3210話

「では、明日の午前には野営地に向かおう。それで構わないか?」


 尋ねるダスカーに、レイは問題ないと頷く。


「こちらはそれで構いませんよ。今の状況では特に何か急いでやるべきことはありませんし」


 実際には、ニールセンが見つけてきた岩の幻影によって隠されている洞窟の件もある。

 その洞窟を放っておく訳にいかないのは間違いないものの、穢れが出現するトレントの森をそのままにしてそちらに向かう訳にもいかない。

 洞窟に向かうのなら、やはり一時的にしろ穢れをどうにかする手段を用意してからにするべきだった。


「ブロカーズ殿は?」

「こちらも問題はない。出来れば今日がよかったが、錬金術師達の方で準備が出来ないとなると、急がせる必要もないだろう」

「長は……」

「気になるところですが、私はあまり妖精郷から出ることが出来ないので。特に今は、いつ穢れが転移してくるか分からない以上、そちらに集中する必要があります。それに……ニールセンとは離れていても意思疎通が出来るので、ニールセンが見ていれば問題はないかと」


 長は個人的な感情を押し殺し、自分の役職に相応しい判断をする。

 本来なら、長も自分の目で結界のマジックアイテムを試すというのを見にいきたい。

 それは様々な理由がある。

 妖精郷の周囲にある霧の空間を生み出す霧の音というマジックアイテムを見れば分かるように、長は結界系のマジックアイテムの製造を得意としている。

 勿論それは、あくまでもそちらを得意としているだけで、他のマジックアイテムを作れないという訳でもないのだから。

 それでも自分の得意分野だけに、錬金術師達が穢れに対して有効なマジックアイテムを作れるかどうか、気になる。

 妖精と錬金術師ではマジックアイテムの作り方に色々と違いはあるが、それでも自分がマジックアイテムを作る時の参考になるのではないかと思ったのだ。

 他にも長は野営地を自分の目でゆっくりと見たことはない。

 異世界からやって来たという湖も同様だし、この世界のリザードマンとは違って高い知能を持つという異世界のリザードマンにも興味がある。

 そして……これは絶対に口には出せないものの、野営地に行けばレイと一緒にいることが出来るというのが非常に大きい。

 それら全てが長の希望ではあったが、今の状況では長としての仕事を考えると、それを放っておく訳にはいかず、諦めるしかない。


「ふむ、そうか。それは残念だ。……だが、今日の会談で穢れについて深く知ることが出来たのは大きい。穢れの関係者の拠点と思しき場所の情報も手に入ったしな。……ニールセン、その騎士達の名前は分からないのか?」

「え? うーん……ちょっと分からないわね。小隊長とか呼ばれてて、名前は呼ばれてなかったし」


 ダスカーはニールセンの言葉に難しい表情を浮かべる。

 穢れの関係者と遭遇し、戦い、逃げ延びた。

 それは素晴らしいことだが、同時に穢れについての情報を知った者がいるのだ。

 勿論、それが実際には穢れと呼ぶべきものだというのは分からないかもしれない。

 しかし、危険な相手がいるという情報は報告され、それによってどこまで話が広まるかが分からない。

 ただ危険な相手がいるという情報だけが広がるのであれば、そこまで問題でもないだろう。

 ……実際にそのような相手と戦ったりする者達にしてみれば、非常に大きな問題なのだが。

 しかし危険だということだけであれば、ミレアーナ王国には色々と危険な存在はいる。

 それこそ異名持ちやランクA冒険者が盗賊となって暴れていたり、本来その場所で姿を現さないような高ランクモンスターが姿を現したり、ダンジョンが出来たり。

 他にも色々と危険な存在はあるのだ。

 だからこそ、ただ危険な相手というだけならそこまで問題ではないが、穢れという単語がそこに付随するようなことになれば、話は違ってくる。

 まだ穢れについては、知ってる者はごく少数の秘密事項だ。

 自分達の知らない場所で穢れについての話が広まるのは、ダスカーとしては遠慮したい。


「そうなると……危険な存在と遭遇したというのが、王都に行くと思われますか?」


 駄目元といった様子でブロカーズに尋ねるダスカーだったが、ブロカーズは当然といった様子で首を横に振る。


「自分達でどうしようもないと判断すれば、まず最初に近くにいる同じ派閥の領主や、別の派閥でも友好的な相手に援軍を頼むだろう。それが無理なら、派閥の中でも更に地位の高い……戦力を持っている相手に。それでも無理なら、そこでようやく王都に援軍を希望するかもしれないが」


