3145話

 結局ニールセンはレイのドラゴンローブの中に入ることになった。

 執務室には色々と見せられない物がある以上、ダスカーとしてはどうしても執務室に残す訳にはいかなかったのだろう。

 そうしてレイとダスカーは執務室から出て、庭に向かう。

 途中で何人かのメイドや執事、あるいは役人や騎士といった面々に遭遇したが、ダスカーに向かって何かを言うような者はいなかった。

 レイとしては、てっきり仕事を中断してる件でダスカーが何か言われるのでは? と思っていたのだが……それは完全に杞憂だった。

 実際にはこうしてダスカーが仕事を中断していることに、領主の館の面々は感謝すらしていたのだが。

 ダスカーはその性格は豪快だが、生真面目な一面もある。

 春から今まで、それこそ休日らしい休日もなく仕事を続けてきたのだ。

 勿論十分に睡眠時間を取るようにして、食事にも気を付けていたし、ある程度の運動はしていた。

 だが、それ以外の殆どが仕事だったことを考えれば、領主の館で働いている者達がダスカーを心配するのは無理もない。

 あるいはダスカーが下から慕われないような性格をしていれば、そんなダスカーの様子にそこまで気をつけるといったことはなかっただろう。

 だが、ダスカーは下の者に強く慕われている。

 悪い意味で貴族らしい貴族とは違い、仕事をしっかりと行い、意味もなく他人を責めるといったような真似をしない。横暴に振る舞うようなこともなく、真面目に仕事をこなす。

 そのような人物が、下に慕われない訳がない。

 だからこそ、ダスカーがこうしてレイと一緒に仕事を中断するのを、喜びはしても咎める者はいない。


「それで、どこに行くんです? 俺達が降りてきた庭ですか?」

「いや、もっと別の場所だ。騎士団の訓練場がいい。モンスターの解体によって汚れても、処理するのは難しくはないし、何よりドワイトナイフをレイ以外の者が使った時にどのくらいの効果があるか試してみる必要もある」


 当然そのようなことになれば、レイ以外の者がドワイトナイフを使う際に対象となるモンスターも必要となるのだが、レイのミスティリングに入っているモンスターの量を考えれば全く問題はない。


「分かりました。じゃあ訓練場に行きましょう。そうなると、問題なのはどんなモンスターを解体するかですね」

「初めて使う以上、失敗した時や妙な風にドワイトナイフが発動した時のことを考えると、ここはやはりそこまで高ランクのモンスターに使わない方がいいか」

「なら、ゴブリンとかどうです? 正直、いつミスティリングに収納したのか、ちょっと覚えてないんですが」


 脳裏に浮かんだミスティリングのリストにあるゴブリン。

 具体的にいつ入手したのか、本当にレイは覚えていなかった。

 そもそも、ゴブリンの死体を何故自分はミスティリングに入れていたのかといったことすら疑問だ。

 ゴブリンはモンスターの中でも特に使い道のない存在として有名だった。

 魔石と討伐証明部位くらいだろう。

 他のモンスターなら、皮や肉をそれなりに使えたりするものの、ゴブリンの肉はそれこそ餓死寸前の者ですら食べるのを拒否すると言われる程に不味い。


(そう言えば、ゴブリンの肉をどうにか食べられるようにするって奴がいたけど……あれってどうなったんだ?)


 一瞬そんな疑問を抱くレイだったが、結局のところそのようなことを考えても今は意味がないと判断し、それ以上は止めておく。


「ゴブリンか。ドワイトナイフが上手く発動しなくても、それなら問題はないだろう」


 そう言いながらも、ダスカーは呆れの視線をレイに向ける。

 何故ゴブリンの死体をわざわざミスティリングに収納しているのかと、そんな風に疑問を抱いているのだろう。


(ゴブリンの死体は……今回のようにマジックアイテムを試すのに必要だったり、もしくは敵が籠城していたらそこにゴブリンの死体を投げつけたり? いや、籠城してるのならわざわざそんな真似をしなくても、俺がセトに乗って攻め込めばそれでいいんだが)


