3247話

 エレーナとのお茶会を終えたレイが野営地に戻るべくトレントの森に近付いたところで……


「レイ、少し急いで。どうやら野営地で少し前に穢れが現れたそうよ」

「このタイミングで……セト」

「グルゥ!」


 ニールセンが長からの念話で情報を貰い、レイに告げる。

 それを聞いたレイは、素早くセトの名前を呼ぶ。

 それが何を意味しているのか、十分に理解しているセトは今まで以上に翼を羽ばたかせた。

 野営地に向かって真っ直ぐに進み……


「これは……」


 野営地の上空で見た地上の光景に、レイの口から驚きの声が漏れる。

 何故なら、上空から見る限りでは地上に三つのミスリルの結界があった為だ。

 これが一つであれば、レイが試したものなのでおかしくはない。

 だが……その数が三つになっているとなると、それは明らかに疑問でしかない。

 一体何があってこのようなことになったのか。


(いや、何があってというか、考えられるのはさっきニールセンから聞いた、穢れが新たに襲ってきた以外にないか)


 レイは自分でも少し動揺しているというのを理解する。

 冷静に考えれば、ミスリルの結界を使った理由など穢れが現れたからしかない。

 そしてトレントの森に近付いた時に長からの念話によって穢れが野営地に現れたという情報は聞いていた。

 なら、地上にある光景が自然と導き出されるのは当然だろう。

 しかし、それでも地上にある三つのミスリルの結界は、レイを驚かせるには十分な光景だった。


「取りあえず、降りるか。色々と話をきかないといけないし」


 これ以上空を飛んでいても意味はない。

 今は少しでも早く情報を入手する必要があると判断したレイは、セトに対して地上に降りるように頼む。

 するとセトは、特に反論もなく素直にレイの言葉に従って地上に向かい降下していく。

 野営地でもセトが空を飛んでいるのは理解していたので、降りてくるセトを見ても特に驚く様子はない。


(ん? あれ? 馬車がないな)


 ミスリルの結界にだけ注意をしていたレイだったが、降下していく途中でダスカーが乗ってきた馬車がどこにもないことに気が付く。


(もうギルムに戻ったのか? グリムアースの件もあるし、急いでもおかしくはないか。それにダスカー様も自分の仕事があるから、いつまでもここにいるって訳にもいかないか)


 そんなことを考えつつ、セトが地上に降りるとすぐにフラットがレイ達に向かって近付いてくる。


「レイ、ようやく戻ってきてくれたか」


 レイが戻ってきたことで安堵した様子を見せるフラット。

 一体何故そのようなことになっているのかは、ミスリルの結界を見れば明らかだろう。


「悪いな、少し遅くなった。……もっとも、ミスリルの結界があったから、穢れが出ても問題はなかったみたいだが」


 そう言うレイだったが、フラットの方は微妙な表情だ。

 ミスリルの結界が効果的なのは分かっている。

 分かっているのだが、それでもレイに頼りたいという思いがあったのだろう。

 この辺は純粋に実績の違いだ。


「何とかなったのは間違いないが、ミスリルの結界が発動しなかったり、当初の予定通りの効果を発揮しなかったりしたらと思うと、やっぱりレイがいてくれた方が安心出来るんだよ」

