3128話

 トレントの森を散歩することにしたレイは、セトとニールセンと一緒に周囲を歩いていた。

 今朝の研究者達の騒動……端的に表現した場合、黒い円球が餓死するかもしれないという一件はあったが、それが終わってしまえば特にこれといって大きな問題となるようなこともない。


「今日は随分と天気がいいな。秋晴れ……いや、もう冬晴れと表現した方がいいのか?」


 木々の間から降り注ぐ太陽の光は、季節に見合わぬ強さを主張している。

 また、木の枝の間から見える空には雲一つ存在していない。

 まさに好天という表現が相応しい天気なのは間違いない。


「そうね。もうすぐ冬だとは思えないくらいの季節に見えるわね」


 レイの側でそう言ってくるニールセンだったが、レイが見たところでは、別に厚着をしているようには見えない。

 そんなニールセンの様子に、寒くないのか? と疑問を抱く。

 以前からドラゴンローブの中が快適だったと言っていたので、寒さを感じてない訳でもないのだろうが。


(いやまぁ、その辺については俺が考えることでもないか。妖精特有の魔法とか、そういうのを使ってるんだろうし)


 ニールセンにその辺りについて尋ねようかと思ったレイだったが、結局それを尋ねるようなことはしない。

 どうしても気になる、あるいはそれを聞かなければ死活問題だという状況なら聞くしかないだろうが、今は別にそのような状況でもないのだから。


「レイ? どうしたの?」

「いや、何でもない。こういう天気が続けばいいなと思ってただけだ」

「ふーん。……けど、まぁ、そうね。確かにこういう天気が続けばいいと思うわ。後は、穢れの一件がどうにか出来れば助かるんだけど」

「それについては、俺も素直にそう思う」


 レイが穢れの一件に関わったのは、殆ど成り行きだった。

 もしボブを助けるようなことがなければ、レイが穢れに関わるようなことはまずなかっただろう。

 だが……それによって、妖精達……それ以外にもこの大陸で生きる者達に大きな利益が出たのは間違いない事実。

 もしレイがボブと接触していなかったら……あるいは接触していても、レイと一緒にいたニールセンが妖精郷に連れていくといったようなことを提案しなければ、それこそ運命の悪戯によってこの大陸は穢れによって滅びていた可能性もある。

 とはいえ、この大陸にレイよりも強い者がいないという訳でもない。

 例えばベスティア帝国に存在するランクS冒険者、不動のノイズなどはその筆頭だろう。

 それ以外にも、半ばレイの相談相手的な存在となっているアンデッドのグリムもまた、間違いなくレイよりも強い。

 もし穢れの存在をレイが何も知らない状況で事態が進んだとしても、いずれはそのような強力な者達が穢れを相手に対処していた可能性が高かった。

 そういう意味では、レイが穢れに関わったのは少し早かったが、それでもある意味では当然の事だったのだろう。


「穢れの一件については、今朝の一件で倒せる可能性も増えてきた。そう考えると、事態が進んでいるのは間違いない」

「えー……それでも、進むのが遅くない?」

「別に遅くはないと思うけどな」


 炎獄で穢れを捕らえた翌日には、既に穢れが餓死しそうになっている……つまり、結界やそれに類する何らかの方法で穢れを捕らえるようなことが出来れば、穢れを倒すことが出来るかもしれないと判明したのだ。

 この結果は、そんなに悪くないとレイは思う。

 それでもニールセンにしてみれば、まだ足りないと思ってしまうのだろう。


「そう? でも……まぁ、長も不満そうな様子はなかったみたいだし、取りあえず納得はしておくけど」

「長は別にそこまで急かしたりはしないんじゃないか? 勿論、早く穢れをどうにか出来た方がいいとは思っていると思うけど」


 レイが知っている長の性格を考えれば、恐らくはそれで間違いないと思う。

 とはいえ、それはあくまでもレイがそのように思っているだけであって、レイの知っている長とは違う一面を知っているニールセンにしてみれば、レイの意見とは全く違うものになると思えていた。


「取りあえず、研究は順調に進んでるようだし、今はそこまで気にする必要もないだろ。ニールセンとしては、出来るだけすぐにどうにかなって欲しいと思ってるみたいだけど、そう簡単にはいかないと思うぞ」

