3196話
穢れの関係者の拠点として使われていた小屋が、黒い円球によって破壊された。
……いや、残骸の類が何も残っていない以上、破壊というよりは消滅という表現の方が相応しいだろう。
それをやった男は、苛立たしげに小屋のあった場所を一瞥すると、その場から立ち去る。
「イエロ、行くわよ。後を追ってちょうだい」
「キュ!」
ニールセンの頼みにイエロは鳴きながら背中に乗りやすいように屈む。
イエロの背にニールセンが乗ると、すぐに飛び立つ。
ただし、相手は穢れの関係者の男だ。
見つかった場合どうなるか分からない。
ましてや、穢れの関係者は妖精の心臓を欲しているのだ。
何が何でも見つかる訳にはいかなかった。
イエロもドラゴンの子供である以上、その身体はお宝の山だ。
そのような状況である以上、イエロもニールセンも決して男に見つかる訳にはいかない。
その為にイエロは男の後ろ……ではなく、上空二十m程の位置を飛ぶ。
人はどうしても上が死角になりやすい。
その為、普通に後ろを移動するよりは、上の方が見つかりにくいのは間違いなかった。
(あ、ドッティ……けど、しょうがないわよね)
イエロに乗って男を追うニールセンだったが、ドッティを妖精郷に残してきたことを思い出す。
ただ、ドッティは知能は高いものの、ハーピーであるのは変わらない。
イエロやニールセンよりも圧倒的に大きいので、そんなドッティが空を飛んでいれば、男に見つかりやすくなってしまう。
男を追うのに、やはりドッティはいない方がいい。
少しだけ申し訳なく思いながらも、ニールセンはそう考える。
「キュウ?」
ニールセンの様子に気が付いたのか、イエロはどうしたの? と後ろを向く。
「何でもないわよ。とにかく今は、あの男を追うのに集中しましょう。本拠地の手掛かりになる何かを持ち出されて、しかも拠点の小屋も破壊されてしまったのを考えると、ここで逃がす訳にはいかないわ」
もしここであの男を逃がすようなことになれば、手掛かりはなくなってしまう。
そうなると、また何らかの手段で手掛かりを入手出来るまで、延々とトレントの森で穢れを倒し続ける日々が続く。
ましてや、今はもう冬だ。
いつ雪が降ってもおかしくはない以上、そうなっても穢れに襲撃され続けるというのはニールセンも絶対に遠慮したい。
だからこそ、絶対にここで男を見失うといった真似はしたくなかった。
……穢れというのは、最悪の場合大陸を滅ぼすだけの力を持っている存在なのだが、ニールセンにとっては雪が降っている寒い中で戦いたくないからという理由が大きいらしい。
もっとも、レイがそれを聞いても妖精だからという理由で特に異論はなかったが。
妖精だからという理由以外にも、トレントの森で穢れと戦うのはニールセンとレイ、セトだからというのも大きな理由だろうが。
「でも、ここから本拠地まで、延々と歩くのかしら? そうするとかなり時間が掛かりそうだけど」
森の中を抜けた男は、黒い円球を消す。
見ているだけで本能的な嫌悪感を抱く黒い円球が消えたのは、ニールセンやイエロにとって悪い話ではなかった。
ただ、黒い円球が消えたのは分かるものの、それが具体的にどうやって消えたのかと言われると、ニールセンにも分からなかったが。
「あ、なるほど。やっぱり馬がいたのね。……イエロ、いい? 振り切られないようにしてよ?」
「キュウ!」
ニールセンの言葉に、任せてと鳴き声を上げるイエロ。
空を飛ぶ者として……そして何よりドラゴンとして、地を走る馬に置き去りにされるというのは絶対に避けたかったのだろう。
「頑張ってね。とにかく、あの男がどこに行くのかはしっかりと確認しないといけないし。もし見失ったら、長からお仕置きをされるのは間違いないし。それは絶対に避けたいから」
この場合の長というのは、降り注ぐ春風ではなく、数多の見えない腕のことだ。
何度もお仕置きをされてきただけに、このような重要なチャンスを見逃すような真似をしたら、一体どんなお仕置きをされるのか……と、戦々恐々としていた。
ニールセンを乗せているイエロも、これを失敗したら不味いというのは理解出来たのか、真剣な表情で飛ぶ。
まさか上空でイエロとニールセンがそんな決死の覚悟を決めているとは思いも寄らない男は、木に縛りつけていた馬に乗る。
