想いの花束
洞木 蛹
第1話
──森の奥には行っていけない。悪い魔女が住んでいるから。食べられてしまうよ。死んでしまうよ。
魔女は人間が大嫌い。だから人間に意地悪をする。困らせる。森の奥には行っていけない──
ありとあらゆる噂は人々の口に乗り、葉を伸ばし歪な花を咲かせる。
多くの罪を重ねて、人智を超えた魔法を使い、人間を追い詰めた女は皆「魔女」として処刑する。人間として扱わず、この世に蔓延る魔物──魔法生命体──と見なす。尊厳も人権も奪い去るべし。教会の言葉を思い出しヴァドは肩を下ろす。
(私達聖職者が救いの手を差し伸べる……何が私達、だ。反吐が出る。人間は自分の罪ですら魔女に押し付けるくせに)
飽きずに語り継がれたものだ。童話を読み聞かせる魔女メアリーはグッとあくびを堪える。代わりに真紅のカウチが間抜けた音をあげた。
聞き手である幼い魔女ニーナは満足げに笑う。無邪気な子供の声をしているが、早朝の冷ややかな空気に似た透明度を纏っていた。ニーナは人間の子供で例えるなら五歳ぐらいで、大きな仮面をつけている。両目に当たる箇所は青白い模様があり、彼女の意思でコロコロ動く。飾りらしき大きな嘴も相まって異質さがあった。
退屈そうなメアリーの顔立ちは美しく、黒緑の髪は長く艶がある。頬も柔らかく瞳は切長。世の女性が欲する美を纏っている。そんな彼女の衣服から流れる手足は人間のものではない。地を這い生きる獣そのもの。夜空から奪い取り写し込んだように真っ黒な毛で、手の先には長く太い爪がある。
ニーナはその爪先を撫でて全身で抱きしめる。
「ありがとぉメアリー! あたし、このお話だーいすき!」
「全く、よく飽きないな」
ヴァドは二人の話を流し聞きしていた。彼女たちに混ざらず、ただ一人、椅子に座って黙々と薬草をすり潰す。微笑ましいやりとりを耳に挟み、メアリーの面倒見の良さを実感していた。決して盗み聞きしているわけではない。此方と彼方までの距離は十歩ほど、聞こえてしまうから仕方がない。
澄ました顔でヴァドは調合を続ける。机の上にはいくつもの材料が並んでいて、慣れた手つきで草花に種を摘み、乳鉢へ落としては潰し混ぜるを繰り返していた。
「はい、これ」
熟れた野苺を差し出したのは、彼の元で過ごしている天使の少年ルマだった。小さな手にある野苺は洗われておらず、そのまま摘み取ったと見てわかる。
「ルマ」
「何?」
「土まみれのそれを調合に使うと思うか?」
「え、あ……はぁ!? ヴァドは取ってこいって言っただけでしょ。洗えだなんて聞いてないもん」
確かにとヴァドは手を止める。伝えていないこちらにも問題がある——が、息を吐いてから手を伸ばす。そうっとルマの耳辺りに触れる。ふわりと揺れる天使の羽根は、光の反射によって様々な色を映す。
今は穏やかな、薄緑。
「ん? なに?」
天使という存在は空から舞い降り、人々を善に導き愛を教える。神の使いとなり我々人間を繋ぎ止めるのだとヴァドは教わっていた。しかしルマの態度はどこか生意気で可愛げもない。おまけに「愛」が何であるかを知らず、むしろ学びにきたという。
「なにか付いてた?」
彼の耳から生える羽根を一枚だけ、乱暴に引きちぎった。ぎゃんとルマが鳴いて跳ねる。目尻には涙も浮かべ痛みを訴え、ヴァドを睨みつけた。
魔力がこもった天使の羽根は、彼が天使と示し、天使として生きている証拠にもなる。再度生えてくる上に耳にある片翼を問題はなかった。相当痛いらしいが、そうした反応すらヴァドにとって不可思議で面白い物でしかない。
人間に近い見た目をしているのに、人間ではない。当たり前のように腹を空かせる、疲れたら眠る、感情の起伏も激しいし痛みに敏感。天使であるルマには人間らしさがあった。
痛みに悶える姿をよそに羽根を口に含んだ。ほんのり甘く、あっという間に溶けてしまう。淡い夢の心地。瞼を柔らかく下ろし、もう一枚と狙うがルマは野苺を片手に走り出した。
行き場を無くした腕をゆっくり下ろす。作業に戻らずにルマがいた場所を見つめていた。
「あ、そうだ! あのね、あのね、メアリー!」
突然ニーナが大きな声を上げた。まるでヴァドにも聞こえるかのように。
「今日ね、教会にお花置いてきたの!」
「そうか」
「うん!」
教会の一言に顔をあげつつ、ヴァドは乳棒を持つ手を動かす。乳鉢の中は程よく混ざり合い、細かな黄緑が底に溜まっている。後は野苺を混ぜるだけだった。
一週間のうち一度か二度、ニーナは教会へ贈り物をする。送り先はシスター・ニーア。必ず自身の手でこっそりと置いてゆくので同じ聖職者であるヴァドを経由しない。
「森には咲いてないようなお花なの、きっとびっくりするかも!」
ピタリと動きを止める。
森には咲いていないような花。どんなものだろうか。そもそもどこで摘んできた。教会に置いていったというが、どのような花が置かれたかは確認していない。
何事も起きなければいいが。コツコツと乳棒を指で叩き、こっそりとニーナを見つめる。
忌み嫌われる魔女でありながらもニーナは街に出ていく。しっかりと魔法で姿を消す、人間にちょっかいをかけないことを守ることを前提に。
「ヴァドールも、うれしいよね!」
「……ん? ああ」
会話の輪に引き摺り込まれ、すぐ反応は出来なかった。あやふやな返事でも嬉しそうで、普段より声が高くなる。
「えっへへ~! ニーアもよろこぶといいなぁ」
「あぁ。きっと喜ぶ」
ところで、と割り入ったのはメアリーだった。やや険しい表情を浮かべている。
「あの小娘はなんて言っている? ヴァドール」
小娘。口の中で唱えてヴァドは目を逸らす。最近は小娘こと「ニーア」についての報告をしていなかった。定期的に話すようメアリーに言われていたが忘れてしまった。
教会で皆をまとめる若きシスター・ニーア。ヴァドよりも若くてしっかり者の女性。誰にも好かれている。両親はいない。幼い頃に家族を失ったという。詳細はヴァドも知らない。ニーアは一切語らず口を閉ざしている。
今の今まで。
毎日のお祈りは欠かさない。誰だってうっかりお祈りをし忘れてしまうのに、彼女だけは大雪でも嵐の日だろうと教会に出て、指を組んで長い睫毛を下ろす。
周囲の女性以外にも街中の人々、教会関係者はニーアをよく褒めていた。応えようと彼女も手を差し伸べて「神」の教えを説いてゆく。
どうしてメアリーがニーアについて知りたがるのか。疑問はあるが決して問わない。知ったところでどうするのだ。
「ニーアは特に何も、変わったことなど……」
ヴァドからすれば奇妙だった。不意に湧き上がった黒い感情が喉を締め上げる。少し先にいるメアリーの吐息が頬を撫でた。
「野苺がやってくる」
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