第2話
どうして野苺をすり潰すのか。魔法は使わないのか。不思議そうな顔でルマが問いかけた。
乳鉢の中は鮮やかな赤に染まり、混ぜれば粘っこい音を鳴らし、ほのかに甘酸っぱい香りを漂わせている。ある程度練れただろうと手を止め、
「野苺があるから食べやすくなる。それに魔法を嫌う者の方が多いから使わない」
乳棒をルマに突きつけた。先端には赤色と細かい茶色や緑が混じっていた。お世辞にも綺麗とは言えない。口をひん曲げてルマが数歩引く。明らかに嫌がっていた。それでもヴァドは押し付けようと身を出してゆく。
「……いらない」
ルマの答えを聞き、ヴァドは瞬きをする。気になっていたのではないのか? 味見をすればいいのに。ゆっくりと体を戻し、置いてあった木べらで乳鉢の先端を撫でる。
「それにしても少なくない? それだけでいいの?」
「今日必要なのはこれぐらいだ。作り置きに不向きだから仕方がない。ルマ。先にこれをニーアに渡してこい」
えぇーと文句を述べかけるが、そそくさとルマは乳鉢を両手に持つ。小さな背中を見送ってから片付けへと移るもグイグイと上着を引かれた。ニーナがいた。生気のない青白い光がヴァドの双眸を捉えている。
「どうした?」
ルマと会話していた時よりも柔らかな声であった。本人は無自覚であるが、ニーナはそれに気が付いている。机に並んだ作業道具を一瞥してヴァドは椅子から離れた。
「お花なんだけどね、教会に置いてきたの! プレゼント! ヴァドールにも見せたかったんだぁ」
「どんなものか教えてくれないか」
ここぞとばかりにヴァドは尋ねた。もし、彼女が置いてきた花に問題があれば対処をしなくてはならない。無邪気で純粋無垢なニーナは大きく両手を広げた。夜明けの空みたいに青白く小枝のように細い肌が裾から見える。
「あのね! あのね! 街にあったの! 真っ白で綺麗だったんだよ!」
街。噛み締めるように復唱する。少しだけ嫌な予感がしてヴァドは眉を寄せた。どこかの家から拝借した……花屋にある商品を持っていってしまった、もし仮にそうだとしたら? 無邪気に跳ねる彼女から悪意などない。そうだろう。誰かを困らせるために持ち去ったわけじゃない。
だからこそ難しい。幼いからといって善悪の区別は理解させないといけないが、上手く言える自信がなかった。魔女という、人間でもない存在に説くべきか──もしかしたら街に自生していた花かもしれない。ヴァドは大きく息をする。
脳裏に浮かぶのはシスター・ニーアの横顔。彼女はニーナからの贈り物を楽しみにしている。木の実やお花に木の枝で作られたリースが届くのよ、と自慢げに語っていた。二人の善意と親愛を実感する。
もしもこの奇妙な関係が拗れてしまったら、お互いが悲しむだろう。
「ヴァドール?」
光が不安げに揺れ踊る。詳しく聞く前に、ヴァドは顔を上げてメアリーを探す。大きな魔女はカウチに横たわり眠っていた。そこからニーナへと向かい合い、内緒話をするように声を落とす。
「メアリーから、言われたことはあったか?」
ふるふると柔らかな茶色の髪が揺れる。怖がらせないよう撫でながら、笑いながら、湧き上がる疑問を投げかけた。
「花は、街のどこで見かけた? どんな形をしている?」
「お、お花、は」
指を重ね、蠢かせ、彼女は「おうちみたいなところ、だれもいなかったの。形は……ええと……」と消え入りそうな声で発した。実物を見ていないので判断は下せないが──もしも、だ。家や花屋から持っていってしまったのなら、いけない事だとしっかり教えるべきだろうか。そうでなくても誰かの家からであっても悪いことだ。
「ええと、えっとね……そう! 種も置いてきたの!」
「種?」
