3195話
黒い円球を自由に扱う男と向き合っている騎士達は、誰がやってくれているのかは分からないが、自分達の援護をしてくれている者がいることを確信していた。
だが……それでも、黒い円球を操る男をどうにかするといった真似は出来ない。
小隊長を逃がしたことにより、男は他の騎士達は絶対に逃がすような真似は出来ないと判断し、黒い円球を操って攻撃を始めたのだ。
黒い円球は、男が直接操るような真似をしなければ、その移動速度は決して速くはない。
だが、男が直接操った場合、その速度はかなり増す。
騎士達は速度の上がった黒い円球から、必死になって逃げることしか出来ない。
「くそっ!」
騎士の一人が、苛立ち混じりに叫ぶ。
攻撃が通用するのなら、黒い円球を倒すといったことも出来るだろう。
だが、触れた存在を黒い塵にして吸収してしまう以上、騎士達が黒い円球を攻撃することは出来ない。
騎士達の仲間の一人が、黒い円球に触れた結果、黒い塵となった光景をその目にしている以上、回避に専念するしかなかった。
「無駄だよ。君達はここで死ぬんだ。諦めて楽になった方がいい」
男は嗜虐的な笑みを浮かべ、黒い円球を操る。
最初こそ小隊長に逃げられたのが面白くなかったものの、それでも逃げられたのは一人だ。
また、男にしてみれば、自分達がどのような組織なのかを知られるとは思っていない。
……実際、男のこの考えは決して間違っている訳ではない。
もしこの場にニールセンがいなければ、男が一体どのような存在なのか、知られることはなかっただろう。
男にしてみれば、それが予想外だろう。
もっとも未だにニールセンやイエロの存在に気が付いていない男にしてみれば、自分達の拠点の一つの近くでモンスター同士……それもただのモンスターではなく高ランクモンスター同士が戦うような騒動があったのが、予想外だと思っていたが。
まさか辺境でも何でもないこのような場所で、高ランクモンスターが戦うなどということが起こるとは思わなかったのだろう。
実際には高ランクモンスターは巨大な鳥のモンスターだけで、もう片方はニールセン達だったのだが。
「お前は一体誰だ? 何故このような真似をする?」
黒い円球の攻撃を回避しながら、騎士の一人が男に尋ねる。
だが、そんな問いに男が返したのは、答えではなく嘲笑。
「わざわざこちらの情報を話すと思うのか? 幾らここで死ぬ者達が相手とはいえ」
「死ぬからこそ、最後にせめてその辺りの情報を聞かせて欲しいんだがな」
騎士も、男が素直に自分の問いに答えるとは思っていない。
それでも敢えてこうして尋ねているのは、少しでも時間を稼ぐ為だ。
黒い円球を回避しながらの会話なので、少しでもミスをすれば死ぬ。
あるいは死ななくても、手足の一本や二本はなくなる可能性もあった。
そんな危険を冒してでも、今はとにかく少しでも長く生き延びる必要があったのだ。
……先にこの場を脱出した小隊長が援軍を連れてくる……といったようなことは、考えていない。
そもそもこの小隊は見回りをする為に拠点から離れた場所にいたのだ。
援軍となる戦力のいる場所まで移動して、それで実際に援軍を呼ぶといった真似をした場合、いつここに到着するのかも分からない。
それこそ援軍を連れてきて戻ってきた時には、もう戦いは終わっているだろう。
それ以前に、この件についての情報を知らせる為に小隊長はこの場から脱出したのだ。
だというのに、その情報を知らせずに援軍を連れてくるといったような真似をした場合、脱出させた意味がなくなってしまう。
騎士達がもしそれを知れば、一体何をしていると怒り狂うだろう。
(ん?)
時間を稼いでいた騎士が、ふと気が付く。
嘲笑を浮かべて自分を見ている男……ではなく、その背後。
その地面で何かが動いたのだ。
それが何なのかは、分からない。
もっとそちらに意識を集中すれば分かったのかもしれないが、黒い円球の攻撃を回避しつつ、男の注意を少しでも自分に向けて生き延びる時間を長引かせている現状で、これ以上の行動は難しい。
何より、その何かに意識を向けているのを男に気が付かれる訳にいかないのも事実。
だが、それが何なのかを確認することは出来ないものの、予想することは出来る。
小隊長がこの場を離脱した時にも同じようなことがあったのだから。
つまり、自分達を援護してくれている誰かが、次の一手を打ったのだろうと。
(とはいえ、小隊長を逃がした時と同じ手段というのは……幸い、今は気が付かれてないからいいけど、これが気が付かれたら面倒なことになる。何故同じ手段を? いや、あるいは他に手段がないのか?)
