すべてはハベル
フジキヒデキ
黒い月曜日
第1話
「Yo! 以っ上、ここまでDJタクト、でした。いい放課後を、センキュ」
オフマイクに合わせ、メロウなヒップホップがフェードインする校内放送。
古式ゆかしい「放送部」による生放送は、国営放送っぽい抑揚の同二年女子アナウンサーに引き継がれた。
「SHBC、SHBC、こちらは
事務的な声音を横に、拓斗はヘッドホンを外してマイクにひっかける。
防音ガラスで仕切られた
壁の時計に目を走らせると、そろそろ午後五時をまわろうとしている。
「まじめか。……おつかれ」
軽く喉をさすりながら、じっさいまじめな同部員たちを見わたしてささやく。
オンラインでもキャストしているウェブカメラにむけて、軽く指を振りながら画角を退く。
当世、声だけで生きようなんて虫がいい。視聴者さまにむけて、あらゆる魅力をアピールできなければ「DJ」は成立しないのだ。
ガラスに映る左耳のピアスがキラッと光った。
前方へ無造作に流した髪の毛を彩るホワイトメッシュが、絶妙の「たくとテイスト」を醸し出している。
左手の指には金と銀の指輪。
これが彼の三点セットだ。
「おつかれ、拓斗」
準備室から声がしたので、そちらに視線を転じた。
同級生の
「ああ、あとは優秀なスタッフに任せるぜ」
なにか言いたそうな谷の背中を薄っぺらなカバンで叩き、そのまま放送室を出る。
まじめな部員にとって「鍵を閉めるまでが放課後放送」だが、放送部にフィーチャリングされてしゃべっている体のチャラスケは当然のように途中退室だ。
ステンレスのドアが閉まると同時に、
「おせーぞ、拓斗」
同じく薄っぺらなカバンで背中を叩かれ、ふりかえると見なれた顔がふたつ。
「わるいわるい。さ、帰ろうぜ」
応え、並んで歩きだした。
拓斗にとっての日常は、淡々と進行している。
一歩まえを行く巨漢の名は
角刈り頭に筋肉質の長身、その押しの強そうな風貌は彼の性格を如実に表す。
サッカー部の次期主将有力候補と目されていたが、ケガで戦線離脱したことに鬱屈をかかえている。口はわるいが根はやさしい、典型的な体育会系。
肩で風を切る彼の強力な牽引力なくして、いまの関係はありえない。
「あ、待ってくれよ」
後方、どこかオドオドと拓斗の歩調をトレースするのは、写真部の幽霊部員で、じつは調理部にはいりたいと心から願っているヒューマニスト、
アクの強い稲葉の人間的毒性を中和してくれる解毒剤であり、重要な
「モタモタすんなよ、マーボー」
稲葉が乱暴な口調で言った。底意や悪意はないことを、拓斗も青木も知っている。
そうでなければ「3バカトリオ」はやっていられない。
青木、稲葉、上島で「あいう」、列に並べばいつも近いので、自然に仲良くなった。
小学校時代からの腐れ縁で、いつも、いつまでもつるんでいる。
「でもだいじょうぶかなあ、みんなまだ作業してるけど」
青木が言った。
その示唆するところは、いよいよ今週末に迫った文化祭準備。
「あれ、マーさん、実行委員かなにか?」
さして興味もなげに、背後の青木を顧みた。
身長は拓斗より7、8センチほど低い170弱くらいだが、横に幅があるので体格的にはむしろ立派だ。
「そういうわけじゃないけど、でもみんな残って作業してるよ」
脆弱な社会の「駒」たちを、拓斗たちは鼻先であざ笑うことにした。
まあまあ不良を自負する3バカが、文化祭の準備になど、かまけていられるか?
「渋谷行こうぜ、拓斗。今週もなんかしらイベントあんだろ。あんときのオーガナイザーの名前出したら、VIP席入れてもらえんだよな?」
稲葉の無茶ぶりに、苦笑する拓斗と、困ったような表情の青木。
若手DJなどを集めるイベントが先週、渋谷のハコであり、悪友らにもつきあってもらった。MCバトルのまねごとに参加したところ、件のオーガナイザーにけっこう気に入られていたりする。
「てかさ、さすがに今週は文化祭じゃん?」
「んなもん知るかよ」
たいていの3バカトリオは、学校イベントなどには背を向けることがかっこいい、と思って大きくなった。
それにしても、つねに思いつきで行動する稲葉の「ジャイアンっぷり」は、最近ことさらひどい。
スポーツ推薦で進学してきたが、ケガでレギュラーを外された。部員たちとも確執があるらしい。
なにより、まじめな武家の家柄・稲葉家の次男坊としては、これ以上グレると勘当されるおそれもある……かもしれないので心配だ。
下駄箱までつづく道程を歩きながら見まわせば、近年増設された比較的新しい設備と、かなり古めかしい建築様式が混在する特徴的な風景。
このすてきな高校はたしかに今週末、年に一度の文化祭を控えている。
それでも、われわれは「自由」だ!