なお、当然ながら男と騎士達が入ってきた場所は違うので、男が森に入る時は騎士達の馬を見つけるような真似は出来なかった。
代わりに騎士達が逃げる時も、男の馬を見つけることは出来なかったのだが。
もしここで騎士達が逃げる前に男の馬を発見していれば、逃がすなり殺すなりして、男の足を奪っただろう。
そうなれば、追ってくる男から少しでも安心して逃げることが出来るのだから。
「ああ、なるほど。黒い円球を消したのは、馬に乗るからというのもあるのね」
ニールセンやイエロもそうだが、穢れというのは基本的に見た者に本能的な嫌悪感を抱かせる。
馬もまた生き物である以上、黒い円球を見れば同じように嫌悪感を抱くだろう。
そうなると、男も馬に乗って移動するといった真似は出来ない。
だからこそ、馬に乗る前に黒い円球を消したのだろうと予想したのだ。
「移動を始めたわね。……イエロ、お願い」
「キュウ!」
ニールセンの言葉に、イエロは鳴き声を発してから馬を追う。
ニールセンにとって幸運なことに、男の乗馬技術はそこまで上手くはない。
あるいは穢れの関係者の男ということで、黒い円球を連れていなくても馬に思うところがあるのかもしれない。
また、馬もそこまで上等な馬ではない。
エレーナの馬車を牽く馬は、それこそ戦場であっても全く動揺したりすることはない。
だが、これはエレーナの馬が厳しく訓練された馬だからだ。
何も訓練をしていない馬は非常に臆病で、訓練をしないままでは戦場の中で戦うということは難しい。
ニールセンやイエロには分からなかったが、男の乗っている馬も決して厳しく訓練をされている馬ではない。
「一体どこまで行くのかしらね。どこか途中で休んだりしてくれると、こっちも助かるんだけど」
男は自分がこれからどこに向かうのかを知っている。
だが、その男を追うニールセンやイエロは、男がどこに行くのかが分からない。
分からないだけに、いつまで走ることになるのかと不安に思うのも事実。
そのまま数時間程の間、走り続ける馬をイエロとニールセンは追い掛ける。
(もうかなり移動してるけど、あの男はどこからあの小屋の件を知ったのかしら? もう夕方近いんだし、そろそろどこかに到着してもいい頃だと思うんだけど)
冬ということもあり、既に薄暗くなってきている。
そうである以上、男もこのまま走り続けるといった真似はしないだろうというのがニールセンの予想だった。
辺境ではないので、夜になっても高ランクモンスターが突然姿を現すといったことは基本的にはない。
……ドッティを追い回した巨大な鳥のモンスターのように、空を飛ぶことが出来るのなら辺境から出てこっちまでやって来る可能性は十分にあったが。
もっとも、辺境ではない場所で夜となると、寧ろモンスターよりも盗賊の心配をした方がいい。
ギルム周辺では、それこそモンスターが非常に強力で数も多いので、盗賊はいない。
幸運に幸運を重ねて規模が大きくなった盗賊団が、何を勘違いしたか辺境で活動しようとやってくることもあるが、そのような盗賊団はそれこそ冒険者に狩られるか、モンスターに喰い殺されるか、幸運がまだ残っていれば命からがら逃げ出すといった結末を迎えることになる。
だが、そのような心配のない普通の場所では、盗賊こそが最大の脅威となる。
(まぁ、盗賊が出ても、あの男なら問題ないだろうけど)
黒い円球を自由に扱える以上、それこそ盗賊団に襲われても返り討ちに出来るのは間違いない。
だからこそ、夜になっても休憩しないで走り続けるといった真似をしてもおかしくはなかった
男を追っているニールセンやイエロにしてみれば、そろそろ休憩させろと言いたくなるくらいに、男は走り続ける。
既に太陽も完全に沈み、あるのは星明かりと月明かりだけ。
それでもニールセンとイエロは双方共に夜目が利くので、街道を走る男を逃がすようなことはない。
「あー、もう。本当にいつまで走り続けるつもりなのよ。いい加減、休みなさいよね」
小声で叫ぶといった器用な真似をするニールセン。
その腹は空腹で何度も音がしている。
イエロもまた、自分が飛ぶだけならともかく、ニールセンを背中に乗せて飛び続けているのでいつもより疲れていた。
そうした不満を抱きつつもイエロとニールセンは飛び続け……やがて男は街道から逸れる。
「っ!?」
もしかしてここか?