騎士は考えながらも行動を続け……やがて、悲鳴が上がる。
「うおっ! くそっ、またか! 下らない真似を!」
再び足に蔦が巻き付いたことに、男は苛立ちを込めて叫ぶ。
あるいは驚きの声を上げてしまったことを屈辱と考えたのかもしれないが。
しかし、今度の蔦は先程と違った。
先程の蔦は、足に絡みついて行動の邪魔はしたが、言ってみればそれだけだ。
男には出来なかったが、もし男が本当にその気になっていれば、足に絡みついたのを無視して黒い円球を操ることも出来ただろう。
だが、今回足に絡んだ蔦は、かなり強力に締め付ける。
痛みを感じる程に締め付けられる足に、男は苛立ち混じりに黒い円球を使って蔦を消滅させる。
ただし、それによって消滅させることが出来たのは男の足に絡みついている部分ではなく、そこから伸びている部分だ。
足に絡みついている場所を黒い円球によって消滅させるようなことをすると、自分の足も黒い塵となってしまう可能性があった。
自分が黒い円球を使っているだけに、その危険は十分に理解出来ていたのだろう。
「ぐ……貴様らぁっ!」
足を強力に締め付けてくる蔦を操っているのは騎士の誰なのかは分からない。
だが、この場にいるのは自分と騎士達だけである以上、それを行っているのは間違いなく騎士の誰かだというのが男の認識だった。
それは一般的に見た場合、間違っていない。
まさか近くにニールセンという妖精が隠れていて、そのニールセンが援護をしているなどとは思わないのだろう。
とはいえ、男も馬鹿ではない。
自分の足を締め付けている蔦を操っているのは騎士だと思っていたが、魔法にしろスキルにしろ、黒い円球から逃げ続けながら蔦を操り続けることが出来るとは思えない。
(だとすれば、マジックアイテムか?)
魔法やスキルはともかく、マジックアイテムなら種類によっては最初に起動さえすれば、それ以後は集中しなくても問題がないような物があってもおかしくはない。
男が悩んでいると、次第に足を締め付ける力が強くなってくる。
最初はそこまで痛みはなかったのだが、それでも時間が経つに連れて強くなっていくのだ。
そうなると黒い円球を操るのにも支障が出る。
騎士達は一度、二度、三度と黒い円球の速度が遅くなったり、本来なら有り得ない方向に黒い円球が飛ぶのを見て、今こそがここから逃げる絶好のチャンスだと判断する。
小隊として一緒に行動してきただけに、黒い円球を回避しながら、視線で意思疎通を行う。
ここで実際に逃げるといったように口を開いた場合、それは男に聞こえてしまうので、視線による意思疎通……いわゆる、アイコンタクトとでも呼ぶべき行動を行う。
「ああっ、くそが! いい加減この蔦を外せ!」
足を締め付けられる痛みが我慢出来る限界を超えたのか、先程までとは一変した口調で男が叫ぶ。
「今だ!」
叫んだ瞬間、明らかに黒い円球の動きが鈍る。
そのタイミングを逃さず、騎士達はその場から一気に走り出す。
本来なら、こういう時は纏まって逃げるのではなく別々の方向に逃げた方がいい。
そうすれば、一人は敵に追われることになるかもしれないが、他の者達は逃げ切ることが出来るのだから。
それでも全員が一緒の方に逃げたのは、森の外には馬が繋がれているからというのが大きい。
小隊長が逃げる時、男が馬に乗って自分を追ってこないように馬を逃がしたり、男がここにやって来た時に騎士達を逃がさないように馬を逃がしたり、殺したりといった真似をした可能性はある。
あるが、それでもまだ馬が残っている可能性も十分にあったのだ。
走って逃げるよりは、馬に乗って逃げた方がいい。
騎士達がそう考えるのは当然だった。
「くっ、おい、逃げるな! 待て!」
男は突然の騎士達の行動に一瞬唖然とするも、逃げる騎士達に向かって叫ぶ。
この状況で待てと言われて待つ者がいる筈もない。
男は何とか追おうとするも、今となっては足を締め付ける蔦は歩くことが無理なくらいに強烈になっており、追うことが出来ない。