と、クラスの文化祭実行委員に背を向けるみずからを、拓斗が正当化しようとした、そのとき。
「ちょっと上島くん。どこへ行くつもり?」
愛用のバッシュに入れたつま先が、その道程の四分の三もまだ消化していない時点で、忌むべき声は降ってきた。
ぎくっとして動きを止め、おそるおそる横手を顧みる。
「はあ?」
「はあ? じゃない! まだクラスの仕事、終わってないでしょ? 放送部が終わったらもどるんじゃなかったの?」
両手を腰に当て不動の姿勢で屹立するのは、クラス委員の
「あちゃー、また取っ捕まってるぜ、拓斗のやつ」
壁のむこうから稲葉の声。
すでに学校の敷地から出ているようだ。
「こっちくるって思ってた。側道は使用禁止って言われてるでしょ」
壁の声に背を向けて、仁王立ちする広瀬。
じゃあ、なぜ稲葉たちは止めなかったのだ? と拓斗は、眉根を寄せて内心突っ込む。
まともな生徒は正門に向かって進むが、不良っぽい一部のアホな生徒は、下駄箱横のチェーンのかかった通用口をすり抜けて、排水路沿いの小道をたどる。たぶん20メートルくらい近道になるからだ。
「バカ野郎。決められた道を這って進むような男に、男の価値ってもんがあるかってんだベランメイ」
バカにされているのはこちら側なのだが、気づかないふりで言い放つ。
対抗するように広瀬は、薄っぺらな胸を居丈高に張った。
「そういうの、逆切れっていうのよ、知ってた? ああいう残念なひとになりたいの?」
顎をしゃくる広瀬は、すでに壁という一線を越えた稲葉たちを指しているのだろう。
当人はもちろん、そんなたいそうな「善悪の彼岸」を乗り越えたつもりはない。
拓斗も数十秒後には、同じ道をたどるはずだった。
「いや、あの……オレこれからまだ放送部のほうの仕事がさ」
しどろもどろ言い訳をはじめる拓斗に、広瀬の振りかざす刃は辛辣。
「なに言ってるのよ。あなたがさっき放送を切り上げたことは、校内に残っている全校生徒が知ってるわよ。しかも旧校舎二階の放送室に、靴に履き替えてから行くひとがいますか。そういう口先だけのやり口、昔からちっとも変わらないのね」
昔から……。
そんなふうに表現できる間柄が、いまは忌まわしい。
「たくよう、あの女メガネ猿は、拓斗をやり込めるコトに命かけてんじゃねーのか?」
見えない位置から聞こえよがしに言う稲葉の声など聞こえないフリで、広瀬は心持ち語調を強め、言外に鋭い棘を含ませた言辞を弄する。
遠くで青木が稲葉を諫める声がした。
「上島くん、いつまでもわるい仲間とつきあうの、どうかと思うわ。昔は頭よかったじゃない。小学校のころは、わたしよりずっと。それなのに中学になって、いきなり成績が下がりはじめたでしょ。またぞろ彼らと親しくするようになってから」
どうしてこの女がそんなことまで知ってるのかは知らないが、
「大きなお世話だぜ。おまえこそ、どうしてその成績でこの高校なんだよ。自分の頭の良さが目立つからか? それこそ、どうかと思うね。一時の自己顕示欲に負けて将来の可能性を狭めてるようなもんだろ?」
そろそろ防衛側の舌先三寸も暖まってきた。
頭で考えるよりさきに舌がまわる、口から生まれたハッタリ男――という酷評は、そろそろ払拭したいのだが。
「お、大きなお世話よ。わたしがどこへ進学しようが、いいじゃない」
一瞬ひるんで顎を引く広瀬。チャンスを逃さず、
「こっちこそ、大きなお世話だ。どんな仲間とつきあおうが、その一から十まで一瞬たりとおまえに関係ない。断じて、微塵も、一切合切、おまえの関知する余地はないのだ」
拓斗と広瀬の論戦が白熱しはじめたころ、稲葉と青木のあいだでもなにやら言い合いがはじまっていた。
たぶん、稲葉の野放図な讒言を青木が懸命になだめ、たしなめているのだろうが、いまの拓斗に詳細を察している余裕はない。
押し返された広瀬は、しかしすぐに態勢を立て直した。
「いいでしょう。あなたがどう思おうと、それこそわたしはいっさい関知しません。でもひとつだけ言わせてもらうわよ、いいえ、わたしがなにを語るのにも、あなたの許可は必要ありません。
あなたが堕落したのは、一年生のとき、彼らと同じクラスになったから。厳然たる事実として、一年のころの最初のテストと最後のテストを比較された、ほとんどすべての先生方がたどり着いた結論よ。担任だった小池先生が嘆くようにおっしゃっていたから、ぜったいにまちがいのないことだわ」
小池! 教師が生徒のもっともプライベートなデータである成績について、他の生徒にそれを漏らすような倫理のないことをしていいと思っているのか? 教師の風上にも置けぬ瀆職者!
