3198話

「そうですか。小屋がなくなったのは残念でしたが、その代わりにもっと重要そうなところを見つけたと。それなら、私は問題ないと思うわ」


 ニールセンから岩の幻影で入り口を隠されている洞窟の話を聞かされると、降り注ぐ春風はそう言う。

 その言葉に、ニールセンは安堵した。

 ニールセンもより重要そうな場所を見つけたということで、問題はないと思っていた。

 思ってはいたが、しかしそれはあくまでもニールセンがそのように思っているだけで、降り注ぐ春風や数多の見えない腕にしてみれば、そこで帰ってこないでもっとしっかりと見張っていろと言われてもおかしくはないと思っていたのだ。

 だが、実際にはそれに対してこうしてしっかりと問題ないと言われたのだから、それに喜ぶなという方が無理だった。

 そうして安堵しているニールセンに、降り注ぐ春風は笑みを浮かべて口を開く。


「それで、これからどうするの? やっぱり自分の妖精郷に戻る?」

「はい。そうします。この件は出来るだけ早く伝えた方がいいでしょうし。でないと、色々と手遅れになる可能性もありますから」


 ニールセンの本音としては、出来ればここでゆっくりと休んでいきたい。

 小屋の探索から巨大な鳥のモンスターの襲撃、それが終わって精神的に疲労して数時間くらいは昼寝をしたものの、そこからすぐにまた穢れの関係者の男の一件があったのだ。

 途中川で少し休憩したとはいえ、ずっと移動し続けだ。

 ニールセンはイエロの背中に乗っていたので、そこまで体力は消耗していないのだが。

 ともあれ、この件は出来るだけ早く知らせないと、最悪幻影で入り口を隠蔽している洞窟が壊されるといったようなことにもなりかねない。

 本当にそうなのかどうかは、生憎とニールセンにも分からない。

 分からないが、それでも穢れの関係者の男が小屋を消滅させたのを見れば、そのようなことが絶対にないとも言い切れないのだ。

 もしここで休憩をしてから妖精郷に戻り、ここにまた戻ってきた結果、洞窟が壊れていた場合は、また穢れの関係者の拠点から探す必要が出てくる。

 今回のように偶然妖精郷から離れていない場所に穢れの関係者の拠点があり、それを妖精が見つけて穢れの関係者の拠点であると判断し、他の妖精郷にこの件を知らせる……などというのは、決してそうあることではない。

 それこそ偶然に偶然が重なり、そのような偶然が更に幾つか重なったかのようなものが現在の状況なのだ。

 だからこそ、今回の一件を逃すとそう簡単に穢れの関係者の拠点を見つけられるとは限らなかった。

 そのような状況である以上、今は少しでも早くこの場から立ち去り、自分の妖精郷に戻る必要があった。


「そう、分かったわ。じゃあ、私からはもう何も言わない。気を付けて帰ってね」


 そう降り注ぐ春風に言われ、ニールセンは頭を下げる。


「分かりました。色々と助けて下さり、ありがとうございます」






「えー、もう帰っちゃうの? 皆が残念に思うよ?」


 降り注ぐ春風への報告と挨拶を終えたニールセンは、イエロとドッティと共に妖精郷を出ようとする。

 だが、もう夜中であるにも関わらず、まだ起きている妖精がいた。

 ……それも一人二人ではなく、十人、二十人といった結構な数が。

 そのような者達が何をしていたのか。

 それがドッティと遊ぶということだった

 この妖精郷に住む妖精達にとって、ハーピーというのはあまり接することがない。

 他のモンスターと比べれば、ハーピーは空を飛ぶモンスターなのでそれなりに接触しやすいのだが。

 それでも接触するのは襲ってきたりする相手だ。

 こうして大人しく、触っても攻撃をしたりしないハーピーというのは妖精達にとっても初めてだった。

 だからこそドッティは妖精達に人気があった。

 もしイエロがニールセンと共に行動しておらず、ドッティと同じように妖精郷に残っていたら、こちらもまた人気が出ただろう。

 しかし、生憎とイエロはニールセンと共に妖精郷の外に出ていたので、ドッティが妖精達の人気を集めることになってしまった。

 ニールセンが降り注ぐ春風に事情を説明して帰ると報告をしている間、イエロはドッティと一緒にいたので、その結果としてイエロも妖精達と一緒に遊ぶといったことになっていたが。