「えー……でも、それはレイも私と同じように思ってるんじゃないの?」

「それは否定しない」


 穢れについての弱点……閉じ込めれば餓死させることが出来るかもしれないというのが判明したものの、だからといって自分がここにいなければならないことは変わりがない。

 その件についてレイが何も思っていないのかと言えば、その答えは否だ。

 それでもこのまま話が進めばどうにかなるかもしれないと考えると、幾らか不満はあるものの、期待はしている。


「グルゥ?」


 レイとニールセンが会話をしながらトレントの森を歩いていると、不意にセトが喉を鳴らす。

 ただし、それは周囲を警戒するといったような緊張感の類はない。

 敵が出たといったようなものではなく、珍しい何かを見たといった、そんな感じで。


「セト?」


 そんなセトの様子に疑問を抱き、セトの見ている方……茂みの方に視線を向けると、そちらから何人かの気配を感じる。

 特にこちらに敵意の類がある訳でもないようなので放っておくと、やがて茂みの向こう側から数人のリザードマンの子供達が姿を現す。


「お前達か」

「あ、レイさんだ! レイさんがいる!」

「セトもいるよ」

「ニールセンもいる!」


 全部で八人のリザードマンの子供達は、レイ達の方を見るとそんな風に言ってくる。


「ちょっ、私にはこないでよね!」


 子供達のうちの何人かが自分に向かって来たのを見たニールセンは、慌ててその場から退避する。

 ニールセンにしてみれば、リザードマンの子供達に群がられるのは好まないのだろう。

 それでもリザードマンの子供達には悪意の類がないので、研究者達に向けるような強い敵意の類はそこにはない。

 ニールセンが逃げたのを、リザードマンの子供達は追う。

 鬼ごっこでもしているような気持ちなのだろう。

 もっとも、ニールセンも本気で逃げようと思えば自分を追ってくるリザードマンの子供達を振り切ることは難しくないのに、そのような真似をしてはいない。

 リザードマンの子供達が追いつける程度の速度で飛んでいるのは、ニールセンが言葉程にリザードマンの子供達を嫌っていない証だろう。

 そんなニールセンとは違い、セトはリザードマンの子供達が自分に群がってくるのを見ても特に嫌がったり、逃げたりといった真似はしていない。

 元々人懐っこいセトだ。

 ギルムでも子供達と遊ぶことは珍しい話ではない。

 それだけに、リザードマンの子供達と遊ぶのはセトにとっても嫌いだったのではないのだろう。

 そしてレイの周囲にもリザードマンの子供達が何人か集まっていた。


「ねぇ、レイさん。これからどこに行くの? 穢れを倒しに? じゃあ、俺も行きたい!」

「あ、俺も行きたい!」

「うー……僕も行きたい……」


 レイの周囲に集まってきたリザードマンの子供達は、レイに向かってそう言ってくる。

 一番最後に口を開いたリザードマンの子供は、言葉遣いだけを見るとそんなに戦闘に向いているようには思えない。

 だが、それでも自分も穢れと戦いに行きたいと口にしてるのは、外見とは裏腹に、戦いたいと思っているのだろう。

 もっとも、レイにしてみればそんな子供達を連れて行くということは全く考えていないので、子供達の性格がどうであろうと答える言葉は決まっているのだが。


「お前達を連れていくことは出来ない。……そもそも、今は別に穢れを倒す為に行動している訳じゃなくて、ただ散歩をしてるだけだ」


 そう言うレイに、リザードマンの子供達は揃って残念そうな様子を見せる。

 ただし、それは雰囲気からそう予想しただけで、リザードマンの子供達の表情を見てそのように判断した訳ではない。

 生憎と、レイにはリザードマン達の表情の違いというのはそこまで理解出来ない。

 最初に出会った時に比べると、多少は表情の違いも理解出来るようになっているが。

 そんな中で例外なのは、レイに対して忠誠を誓っているゾゾだろう。

 接する機会が他のリザードマン達よりも多かった為か、それともゾゾの忠誠心の高さ故か。

 その辺は生憎とレイにも分からなかったが。


「それに、お前達が穢れと戦うのは無理だろう。ガガでさえ、逃げることしか出来なかったんだぞ?」