「小池め……いやしかし、それと稲葉たちとは……」
「関係あります! なぜなら現在、彼らと別のクラスになったあなたは、言い換えれば、わたしと同じクラスになって、かなり成績は上がっているはずだからよ。なってないとは言わせない、ええ言わせませんとも。だってあなたがテストの点数を彼らに自慢しているところ、何度も見聞きしたもの。
証人が欲しければいくらでも。小池先生を呼んであげましょうか? お好きなだけ応じるわよ、弁護側の証人喚問にも。裁判官でしょう、あなたのお父さん」
勢いのある追及を受け、返す言葉に詰まった。
尊敬する父にかけて、公判でケツまくるわけにはいかない。自分が劣勢であることを理解しつつ、反対論陣を模索する。
「あ、あのなあ。よしんば成績がおまえのおかげだったとして、だれがそんなことを頼んだよ? そういうのを、ちいさな親切おおきなお世話というんだ。生意気だぞ、女のくせに」
「はああっ? あなた自分の言ってることわかってる?」
目を三角にして怒る、というよりも半ば以上呆れた口調の広瀬。
拓斗ももちろん、ポリティカリー的にノンコレクトだとしゃべりながら気づいてはいたが、まわりはじめた口先は停まらない。
「う、うるさい。女は静かにしてろって、かの偉大なる人類のベストセラー『聖書』にも書いてあるんだ。ちなみに書いたのはパウロ(『テモテへの手紙』2:11)だ」
ジェンダーの問題と同じくらい、宗教問題にはなかなか触れづらいものがある。
広瀬は一瞬、息を呑んだが、
「そういえばあなた、本名は拓斗パウロ上島だったわよね。バカみたい、棄教者のくせに」
「黙れ無神論者、
「功利主義者のほうがマシってこと?」
ホッブス、万歳!
しゃべっているうちに気持ちよくなってしまうのは、拓斗のような人種にはよくある。
「いいか、ともかく世の中の女というものは
よってオレは女の命令など受けない。なぜなら女は男より劣った生物であり、劣った生物に従うことこそが堕落であるからだ。わかったか、この出しゃばりめ!」
もちろん広瀬はたじろがない。
むしろ論理的に優位でさえあると自覚した、その笑みは優艶。
「そのすぐれた男性の頭を、すこしでも使って考えれば、わたしの言うことなんか最初から自明の理だと思うけど、どうやらあまりにもすぐれたその頭を使うのがもったいないようだから、教えてあげるわね?
あなたの物言いは、きわめて時代錯誤な誤った認識に基づいている。じっさい、あらゆる面で女の社会進出は進んでいるでしょう? 根強い旧弊を押し返してこれだけの勢力を確立した、わたしたち女性の力というものを、あなたたちが大好きな
「旧弊があることは認めるが、紳士の存在も忘れてもらいたくないね。おまえらは、オレのように紳士的に女性に席を譲ってやれるような懐の広い男性たちの善意によって、そういう高慢な錯視の吹聴を容認されているにすぎない」
「まあ、なんて盲目的な断定でしょう。ある意味では幸せなひとね、あなたって。高慢なのは、あなたのほうだと思うわ。席を譲ってやれる紳士ですって? わたしたちは心の広い男性方の善意にすがって、職場を譲ってもらっていると言いたいわけね。それじゃあなた、そういうふうに男の真似をしている女を、どう思う?」
「見るにたえないブザマをさらした、滑稽このうえない大バカだと思うよ」
「つまり真似は成功ってわけね」
やせっぽちの胸を精いっぱい張って、高らかに哄笑する広瀬。
一瞬考えてから、拓斗は切れた。一瞬たりと考えたこと自体が屈辱だった。
「やかましい! カンケーねえだろ、どけコラ、ぶす」
身体的な特徴や生まれつきの要素を攻撃対象にしてはいけません、そういう悪口はいちばんひどい暴力ですよ、と小学校の先生に教わったような気がする。
つまりいま拓斗は、言ってはいけないことを言ってしまった。
──だってしょうがないじゃないか、この広瀬には、それを言わせる力があるんだから。
広瀬は血が出るほど唇を噛み締めて、溢れでる激情に耐えていた。
いまの彼女に銃火器を持たせるのは危険だと思った。
フェミニスト失格。よろしい、きらわれついでだ。
拓斗は柔弱な広瀬を力に任せて押し退け、強引に退路を確保しようとした。
死神の鎌が振られたのは、このときだ。
ゴツン!
