3062話
ニールセンの姿を見たヴィヘラは、最初こそ驚いたものの、やがて呆れの表情を浮かべることになる。
それでも特に何かを言わなかったのは、もしニールセンに何かを言っても恐らく意味がないと考えていたからだろう。
実際、その意見にはレイも同感だった。
木から生えるなといった突っ込みをしたところで、ニールセンは特に気にしないだろう。
「それで、レイ。一体何の用? 言っておくけど、別に穢れについては長から連絡はないわよ」
面倒そうに告げるニールセン。
ニールセンにしてみれば、妖精郷に興味を持つ冒険者を押し付けられたことを不満に思っているのだろう。
レイもそれは分かっていたが、あの様子をみる限りでは一度くらい発散させないと、後々不味いことになってもおかしくはない。
そういう意味では、ここでニールセンを売り渡すという自分の選択は間違ってなかったと思う。
(それに売り渡したけど、結局すぐに逃げ出したし)
冒険者達から逃げた結果として、ニールセンは現在のように木の幹の中に隠れているのだろう。
それはレイにも理解出来ている。
「穢れについてという点では間違っていないな。俺が野営地から離れていても、もしニールセンに長から連絡があったらすぐに穢れの出現した場所を知ることが出来ると、ヴィヘラに教えたかっただけだ」
「ふーん、そうなの。ならそれはもう証明出来たから、もう戻ってもいいのよね?」
そう言うと、ニールセンはすぐに木の幹の中に引っ込む。
「私、もしかして嫌われるような真似をしたかしら?」
「いや、違うな。多分ドライフルーツを食べるのに集中したかったんだろ。あるいは料理かもしれないけど」
妖精に興味を持つ冒険者達の中で、何人かはドライフルーツを使ったり、料理をしたりといった形でニールセンの気を惹こうとしていた。
もっとも、レイが見た時はドライフルーツを持っていた女はそのドライフルーツをあっさりとニールセンに奪われていたが。
ただ、そのような状況であっても、妖精に触れた――正確にはドライフルーツを奪われただけ――ということで、喜んでいたのはレイには理解出来ない。
……それを言われれば、恐らくニールセンと気軽に触れあえたり、妖精郷に自由に行くことが出来るレイなんだから当然だろうと突っ込まれてもおかしくはなかったが。
ヴィヘラはレイから事情を聞かされ、ニールセンの消えた木の幹に呆れの視線を向ける。
まさかそんな理由で木の幹の中に隠れているとは、思いも寄らなかったのだ。
「ニールセンについては気にするな。あれで仕事はしっかりとする奴だし」
これはお世辞でも何でもなく、レイは何だかんだとニールセンとの付き合いが深い。
長いのではなく、深い。
付き合いそのものはそこまで長くないのだが、それでもニールセンと共に色々な騒動を潜り抜けてきた。
その時のやり取りによって、何だかんだとニールセンをレイは信頼していた。
普段はこうでも、やるべき時にはしっかりやると。
「そもそも、ニールセンのことを言うのは分かるけど、ヴィヘラも色々と特殊だろう?」
「う……それは……」
そうレイが言うと、ヴィヘラも何も言えなくなる。
実際にヴィヘラは戦闘狂の一面がある。
強者との戦いを行う際には、ヴィヘラが暴走してしまう可能性すらあった。
ある意味ではニールセンより問題だろう。
勿論、問題があるのはヴィヘラだけではない。
レイもまた、一般的な高ランク冒険者として考えた場合は色々と問題がある。
マリーナも何故か普段からパーティドレスを着ているという点で普通ではない。
ビューネに限っては、他人とまともに会話をするのが不可能だ。
とはいえ、それはレイ達が特筆しておかしな訳ではない。
冒険者の多くが、普通の人とは違うところを持っている者が多かった。
「そんな訳で、取りあえず仕事をきちんとやるのなら俺としては問題ないと思う。ヴィヘラもその辺には理解出来ると思うが?」
「そうね。……仕事をきちんとするのなら問題ないと思うわ」
本心から納得したという訳ではないようだが、それでもレイの説明を聞けば何とも言えなくなったのだろう。
そうである以上、今ここで何を言っても意味はなかった。
「さて、じゃあ俺はそろそろ野営地に戻るよ。巨大なスライムがどうなったのかも気になるし」
