3295話

 レイが十分に洞窟の住人を引き寄せている間、マリーナとニールセンはオーロラの部下の家で入手した情報に従い、洞窟の中を進んでいた。

 精霊魔法によって、マリーナとニールセンの姿は他の者達には認識されない。

 実際、マリーナとニールセンのすぐ側を数人の男達が怒りで顔を赤く染めながら走っていてもマリーナの存在には全く気が付かなかった。


「急げ、急げ! 乗り込んできた奴は一人らしい! とっととぶっ殺すぞ! 御使いを穢れなどと呼ぶクソ野郎だ!」

『おおおおおお!』


 煽るように叫ぶ男の言葉に、他の者達が雄叫びを上げる。

 それを見たマリーナは、少しの心配と大きな呆れを込めた様子で口を開く。


「全く、レイはちょっとやりすぎじゃないかしら」


 レイが自分達の為に、この洞窟にいる者達の注意を自分に向けようとしているのは、マリーナにも分かっている。

 その為には、相手を怒らせて自分に敵意を向けるのが手っ取り早いと思うのも事実。

 だが……それでも、今のこの洞窟の状況は少しやりすぎなような気もする。

 そのお陰で自分やニールセンに意識が向けられていないのは、悪いことではないのだが。

 しかし、それでも今のこの状況を思えばもう少し穏便な方法でもよかったのでは? と思う。


「言葉とは裏腹に嬉しそうね」


 マリーナの呟きを聞いていたニールセンが不思議そうに尋ねる。

 その言葉に、マリーナはしまったと思いつつ、それでも無理矢理自分の中にある動揺を隠そうとする。


「そうかしら。そう見えたのなら、見間違いね。……あら、ニールセン。ちょっとこっちに」


 話している途中で前方から走ってくる二人の男に気が付くと、ニールセンと共にその場から離れる。

 精霊魔法によって、この洞窟の住人達に見つからないようにはなっている。

 だが、それはあくまでも見つからないだけであって、相手に触れることは出来るのだ。

 つまり、相手が自分に向かって走ってきても、相手は回避せず、ぶつかれば相手にもそれが分かってしまう。

 だからこそ、今のようにニールセンのいる方に向かって走ってくるような相手がいた場合は、回避する必要があった。


「はぁ、はぁ、はぁ……全く、この洞窟に入ってきた奴が、堂々と敵対している時点でおかしいと、気が付かないのか」

「それは無理だろ。何でも御使いを穢れと呼んでるようだし」

「御使いを絶対視するのはいいけど、それでもやりすぎればどうかと思うぞ」


 おや、と。

 ニールセンにぶつかりそうだった者達の会話を聞きながら、マリーナは少しだけ意外に思う。

 穢れの関係者の組織に所属する以上、穢れ……御使いについては絶対視するのが普通だと思っていたのだ。

 だが、こうして話を聞いてみると、誰もが絶対にそのように思っているという訳ではないのは明らかだった。

 それがマリーナにとっては意外だった。

 もっとも、マリーナが意外に思った男の言葉が決して一般的でないのは、もう一人の男の言葉から明らかになったが。


「おい、そういう風に言うなって言ったよな。俺だけならまだしも、誰か他の奴に聞かれたらどうするつもりだよ! お前の身が危険なんだぞ!」

「悪い、そうだったな。つい癖で」

「癖って……そういう風に言うのが癖になるってのは、洒落にならねえんだぞ。それくらいはお前にも分かるだろ」

「すまないな」


 一緒に行動している男の言葉が自分を思ってのものだと理解しているのだろう。

 穢れの関係者なのに穢れについてそこまで執着していないように見える男は、感謝と謝罪を込めてそう言うと、マリーナ達の前から去っていく。


(私が聞いた話だと、穢れの関係者に所属する者は世界の破滅を願ってる者達だという話だったんだけど……これ、どうなってるのかしら? まぁ、そういう人がいるのなら、私達にとってはやりやすいのかもしれないけど)