「そう言ってくれるのは嬉しいが、この先……それこそ数日中には俺はニールセンと一緒にトレントの森を離れるのは知ってるだろ?」

「それは……」


 レイの言葉にフラットは言葉を封じられる。

 そうして黙ったフラットの視線はミスリルの結界に向けられた。


「俺がいなくなった後は、そのミスリルの釘が頼りになる。フラットなら、その辺の采配は問題なく出来る筈だ」

「……ふん、レイに言われなくても、そのくらいは分かってるよ」


 言葉ではレイに反発していたものの、その表情にはレイに頼り切りになっている自分の不甲斐なさに羞恥心を覚える。

 そんなフラットを不思議そうな表情で見ていたレイだったが、改めてミスリルの結界に視線を向けて口を開く。


「それで、こうして無事に三つのミスリルの結界が出来ているということは、渡されたミスリルの釘は特に問題なく使えた訳だ」

「ああ。最初は少し不安に思ったんだが、実際に使ってみると悪くない」

「無事に使えて何よりだよ。……実際に使うまで不安に思うのは理解出来るけど」


 特にレイは、錬金術師達と付き合いが深いだけに、余計そのように思ってしまう。

 錬金術師達の性格を知っていれば、その者達が作ったマジックアイテムに全幅の信頼を置けという方が無理なのだから。

 もっとも、そのような性格を知っているからこそ、錬金術師達が作ったマジックアイテムに全幅の信頼を置けるのだが。

 全幅の信頼が置ける、置けない。

 レイも自分の考えが矛盾しているのは十分に理解している。

 しかし、それでもやはりそのように思ってしまうのも事実。

 色々な意味で、錬金術師達は特殊な存在であるということなのだろう。


「そうだな。少し不安だったのは事実だ」


 レイの言葉に頷くフラットだったが、その理由はレイとは微妙に違っていたりする。

 冒険者としては優秀でギルドからも認められているフラットだが、錬金術師との関わりそのものはそう多くはない。

 その為、レイとは違って錬金術師達の性格を詳しくは知らないのだ。

 ……ミスリルの釘を含めて、穢れに自分達の開発したマジックアイテムが効果あるかどうかを確認する時は、錬金術師達もダスカーの前ということもあってかなり猫を被っていた。

 それも一枚や二枚の猫ではなく、十枚単位で。

 それでもあのような状態だった辺り、今回の件に関わっている錬金術師達がどういう性格なのか分かりやすい。


「それで、ダスカー様が帰ったのはいつだ? 穢れの襲撃があった後か?」

「いや、その前に戻った。……そう考えると、幸運だったのかもしれないな」

「そうね。もしかしたら、穢れはダスカー達の馬車を襲った可能性もあったもの」


 レイとフラットの会話にニールセンが割り込む。

 いきなり会話に割り込んで来たニールセンだったが、その言葉が事実である以上、レイも責めるような真似は出来ない。

 穢れは基本的に人のいる場所に現れる。

 そうである以上、ダスカーが馬車で移動中に穢れに襲撃されてもおかしくはないのだ。

 それこそ場合によっては、穢れにダスカーが殺されるという可能性も十分にあった。

 ただし、セトがトレントの森を飛んできた時、馬車が穢れに襲われているような光景はそこにはなかった。……勿論、馬車の残骸がそこに残っていることも。

 そうなると、ダスカーが穢れに襲撃されたという可能性はまずないだろう。


(あ、でも……穢れって接触した相手を黒い塵にして吸収するんだよな? なら、もし穢れの集団に襲われたりしたら、馬車の残骸とかも残らないんじゃないか?)


 そう考え、少し不安に思ったレイはニールセンに視線を向ける。


「ニールセン、ちょっと長に聞いてくれないか? 俺達がいない間に穢れが現れたのは、この野営地だけだったかどうか」

「いいわよ、ちょっと待って」


 そう言い、意識を集中するニールセン。

 やがてすぐに目を開け、口を開く。


「安心して。私達がいない間に穢れが現れたのは、この野営地だけだったみたいよ」

「そうか」


 ニールセンの言葉に……より正確には長からの情報に安堵するレイ。

 もしかしたらという不安はあったのだが、幸いにしてその不安は的中しなかったらしい。


「そう言えば、そういう風になる可能性もあったのか。……助かったな」


 レイとニールセンのやり取りで、レイが何を心配していたのかを理解したフラットは安堵する。


「そうだな。けど、その辺の可能性を考えると、今後はダスカー様は出来るだけトレントの森に来ない方がいいかもしれない……と言いたいところだけど、それも難しいか」


 野営地だけなら、わざわざダスカーが来る必要もないだろう。

 だが、ブロカーズとの一件があり、ダスカーが妖精郷に行く必要があるのはレイも理解していた。

 そうなると、やはりダスカーがトレントの森に来ないという選択肢はない。


(いっそ長がギルムに行ければいいんだけど……それはそれで難しそうなんだよな。そうなると、後はダスカー様達が移動している時に穢れが出ないように祈るだけか。もしくは、俺やエレーナのように穢れに対処出来る者が一緒に行動するとか。……難しいな)


