわざ表情が見えないように顔を逸らしなんてしていない。
この子、いつからこんなに乙女に育っていた?
困った事があればすぐ優ちゃん優ちゃんと頼って来ていたはずなのに、私が知らないうちに、ずっと先に大人へなろうとしている気がして、複雑な感情を抱いてしまった。
「優ちゃん、い、良いの? ダメなの? どっちなの?」
私が曖昧な返答をしたせいで、櫻子も今の告白が良かったのか悪かったのか掴めないでいるようだ。
かといってこっちが赤面したなんて言えるはずもなく、もちろん悪い訳なんて微塵もなく。
本気の告白を見せられた私は、自分が告白したように慌てふためいていた。
「だから悪くないって、そう言った」
「分からないよ……じゃあもう一回言うから、もう一回答えて?」
「えぇ……っ!? い、いや、今日はもうおしまいだ! これは練習、そう、練習なんだから、次はまた明日。一日一回、最大限のやつを、だ……!!」
あわあわと両手を振り回しながら、私は何とか人差し指を上げ一度だけのジェスチャーを取った。
こんな告白を、一日にそう何回も受けてたまるか。
親友の本気の思いを何度も受け取っては、昼休みが終わる頃には頭の先までのぼせ上がってしまう。
だがいつもの調子で手伝うと言った手前、彼女の決心がつくまでは彼女の力にはなってあげたい。
だからその落としどころとして、私は一日一回だけと提案した。
櫻子も了承したのか、言いかけた口をつぐみじっと私を見つめていた。
またしてもお互いに照れてしまい、無言の時間がしばらく続く。
「そうだ優ちゃん。飲み物、買い直しに行こっか」
今度は櫻子の方が耐えられなくなったのか、沈黙を破るように私の手を握り、そのまま自販機へと連れ去った。
触れた櫻子の手が、いつも以上に熱くて柔らかく伝わる。
先を歩く櫻子とは目が合わない。
だけど触れた彼女の指先から、私が彼女に抱いた感情を見つけていた。
(ああ、そうか……)
悪くないと感じたのは、櫻子の告白ではなく、私の心境なのかも知れない。
彼女の好きという言葉が、彼女から向けられた愛情が、私はたまらなく心地良いと思ってしまった。
教室に戻ってから予鈴が響くまでの間、私と櫻子は一言も話せなかった。
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