3174話

「うーん、さすがにこうも何日も敵の襲撃がないと、少し不安になってくるな」


 妖精郷の周囲に、ダスカーからの使者……というか、ブロカーズ達を連れてくる時に下調べで場所を把握しておくように兵士と冒険者が来てから、既に数日が経過している。

 レイにとっては完全に予想外なことに、野営地の夜襲とブロカーズの乗っていた馬車の襲撃があってから、今まで全く穢れの襲撃がなかったのだ。

 以前は毎日のように戦いがあったことを考えると、今の状況は明らかにおかしい。

 一日くらいなら、穢れの関係者にも何らかの理由があって穢れを転移させることが出来ないのだろうとも思う。

 しかし、こうして何日も続けて穢れの襲撃がないのは、向こうが何かおかしな行動を企んでいる証拠ではないのかとすら思ってしまう。


(ニールセン達が何かしたのか?)


 そんな中で、最初に思いつくのはやはりそれだった。

 時間的にはまだ妖精郷に到着していないと思うのだが、それでも今の状況を考えればそれが一番可能性がありそうなのは間違いない。


「グルルゥ」


 レイの様子を見ていたセトは、狼の子供達と一緒にモンスターの肉を食べながら、顔を上げる。

 セトや狼の子供達が食べているのは生肉で、セトは基本的にきちんと調理された肉の方がすきなのだが、それでも新鮮なオークの肉は十分に美味かった。

 狼の子供達も、与えられたオークの肉を美味そうに食べている。

 この肉は、当然ながらレイがドワイトナイフを使って解体したモンスターの素材として出て来た肉だ。

 この数日、特に何かやるべきこともなかったレイは、暇潰しも兼ねてモンスターの解体を行っていた。

 レイがドワイトナイフの深緑の切っ先を突き刺せば、それだけで素材となるのだ。

 ……ただし、何気にこれには欠点もある。

 素材や魔石、肉以外の部位は消滅するということは、それはつまりギルドに提出すれば買い取ってくれる討伐証明部位もまた、消滅するのだ。

 勿論、素材が討伐証明部位となっているのなら話は別だが……生憎と、そのようなモンスターはそこまで多くはない。

 つまり、ドワイトナイフを使った場合は討伐証明部位を換金が出来ないということを意味していた。

 もっとも、レイの場合は素材や魔石を売ったりするだけで十分な金になる。

 魔獣術に魔石が必要なものの、基本的には一種類の魔石が魔獣術として使えるのは一度だけだ。

 ダンジョンの核のように特殊な場合もあるが。

 つまり、レイが必要とする魔石はあくまでも一種類につき二個だけで、それ以外の魔石は普通に売ることが出来ていた。

 そのような状況だけに、討伐証明部位がない程度で困るといったことはなかった。


(とはいえ、ドラゴンとかそういう高ランクモンスターの場合は、討伐証明部位がない場合、妙な勘ぐりをされたりしそうなんだよな)


