017 はじめての宿屋

 酒場をそそくさと抜けてきた俺たちは宿を取ることにした。

 すでに日は暮れていて、ぽつぽつとある街灯代わりの松明たいまつからすこし離れただけで真っ暗になってしまう。

 そのような中、酒場の主人に教えてもらった安い宿屋が集まるという地域を足早に目指す。

 安宿街は松明も掲げられてるわけではなく、灯りといえば、屋内から漏れてくる光くらいしかなかった。

 ふっと空を見上げると、新月の夜、星がたくさん見えた。

 〈綺麗だなぁ……〉


 「星、キレイ……」

 後ろを歩いているミカさんがぼそっとつぶやいた。

 「ですよねー。訓練所ではへとへとで夜空を見上げる余力もなかったんだなぁ」

 俺は同じことを考えてる人がいたことに浮かれて、話しかける。

 俺は無駄に背が高く、彼女は小柄だ。昔通ってた道場で小さい子たちを相手にするときの癖でつい、腰をおりまげてしまう。

 「だよね」

 一言だけ返事をすると、ミカさんはぷいっと横を向いてしまう。

 あかん、やってしまった。ドン引きされた。わかんねーよ、距離感とか。この世界に来る前、タナカ部活仲間が「10のうち8までお前にあてはまる」と送りつけてきたウェブ記事「ドン引きされる男の特徴10」を呼んでおくべきだった。むかついたので読まずに消してしまったことが悔やまれる。

 「金平糖こんぺいとうの袋を空に投げたみたいだよね」

 焦って出た言葉がこれだ。きざったらしいのだか、食い意地が張っているのか、その両方なのか、どちらにせよ、我が事ながら痛々しく気味が悪い。ああ、タナカ今からでも良いからスマホと記事送ってくんないかな。

 「だよね」

 また一言だけだったが、白い歯が星あかりの中で見えたので、どういうわけか俺は少しだけほっとした。


 いくつかの宿をめぐって見つけた一番安い宿は4人部屋、料金は部屋単位でこの部屋は銅貨40枚だった。

 「馬小屋はただとかないんですかね」

 「馬小屋、結構臭うよ。それに馬も近くにがちゃがちゃさわがしい人間がいたら、落ち着かないんじゃないかしら」

 「あ、ミカさん、これはその有名なRPGを本歌取りした発言でして……」

 「本歌取りの意味が間違っていませんか?」

 サゴさんがツッコミで俺のしどろもどろの逃走を妨害する。

 「そのような頭ならば元の世界に戻っても駄目だろう。ここで我が従者として一生暮らせ」

 「誰が従者だ、この中二病」

 俺はチュウジに言い返すだけで精一杯だった。


 安宿は路地に入ったところにあった。馬小屋的な臭いまではしない(そもそも馬小屋がない)ものの、汗臭くすえた臭いがした。これは部室の臭い……。

 部屋はベッドが4つ窮屈に詰め込まれた殺風景な部屋であった。

 窓は突き上げ戸が1つあるだけで、開けておけば虫が入ってくる、閉めれば暗い。

 灯りにと手渡されたロウソクは魚の脂でつくったものらしく、腐った魚のような嫌な臭いがする。

 それでも灯りがないよりはマシだ。

 灯りを頼りに各人荷物を下ろし、鎧を外す。

 小手を外し、兜を脱ぐ。

 残念ながら風呂はない。井戸もないので、水をくんできて水浴びというわけにもいかない。生活レベルは訓練所よりも明らかに低めだ。

 街には公衆浴場があるというが、この時間はもうやっていないらしい。


 部屋は相部屋だ。本当は男女で部屋を分けるつもりだったが、部屋を分けると出費が倍近くになるのでやめた。

 「こんなところでむさ苦しい男3人と相部屋なんて、本当にごめんなさい」

 「もとはいえば、あたしのせいで皆さんにご迷惑かけてるので、気にしないでください。むしろ、そこまで気にかけてくれて、とても嬉しいです」

 頭を下げるサゴさんにミカさんが丁寧ていねいに御礼の言葉を述べる。

 たぶん、育ちの良い子なのだろうな。


 そんなことを考えていると、チュウジが余計なことを言い出す。

 「この場に一人女性に縁がなさすぎて、おかしくなるけだものがいるが、我がいればそのような獣に心配することなく過ごすことができる。安心するがよかろう」

 「ケダモノ?サゴさんになんてことを言っているんだ。あやまれチュウジ!」

 「いや、私は一応既婚者だったので……」

 「シカタ、おまえはサゴ殿になんと失礼なことを。獣はお前だ。疾風の天幕男へんたいよ」

 「……おまえ、いいかげんにしろよ。俺は男子校育ちで多少シャイなだけだ」

 「静粛せいしゅくにするのだ。童貞菌が伝染るのであまり近づかないでくれたまえ」

 「菌なんてないし、万が一そんなものあったらお前も保菌者だろう。ていうかどうでもいい。伝染うつしてやるっ!俺とおまえでチェリーボーイズ結成してやるっ!」

 妙にからんでくるチュウジをだまらそうとベッドに腰をおろしているやつの足をすくう。そのままベッドの上に転がして押さえつけた。

 こいつは触れることで相手のスタミナを減退させる能力を持っていたが、さすがに今ここでそんなもの使わないだろう……。

 「何をする!?このれ者が!闇の女神に抱かれて眠れっ!漆黒の左ジェットブラックレフト

 うわ、こいつ容赦なく使いやがった。力が抜けていく……。


 「……チュウジくん☓シカタくん、誘い受け?ヘタレ攻め……」

 意識が薄れていく中、育ちの良いお嬢様がキラキラした目でこちらを見つめながらやばいことをつぶやいているのに気がつく。


 「いきなり生モノ?」

 妙な部分に博識なサゴさんがぼそっとつぶやく。

 「腐ってやがる」

 というチュウジのツッコミに

 「遅すぎたんだ」

 とつなげて、俺は意識を失った。ナマモノだけに遅すぎる。意識を失ってよかったのかもしれない。我ながらつまらないや。

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