3175話

 レイが炎獄に近付くと、そこには多くの研究者達が集まっていた。

 野営地で寝泊まりをしているオイゲンやその仲間達だけではなく、ギルムから毎日ここまで通ってくるゴーシュやその仲間達もいる。

 また、研究者以外にも助手や護衛もいるので、かなり密集した状態になっていた。


(護衛がいるのは、万が一何かがあった時に対処する為とか、そんな感じか?)


 普通なら炎獄がある以上、護衛は必要ない。

 最初に炎獄を作った湖の時のように、野営地の外でならいつモンスターに襲撃されるのかも分からない以上、護衛が必要だったが。

 だというのに、野営地の中なのに護衛がこれだけいるのは……やはり炎獄の中にいる穢れが、まだ生き残っているという特殊性からだろう。

 今までは穢れが炎獄から出ることは出来なかった。

 プログラムされているかのように、諦めるといったようなこともなく、延々と炎獄に突撃をするといったような真似をしていたが、それでも炎獄をどうにかすることは出来なかったのだ。

 だが、捕らえてから既に数日が経過するというのに、未だに穢れは生き残っている。

 今までの穢れに、こんなに長期間――それでも数日だが――生き残っている存在はいなかった。

 そんな今までにない状況である以上、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、炎獄の中に存在する穢れは炎獄をどうにかして壊したり、あるいは壊さなくても何らかの手段で脱出するといったようなことをしてもおかしくはないと、そう思っての護衛なのだろう。


「レイ?」


 護衛の一人が、自分達のいる方に向かって近付いてくるレイに気が付く。

 レイにとって幸いだったのは、その護衛はレイに好意的な相手だったということだろう。

 研究者の護衛の中には、レイに敵対的な感情を抱いている者もいる。

 もしそのような相手が最初にレイを見つければ、即座に絡んできてもおかしくはないだろう。

 そうなれば、間違いなく面倒なことになっていた筈だ。


「ちょっと様子を見に来たんだが……まさか、まだ穢れが生きてるとは思わなかったよ。オイゲンやゴーシュに話があるんだが、通してくれ」

「ああ、通ってくれ」


 そう言うと、道を空ける。

 その護衛が道を空けると、周囲で様子を見ていた他の護衛達も素直に道を空ける。

 空けられた場所を通り、炎獄の側に近づく。


「オイゲン、ゴーシュ」

「……レイか。これをどう思う?」

「レイに聞くのか?」


 オイゲンの言葉にゴーシュが疑問の視線を向ける。

 だが、オイゲンはそんなゴーシュの言葉に素直に頷く。


「そうだ。今のところ結局穢れと一番接触しているのはレイだ。なら、レイがこの穢れについて何か意見があってもおかしくはない」

「ぬぅ」


 ゴーシュはオイゲンの言葉に反論出来ない。

 実際、オイゲンの言葉は正しいのだ。

 レイ以上に穢れと接している者は、今のところいない。

 それはつまり、穢れを見てどこかおかしいということをレイが気が付きやすいということを意味していた。

 ……少なくても、オイゲンやゴーシュはそう思っているのは間違いなかった。

 だが、そんな期待の視線を向けられたレイは困る。


(いや、そんな風に期待されても困るんだが。倒すのならまだしも、観察とかそういうのは向いていないし)


 とはいえ、それでも自分が見ないことには始まらないと判断したレイは炎獄に視線を向ける。


「サイコロの方が生き残ったのか」


 意外といった様子で言う。

 レイの認識では、円球の方がサイコロよりも新しい……言ってみれば、進化した種族という認識だったのだ。

 あるいはプログラム的な動きをしていることから、新型と表現するのが正しいのかもしれないが。

 とにかく旧式のサイコロと新型の円球が混ざっていた中で、何故旧式が生き残ったのかは、レイにとっても疑問だ。


「より新しい円球の方が生き残るのは分かるけど……あるいは円球の方が新しいというのは、あくまでも俺の認識で実際は違うのかもしれないな」

「そうなのか?」


 レイが自然と口に出していた言葉に、オイゲンがそう尋ねる。

 オイゲンの問いにレイは自分が言葉に出していたことを知るが、その問いに対しては首を横に振るだけだ。


「いや、正確には分からない。ただ、短時間……それこそ数日とかで進化して新しい種族になったりするのはおかしくないか? それに円球が出て来てからもサイコロとかは普通に姿を現しているし」

