第9話

 ルマの気配を感じつつ器用に動き、水たまりを踏み潰し、木々を掻き分け、左肩に気づいたルマの声を無視し、あと少しで魔物へと鉄槌が届きかけた。

「ん、ぁ……!」

 何かがヴァドの足を奪う。足首を縛っていたのは植物の蔦。魔物が放っていたっと気づく前に倒れ込んでしまう。腕で受け身を取るも、左に負った傷口が叫んだ。チリチリと焼けた痛みがぶり返してゆく。

「ヴァド!! なに、してん……のっ!」

「何とはなんだ。足に蔦が」

 足首は自由になっていた。砂にまみれたまま起き上がりかけ、

「ルマ避けろ!! 屈め!!」

「えっあっんぎゃっ!」

 咄嗟に叫びながらルマの頭ごと地面に押し付けた。ヴァドの右腕を蔦が掠め、衣服を裂いていく。あと少し遅ければルマは貫かれていただろう、死にはしないが、と心のなかでヴァドは呟きながらも伏せる。

 珍しく叫ばずに息を潜め、ルマは不服そうな顔でいた。

「……ねぇ、これ、ヤバくない?」

「何がだ」

「このままずっと伏せてるってわけ?」

 瞬きをしてヴァドは頷く。顎と土がじゃりじゃりと触れあった。

「…………確かに」

「ば……っかじゃない!? 魔物の気配わかんないし、どこ行ったんだろう、近くにはいるよね」

「少しは黙っていられないのか」

 ぐむむ、とルマは言うことを聞いてふてくされる。しっかりと伏せている羽根は小刻みに奮えていた。

 不安と恐怖はヴァドにもあったが、別行動のエルの存在もある。それに魔物の視界だ。奴が下を見なければ……察しなければいのだが、不明確。

「それで、あの花はニーナが持っていたものか」

「……それ今する?」

「答えろ」

 しょうがないと呆れたようにルマは口を開く。

「違うよ。あんなに大きくない。ラッパみたいな形の……ヴァド! 来た!」

 魔物の動きは速く、構える暇もなかった。鎌状の腕が光を受けている。

 見た目に騙されるな。メアリーの言葉が浮かぶ。あのずんぐりむっくりが素早くないとか、油断していたわけではない。鎌が迫る寸前まで言い訳を探していた。

「……っ、ん?」

 覚悟を決め受け身を取るも、二人に降りかかったのは生暖かな血液だった。次いで耳障りな雄叫びが響く。ガサガサと草を踏みしめる音はあっという間に遠ざかった。

「ぎゃぁっ! っぺっぺ! きたなっ汚い!!」

 すぐさま起き上がったルマは浄化の魔法をかけはじめた。誰が助けてくれたのかも気に止めず。

「エル、か?」

「っは……はぁ……全く、二人は出てこないし、追いかけて、正解だっ……た」

 青ざめながら震えていたのはエルだった。走ってきたのか足元も汚れている。彼が両手で抱えているボウガンを見つめ、ヴァドはルマの頭を引っ掴む。

「助かった、ありがとう」

「と、当然ですっ……て、でも……間に合ってよかった、上手く……ちゃんと当たった、から」

 外していたら二人とも大怪我を負ってしまう。自分を追い詰めながら、魔女メアリーから借りている武器で魔物を撃った。ヴァドにも彼の痛みはよく伝わる。

「ルマ」

「分かったから手離してって! エル、ほら」

 鎮静の治癒魔法があれば症状は収まる。過度な緊張によるストレス性と、強い魔力の放出は精神への虐待行為に等しい。手を差し出さないエルの甲へ触れ、ルマは静かに目を伏せる。

 ルマの両耳にある羽根が暖かく光る。数枚は淡い緑と青に輝きながら粒子となり、ぼんやりと宙を舞う。

「魔物なら遠くに行ってないだろう、だが」

 ヴァドが思うに、あの魔物は花屋の主人だろう。根拠はないが。そうでなくても魔物は葬る。鉄槌を強く握りしめた。

「あいつは外に出たか、外にいた」

 二人に背を向けて進む。転んだとき少し足を痛めたかもしれない。後で治そうと痛みを無視すると、ルマが声をあげた。

「一人で行く気!?」

「行かなかったら行かなかったらで騒ぐだろう」

 街の人々が魔物に対抗出来る術はない。ただ怯えながら驚異が去るのを待つだけ。万が一怪我人が出てしまうのなら、無関係の第三者が被害に逢うのなら。

「私にはこれがある」


 追いかけたくても動けなかった。外より森の方が安全であるとヴァドに教わっている。ここは魔女メアリーが支配する森だ。ルマはもちろん、エルも加護は受けていられる。

「ふ、ふざけ……んなって、ヴァド、一人で……」

「エルはまだ動いちゃダメ!」

 支えられているエルは気づいていないだけで、腕の骨にヒビが入っている。余程強い魔力を込めたのだろう、衝撃を受けてこうなったとルマは考えて治癒魔法を与えていた。

「オレが、あの時、仕留めていたら」

「エルがやってくれたから何とかなったんだってば」

 魔物気配はどこにもない。大丈夫だと言い聞かせるも羽根に籠った魔力が薄れてしまう。集中しなきゃと奮い立たせるほど上手くいかない。じれったさそうにエルは遠くを眺めていた。

 気を緩めていた二人の頭の上へ、冷たい声が降りかかる。

「ヴァドールはどこだ」

 エルがルマを突き飛ばす。ルマがころころと転がった先には鋭利な獣の爪。細く滑らかな茶黒の毛。引き裂かれたドレスの裾。その上を見るつもりは無かった。

 ルマは摘まみあげられ、咄嗟に手足を振るう。

「ぅぎゃあ! な、何、するんだよう!」

「一人で行くなと言ってあるのにアイツときたら……」

「は、離せ、離せって!」

「エリオット、お前はまだ多くの事に慣れていない。時間があればヴァドールに魔法の使い方を学ぶと良い」

 話を振られ、エルは返事をするのに精一杯でいた。自分より遥かに大きく恐怖と蔑みの対象である存在、魔女と呼ばれる彼女から目を離せなかった。メアリーは一度もエルの瞳を見つめなかった。ただ前だけを向いている。それからゆっくりと足を進めた。

「ルマ。それ以上暴れるなら腰の翼をもぎ取ってエリオットに食べさせようか?」

 ヒッと怯えてルマは身を丸くする。

「ワタシが来たのはニーナと、ヴァドールの為だ」

 子を想う母のような声は溶け消える。

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