 そこまでになるには、かなりの時間が掛かるだろう。

 そう言うブロカーズに対し、ニールセンが口を開く。


「私が接触した男は、見た感じだと自分から暴れるといった感じには見えなかったわ。今回の件もあって、見つかったら自分の情報を渡さないようにすぐ皆殺しにしたりとかしそうだけど」

「そうなると、自分から出てくるようなことはないのか? ……穢れの関係者だとすれば、当然か。穢れについて何らかの情報を入手したボブを殺そうとしていたしな」


 レイはボブを倒す……いや、殺す為にやって来た穢れの関係者達を思い出す。

 そして今こうしてトレントの森に次々と穢れが転移してくるのも、ボブを殺す為の筈なのだ。

 ……もっとも、結果的に穢れについて知る者が多くなってしまっているのを考えると、それしか出来ないからそうしているのかもしれないが。


(普通なら、穢れをあれだけ転移させていれば、それだけで対象を殺せるのは事実なんだよな。向こうにとって不幸だったのは、そしてボブにとって幸運だったのは、俺がここにいたことか。……もっとも、その影響でトレントの森がこういう騒動になってるのを考えると、本当に幸運なのかどうかは微妙なところだが。あ、でも穢れについての存在を早く知ることが出来たというのは、やっぱり幸運だったのか?)


 そんな風に考えつつ、レイは口を開く。


「とにかく、出来るだけ早くニールセンが見つけた場所に行きたいところですね。もしそこが穢れの関係者の本拠地なら、そこを制圧するなり、そこにいる者達を全員殺すなりすれば解決するでしょうし」


 乱暴だ、と言うような者はいない。

 穢れは最悪の場合、この大陸を滅ぼすかもしれないのだ。

 そのようなことを企む相手に対する人権などというものは、この場にいる者は考える必要がないと判断しているのだろう。

 もっとも、人権といったような言葉がこの世界にあるかどうかは微妙だが。


「そうなると、やはり結界のマジックアイテムの実験次第だな。……レイには悪いが、もしマジックアイテムが完成したら、雪が降っていようが穢れの関係者の拠点に向かって貰うことになる。構わないか?」

「それは問題ないですね」


 普通なら雪が降る中で遠くまで旅をして、標的を殺すといった真似は遠慮したいだろう。

 最悪の場合、雪が積もった中を歩いて移動しなければならなくなるかもしれないのだから。

 ただし、レイは違う。

 セトに乗って移動すれば、地上を歩くのは勿論、馬車や馬に直接乗って移動するよりも圧倒的な速さで移動出来る。

 そして簡易エアコン機能を持つドラゴンローブもあるので、冬に高度百mくらいの場所を飛んでも、寒さで凍えるといったことはない。

 レイの身体も普通の人間に比べると暑さや寒さに強いというのもあるのだろうが。

 そんな訳で、雪が降っている中でもレイが動くのはそう難しい話ではない。

 ……勿論、それをレイが好むかと言われれば、それは否だろうが。

 雪の中で動くのに問題がないとしても、レイがそれを好むかどうかはまた別の話なのだから。

 とはいえ、穢れの危険さを考えると敵の本拠地かもしれない場所を見つけた以上、レイがそこに行かないという選択肢はなかった。


「穢れの件をどうにかするとなると……エレーナは連れていけませんよね?」

「うむ。エレーナ殿は何かあった時の為にギルムに残して欲しい」


 現状において、レイ以外で唯一穢れを倒すことが出来ると判明しているのは、エレーナだけだ。

 そうである以上、レイもエレーナも双方共に連れていくのは難しいのは間違いなかった。


(だとすれば、当然だがアーラも連れていく訳にはいかないか)