 レイは数日中に穢れの関係者の拠点に行くので、ダスカーが妖精郷に行く時に同行するのは難しい。

 穢れの関係者の拠点の件が終わるまで待っていてくれれば、それはそれでどうにか対処出来るのだが。

 だとすれば、ダスカーと一緒に行動するのはレイではなくエレーナとなる。

 しかし、エレーナが穢れに対処するには竜言語魔法のレーザーブレスを使う必要があった。

 そしてレーザーブレスを使えば、敵対した相手だけではなく周辺にも大きな被害を与える。

 そうなった場合、下手をしたら妖精郷にも被害が出る可能性がある。

 妖精郷は霧の空間に守られているが、レイの知っているレーザーブレスの一撃なら、それこそ霧の空間を貫き、妖精郷にも大きな被害を与えてもおかしくはない。

 だからこそ、出来ればそういうのは止めて欲しい。

 止めて欲しいのだが……レイがいない状況で穢れに対処出来るのがエレーナである以上、エレーナに頼むしかないのだが。


(あ、でもミスリルの釘が増えたら、もう少しどうにかなる……かも? 今回持ってきたミスリルの釘もかなり早く出来たし。だとすれば、出来るだけ早く量産出来るようにして貰えば……)


 そう考えるレイだったが、ミスリルの釘が最優先されるのはこの野営地だ。

 穢れの出現率が一番高いのがここである以上、そのような判断になるのは当然だろう。


(ああ。でもダスカー様達が妖精郷に行く時だけミスリルの釘を渡せば、それはそれでいい……んじゃないか?)


 そう思いつつ、レイはミスリルの結界に……より正確には結界の周囲にいる研究者達に視線を向ける。

 そちらに視線が向けられたのは、研究者達の表情にいつも以上に真剣な表情があったからだろう。

 今日最初に出て来た穢れの一件で、研究者の一人が行ったことに思うところがあったからか。

 自分達が何も研究結果を出すことが出来なかったのが、あの研究者が暴走した理由の一つであると、そのように認識したのだろう。


「取りあえず、こうして見たところで特に何も問題がないようで何よりだ。もっとも、穢れの出る間隔が少し疑問だけど」

「その辺は、やっぱり運というか……穢れを送り込んでくる相手の方に何かあったんじゃない?」


 ニールセンの言葉に、その可能性も否定は出来ないかとレイも思う。

 今までにも、数日全く穢れが転移してこないこともあれば、今回のように一日で何度となく穢れが転移してくることもあった。

 その辺りの判断がどのようにして決まっているのかは、レイにも分からない。

 だがそれでも、主導権が向こうに……穢れの関係者側にあるのは、レイにとっても面白くはない。


(だからこそ、今度穢れの関係者の拠点に行った時に、その辺をどうにか出来ればいいんだけどな。というか、最初に穢れが転移してきた時に転移の向こう側に攻撃をした件って一体どうなったんだ? 多かれ少なかれ向こうにダメージを与えたのは間違いないと思うんだが)


 レイにしてみれば、出来ればあの件で穢れの関係者に大きなダメージを与えていて欲しいと思う。

 もっとも、その一件からもう既にかなりの時間が経っている。

 自然の治癒力ではまだ治るといったことはないだろうが、ポーションや回復魔法を使えば、もしかしたら全快していてもおかしくはなかった。


(回復魔法を使える者はかなり少ないから、出来れば穢れの関係者にそういう連中がいて欲しいとは思わないけど。……もしいたら、最優先で排除するなりなんなりしないといけないな)


 回復魔法の使い手がいるということは、多少のダメージを与えてもすぐに復活してくることになる。

 勿論、回復魔法といえども万能ではない。

 軽傷程度なら問題はないが、致命傷であればそれを癒やすのはそれだけ難しくなる。

 手足を切断された者を回復するのは回復魔法を使う者にかなりの……いや、非常に高い能力が求められる。

 あるいは切断した手足を再生させるのではなく、傷口を癒やすということであれば、それなりに出来るかもしれないが、その場合は戦力として数えるのは難しくなるだろう。

 レイにしてみれば、そのような相手は倒すのは難しくない。

 ……最善なのは、やはりそのまま戦闘不能になってくれることだが。


「レイ、それでいつくらいに出発しそうだ?」

「今日明日ということはないと思うが、数日中にはなると思う」


 そう言うレイの言葉に、フラットは難しい表情を浮かべるのだった。

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