「え? それどういうこと? 巨大なスライムというのは、湖の奴でしょう? レイの魔法を使われても延々とそれに耐え続けていたという」
「それだ。その巨大なスライムが黒いサイコロに襲われたんだよ。その結果として身体の結構な部分が黒い塵になって吸収された」
レイの説明に驚きを露わにしたヴィヘラだったが、それでもすぐに事情を理解する。
「それはつまり、黒いサイコロのおかげでレイが利益を得たということ?」
「客観的に見た場合はそうなるな。勿論、黒いサイコロが俺に好意を持っているとか、そんな訳じゃないけど」
黒いサイコロが巨大なスライムに攻撃したのは、あくまでも偶然だ。
単純に巨大なスライムが小さな丘くらいの大きさを持っているので、黒いサイコロと接触する可能性が高かっただけとなる。
もし巨大なスライムがいなければ、野営地にいた者達……あるいは生誕の塔にいた者達が襲撃されていただろう。
(そうなると、場合によっては生誕の塔そのものが襲撃されていた可能性があるんだよな)
生誕の塔は建物だ。
異世界から転移してきた建物という点でかなり特別ではあるものの、それでも物質でしかない。
もし黒いサイコロに触れるようなことがあれば、黒い塵となって吸収される可能性が高かった。
レイとしては、それだけは可能な限り避けたい。
もしそのようなことになった場合、リザードマン達が一体どうなるか。
生誕の塔がなくても、リザードマンの卵が孵化するようなことはあるかもしれない。
だが、生誕の塔はゾゾやガガ達の国で長年研究されて建設された建物だ。
レイには分からない何か特殊な機能があってもおかしくはない。
……それを抜きにしても、リザードマン達にとって生誕の塔というのは自分達の世界から唯一この世界にやって来た存在だ。
残滓……という表現は大袈裟かもしれないが、それでもリザードマン達にとって重要な存在なのは間違いない。
また、この世界に来てから孵化したリザードマンの子供達にしてみれば、生誕の塔くらいしか本来の国を思わせる物はない。
ゾゾのようにレイに忠誠を誓い、あるいはガガのように自分の世界の存在でも特に気にしないような者もいるかもしれないが、多くのリザードマン達にとって生誕の塔が重要な存在なのは間違いない。
また、ゾゾやガガも生誕の塔が心の拠り所という訳ではないが、それでも別に嫌っている訳ではないのだ。
そうである以上、わざわざ生誕の塔が壊れるのを期待したりといった真似はしないだろう。
(あ、でもゾゾは王族の中でも地位が低かったみたいだし、もしかしたら……)
ゾゾの待遇を考えれば、自分の国を恨んでいた可能性も否定は出来ない。
一瞬そう思ったレイだったが、すぐにその考えを否定する。
それはゾゾが国を恨んでいないと思い直した……訳ではなく、レイに忠誠を誓っている現在のゾゾにとっては、わざわざそのような真似をする必要がないと判断したからだ。
「とにかく、黒いサイコロが危険なのは間違いない。……言っておくけど、ヴィヘラ達が使っている馬も触れると黒い塵になって吸収されるから、気を付けろよ?」
レイは一応といった様子で忠告しておく。
ヴィヘラとビューネが乗っている馬は、ギルドから貸し出されただけあってきちんと訓練されており、戦場に出ても立派に働く。
それこそセトが近くにいても警戒はするものの、他の馬と違って動けなくなるといった様子はない。
そのような気性を持つだけに、敵と遭遇した場合には真っ先に攻撃をする可能性も高かった。
普通のモンスターであればそれもいいだろう。
しかし、黒いサイコロの場合はその攻撃が致命傷になる可能性も高かった。
「そう……ね。そうするわ。この馬もギルドが用意してくれた馬だけあって、きちんと訓練をされている非常に貴重な馬だけど、この世界の存在である以上は黒いサイコロに触れれば危険なのは間違いないでしょうし。何より、他の世界から来た巨大なスライムですらそうなんだし」
「どうしても気になるのなら、駄目元で試してみるか? もしかしたら、もしかするかもしれないし。だだ、失敗したら死ぬ可能性が高いけど」
巨大なスライムのように、黒いサイコロに触れても即座に死なないという可能性は……今のところ考えられないが、もしかしたら万が一にもという可能性はあった。