 アーラはその剛力から、非常に強力な戦力なのは間違いない。

 しかし、アーラはあくまでもエレーナの部下だ。

 そうである以上、エレーナがギルムに残るのにアーラを連れていく訳にいかないのは間違いない。


「そうなると、マリーナとヴィヘラか」


 パーティとして活動するのなら、ビューネも連れていった方がいいのかもしれない。

 だが、今回はビューネを連れていくのは難しかった。

 ビューネは盗賊としてかなり技量が上がってきている。

 しかし、それでもレイ、マリーナ、ヴィヘラといった面々と比べると、圧倒的に格下になってしまう。

 これが普通の相手との戦いであれば、ビューネを連れていっても問題はないだろう。

 だが、今回の相手は穢れだ。

 正確には穢れの関係者なのだが、ニールセンが見た相手は穢れの黒い円球を自由に扱っていたという風に聞いている。

 そのような場所にビューネを連れていけば、それこそ最悪の結果となる可能性は十分にあった。

 だからこそレイはビューネを連れていかないという選択をするしかない。


「レイだけではないということは、セト籠を使うのか?」


 ダスカーの問いに、レイは頷く。

 ヴィヘラだけなら、あるいはセトの足に掴まって移動するといった真似をしてもいいかもしれない。

 だが、マリーナも一緒にいる以上、そのような無茶をしても意味はない。

 セト籠を使えば全く危険なく移動出来る。


「なら、こちらからも何人か人を派遣したい」

「……一応言っておきますけど、死ぬかもしれませんよ?」


 それは大袈裟でも何でもなく、レイの正直な気持ちだ。

 ダスカーが派遣するという人物だけに、それなりの実力を持つ者なのは間違いない。

 だが、それでもビューネを置いていくべきと考えているのにレイ達と一緒に行くというのだ。

 危険な状態なのは間違いない。

 穢れに触れれば、黒い塵となって吸収される。

 そしてレイが向かおうとしているのは、そんな穢れの関係者の拠点……それも重要拠点であったり、あるいは本拠地かもしれない場所だ。

 そうである以上、そこに行くとすれば最低でもレイ達と同等のとまではいかないが、足手纏いにならない程度の実力は必要となる。

 そのような相手であっても、場合によっては死ぬ可能性もある。

 レイとしては、そんな場所に実力も知らない相手を連れていくのはごめんだった。

 最悪、そのような相手に足を引っ張られて自分達が危険になるかもしれないのだから。

 尊敬するダスカーの言葉であっても、この件については素直に頷く訳にはいかない。

 ダスカーもそんなレイの気持ちは分かるが、だからといってあっさりと退く訳にはいかなかった。


「レイが心配をしていることは分かる。だが、今回の穢れについてはブロカーズ殿がいるのを見れば分かるように、既にギルムだけで片付けられる問題ではない。レイが行う襲撃が成功するにしろ失敗するにしろ、詳細を報告する必要がある。それをレイの代わりにやってくれると思えば、そう悪い話ではないと思わないか?」

「それは……」


 これは、ダスカーが上手いと言うべきだろう。

 レイがその手の作業を好きではないことを、十分に承知の上なのだから。


「けど、マリーナがいますから、そっちに任せようかと思ったんですけど」


 マリーナの名前が出ると、ダスカーは微妙な表情になる。

 自分の黒歴史とでも呼ぶべきものを知られているマリーナは、ダスカーにとって数少ない弱点と言ってもいい存在なのだ。

 それでもダスカーも迂闊にここで退く訳にはいかない。

 レイにも言ったように、既にこれはギルムだけでどうにかなることではないのだ。

 ブロカーズ達が来ている以上、王都にも報告しなければならない。

 その時、レイから事情を聞いて報告をするよりも、最初からその手の作業が得意な者をレイと一緒に連れていって貰い、そちらから説明した方が色々と手っ取り早い。

 勿論そのようなことになっても、レイから全く何も話を聞かないといったことではないのだが。

 特定の何かに対して感じた印象というのは、それこそ人によって違ってもおかしくないのだから。


「頼む」


 結局ダスカーが選んだのは、レイを説得するのではなく、こうして頭を下げて頼むことだった。

 そして、ダスカーのその態度にレイも即座に断れる訳もなく……


「分かりました。ただ、これは俺だけでは決められないので、マリーナやヴィヘラにも聞いてみたいと思います」


 そう、告げるのだった。

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