第2悪 助けてアークムーン様!

 どうも、アンジャスティナ・マリス・ジオサイド・ヘルスクリームの中身です。

 現在、王国の追っ手がすぐ近くに来ちゃってます。あひぃ。


「どうだ、大罪人アンジャスティナは見つかったか!」

「いえ、まだ見つかりませんが、目下探索中であります!」


 あー、聞こえる聞こえる。国境警備隊の皆さんが私を探す声が聞こえるよー。

 現在地点は〈魔黒の森〉と呼ばれる大森林地帯。

 アレスティア王国と〈漆黒領〉の国境であるここに、私は潜伏しています。


「隊長、そろそろ日が暮れます。これ以上の探索は……」

「そうだな、今日はここまでだ。夜になる前に森を出るぞ! 私に続け!」

「「了解!」」


 隊長と呼ばれた男性がそう叫んだ。馬が地面を駆る音が幾つも重なる。

 それはやがて遠のいて、そして聞こえなくなった。


「…………」


 しかし、私は警戒を続けて数分その場で留まり、それからやっと息をついた。


「何とか、助かった……」


 と、呟いた私の鼻先に、何か濡れた感触。うぇ?


「ゲロゲーロ」


 丸々と太ったカエルが、鳴きながら地面に突っ伏していた私の顔に跳んできた。

 目の前が真っ暗になって、ベチャ、という音が耳に届く。


「みぎゃあああああああああああああああ!!?」


 たまらず私は跳び上がる。


「みゃー! みゃあー! カエル、ちゅめたいー!」

「ゲロ~」


 泣きながら顔をブンブン振ると、顔にひっついてたカエルどこかにとんでった。


「はぶぅ、粘液で顔がヌルヌルしてりゅ……」


 うめきつつ、何とか生き残れたことに安堵して、私はその場に座り込んだ。

 こうして座るのは、何時間ぶりだろう。半日以上は経ってると思う。


 服と顔に泥を塗って、私はずっと地面と一体化していた。

 服装も、景色に溶け込めるよう、暗い色合いの麻のローブを羽織っている。


 ああ、それにしてもおなか減った。

 お風呂入りたいよう。退屈だよう。声出したいよう。お肌ボロボロだよう。

 湧き上がるものは色々とあるが、それも全て我慢よ、我慢。


 全ては、ここから生きて逃げ延びるため。

 これもまた、私がアークムーン様から受けた薫陶の賜物だ。


「生きたいならば、それ以外の全てを捨てればいい。実に簡単なロジックだ」


 私は、私の愛する〈太天烈騎ガンライザー〉第23話での彼の名ゼリフを呟く。

 ありがとう、アークムーン様。今回も何とか生き残れました。

 全然、すこっしも、簡単じゃなかったけど!


 ウォォォォォォォォォ――、ン……。


「ひっ」


 聞こえた何かの遠吠えに、私は思わず身を竦ませた。

 周りを見ればすっかり夜。

 しかもこの〈魔黒の森〉は大陸最大の魔物の生息地帯でもあるのだ。


 そんな場所に、ほとんど無防備の女の子が一人。

 どっから見ても餌でしょ、私。


 やっと王国の追っ手から逃れたのに、次は魔物から逃げなきゃいけないなんて!

 しかも、もう自衛の手段がほとんどなくなっちゃってるし!


 いや、ここまで逃げてこれたこと自体、奇跡的ではあるんだけどね?

 っていうか、元のアンジュ、どれだけ備えていたのやら。

 各地に隠れ家用のセーフハウスがあって、非常用の食料と逃走資金も揃ってた。


 それらを使い、西へ西へと逃げて、ついには国境付近まで。

 しかし、元のアンジュが用意した逃走手段もついに尽きてしまった。


 路銀もなし、食料もなし、手持ちは市販品の回復ポーションが一本だけ。

 どこに逃げればいいかもわからず、逃げても何か展望があるワケでもない。


 要するに、詰みました。

 今の私に残された手段はもう、観念するか、無謀にも逃げるか、それとも――、


「これしか、ないかぁ……」


 私は、自分の胸に手を置いた。

 服の上からでも、固い感触をそこに覚える。私が貧乳って意味ではない。


 懐に収めていたのは、手のひらに収まる程度の大きさの本。

 あのパーティー会場で、逃げるときのハッタリにも用いた魔導書だ。


 あのときは遠隔念話の書と偽ったが、実際のところこれは召喚の書である。

 ヘルスクリーム家秘蔵の魔導書で、術者にとっての守護神を召喚する、らしい。

 正直、眉にべったりとツバをつけたい感じの言い伝えだけどねー。


 何かを召喚するのは間違いなさそうだが、何が出てくるかがわからない。

 だって、ゲーム本編には一切出てこないんだモン、この本について!


 本について触れているのは〈エトランゼ〉の公式設定資料集のみ。

 しかも、内容もたった十数文字程度という、ささやかな設定でしかないのだ。


 が、そんな頼りないものでも、今の私には一縷の望み、カンダタの蜘蛛の糸。

 私は意を決して、召喚の書を開いてみる。

 すると、そこに描かれた文字が音もなく発光し始めた。


 光は激しさを増し、周囲を明るく照らし出す。

 それが魔物を呼ぶんじゃないかと気が気でないけど、今さらやめられない。


 やがて光は地面に魔法陣を描き出し、中心に魔力が集まっていく。

 そこに生まれる輝きは私にとって大きな期待であり、同じだけの不安でもある。


 何が召喚されるかわからない。


 それが、こんなにも怖いなんて……。

 不安が期待に優る。身体の震えが止まらない。汗が、冷たい。

 でも、もしも言い伝え通りに、私にとっての守護神が来てくれるっていうなら!