「ぐ……くそっ、行け!」
それでもこのまま騎士を逃がす訳にはいかないと、かなり無理をして黒い円球を動かす。
万全の状態の時程ではないにしろ、黒い円球は結構な速度で騎士達を追うが……
「畜生がぁっ!」
結局騎士達は馬に到着し、そのまま後ろも見ずにひたすら走り出す。
そしてそれから数分もしないうちに、足を締め付けていた蔦はあっさりと外れるのだった。
「こんなところね」
イエロと共に木の枝に隠れているニールセンは、穢れの関係者の男が足から外れた蔦を何度も何度も、それこそ飽きることなく踏みつけているのを見てそう呟く。
本来ならもっと長時間足を締め付けてもよかったのだが、蔦を操っているのは騎士達であると思わせたいニールセンにしてみれば、それを操っていた騎士達がいなくなったのに、このまま締め付け続けるといった真似は怪しまれると判断したのだ。
「キュウ!」
騎士達全員が助かったのを見て、イエロは嬉しそうに鳴く。
元々はイエロが騎士達を助けて欲しいとニールセンに頼んだことによって、今のような状況になったのだ。
それだけに、イエロの希望が叶ったのだから、喜ぶなという方が無理だった。
「後は……あの男を追うわよ」
拠点を調べてみた結果、特に重要そうな何かを見つけることは出来なかった。
だからこそ、レイを連れてきて調べて貰う予定だったのだが、ドッティを狙った巨大な鳥のモンスターの一件から、ニールセンにとっては完全に予想外の方向に話が進んでいる。
それでも今のこの状況を考えると、ここで穢れの関係者の男を見つけることが出来たというのは決して悪い話ではない。
黒い円球を使いこなしていた以上、間違いなくあの男は穢れの関係者の一人なのだ。
そんな男が、これからどこに向かうか。
絶対にという訳ではないが、拠点が使い物にならなくなった以上、上司に報告する必要があるのは間違いなかった。
(実はあの男が穢れの関係者の中で一番偉い人だったりしたら……いえ、それはないわね。高い地位にある者がわざわざ拠点の様子を見に来たりといった真似はしないだろうし)
そう思うニールセンの予想は正しい。
正しいのだが、世の中には何にでも例外というものがある。
例えば、ニールセンも知っているダスカーだ。
ダスカーは本人が強いということもあり、戦いに参加すれば自分が前線に出て士気を高めつつ、部隊をきちんと運用したりもする。
そういう意味では、ニールセンの予想が絶対に当たるという訳ではないのだが……それでも、幸いにも今回の一件はそう間違っている訳でもなかった。
騎士達に逃げられた男は、苛立ち混じりに叫びながら地面を蹴りつけていたものの、それが一段落したところで小屋に入っていく。
そのまま数分が経過したところで男が小屋の中から姿を現す。
その手に何らかの箱を持って。
(やっぱりあったんだ)
あの箱に何が入っているのかは、ニールセンにも分からない。
小屋の中に入る前の男が何も持っていなかったことを思えば、あの箱が小屋の中にあったのは間違いない。
ニールセンは真剣に小屋の中を探したのだが、それでも見つけることの出来なかった何かが。
自分達が見つけることが出来なかった何かをあっさりと持ち出されたことに、ニールセンは不満を抱く。
最初からどこに隠されているのかを知っている男と、何も知らない状態で自力でその何かを見つけ出す必要がある自分では、難易度に違いがある。
そう思いはしても、面白くないのは間違いない。
だが……そこまでは面白くないですんだのだが、小屋から出て来た男が次にとった行動は、完全にニールセンの意表を突いていた。
不意に小屋を指さすと、次の瞬間には多数の黒い円球が小屋に突撃し、接触した部分を黒い塵に変えて吸収していく。
「あ……」
ニールセンの口から驚きの声が出るが、それが聞こえる筈もなく、男は数分で小屋を完全に消滅させるのだった。
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