「……なるほど。モンスターが進化をするのは知られているが、短時間でとなると疑問を覚えるのは間違いない」


 例えばゴブリンアーチャーという、弓を使うゴブリンがいる。

 このゴブリンアーチャーは、生まれた時から既にゴブリンアーチャーという種族ということもあるし、またゴブリンが経験を積んだり魔力の集まる場所で魔力を蓄えたり、あるいはもっと他にも様々な理由によってゴブリンアーチャーとなることもある。

 だが、それでも数日でというのは、オイゲンやゴーシュのような研究者にとっても、とても信じられなかった。


「ちなみに、言うまでもないけど穢れは魔石もないから、正式にはモンスターじゃないぞ」


 そんなレイの言葉を聞いたオイゲンやゴーシュ、それに他の研究者達も、それについては特に気にした様子がない。

 魔石がないから正式にはモンスターではないというのは、既に知っていたのだろう。

 それについては、わざわざレイが言わなくても分かっているといった様子だ。


「それくらいは分かっている。だが、取りあえずモンスターと便宜上は呼んでおいた方がいいだろう?」

「湖のモンスターにも魔石はないしな」


 オイゲンの言葉に続けるようにゴーシュが言うが、レイはそれに対して呆れの視線を向ける。


「湖のモンスターは、異世界から転移してきた存在だろう。それに対して、穢れはこの世界の存在だ」

「それくらいは分かっている。ただの冗談だよ。それよりも、レイ。穢れを見てもっと何かこう……ないのか?」


 ゴーシュにしてみれば、自分の冗談に笑ったりせず、呆れの視線を向けてきたレイに不満そうな様子を見せながらも、穢れについての意見を求める。

 結局のところ、レイが一番穢れと接触した時間が長いというのは間違いない。

 炎獄で捕らえられた後でなら話は別だが。

 そんなレイから、何か意見を欲するのは研究者としておかしくはなかった。


「そう言われてもな。……サイコロはサイコロで、特に何か変化があるようには思えないな。そもそも、このサイコロはどうやって生き残ったんだ? 他の穢れを吸収するとかしたのか?」


 穢れが一匹だけ生き残るということで、真っ先にレイが思い浮かぶのは、やはりそれだった。

 行動をしている以上、どこかからエネルギーを……具体的には食べ物とかを摂取する必要がある。

 だが、炎獄の中にいる以上、それをどうやって入手するのか。

 やはり一番簡単なのは、仲間の穢れからだろう。

 そもそも、穢れに仲間意識の類があるのかどうかも微妙なところだったが。

 だが、そんなレイの問いにオイゲンとゴーシュは揃って首を横に振る。


「私達も最初はそれを不思議に思った。だが、知っての通り現在穢れが生き残っているのはこの炎獄だけである以上、それはしっかりと見張っていた。それこそ、一日中交代しながらな。しかし、それでも仲間の穢れを吸収している様子は一切なかった」

「それは、本当なのか?」


 オイゲンの言葉は、レイにとってもかなり意外なものだった。

 仲間をエネルギーとして……一種の共食いとでも呼ぶべき状況だからこそ、サイコロは一匹だけ生き残ったと思っていたのだが、そんなレイの予想が外されたのだ。

 もっとも、レイが思いつくような内容だ。

 研究者であれば当然のように思いついているだろうし、そういう意味ではレイの考えくらいは予想していた筈だろう。


「私達も、レイの言う可能性については当然考えていた。だからこそ、それを前提として観察していたのだ。そうである以上、生き残ったサイコロが味方を食べるといった真似をした場合、それを見逃すと思うかね?」