「お願いアークムーン様、私を助けてェェェェェェ――――ッ!」


 叫ぶと同時、暗い森が真っ白な光に満たされて、召喚魔法が発動する。


「……あれ?」


 そして光が止むと、まだ淡く輝いている魔法陣の上に、男の人が倒れていた。

 黒いコートを着た、蒼い髪の若い男性だ。

 細い眉、通った鼻筋、唇は小さく、とても凛々しい、整った顔立ちをしてる。


 あ、この人知ってる。

 アークムーンに変身するサード様だ。と、私は朗らかに手を打って、


「ええええええええええええええええええええええええええええええ!!?」


 〈魔黒の森〉に、私の悲鳴が生涯最大最高の音量でこだましたのであった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ……この人、サード様じゃないかも。


 魔法陣の上でうつぶせに横たわっている蒼髪の男性を見て、私はそう思った。

 理由は簡単、サードはあくまで特撮番組の登場人物だからだ。

 だからこの人は、サードを演じた若手俳優、佐伯勇士さん、なのかもしれない。


 だとしたら――、


「私、とんでもないことしちゃったかも……」


 呟く自分の体が、一気に冷たくなっていくのを感じる。

 だって、私は死にたくないという自分の都合だけでこの人を召喚しちゃった。

 もしもこの人が何の力もない俳優の佐伯さんなら、私がしたコトって……。


「……ひぃん」


 自分のやらかしの大きさに、私は泣きそうになった。

 不安は胸を衝かんばかりに大きくなり、体が震え出すのを止められない。

 凍えそうなほど寒いのに、噴き出た汗が肌を濡らして気持ち悪い。


 ――ァオォォォォォォ……、ン。


「ひゃあ!」


 また聞こえた遠吠えに、私は小さく悲鳴をあげ、肩をビクつかせた。

 そうだった、ここ、魔物がメチャクチャいる場所だったぁ……。


「うう、とにかくこの人をどうにかしないと」


 魔法陣の光が、近くの魔物を呼び寄せてしまうかもしれない。

 それじゃあ本末転倒だ。私は死にたくないから、召喚魔法を使ったのに。

 倒れたままの彼は、目を覚ます気配がない。だからって放置できるはずもない。


「えっと、ごめんなさい……」


 男の人に触るのなんて初めてで、場違いな緊張を感じつつ私は手を伸ばす。

 すると、彼の胸元に触れた私の指先に、ヌルリとした妙な触感。


 ――あれ、何か濡れてる?


 ふと見ると、指先に何かがついていた。

 魔法陣の放つ光に照らされたそれは、ぬらぬらとしていて、赤黒かった。


 ふぇ? 血だわ。


「……って、血ィィィィィィィィィ!!?」


 私、また絶叫。

 そろそろのども痛くなってきてるけど、それどころじゃない!


「ち、血って! 大変、け、けが! けがしてる! どこに!?」


 私は完全にテンパりながらも、うつぶせの彼をひっくり返し、仰向けにした。

 すると、彼の上着が派手に切り裂かれ、その奥に大きな傷口が覗いていた。


「あ……」


 垣間見えた傷口のグロさに、私の気が一瞬遠くなりかける。

 しかし、彼が死ぬかもという危機感が、私の意識をかろうじて繋ぎ止めた。

 この傷が何なのかはさておく。何を置いても彼を助けるのが先決だ。


「えっと、確かここに……!」


 私は、腰の革製ポーチを探り、そして目当ての道具をサッと取り出す。

 それは、今や虎の子となった市販品の回復ポーションだ。

 街で売っているものだが、その中では最高級の一品。効き目に疑う余地はない。


 私はガラス製の瓶を手に取ると、魔力を含有した中身の液体がかすかに揺れた。

 よし、これをこの人に使って、けがを――、この人のけが、を……、


「……え、どうすればいいの、これ?」


 私は気づいてしまった。

 この、飲み薬のポーションをどうやって彼に飲ませればいいのだろうか。

 彼、完全に気を失ってるよ? 唇もしっかり閉じちゃってるよ?


「あ――!」


 そうだ、人工呼吸の要領でやればいいんだ!

 口移しでポーションを飲ませれば――!


「ん?」


 ……口、移、し?


「…………ぴぃ」


 頬を一気に熱くさせて、私は鳴いた。

 何が人工呼吸と同じ要領だよ! 私は、誰に! 何を! しようとしてるの!?


「ぐっ、まだ何もしてないのに、全身熱い! 想像だけで心臓が破裂する……!」


 照れてる場合じゃないのに、相手が相手だからか、激しい羞恥に身体が火照る。

 でも、他に方法があるかと問われれば、何も思いつかない。


「…………」


 私は、小瓶の中にたゆたうポーションを一瞬だけ凝視して、


「よし!」


 おもむろに蓋を開けると、一気に中身を口に含んだ。

 もう、悩む時間すら惜しい。だったら勢いのままに、いっちゃえいっちゃえ!

 私は彼の上に覆いかぶさるようにすると、グッと顔を寄せてその唇に――、



「何をするつもりだ」



 その声は、ばっちりと目が合ったあとで告げられたものだった。

 誰の目と? って、そりゃあ決まっている。彼の目と。


「貴様、何者だ?」


 つい数秒前まで気を失っていた彼は、今はまっすぐに私を睨んでいる。

 その眼差しに込められたすさまじいまでのめぢからに、私は、私は……!


 ぶぴ。


 口の中のポーションを、彼の顔に盛大にブチまけちゃった。

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