だからといってそれを試すとヴィヘラが言えば、勧めた身ではあるが結局最終的にレイは反対していただろう。
勿論ヴィヘラもそのことについては理解しているので、それを試そうとは思わない。
……自分のことならともかく、馬がそれを行うのならヴィヘラは寧ろ絶対に止めるだろう。
「そんなことをする訳がないでしょう? この子達には色々と助けられてきたもの。ここで死なせる訳にはいかないわ」
この馬達は、ギルドから貸し出されてた馬だ。
ヴィヘラ達がトレントの森での一件を任されてから、ずっと一緒に行動してきているだけに、それなりに愛着もある。
馬達の方も、自分達に親愛の情を持ってるようにヴィヘラ達には思えた。
実際にそれが事実なのかどうかは、レイやヴィヘラ達も分からない。
しかし、今の状況を思えば恐らくそれで間違いないと思える。
だからこそ、馬達に危険な真似をさせる訳にはいかないと、そう思ったのだろう。
「レイ、私はこのままトレントの森を出るつもりだったけど、野営地に行くわ」
不意に話題を変えるヴィヘラだったが、レイはそれを特に気にした様子もなく頷く。
「分かった。来たいのなら別に問題はないと思うぞ。ヴィヘラは以前から何度も野営地に行ってるんだし、今更ヴィヘラやビューネが来たからといって、問題はないだろうし」
以前とは穢れの件で明らかに話が違う状況になっているのだが、レイはそれを特に気にした様子もない。
ヴィヘラが来たからといって、それで何かが変わる訳ではないと、そう理解してるのだ。
これで巨大なスライムであったり、黒いサイコロが強者であればもう少し警戒したかもしれなかったが。
「あら、そこまであっさりと認めて貰えて何よりね。じゃあ、いつまでもこうしてるのもなんだし、行きましょうか。ビューネ、貴方はどうするの?」
「ん」
ヴィヘラに対する返事はたった一言だけだったが、それでもヴィヘラはビューネが何を言いたいのか理解したのだろう。
すぐに頷く。
「ビューネも私達と一緒に来るそうよ。……まぁ、ここで私と別行動となると、ビューネだけでギルムに戻ることになるだろうし」
ビューネは人と話すのが苦手なものの、それでもある程度はどうにか出来る。
例えば、ギルムに入る時にギルドカードを見せるといったような真似は問題ない。
そういう意味では、ビューネが一人でギルムに戻るといった真似をしても問題はないのだろう。
それでもビューネにとってヴィヘラと一緒にいるという方が重要だったらしい。
単純に、ビューネも巨大なスライムが小さくなっているのを見たいと思ったのかもしれないが。
もしくは何気に可愛い存在を好むビューネだけに、リザードマンの子供達と一緒に遊びたかったのか。
その辺りはレイにも分からないが、ヴィヘラと一緒に来たいと言うのなら、それを否定するつもりはない。
「じゃあ、行くか。野営地の連中もヴィヘラが来ると喜ぶだろうし」
ヴィヘラは性格はともかく、外見は間違いなく美女だ。
それも絶世のという表現が相応しい程に。
その上で娼婦や踊り子のような薄衣を身に纏っているので、見て楽しむという意味では非常にありがたい存在だった。
……ただし、その性格が知れ渡っている今となっては、ヴィヘラを口説こうとする者はいない。
いや、ギルムに来たばかりの者であったり、情報収集をしないような者、自分の力を過信している者なら分からないが、野営地にいる者達はヴィヘラの実力を十分に理解していた。
元々がギルドから信用されている冒険者達だ。
それだけに、ヴィヘラについての情報も十分に理解しているのだろう。
もしかしたら中には以前ヴィヘラにちょっかいを出して酷い目に遭った者がいるのかもしれないが。
そんな危険なヴィヘラだが、見て楽しむ分には最高級の美術品にも勝るだけの美を持っている。
難点としては、綺麗な花には棘があるというのを地でいっていることか。
実際には棘どころか、致死性の猛毒を持つ蔦を振り回してくるような花に近いのかもしれないが。
また、娼婦や踊り子のような薄衣である以上、男の劣情を刺激するのも事実。
迂闊にギルムに戻ることが出来ない以上、娼館に向かうことが出来ないのも大きな難点かもしれなかったが。
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