「急いで戻らないといけなくなったのよ」

「でも、もう夜中よ? わざわざ今から出ていかなくても、朝になってから出発した方がいいんじゃない?」


 ニールセンに言ってきた妖精の言葉は、決して間違っている訳ではない。

 しかし、ニールセンも妖精だ。

 もしこのまま話を聞いて頷き、明日の朝に出発するということになった場合、昼になってからでも、午後になってからでも、もう夕方だから明日でも……そんな風に出発が延びる結果となるのだ。

 妖精達は、別にニールセンが戻るのを引き延ばして、その立場を悪くしようなどといったことは全く考えていない。

 ただ純粋に、もっとイエロやドッティと遊びたいと思っての行動だろう。

 それが分かるからこそ、ニールセンは夜中の今のうちに……それこそ、もう寝ている妖精がそれなりにいて、引き留める相手が少ないうちに妖精郷を出ようとしていた。

 ただ、そういう風に言っても相手が納得するとは思えないので、手っ取り早く奥の手を使うことにする。


「私が出発してもいいというのは、この妖精郷の長、降り注ぐ春風に許可されたことよ?」


 ざわり、と。

 ニールセンの言葉を聞いた妖精達は、思わずといった様子でざわめく。

 中には無意識に後ろに下がった妖精すらいた。

 飛びながら後ろに下がるという器用な真似をしている辺り、もしかしたらまだ余裕があるのかもしれないとニールセンには思えたが。

 とにかく、降り注ぐ春風の名前を口に出すと、妖精達もそれ以上は無理に引き留めるような真似はしない。

 もしここで無理に引き留めた場合、自分達が降り注ぐ春風にどのようなお仕置きをされるのか分からないからだ。

 ニールセンの妖精郷の長の数多の見えない腕とは違い、降り注ぐ春風は非常に温和なように見える。

 実際、普段は温和な性格をしているのだが、だからといって怒らない訳ではない。

 寧ろ普段が温和な分だけ、怒った時はもの凄く怖くなる。

 妖精達もそれを知ってるからこそ、降り注ぐ春風の名前を出すと素直に退いたのだろう。


「じゃあ、そういう訳で。……イエロ、ドッティ、行くわよ。少しでも早く妖精郷に戻る必要があるから、急ぐわ」


 トレントの森からこの妖精郷に向かう時は、その進路で問題ないか、道――空を飛んでいるので道という表現は相応しくないのだが――から逸れていないかといったようなことを心配しつつ、移動をしてた為に、どうしてもある程度移動速度は遅くなってしまう。

 それに対して、この妖精郷からトレントの森まで向かうとなると、既に一度通った場所である以上、移動速度も以前よりは明らかに上がるだろう。


(妖精の輪を使って一気に妖精郷まで転移出来ればいいんだけど、妖精の輪は転移距離が短いし。それに妖精の輪で転移出来るのは私だけだし。やっぱり普通に飛んで行った方がいいわよね)


 そんな風に思いつつ、ニールセンはイエロとドッティと共に妖精郷を旅立つのだった。






 ニールセン達が妖精郷を旅立った頃……


「小隊長!」

「お前達……無事だったのか!?」


 妖精郷の近くで穢れの関係者の男から逃げ出した騎士達が、近くにある騎士団の拠点にようやく到着していた。

 そして自分達よりも先に逃げ出した――という表現は少し悪いが――小隊長と無事に合流することに成功する。


「はい、小隊長が脱出する時と同じように誰かが助けてくれて、それで何とか」

「そうか。……無事で何よりだ」


 小隊長は部下の騎士達を見て、しみじみと呟く。

 あのような危険な相手の情報をもたらす為に、部下達は自分だけを逃がした。

 それによって自分は無事逃げられたものの、戦っていた男の性格からすれば、残してきた部下達は最悪全滅、どんなに幸運であっても死人は間違いなく出ると思っていたのだ。

 しかし、それがこうして合流してみれば全員が無事。


(いや、全員ではないか)