 ドラゴンは基本的に捨てる場所がないと言われている。

 討伐証明部位の類も、基本的には素材となるだろう。

 だが、全てのドラゴンがそのような訳ではないし、高ランクモンスターの中には違う種類もいるだろう。

 そうなると、ギルドに素材を売りに行った時、面倒なことになる可能性は否定出来なかった。


「高ランクモンスターの場合、ドワイトナイフを使わない方がいいのかもしれないな」


 絶対にそうしないといけない訳ではないものの、面倒なことになるのならそうした方がいいだろうというのがレイの考えだった。


「うん、やっぱり暇だな。……ダスカー様達がブロカーズと一緒に来るってのは、いつになるんだろうな」

「グルルルゥ? グルゥ」


 レイの独り言に、セトが分からないと喉を鳴らす。

 レイにも……いや、長ですらまだ分からないことなのだから、今の状況でいつダスカー達がやって来るのか、分かっている方がおかしいだろう。


「野営地の方も……今頃、オイゲンやゴーシュ達はやることがなくて怒ってるだろうな」


 穢れの研究をするように言われたのに、その穢れが死んでしまっては意味がない。

 野営地の襲撃の時にレイが炎獄で閉じ込めた穢れも、数日が経った今となっては死んでいる筈だった。

 ……レイにとっては、死ぬというよりもエネルギー不足で消滅するといった認識なのだが。

 ともあれ、穢れがもう死んでいるのは間違いない。

 そして野営地の夜襲から穢れが現れることがなくなっている以上、研究者達にしてみれば研究するべき相手がおらず、不満が溜まっているだろう。


「炎獄も解除しないといけないだろうしな」


 炎獄の中にいる穢れが死んでも、レイによって生み出された炎獄はまだ残ったままだ。

 結構な数の穢れを捕らえたので、当然ながら炎獄もそれに比例するように大きくなる、

 つまり、穢れもいなくなった……邪魔にしかならない炎獄が、現在野営地の中にあるということだ。

 研究者はともかく、野営地で生活している冒険者達にしてみれば、炎獄は邪魔でしかないだろう。


「そうだな。暇だし、炎獄を消去しにいってくるか。……炎獄を消去してすぐに戻ってくるのなら、長もそこまで問題視しないと思うし」


 ニールセンがおらず、他の妖精ではテレパシーによって離れた場所で長との会話は出来ない。

 そうである以上、もし何か緊急の要件があった場合、妖精郷にレイがいないというのはかなり問題になるのだが……それでも、すぐに戻ってくるのなら構わないだろうと考える。


「セト、長に会いに行くぞ」

「グルゥ?」


 丁度オークの生肉を食べ終えたセトは、何で? と喉を鳴らす。

 そんなセトの横では、まだ狼の子供達が必死になってオークの生肉を食べているが、その様子は愛らしさの方が大きい。

 とはいえ、こうして生肉を食べるのも狼の子供達にとっては一種の訓練であるのかもしれないが。


「野営地にある炎獄がまだそのままだっただろう? あれをそのままにしておくと邪魔だろうし、今のうちに何とかしてこようと思う。セトも行くだろ?」

「グルルゥ!」


 レイの言葉に、勿論! と喉を鳴らすセト。

 ……もっとも、レイにしてもセトが一緒でなければ地上を移動することになる。

 トレントの森の中を移動するのはそこまで苦ではないが、どうしても空を飛ぶ時に比べると遅くなってしまう。

 そうなると妖精郷を空ける時間も長くなってしまう以上、レイとしてはもしセトが行かないと言えば、野営地に行くのを一旦止めていただろう。

 それだけレイが地上を移動するのとセトが空を飛んで移動するのとでは大きな違いがあるのだ。

 いや、純粋に地上を移動するにしてもレイが走って移動するのとセトが走って移動するのとでは、そちらでもセトの方が速いのだが。

 とにかく移動ではセトに頼り切りのレイだけに、ここでセトがやる気になってくれたのは助かった。


「じゃあ、行くぞ。……お前達もまたな」


 狼の子供達にそう声を掛け、レイはセトと共に長のいる場所に向かう。

 狼の子供達は走り去るセトも気になる様子だったが、今は食べているオークの肉の方に意識を集中しており、結果として肉を食べ続けていた。

 肉を全て食べ終わってセトがいないことを残念に思うかもしれなかったが、今はとにかく肉に夢中になっているのだった。






「レイ殿、どうされました?」


 妖精郷の奥にある、長のいる場所。

 ここに来るまでにも何度か妖精達に食べ物が欲しいとか、一緒に遊ぼうとか、色々とちょっかいを出されたものの、それをやりすごしてレイは目的の場所に到着した。

 するとそんなレイの姿を見た長は、不思議そうに……そしてレイが訪ねてきてくれて嬉しいという思いを表情に出さないようにしながら尋ねる。


「忙しいところわるいけど、ちょっといいか?」

「はい、構いません。今のところ、穢れが現れる様子もないので」

「ここ何日かは、全く穢れが出てくる様子もないしな。……それで俺が来た用件だけど、実は前に野営地が夜襲された時、穢れを捕らえた炎獄がそのままになってるのを思い出してな。今までの経験からすると、恐らくもう穢れは死んでいると思うけど、そうなると炎獄が野営地で邪魔になってるんじゃないかと思って。それを消してきたい」

「ああ、そう言えばそういうのもありましたね」


 レイの言葉に、長も炎獄について思い出した様子で言う。

 長にとって、穢れを捕らえた炎獄については色々と思うところはあるのだろうが、その穢れが死んでしまえば、炎獄についてそこまで気にする必要はなかったのだろう。


「ああ、そういうのがあるんだよ。炎獄は観察をするという意味では悪くないけど、それが野営地の中に、しかもかなりの大きさで置かれていれば、邪魔でしかないだろうし。幸い、ここ数日は穢れが現れたりしてないし、少し出て炎獄を消してくるのは問題ないだろ?」