 どうしてもゴブリンの死体でなければ駄目だというものはないが、それでもゴブリンの死体を使おうと思えばそれなりに使えるということはある。

 そう考えれば、ゴブリンの死体もあればあったでいいのだろう。

 ミスティリングに収納しておけば、重量の問題はないし、腐ったりといったこともないのだから。

 ……もっとも、そのようなことだからこそ、レイは捨てるに捨てられず、いつの間にかゴブリンの死体がミスティリングに収納されていたといったようなことになったのだが。


「そう言えば、レイ。今年も冬になったらギガントタートルの解体は行うのか?」


 不意に話題を変えるダスカー。

 ただし、去年のギガントタートルの解体のおかげでギルムが得た利益は大きい。

 スラム街から有益な人材を何人も確保し、報酬によってそのような者達を殺さずにすんだのだ。

 そしてギガントタートルの肉は非常に美味で、それを購入しようと金の動きが……経済が活発になった。

 これがガメリオンの場合は、それこそ雪が降る寸前までギルムにいて、ガメリオンの肉を仕入れてそれを他の場所で売り捌くといった真似が出来るし、実際にそのような真似をしている者は多い。

 それどころか、増築工事の仕事を求めてやって来た者達の中にも自分で獲ったり、冒険者から買い取ったり、店で購入したりしてといったように入手して、田舎に帰る者もいる。

 純粋に家族の土産にするのか、それとも途中で売り捌いて金にするのか。その辺りはレイも分からなかったが。

 そんなガメリオンと比べて、ギガントタートルはあくまでも冬の間に行う仕事だ。

 当然ながら、冬にギルムにいない者は取引出来ない。

 いや、保存食にしたギガントタートルの肉を購入するといった真似は出来るだろうが。

 それでも入手出来るのが遅くなる以上、商品としての魅力には劣ってしまうだろう。


「そうですね。ギガントタートルの解体は俺としてもやって欲しいですし。ただ……去年は毎日ギガントタートルを全て出してましたが、幾ら冬でも出しっぱなしにするのは少し不味いでしょうから、足を切断して解体して貰うという形になると思います」

「分かった。個人的には残念だがな。ギガントタートルの巨体は、去年の冬のギルムの象徴だった。だが、腐敗が進むかもしれないとなれば、無理にそれを行わせるような真似が出来る筈もない」


 ギガントタートルの全体を見せるというのは、解体をする者達にいつまでも仕事があるというのを視覚的に見せつけるという意味があった。

 人によっては、幾ら仕事をしても終わらないということで嫌になる者もいるかもしれない。

 だが、スラム街の住人にしてみれば、仕事が終わるのはずっと先だと視覚で納得させることが出来るのだ。


(あ、ちょっと待った。もしかして今この状況でギガントタートルの解体の話題を出してきたってことは……俺がドワイトナイフで解体するかもしれないと心配したのか?)


 今更ながらに、そんな風に思う。

 訓練場に向かってる途中で不意に話題を変えたことからも、そこに何か意味があるのは明らかだ。

 そしてレイがこれから何をしようとしているのかを考えれば、ダスカーが心配していることを予想するのは難しくない。

 もしレイがギガントタートルをドワイトナイフで解体してしまえば、去年と比べて冬の寒さや飢えによってスラム街で死ぬ者はかなり増える。

 実際には、去年がある意味で出来すぎだったのだが。

 ダスカーにしてみれば、出来すぎであろうと何だろうと、去年の一件がこれ以上ない程に助かったのは間違いない。

 ……もっとも、その辺りを心配するのなら、何故自分にドワイトナイフを渡すのかといった疑問もあったが。

 レイがマジックアイテムを集めているのはダスカーも知っている。

 だが、別にわざわざ解体用のマジックアイテムを選んだのは、一体何故なのか。

 ダスカーにしてみれば、少しでもレイに対してその行動に報いようという思いがあり、そんな中で真っ先に思いついたのがマジックアイテムで、入手出来そうなマジックアイテムでレイが一番喜びそうだったのがこれだけだったというのが実際のところなのだが。