 最初に黒い円球に攻撃をした部下が一人、死んでいる。

 それこそ死体すら残さずに。

 そのことを思い出し、小隊長は後悔の念を抱く。

 だが、今はまず残してきた部下達の無事を喜ぶ。


「それで、小隊長。報告は……?」

「今は上の反応待ちだ。俺もここに到着してから、まだそんなに経っていないからな」


 小隊長達が黒い円球を操る男と戦ったのは、ここからかなり離れた森だ。

 その森から脱出し、馬を潰さないようにしながらも何とか走らせ続け、それでようやくここに到着したのは、小隊長が言ってるようにそんなに前ではない。

 そもそも小隊長が脱出してから残りの騎士達が脱出するまで、時間的にはそう違いはない。

 残された騎士達にしてみれば、自分が生き残る為に必死になって黒い円球の攻撃を回避するといった真似をしていたので、それによって濃縮された時間をすごしたように思えたのだろうが。

 ……それでも小隊長より大分遅れてここに到着したのは、それだけ小隊長の乗馬技術が優れていたということだろう。


「そうですか。……それはよかったと言うべきでしょうか」

「どうだろうな」


 騎士の言葉に、小隊長は微妙な表情を浮かべる。

 少しでも早く情報を持ってくる為に、自分だけが逃げ出してきた。

 その報告は、既に上に知らせている。

 実際にはこうして騎士達の大半が何とか無事に戻ってきたものの、それはあくまでも結果論だ。

 どうしようもなかったとはいえ、小隊長が部下を見捨てて……犠牲にしてここまで逃げてきたのは、間違いのない事実だ。

 その件を既に上に知られてしまった以上、仲間を見捨てたということで追及されるようなことになるのは間違いなかった。

 勿論、上も仲間を見捨てたからといって問答無用で処罰をするといったことはしないだろう。

 きちんと事情を聞いて、小隊長達がその場で最善の手段としてそのようなことになったというのなら、そこまで問題にはならない筈だった。

 ……ただし、問題にはならなくても騎士団内での評判には関わってくる。

 事情を知らない者にしてみれば、仲間を見捨てたということだけを知り、それによって小隊長が疎んじられるようなことになってもおかしくはない。

 そうして話していると、やがて一人の騎士が姿を現す。


「これは……どうなっている?」


 小隊長や騎士達も顔見知りの相手だ。

 それだけに、小隊長が部下を置いてきたという話を聞いていたのだが、その置いてきた筈の部下が揃ってここにいる。

 そのことを疑問に思うのは当然だった。

 戸惑ったのは一瞬。

 やがて騎士は小隊長に対して鋭い視線を向ける。

 もしかして大きな騒ぎにしておきながら、嘘だったのかと。

 小隊長はそんな騎士の視線の意味を理解し、首を横に振って否定する。


「この連中は俺が脱出した後で、無事に逃げ出したらしい」

「何だと? ……まぁ、いい。では部下達も一緒に来るといい。纏めて話を聞こう」


 そういうことになり、小隊長や部下達は部屋の一室……この拠点の騎士の中で一番偉い相手からの事情聴取を受けることになる。

 最初こそ、何故か死んだと言われていた筈の騎士達が生きていることに驚かれるも、詳しく事情を説明すると幸いにも納得される。


「黒い円球か。……一体どこの組織の者だ? ここにそのような危険人物が所属するような裏の組織はない筈だが」


 そう口にしたのは、この施設の中を任されている男だ。

 年齢は五十代程だが、その身体には年齢に見合わぬ迫力がある。

 副騎士団長という立場に相応しい人物だろう。

 実際、その地位に相応しく強さという点でも冒険者上がりの小隊長であっても勝つことは難しい。

 十回戦って一回勝てるかどうかといったところだろう。

 もっとも、実戦では一度戦って勝てればそれでいいので、そういう意味では小隊長も副騎士団長に圧倒的に負けてはいるものの、絶対に勝てない相手という訳でもないのだが。


「はい。それこそ王都とかギルムとか、そういう場所の裏の組織に所属していてもおかしくはないような、そんな相手でした」

「分かっている。お前が勝てないと判断し、部下を切り捨ててでも情報を持ち帰ろうとした相手だ。中途半端な技量の持ち主ではないというのは、十分に理解出来る」


 副騎士団長も、小隊長の腕は知っているので特にその件を責めるではなく、話を続ける。


「だが、そのような者が一体何故ここにいる?」

「考えられるとすれば、小屋かと。私達が小屋に近付いた時に姿を現しましたので」

「小屋、か。その小屋は何かの取引に使われていたのかもしれんな。分かった。この件は上に報告しよう。近いうちに、その小屋に案内して貰うぞ」


 副騎士団長のその言葉に頷く小隊長だったが、後日森に行った時、既に小屋は完全に消滅していたのだった。

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