第6話

 その日の晩は上手く寝付けなかった。目を覚ましては、無意味に寝返りをし、窓の向こうを眺め、深い呼吸で精神を沈める。目蓋を下ろせば、自分の身がバラバラになった気がした。そのまま溶けて無くなり、意識も消え──ない。手足は胴にくっついているし脳は冴える。気のせいなのか胸騒ぎもする。

(やはりおかしい、変な気配もする)

 外で異変が起きているのだろうか。本当なら出回りたい。メアリーに禁止されていなければ、の話である。

 真夜中に出回った挙句騒ぎを解決できず、ヴァド自身に罪が擦りつけられたらどうするのだ。中途半端に手を出した責任は負えるのか。

 幼児を諭すような言葉は今でも胸に刺さっている。

 それでも、気になってしまう。なにが起きている。なにが闊歩している。

 決してこの街の為ではない。全ては己の周りと、メアリーのために動くだけ。手を開いては握りしめた。

(もどかしいな)

 暗闇の中でルマを探す。しっかりと眠っているようだ。部屋の中央にあるソファーベッドで丸くなっている。

 そうこうしている内に、ようやく頭がぼんやりしてきた。白くて先の見えない霧と、淡い波にもまれながらヴァドは意識を沈める。

 一瞬、何かの声が聞こえた気がした。


 引き上げられるようヴァドは目覚め、重たい体に力を込める。手足の指、腕と足、軽く仰け反って瞼をこじ開けた。見慣れた部屋は朝日を受けている。カーテンを閉め忘れてしまったらしい。別にヴァド自身に困ったことはなく開けっ放しはいつものこと。当のルマはまだ眠っている。起きたら小言を吹っ掛けられるだろうが、気にせずにヴァドは寝床から離れる。

 まだ六時前。壁がけの時計を一瞥し、あまり眠れていなかったと肩を下ろす。微かに疲労が残ったまま。全身が怠くて頭も重い。額に指を当て、円を描いた。ふわりと体が軽くなる。魔法のおかげだ。ただしこれは一時的な対処なので完全に疲れや眠気は取れていない。

 メアリーには多用しすぎないよう、体を壊すなと教わっている。

 指先を見つめ、目を細める。この所魔法に頼りっぱなしだ。それでも──それよりも昨日の事件を優先したい。

 洗面台で軽く顔を洗い、水滴を付けたまま鏡と向かい合う。見慣れた自身の面から目を逸らす。そのまま寝巻きから仕事用の服へと着替え、ルマの「もーっ!」という元気な声を聞いた。小柄な体なりに足音を出し、怒っているアピールをしつつやってきた。ご丁寧に両手を腰に当てている。

 膨らんだ頬を見て、ヴァドは手を伸ばした。

「……シュークリーム」

「わ、なっなんだよ!?」

「いや。食べたくなった」

「そう……じゃないよ! 昨日スコーン食べてたのにまた甘いものだよね!? それに、いっつも僕言ってるんだけど、カーテンは閉めて! 眩しくて起きちゃうでしょ!」

 半ば無視をし、乱雑に髪を整えながらヴァドは思い出す。

「外の様子。何か感じないか」

 昂っていた感情はみるみるうちにしおれ、ルマは口ごもる。

「うーん……少しだけ、変な感じがする」

 ヴァドの隣にきたルマは眉を寄せた。細い腕にある産毛はほんのり逆立っている。寒いのか、と聞きかけた口を閉じて離れる。またお小言を浴びせられてしまう。寒くないから心配しないで、と。天使は冷えもしなければ暑さにも負けない。体にある膨大な魔力で調節している。

 火炙りや氷漬けには弱かったので限度こそあるが、やはり彼は人間ではない。

「朝ご飯。用意するから、身支度と掃除をしておけ」

 返事を待たずにヴァドは台所に向かう。少ししてルマの唸り声がした。

「えぇ〜……わかったよ」

 文句を言いながらもルマはきびきび働く。失敗もありながら彼は成長していた。洗剤を飲んでしまったり、強い電流を受けて弱ってしまったりもあった。その度にヴァドはメアリーの元へ連れて行く。

 面倒がらずメアリーは適切な処置をして、安らかに笑っていた。こんなにもお前が動揺するとはな。初めて見たような顔を脳裏に浮かべる。

(私も幼い頃、多くのやらかしをしたんだろう。実際してしまったしメアリーには迷惑をかけた……)

 熱される玉子の前で、一人、口の端をつまみ上げてみた。焼き上がる白身はほんのり伸びてゆく。パチパチと跳ねる油を物ともせず、黄身が硬くなるまでヴァドは立ちすくんでいた。