 この世界に転移してきたリザードマン達の中で最強の存在であるガガでも、穢れに勝つことは出来なかった。

 もっとも、それは別にガガが弱いという訳ではない。

 触れるだけでその対象を黒い塵にして吸収するという能力を持つ穢れとは、相性が悪すぎるのだ。

 これが例えば、穢れではなくもっと別の……それこそ、ランクBモンスターの類であれば、ガガも十分に戦うことが出来るだろう。

 だが、物理攻撃を無効にする相手に勝てというのは、色々な意味で無理があった。

 そんなガガですら勝てない相手に、リザードマンの子供達が勝てる筈もない。

 そう告げるレイの言葉には、これ以上ないくらい強い説得力があった。


「むぅ……で、でも、やってみないと分からないじゃないか! もしかしたら、いざという時に力が解放されて穢れにも勝利出来るかもしれないし!」

「あのな、そんなに都合よくいく筈がないだろう? 奇跡っていうのは、そう簡単に起きないから奇跡って言うんだぞ」


 そう言うレイだったが、リザードマンの子供達は諦める様子がない。

 これが大人のリザードマンであれば、自分達では穢れに勝つことは出来ない……そもそも戦いにすらならないと判断するだけの冷静さがあっただろう。

 しかし、残念ながら子供達にそのような冷静さはない。

 自分達なら何でも出来る。自分達に出来ないことはないといったように、根拠のない全能感とでも呼ぶべきものがあるのだ。

 それは決して悪いことではない。

 言い換えれば、その子供には無限の夢が広がっているようなものなのだから。

 レイも自分が子供だった時のことを思えば、それは理解出来る。

 理解は出来るが、だからといってそのような子供達を認める訳にはいかない。

 先程言ったように、今は本当に散歩をしているだけで、穢れを倒すといったつもりはない。

 だが、ここでしっかり言い聞かせておかなければ、今は何とか誤魔化せたとしても、本当に穢れが現れたとニールセンから連絡があった時、この子供達が何をするのか……想像するのは難しい話ではない。


「げ」


 周囲の様子を見て、レイの口からそんな声が漏れる。

 何故なら、全員ではないものの、先程までセトやニールセンの側にいたリザードマンの子供達までもがレイの側にやってきていたのだ。

 一体何故? そんな疑問を抱くのは一瞬。

 考えてみれば、レイがリザードマンの子供達と話す時に別に小声で話していた訳ではない。

 そうである以上、その話を聞いた他のリザードマンの子供達が興味を抱き、レイの側にやって来るのは不思議な話ではない。

 セトやニールセンの側にいたリザードマンの子供達も、その種族故に……あるいは子供である以上は、種族云々以前に穢れとの戦いに興味を持っていたのだから。

 とはいえ、だからといってレイも数が増えたからといって穢れとの戦いにリザードマンの子供達を連れていく訳にはいかない。

 どうするべきか。

 少し考え、リザードマンのことはリザードマンに任せればいいと、そう考える。


「俺からは許可が出来ないが、ガガに頼んでみたらどうだ? ガガならお前達を連れていくかもしれないだろ?」

「駄目だって言われた」


 レイと話していたリザードマンの子供は、不満そうにそう言ってくる。

 その言葉を聞いたレイは、だからこそ自分に言ってきたのかと納得する。

 納得はするが、だからといってそれを受け入れる訳にもいかない。


「ガガが駄目だと言うのなら、尚更俺がお前達を連れていく訳にはいかないだろ。どうしても俺と一緒に行きたいのなら、ガガに許可を貰ってくるんだな」


 これでガガに任せることが出来る。

 そう思い、表情にこそ出さないが安心するレイ。

 もっとも、ガガに完全に任せるというだけで終わるのかと本当に安心は出来ない。

 何しろガガだ。

 場合によっては、レイなら問題がないから大丈夫だろうと考えて、レイと一緒に穢れを倒しに行くのに許可を出すかもしれないし、それどころか自分も一緒に……などといったようなことを言いかねない。

 そのようにならないようにする為に、ゾゾにはこの件を話しておいた方がいいだろうと、そう考えるのだった。

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