「取りあえず、このドワイトナイフがその効果を十分に発揮するにしても、ギガントタートルに使おうとは思わないので安心して下さい」


 そうレイが言うのと、訓練場に到着するのはほぼ同時だった。


「そうか。そうして貰えると助かる。さて……では、早速使ってみるか。まずは最初に普通の奴が使った時にどうなるかを確認する必要があるな」


 ダスカーは訓練場を見回す。

 幸いにも、数人の騎士がそれぞれ素振りをしていたり、模擬戦をしていたりと訓練場にはいた。


「おい、少し来てくれ!」


 ダスカーの大声が訓練場に響く。

 その声でようやくダスカーが……そしてレイが訓練場にやって来たことに気が付いたのか、数人……六人の騎士は、急いでダスカー達の前にやって来る。


「ダスカー様、気が付くのが遅れて申し訳ありません!」


 六人の騎士の中で最も地位の高い男が、そう謝罪の言葉を口にする。

 だが、ダスカーはそんな騎士に気にするなと首を横に振った。


「別に謝る必要はない。この時間に俺がこの訓練場に来るのが珍しいのは事実だしな。……それで、これからレイに報酬として渡したマジックアイテムが使えるかどうかを確認しようと思うんだが、少し手伝って貰えるか?」


 ダスカーにそう言われれば、騎士達が否と言う筈もない。

 これが何らかの理不尽な命令であれば、反対をする者もいただろう。

 だが、今回はレイが使うマジックアイテムの確認……言ってみれば実験だ。

 そうである以上、それを断る必要もない。

 また、レイがマジックアイテムを集める趣味があるというのはそれなりに知られている話だ。

 一体どのようなマジックアイテムをダスカーから貰ったのか、興味があるのも事実。


「分かりました。……レイ、私はホスタリクだ。よろしく頼む」

「以前何度か話したことがあったな。よろしく」


 レイもダスカーの部下の騎士達とはそれなりに付き合いがある。

 領主の館に来ることも多いし、それを抜きにしてもベスティア帝国との戦争で一緒だったので、戦友という思いもある。


「それで、レイ。どのようなマジックアイテムを?」

「これだ」


 そう言い、レイはミスティリングの中からドワイトナイフを取り出す。

 最初はホスタリクを含めた他の騎士達も、ただのナイフ? と疑問に思う。

 だが、レイが鞘から刀身を引き抜くと、その深緑の刃に多くの者が目を奪われる。


「これは……美しい。芸術品の系統か?」


 ホスタリクのその言葉に、レイは首を横に振って否定する。


「そんな風に思ってもおかしくはないが、俺はその手のマジックアイテムは集めていない。これは冒険者として活動する上で、非常に役立つマジックアイテムだ。……ダスカー様の説明が正しければだが」

「なら問題はないだろうな。それで、一体どのような効果を?」


 ホスタリクも、マジックアイテムにはそれなりに興味があるのだろう。

 好奇心を浮かべてレイに尋ねる。


「簡単に言えば、モンスターを解体するマジックアイテムだ。……そんな訳で」


 そう言い、レイはミスティリングの中からゴブリンの死体を取り出す。

 ホスタリクや他の騎士も、いきなり出て来たゴブリンの死体に嫌そうな表情を浮かべる。

 騎士達にとってもゴブリンの死体というのは決して好ましいものではないのだろう。

 だが、レイはそんな騎士達の様子は気にした様子もなく、ドワイトナイフに魔力を流しながらその切っ先をゴブリンの死体に突き刺す。

 瞬間、ゴブリンの死体が光ると……次の瞬間には、魔石、皮、肉といった素材にその姿は変わっていた。


「これは……」


 ホスタリクが目の前の光景に驚きの声を上げる。

 他の騎士達も、声には出さないがホスタリクと同じように驚きの表情を浮かべていた。

 ダスカーは、ドワイトナイフが当初の予定通りの性能を発揮したので、満足そうな様子だったが。

 だが……そんな中、レイは微かにだが眉を顰める。


(これ、魔力の消費が洒落にならないぞ? 俺ならともかく、普通の……魔力がそんなに多くない一般人の場合、魔力が限界まで使われて気絶するか、あるいはドワイトナイフ側の方で使用する魔力を制限してるのか。どっちだ?)


 レイの感覚としては、一般的な魔法使いであってもこのドワイトナイフの性能を最大限発揮させるといったことになれば、魔力の大半を消費するだろう。


(あ、でも魔力によって解体の効果が違うとか何とか。そう考えれば問題ないのか?)


 迷いつつ、レイは新たにミスティリングからゴブリンの死体を一匹取り出すと、ドワイトナイフをホスタリクに渡すのだった。

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