壁のむこうで響いた鈍い音は、運命の歯車がひとつズレて噛んだ音。
拓斗と広瀬は、ピタリと動きを止めた。
広瀬を突き飛ばそうと右手を持ち上げたままの姿勢で、拓斗は鈍い音が聞こえた方向を注視する。広瀬も同じ方向をうかがっていた。
「つ……つよし、くん」
青木のふるえる声を耳にした瞬間、拓斗は弾かれるように駆け出した。
「どうした、マーさんっ?」
通用口に顔を押しつけると、むこうが見えた。
慄然として立ちすくむ青木、その足元に倒れる大柄な男。
ここのチェーンは、なんちゃってチェーンだ。一見ちゃんと固定されているように見えるが、軽く引っ張っただけでただ引っかかっているだけということがわかる。
コツさえ心得ていれば、すぐにゆるみ、人ひとり通り抜けられるだけの隙間が空く。
それでも使用禁止なのは、こういう危険があるからなんですよ、と言われる未来が目に見えた。
どうやらなにかの拍子に倒れた際、門扉に頭をぶつけたらしい。
血は出ていないようだが、稲葉が動く気配はなかった。
跳び箱のロイター板を重ねてアリウープをやろうと跳んだら、そのままリングに激突して意識を失ったり、スケボーでいきなりバーティカルを使って跳んだらバランスを崩して斜めに落下、角の部分に腰を強打してしばらく立てなかったり──そういうバカなことはいろいろとやったものだが、今回は。
今回だけは、とりかえしがつかない──。
それからあとを襲った悲劇的展開については、ただもう「衝撃的であった」としか、述べるべき感想はない。
遠くから救急車の近づいてくる高い音が大きくなりはじめたころ、まだ校内にそれほどの騒ぎが起こっていなかった時点で、惑乱の頂点に達した青木は駆け出した。
もちろん彼は「逃げた」のではない。救急車を「呼びに」いったのだ。
いうまでもない、そのはずだ、決まっている、それなのに。
──なぜか、救急車が去っていく。
広瀬が呼んできた保健のババアと、側道の鉄門から這い出して稲葉に人工呼吸らしきものをしている自分の姿が、ひどく遠くに感じる。
もう一度、保健のババアが119番する。
その端末をふんだくった拓斗の耳に「こっちが先だったのか……」という、バカみたいなぼやきが聞こえたときには、もうその意味を考える気にもならなくなっていた。
まさに致命的な長さの「待ち」時間を経て、収容された救急車で「バトルサイン」を拱手傍観される稲葉の「死体」。
──あっていいはずがない、そんなこと。
「処置」を強請する拓斗のまえで、医師の指示がないと……と、困惑する救急隊員。渋滞につかまる救急車、すべてが地獄へとすべり落ちる順路。
タバコの臭いのする地域の救急指定病院。
暗闇に交錯する情報が、何人かの関係者を呼び集める。
見覚えのある「親族」たち。
……なんだこれ?
拓斗はあんぐりと口を開け、冷え冷えとつながる総合病院の廊下に立ち尽くす。
ありえるのか、こんなことが?
なんらかの「事故」で、稲葉が頭を打って緊急事態になった。
詳しい状況を知る青木が、救急車を誘導するため出て行ったさきで、車に轢かれた。
見ていただれかが、救急車を呼んだらしい。
はい、わかってます、もうすぐ着きますよ──そんなやりとりがあったのかもしれない。
事実、速やかにやってきた救急車に収容された青木は、いま集中治療室にいる。
一方、より救急車が必要だった稲葉の身体は、もう一度呼びつけて、待て来世くらい待たせた末にやってきた救急車によって運ばれたさき、死亡が確認された。
この悪夢の月曜日、ブラック・マンデーを語る言葉は、それ以上なにも知らない。
拓斗ら仲良し三人組の腐れ縁、一生つづくはずだった友情は、こうしてとりかえしのつかない状態へと、破綻したのだ。
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