「うん、森のきれいなお花の種。すぐに咲きますよーにって、魔法もかけてあるの……それも、ダメなこと?」
「いや。それは」
ニーナには甘いと自覚はあった。いくら幼くて魔力も不安定であっても、外に出て年月は経っている。ある程度の規律は把握していてもおかしくない。
メアリーも気付いていたら何かしら言っていたはずだろう。しかし無いのであれば……
「あ、あの、アタシ。やっぱり、ご、ごめんなさ、い」
仮面を両手で掻きむしり、怯える小型動物のように縮こまってゆく。そうっと手を覆ってやり、出来るだけ笑おうとヴァドは顔へと力を込める。歪ながらも口の端は上がっていた。
「ニーナはまだ子供だから」
「でも。でも、あの子も、子供、だよね? アタシだけ、その、怒られてないよ? 悪いことしたのに」
あの子が誰なのかはすぐ分かった。ルマに違いない。表情を緩やかに戻しながら頷くと、ニーナが顔を左右に振るった。払い除けられたヴァドの手はその場で停止し、ぼんやりと行き場を失う。
「ヴァドール、あの子にはよく怒ってる」
「ルマが悪いからだ」
「じゃあ! もしアタシが悪いことしたら、怒って!」
「それは……メアリーが……」
魔女のことは魔女同士、彼女らの間には入らないようヴァドは動いている。寧ろずっとそうしてきた。自分はあくまで人間である。人間と魔女の間には差があるのだから立ち入ってはいけないと。思い込みだろうとしても縛ってきていた。
「もしメアリーが良いと言えば」
この一言で気づいたのか、ゆっくりと彼女が身を起こす。音もなく立ち上がり、数度息をする間にも側へ来ていた。
「ニーナ。わざとではないのだろう?」
大きな身を屈ませてメアリーは微笑んだ。全ての罪を赦すような慈しみすら感じられる。どことなくシスター・ニーアの微笑みが被ってしまう。
「う、う……ぁ」
言葉に迷う動揺答えだった。胸の奥に痛みを覚えていると、メアリーは優しい声を発する。
「次からはヴァドールに頼むようにしなさい? 持ってきてくれる」
そうだろう、と目で聞かれヴァドは頷いた。
「……うん。じゃあアタシ、どうしたら、いい?」
「ワタシ達は姿を見せられない。ならば、気持ちを伝えるのはどうだい? しっかり謝ることだ」
うん、うん、とニーナが頷く。その様子を一瞥し、放ったままの荷物をまとめる。どうにか魔女同士で落ち着いてくれた。人間のヴァドが介入する間もなく。
(何とかなりそうだが、私もメアリーのように出来ていれば……)
過るのはルマの面影だった。どう接していいか分からない時もあったし、正解も見つからない。誰かに聞こうとしても言葉に出来なかった。メアリーから学ぼうとしても、彼女のようには振る舞えない。
「と言うわけだ。ヴァドール」
どこの花か確認できたらしてこい。教会にも帰れ。メアリーの意図を読み取り頷いた。
「あぁ。行ってくる」
去り際、ニーナが名前を呼んでいた。声の手をすり抜けてヴァドはロビーを抜ける。
真っ赤な絨毯を踏み締めてゆっくり振り返る。薄暗くて調度品もない質素な廊下。窓という窓は全てカーテンに閉ざされているので、外は伺えない。
(ここは居心地がいい。だけど住むのは少し違う。ここはあの二人の住処だ)
館にはいくつもの部屋がある。その一室に住まないかとメアリーに誘われていたが、断っていた。自分には勿体なくて、住むべきではないと身を引いてしまう。
(私はまだ人間だ、私は……)
メアリーは悲しむ様子もなく、淡々に「そうか。気が変わればいつでも言え」と返していた。あれ以来気が変わったことも無いし今の状態で満足している。身の丈にあった生活。これでいい。
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