 オイゲンのその説明には、レイも納得するしかない。

 研究者達が一日中、それこそ片時も目を離すようなことがないままに炎獄の中にいる穢れを見張っているのだ。

 そうである以上、その穢れが共食いをしていたりすれば、それを見逃すといったことはまずないだろう。

 一人か二人なら、眠さに負けて思わず眠ってしまっている間に……といったことがあってもおかしくはないが、炎獄の中にいた穢れはレイが覚えている限りでも結構な数だった。

 であれば、共食いをしている時に限って研究者が眠っているといったようなことは、まず考えなくてもいいだろう。


「だとすれば、考えられる可能性としては……そうだな、元々行動する為の力を他の奴よりも多く持っていたとか?」


 共食いで他の穢れを吸収した訳ではないと聞き、次にレイが思い浮かべたのがそれだった。

 個体によって行動する為の力……所有しているエネルギーが違うという可能性は十分にあった。

 現在まだ生き残っている穢れは、偶然その所有しているエネルギーが他の個体よりも多かったから、まだ今も生き延びている。

 そう言うレイに、オイゲンとゴーシュはそれぞれ頷く。


「私達もその可能性は考えた。だが、そうなると……研究をする上で少し面倒なことになるのも事実」


 苦々しげなゴーシュの表情を見れば、レイの思いつきを歓迎していないのは間違いない。


(まぁ、その気持ちも分かるけど。俺の認識だと穢れというのはロボット的な存在だし。だとすれば、所有しているエネルギーも画一的でもおかしくない)


 とはいえ、それはあくまでもレイの認識であって、この世界でロボットと言っても通じない。

 ……ゴーレムのようなと表現すれば分かりやすいかもしれないが。


「ともあれ、まだ一匹だけだが穢れが生き残っている以上、この炎獄を消すのは止めた方がいいか」


 一応の確認を込めて尋ねるレイに、それを聞いていたオイゲンやゴーシュ……いや、それ以外の研究者や、はたまた助手も含めて多くの者がレイの言葉に当然といったように頷く。


(見ているだけで嫌悪感があるんだが……この連中は、そういうのをどうやって克服してるんだ?)


 今まで何度も穢れを見てきたレイだったが、そんなレイであっても穢れを見た時の本能的な嫌悪感というのは克服することは出来ない。

 もっとも、それは嫌悪感は抱くものの、それ以外は特に何も悪影響はないということを意味してもいたのだが。


(研究熱心だからこそ、嫌悪感はその……いわゆる熱心な思いで無理矢理克服してるとか、そんな感じなのか?)


 一つのことに熱中した場合、研究者はそれ以外のことを無視出来てもおかしくはない。

 あるいは、穢れに対する本能的な嫌悪感に慣れるという可能性も十分にあった。


「当然だ。これを解除するのなら、私はどのような手を使っても阻止するだろう」


 オイゲンがそう言い切る。

 穢れを研究する者として、レイが炎獄を解除するというのはとてもではないが許容出来る筈もなかった。

 レイもそんなオイゲンやゴーシュの様子に反対をするつもりはない。

 レイが野営地にやって来たのは、もし炎獄が邪魔になっていた場合、それを解除した方がいいと判断したからだ。

 まだ穢れが生きている以上、レイとしても無理に炎獄を解除しようとは思わない。


「分かった。じゃあ、俺は妖精郷に戻るから、穢れの研究を頑張ってくれ。……ああ、ちなみに、本当にちなみにだが、今のところ穢れの件で何か分かったことがあるか?」

「新しい発見の類はないな。色々と予想はしているものの、それはあくまでも仮定だ。あるいは仮定に仮定を重ねたようなものでしかない」


 そのような状況である以上、まだそれを口にすることは出来ない。

 そう続けるオイゲンに、レイはそういうものかと納得する。

 出来ればもう少し聞きたいとは思うものの、だからといって無理に聞きだそうとまでは思わない。

 もしそのような真似をしようとしても、オイゲンが決して自分に話すとは思っていなかったからだ。

 もし無理矢理聞き出そうとしようものなら、それこそオイゲン達との関係は悪くなってしまうだろう。

 レイとしては、そのようなことは決して望んでいない。

 勿論、オイゲン達がその立場を利用して横暴な振る舞いをしているのなら話は別だが、現在のところそのようなことはなかった。

 ……護衛の中には、そんな真似をしようとする者もいるのだが。


「じゃあ。俺はこの辺で戻るよ。また明日……かどうかは分からないけど、時間が出来たら様子を見に来るから」


 数日の間、炎獄の中で生き延びている穢れ。

 それがこの先、どれくらいの間、生き残るかというのはレイにも分からない。

 分からないが、それでもこの穢れが研究の役に立てばいいと思いながら、レイはセトと共に妖精郷に戻るのだった。

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