 食事の後片付けも終え、教会に着いてからはいつものように仕事をこなした。ヴァド達よりも早くいるニーアの手伝いや、教会内の掃除、社会奉仕という名のボランティアにカウンセリングの支度手伝い、ヴァドだけが行う薬草調合と受け渡しの準備。そしてお祈り。ルマは楽しいと目を輝かせている。人の為になれているからだろうが、ヴァドにとっては味気ない日々。

(祈れども祈れども、何が変わるのだろうか)

 組んだ指から目を逸らし祭壇前にいるニーアを眺める。背筋は綺麗に伸びているし、芯のある声は耳の奥まで届く。ここに神父はいないので彼女や周囲のシスター達が協力し代理を務めている。本来であればヴァドか他の地域から呼べばいいが少々訳があった。

 後半からはお祈りの言葉を聞き流し、メアリーの姿を思い浮かべた。もし彼女がここに住んでいなければ、この教会にも神父や同性の聖職者が居たのだろうか。ヴァドが知る限りでは何人かが勤めようと自ら望むも、何かに怯え半日で逃げ出した。みんな揃って魔女が食べようとしたと言うばかり。若い男でも歳をとった神父でさえも。

 しかしメアリーは何もしていないと、つまらなさそうに爪を研ぎながら返した。彼らが見て感じたのは歪んだ恐怖心だろうと結論も出た。ヴァドや、ここにいるシスター達は本心から魔女を恐れていない。恨みもしない。そこにいる存在だと受け入れていた。

「さて、お祈りはここまでです」

 集まった人含めて皆で昼食を、とニーアが言うもヴァドは一人そそくさと教会を抜け出す。

 やはり教会の空気は合わない。みんな平等に手を取り合うだの、許し合うだの、愛せよなど、何十年聞いているが心に染み渡らないまま。


 構われているルマを置いていくも数分すれば追いかけてくる。毎回のことだった。一緒にいたいと不安げな顔で捕まってくるが、どうしてか振り払えない。駄々をこねる子供のようで鬱陶しいのに。

 今日も二人で住宅街へ抜け出すと、緊張を解くようにルマが息をついた。どこか不安げな顔をしている。

「ねぇヴァド。なんか今日おかしくない? いつもより人が少なかったし」

 確かに、と思い返す。普段なら聖書や教会にある図書室の本を読みにくる近隣住民など、そこそこいる。大体が暇潰しか、年寄りか、信仰する者か……お祈りになれば席の七割は埋まるが今日はそれの半分。不思議と空席が多かった。

 街に広がる空気もどこか濁っていた。微かながら妙な不調もある。さほど気にしない程度であるが気持ちが悪い。

「なんなんだ、一体」

 只事ではない。それだというのに腹は空く。

 半ば仕方がなく、行きつけの喫茶店で軽食を取りに出掛ける。出来るだけ早足で、周囲を眺めながら。どんよりして重苦しい空気を掻き分けるように突き進む。本当なら渦中にあった花屋まで向かいたいものの距離がある。腕に身を寄せるルマの顔を目に映し、どこか逃げるように店へと入り込んだ。

 出迎えたウェイターの少年は面持ちを変えず、会釈をして店の隅に向いた。言葉を交わさずヴァドは頷いてルマは小さく手を振るい、やや遅れ少年が控えめに手を揺らす。店内もガラリと静かだった。いつもなら賑わいがあるはず。昨日の花屋が原因だろうか。いや、そうとしか思えない──決めつけるにはまだ早いけれど。

 示された場所には見慣れた先客がいた。

「エル」

「ん……ヴァド。ルマも」

 ひっそりした空間の、更に静かなところ。エルが一人寛いでいた。机の上にはコップと本がある。

「ノアンはいないの?」

「あいつは留守番」

 メニューを開くルマを横目にそっと「昨日のことだが」と問いかけるなり、エルが身を寄せて周囲を気にしつつ口を開いた。

「花屋から妙な気配がするんだけど、ヴァドは?」

 今すぐにも調査をしたいが胃の渇きには抗えない。くぅ、と小動物のような腹の音がした。和ませようとエルは笑みを浮かべる。無理をしているようなぎこちなさが漂わせながら。

「エルはちゃんと笑えるんだな」

「……そう?」

「ああ。私はどうも上手くできなくて」

 こうでもしないと笑えないんだ。ぐい、と両指で頬と口を引き上げる。その場でエルが突っ伏し肩を震わせ、ルマが悲鳴をあげたひどい顔と何かを堪え出し、ヴァドはぼんやり呟く。笑うことは難しいものだ。

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