「それは……そうですね。今の状況が具体的にいつまで続くのかは分かりませんが」

「ちなみに、今のこの現象……実はニールセンとかが何かやらかした可能性もあるんじゃないかと思うんだが、その辺はどう思う?」

「ニールセンがですか? 可能性はありますけど、ただ時間的にはまだ妖精郷に到着していないのでは?」

「普通に考えればそうなんだろうけど、ニールセンだぞ?」


 そうレイが言うと、長も反論出来なくなってしまう。

 ニールセンのことなので、それこそどのような真似をしても不思議ではない。

 長も……いや、ニールセンのことをよく知っている長だからこそ、そのように思ってしまうのだろう。


「だとすれば、レイ殿はこの状況がまだ続くと思いますか?」

「ニールセンが何かをやったのなら、ニールセンが……というか、イエロが戻ってくれば、何かあったのかはっきりするんだろうけど」


 エレーナの使い魔のイエロは、自分が見た光景を主人のエレーナに見せるという能力がある。

 接触していないと見ることが出来ないので、リアルタイムで現在イエロ達がどのような状況になっているのかは分からないものの、それでも戻ってくればそれを知ることは出来る筈だった。

 ……問題なのは、イエロがいつ戻ってくるのか分からないということだろうが。


「一体何をすればこうなるのか、正直気になりますね」

「帰ってくるまで待つしかないな。……じゃあ、俺は野営地に行ってくる」

「分かりました。ただ、いつまた穢れが転移してくるか分からないので、出来るだけ早く戻って下さい」

「ああ、出来るだけ早く戻ってくるよ」


 そう言い、レイはセトと共にその場から立ち去る。


「あら、でも……この穢れは……いえ、レイ殿が行くのなら、自分の目で確認して貰った方がいいでしょう」


 立ち去ったレイとセトに何も言えなかったことを少しだけ残念に思う長だった。






「レイ!? おい、レイじゃないか!」


 野営地にやって来たレイを見て、興奮した様子でそう叫ぶ男がいた。

 その男は、レイにとっても見覚えのあるフラット。

 この野営地を纏めている男だ。


「久しぶりだな、フラット」

「いや、久しぶりじゃねえだろ。何日も来ないで、一体どうなったのかと思ったんだが」

「穢れが出ていない以上、迂闊に妖精郷を出る訳にもいかないんだよ。もし俺が野営地に来ている時に穢れがトレントの森に現れたらどうなるか、考えるまでもなく明らかだろう?」

「それは……まぁ、そうだけど。なら、何で今日はここに来たんだ?」

「炎獄を消そうと思って……ん?」


 フラットと会話をしながら、消す炎獄に視線を向けるレイ。

 だが、炎獄の周囲は結構な人が集まっているのを見て、不思議そうな様子を見せる。


「何であんなに炎獄の周囲に人が集まってるんだ?」


 レイのその言葉に、フラットは微妙な……それこそ、何と言えばいいのか困った様子で口を開く。


「その件もあって、出来ればレイにはもっと早く来て欲しかったんだよ。……実は、炎獄の中にいる穢れだが、まだ生き残ってる奴がいる」

「……はぁ?」


 フラットの言葉に、レイの口からはそんな間の抜けた声が出る。

 実際フラットの言葉はレイにとっても完全に予想外のものだったのだ。

 戸惑いつつ、レイは改めて炎獄の方に視線を向ける。


「冗談でも何でもなくか?」

「そうだ。勿論、炎獄に捕らえられた穢れの全てが生き残ってる訳じゃない。一匹だけだが、間違いなく生き残っている」


 フラットにそう言われ、レイは自分の中の動揺を抑える為に近くにいたセトを撫でる。

 不思議なことに……ある意味で当然なのかもしれないが、セトを撫でることによって混乱したレイの心は大分落ち着いてきた。


「何で生き残ったんだ?」

「それを俺に聞かれても困る。オイゲン達もそれを知りたくて、ああして炎獄の周囲に集まってるだろうし。詳しいことは、俺じゃなくてオイゲン達に聞いてくれ。向こうが本職なんだから、俺よりも詳しく説明してくれるだろ」


 その言葉にはレイも納得し、セトに周囲で遊んでくるように言ってから炎獄に向かって歩き出すのだった。

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