そう期待したニールセンだったが、その期待は十分もしないうちに消えてしまう。
もっとも、穢れの関係者の本拠地に到着したのではなく、男が向かったのは川。
そこで馬から下りたのを見ると、ニールセンも何の為に男が街道から逸れたのかを理解する。
(休憩する為ね。……結構な長時間走り続けていたし、それも当然かもしれないけど。とにかく私達も休めるから、そういう意味では助かったわね。もっとも、冬の夜の川とか、寒くて疲れは取れないような気がするわね)
これが春や夏であればまだしも、既に冬だ。
まだ雪は降っていないが、それでもいつ降ってきてもおかしくはないような、そんな寒さ。
そんな中、川で休憩をするような真似をすれば、それこそ凍えて死ぬのではないか。
ニールセンが男の心配をすることはないのだが、ここで男に死なれると穢れの関係者の拠点や本拠地についての情報が何も得られなくなる。
ここまで苦労したのに、そのようなことになるのは絶対にごめんだった。
ニールセンはイエロと共に男から十分に離れた場所に生えている木の枝に着地する。
ただし、その木は常緑樹の類ではないので、木の葉は既に殆ど残っていない。
そのような木だけに、先程の妖精郷がある森の時と比べると隠れているのが見つかる可能性は十分にあった。
(夜の川の近くの木。しかも葉っぱもない。……これ、どう考えても寒い奴でしょ? いっそ木の中に入る?)
かなり寒いのは間違いないが、ニールセンは妖精だ。
木の幹の中に入ってしまえば、寒さは感じず快適となる。
しかし、当然ながら木の幹の中に入ってしまえば、外の状況は分からない。
穢れの関係者の男が休憩を終えてどこかに行くといったような真似をしても、気がつけないのだ。
だからこそニールセンは木の幹の中に入るのを我慢する。
幸いにも、イエロに触っていればそれなりに暖かく、凍えるようなことはない。
(レイのドラゴンローブの中とか、凄く便利だったのよね。今ここでそういうことを考えても意味はないんだけど)
イエロにくっついて寒さに耐えながら、ニールセンは男の様子を窺う。
馬に川の水を飲ませている男。
冷たい水で腹痛にならないのか?
ふとそんな疑問を抱くニールセンだったが、男は特に気にした様子がない。
馬もまた、全速力という訳ではないにしろ、走り続けていたのだ。
その疲れからか、必死になって川の水を飲んでいた。
「あ」
馬の側にいた男が、箱を……小屋から持ち出した箱を手にしたのを見て、ニールセンの口から小さな声が上がる。
あの箱が何なのか、ニールセンには分からない。
分からないものの、ニールセンやイエロが調べても特に手掛かりらしい手掛かりがなかった小屋の中に隠されてあった箱だ。
何か重要な意味を持つ物なのは間違いなかった。
「あれ、奪えないかしら」
「キュ?」
ニールセンの言葉を聞いたイエロは、本気? と喉を鳴らす。
「だって、間違いなく穢れについての何か重要な物よ。出来れば欲しいじゃない」
自分が見つけられなかった物だけに、妖精特有の好奇心が疼いているという一面もあるのだろう。
「キュウ、キュウ……キュ」
そんなニールセンを、イエロは何とか止めようとする。
イエロもあの箱に興味がないとは言わない。
ニールセンと同じく、自分達では見つけられなかった何かなのだから。
しかし、それでもここは箱よりも男がどこに行くのかを重要視した方がいいのではないか。
まだ子供のイエロであっても、そのくらいの判断は出来るのだ。
必死になってニールセンを止めるイエロ。
勿論純粋な力では、子供とはいえドラゴンのイエロだ。
妖精のニールセンよりも力が強く、その力を使えば強引にニールセンを止めることも出来るだろう。
だが、イエロとしてはそのような真似はしたくなく……キュウキュウと鳴きながら説得して、それによって何とかニールセンを止めることに成功するのだった。
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