 マリーナにしてみれば、オーロラのように世界の破滅を望んでいる者が揃っているというのは、どこか違和感があった。

 そして先程の会話で、その辺についても何となく理解出来た形だ。

 穢れについて懐疑的だからといって、世界の破滅を願っていない訳でもないだろう。

 しかし、それでも全員が一つの意思の下で活動しているのではないと知ることが出来たのはマリーナにとって収穫だった。

 もっとも、ヌーラという例外がいたことを思えば、同じように考える者がいてもおかしくはないのかもしれないが。


「マリーナ、行きましょう」

「ええ、そうね。早くオーロラの家を見つける必要があるわ」


 ニールセンの言葉に頷き、マリーナは洞窟の中を進む。

 すると次第に水の流れる音が聞こえてくる。


「あら? これは……地底湖とか、そういうのかしら?」

「水はそういうのを使っているのかもしれないわね」

「そうかもしれないけど、何かあった時に水の精霊を使えるのは助かるわ」


 今こうしている間も精霊魔法を使っているのだが、その消耗はそれなりに激しい。

 だからこそ、地底湖、あるいは地下水の流れている川でもあれば、少しはその消耗を軽減出来る。


「そういうものなの? まぁ、穢れの存在を考えるとマリーナの言うことが正しいんでしょうけど」

「そう言えば、私の精霊魔法は穢れがいると使えないけど、ニールセンの妖精魔法はどうなの?」

「私? うーん、妖精魔法は穢れの近くでも普通に使えるわね。以前私やイエロとドッティだけでやって来た時にアーガイルだっけ? 穢れの関係者がブレイズ達がここに来る原因になった騎士達を襲撃した時、普通に使えたし」

「羨ましいわね」


 マリーナの言葉に、ニールセンは自慢げな様子を見せる。

 ニールセンもマリーナの精霊魔法が圧倒的な実力を持っているのを知っていたので、そんな精霊魔法を使うマリーナから羨ましがられるのは悪い気分ではなかった。

 そんな風に会話をしながら、マリーナとニールセンは進む。

 既にレイの陽動に釣られた者達はその多くが移動しており、周囲は静まりかえっていた。


「ねぇ、マリーナ。見た感じ他に人がいる様子もないし、精霊魔法を解除してもいいんじゃない?」


 マリーナの消耗を見たニールセンが、そう言う。

 精霊魔法を使っているのは、この洞窟にいる住人達に見つからない為だ。

 なら、周囲に誰もいないのならわざわざ消耗の激しい精霊魔法を使う必要はない。

 そう思っての言葉だったのだが、マリーナは首を横に振る。


「今は誰もいないように見えるけど、本当に誰もいないとは限らないわ。何らかの理由でレイのいる場所に行っていない人とかもいるかもしれない。恐らくは大丈夫だとは思うけど、それでも万が一を考えるとそう簡単に精霊魔法を解除する訳にはいかないわ」


 もう大丈夫だろうと思って精霊魔法を解除したところで、この付近に残っていた者達に見つかったらどうするか。

 いや、ただ見つかっただけなら弓を使って相手を殺すといった方法もあるかもしれないが、それが穢れを使う相手なら……


(最悪ね)


 穢れが近くにいれば精霊魔法は使えない。

 弓を使っても、それこそ穢れがいれば矢を受けても黒い塵にして吸収されてしまう。……その上で、敵対した相手だと認識されてしまう。

 マリーナも別に近接戦闘が出来ない訳ではない。

 ギルドマスターになる前は冒険者として活動していたし、その時は精霊魔法や弓が使えない状況もあった。

 そういう意味ではそれなりに近接戦闘は出来るのだが、だからといってその専門家のヴィヘラを相手にした場合は、どうあっても勝てない程度の実力でしかない。

 ……勿論、それはあくまでも比較対象がヴィヘラというだけで、一般的に見た場合はマリーナの近接戦闘の技術も十分に高レベルなのだが。

 とはいえ、マリーナにしてみれば自分の基本戦法は精霊魔法や弓を使って中距離から遠距離の戦いだ。

 それ以外の戦いもやろうと思えば恐らくは出来るだろうが、だからといってわざわざそれをやりたいとは思わなかった。

 精霊魔法を解除した際のリスクを考えると、多少無理をしてでも精霊魔法を使い続けた方がいいのは明らかだというのがマリーナの判断だ。

 ニールセンもマリーナにそう説明されると、これ以上無理に精霊魔法を使うのを止めろとは言えない。


「分かったわ。けど、本当に無理をしていると思ったらしっかりと止めるから。そのつもりでいてね。このままマリーナに無理をさせて、レイに怒られるのは嫌だから」

「その辺については問題ないわ。私も精霊魔法を使ってそれなりに長いのよ。本当にそれが危険かどうか、きちんと自分で理解出来るから」

「……そう」


 マリーナの言葉に頷くニールセンだったが、その言葉を完全には信じていない。

 これがレイに関係していないのなら話は別だっただろう。

 だが、レイに関係することである以上、完全に信じるといったことは出来ない。

 マリーナもニールセンの視線からその辺については理解しているだろうが、それでも今のこの状況を思えば精霊魔法を解除する訳にはいかなかった。


「地底湖というか、地底を流れている川ね」


 オーロラの家に向かう途中、水の流れる音が聞こえてくる場所に到着する。

 そこにはマリーナが口にしたように、地底を流れている川があった。

 地底湖のようにある程度の広さがあるのではなく、本当に川がそのまま地上から地底に移ったかのような、そんな光景。

 違うのは、本来なら川の周辺に生えている多数の植物がどこにもないことか。

 今は冬なので、地上でも多くの植物はもう枯れていたが。


「魚とかもいるのかしら?」

「どうかしらね。……それより、ここで休んでもいられないわ。まずはオーロラの家に向かいましょう」


 マリーナの言葉にニールセンは素直に頷く。

 ここで下手に時間を使えば、それだけマリーナの消耗が激しくなる。

 そうである以上、ここでゆっくりするという選択はニールセンにはなかった。

 川の流れを遡るように進み、二十分程。

 洞窟の中が空間的に拡張されているのは知っていたものの、それを考えても広くなりすぎているように思えた。だが……


「見えた」

「見えたわね」


 マリーナの言葉にニールセンはそれに同意するように呟く。

 洞窟の中を進み続け、それでようやく自分の探していた場所を見つけたのだ。


「それでどうするの? 今ならマリーナの精霊魔法で誰かに見つからないだろうし、このまま進む?」

「そうね。オーロラの部下がいるかもしれないけど……もし遭遇したら、どうにか対処するしかないかしら。ニールセンの妖精魔法に頼ることになると思うけど、その辺は大丈夫?」

「任せて。ここで行動をしなければ、後で一体どういうことになるか分からないし」


 ニールセンにしてみれば、ここで手を抜けば長からお仕置きをされるかもしれないのだ。

 そうである以上、今は少しでも自分に出来ることを行う必要があった。


「じゃあ、行くわよ」


 そう言うと、マリーナはニールセンと共に目的の建物……オーロラの家に向かう。

 とはいえ、一体何があるのか分からない。

 そう思うのは、マリーナが自分の家に精霊魔法を使って悪意のある相手が入れないようにしていたり、快適な気温を維持して冬は暖かく、夏は涼しく、雨や雪は降ってこないようにしているというのが大きいだろう。

 自分の家にそこまでの仕掛けをしている以上、オーロラの家も穢れによってしっかりと守られているかもしれないと考えてもおかしくはない。


「ニールセン、何かあの家におかしなところはない?」

「え? うーん、他の家と比べると少し大きいけど、違う場所はそれくらいかしら」

「そうじゃなくて、私が聞きたいのは妖精としての感覚で何か罠があったりするかどうか分からないのかということなんだけど」


 若干の呆れが混ざったマリーナの言葉に、ニールセンは慌てたようにオーロラの家を見る。

 そのまま数十秒……やがてニールセンは首を横に振る。


「ちょっと分からないわね」

「そう。じゃあ、結局直接行ってみるしかないわね。……精霊魔法を自由に使えれば、精霊に中を見て貰うことも出来るんでしょうけど」

「出来ないことを言っていても意味はないでしょ。それより、何があっても対処出来るようにしながら行くわよ。……全く、いつもならこういうのは私の役目じゃないと思うんだけど」


 はぁ、と息を吐くニールセン。

 マリーナはそんなニールセンの様子に笑みを浮かべつつも、より精密に精霊魔法をコントロールしていく。

 自分のミスで敵に見つかるのは、マリーナにとっては出来るだけ避けたいことだ。

 そうでなくても今のこの状況は何があってもおかしくはないのだから。

 そんな風に考えつつ、何があっても即座に対処出来るようにしつつ、マリーナはニールセンと共にオーロラの家を目指すのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る