3060話

「あれ?」


 野営地の端の方にマジックテントを建てた後、レイは特にやるべきことはなかったので湖に行くことにした。

 ゾゾが見張っている巨大なスライムの件で少し進展があったのではないかと思ったからだ。

 しかし、その前にレイが驚いたのは、冒険者の一人が先程湖に戻ったばかりの水狼と一緒にトレントの森に入っていくのを見たからだ。

 以前……それこそレイが今回水狼に会うよりも前に水狼を見た時は、冒険者と水狼はそれなりに友好的な関係だった。

 しかし、巨大なスライムが力を失い、その影響からか水狼が強くなったことも影響あって、冒険者の多くは以前とは違って水狼と気安く接することが出来なくなっていた。

 明らかに強化された水狼を警戒していた冒険者達の様子を見た経験があるレイだけに、全ての冒険者が同じなのかと思っていたのだが、現在視線の先では冒険者が水狼と一緒に行動している。


「あ、レイさん。どうしたんです?」

「ワフ?」


 レイの視線に気が付いたのだろう。

 冒険者はレイを見てそう尋ね、冒険者の隣にいた水狼も疑問の鳴き声を上げる。

 ……レイの隣にいるセトを見ても、冒険者は勿論、水狼もセトを警戒した様子はない。


「いや、ちょっとゾゾの様子を見に行こうと思ってな。それで、お前達はどうしたんだ? ……というか、お前は水狼が怖くないのか?」

「最初はちょっと迫力が違ったので驚きましたが、実際に接触してみたら問題ないと思ったので。これから一緒に狩りでもしに行こうかと」

「それは……嬉しいが、危険だぞ?」


 この地にいる冒険者全員が水狼を怖がっている訳ではないというのは、レイにとっても嬉しい出来事だ。

 考えてみれば、セトの存在を受け入れているのだから最初こそ水狼に恐怖しても、すぐに慣れるといったようなことになってもおかしくはなかった。

 それよりも、今この状況で水狼と一緒に狩りに行くのは危険だと、レイは男を止めたい。

 今日だけ……いや、レイが領主の館からトレントの森に戻ってきてからの短時間で、ガガ達が襲撃され、巨大なスライムも襲撃された。

 後者はレイに敵対していた相手だったので、黒いサイコロに与えられたダメージによって魔法に対抗することが出来なくなってそう遠くないうちに死ぬのはレイにとって構わないのだが。

 そんな風に短時間で既に二度も襲撃を受けている以上、レイとしては男と水狼に自由に行動させるのはどうかと思ってしまう。


「大丈夫ですよ。黒いサイコロへの対処法はレイさんから聞きましたし。もし出ても倒すことは出来ないでしょうが、逃げることは出来るかと」

「対処法って……人数がいないとどうしようもないと思うんだが」


 黒いサイコロは攻撃された場合、攻撃してきた相手に向かうという性質を持っている。

 それを使えば、複数人がいるのなら誰かが攻撃をして引いて逃げ回り、それで疲れたらまた別の者が黒いサイコロを攻撃して注意を引いて逃げ回るといった方法がある。

 しかし。それはあくまでも逃げるというだけだ。

 決して黒いサイコロを倒せるという訳ではない。

 それこそレイがいなければ、ただの消耗戦に近い状態になる。


「もしそうなったら、レイさんが助けに来てくれるんですよね?」

「いやまぁ、それはそうだが……」


 今はレイの近くにいないが、そう離れていない場所にニールセンがいる筈だ。

 そしてニールセンは、トレントの森に黒いサイコロを始めとした穢れが現れた場合、すぐに長から情報を知らされ、それをレイに教える役目がある。

 つまり、もし男と水狼が狩りをしているところで黒いサイコロが現れた場合、レイが来るまで逃げ回っていればそれで勝利なのだ。

 延々と逃げ続ける訳にはいかないが、それでも男も生誕の塔の護衛を任される精鋭の冒険者だ。

 レイが来るまで逃げ続ける程度なら全く問題なかった。


「そうか? ……分かった。なら、気を付けてな」


 レイとしては男を止めたかった。

 しかし、それを禁じる権限がレイにはない。

 また、男が言うように時間稼ぎくらいは出来るのなら、問題ないだろうという思いがあるのも事実。

 これがその辺にいる適当な冒険者なら、レイもそこまで気にするようなことはないだろう。

 しかし、目の前の男は皆が怖がった水狼と友好的な関係を築いて……もしくは取り戻しており、そのような相手が危険な真似をするのは出来れば避けて欲しいと思う。

 ……男を止める理由には、それ以外にもエレーナの使った竜言語魔法によって生み出されたトレントの森の惨状によって、動物やモンスターが新たな縄張り争いを行っており、それに巻き込まれるのでは? という思いがあったのも大きい。


「じゃあ、行ってきますね」


 これ以上はレイも止めないと判断したのだろう。

 男はレイに向かって一礼すると、水狼と共にトレントの森に消えていく。

 それを見送ったレイは、今は無理でもやがて他の冒険者もまた水狼と友好的な関係になれるといいのにと願う。

 具体的にそれがいつになるのかは、生憎とレイにも分からない。

 しかし、そのような時がくるのを期待するのは、決して悪くない筈だった。


「さて、あいつの件はいいとして……巨大なスライムの方がどうなってるかだな」

「グルルゥ!」


 レイの言葉にセトが同意するように喉を鳴らす。

 レイと共に多くのモンスターと戦ってきた経験を持つセトだが、そんなセトにとってもやはり湖の主である……もしくは主だった巨大なスライムの存在は気になるのだろう。

 レイを先導して歩く様子は、レイよりもセトの方が巨大なスライムの様子を気に掛けているようにも思えた。

 そうして目的の場所に到着すると……


「レイ様、様子を見に来られたのですか?」


 巨大なスライムの様子を眺めていたゾゾが、レイに向かってそう一礼して尋ねる。

 ゾゾにしてみれば、自分の主人であるレイがこの巨大なスライムを見に来た……正確にはこの短時間で再び見に来たのが疑問だったのだろう。


「ああ。ちょっと暇が出来たからな。で、どうだ? ……って、聞くまでもないけど」


 先程よりも見て分かるくらいに縮んでいる巨大なスライム。

 多少ではあるが、それでも間違いなくレイが少し前に見た時と比べると、巨大なスライムの大きさは小さくなっていた。


(これだけの大きさなのに、一目見て分かるくらいに小さくなってるってのはちょっと凄いな。これなら今日明日とまではいかなくても、そう遠くないうちに巨大なスライムが消える……いや、死ぬ可能性が高い)


 それはレイにとって悪い話ではなかった。

 自分達に敵対的な相手が湖の主であるというのは、好ましいことではないのだから。


「レイ様。このまま巨大なスライムが消えた場合、どうなるのでしょう?」

「どうなるかと言われてもな。幾つか予想は出来るけど、実際にそうなってみないと何とも言えないというのが正直なところだ」


 ゾゾの言葉にそう返す。

 今の状況を思えば、水狼が新たな主になる可能性が高いと思えたのだが……


(けど、水狼が存在感を増してるからといって、それが水狼だけとは限らない。もしかしたら俺達とまだ接触していない湖のモンスターの中でも、水狼と同じくらいに強力になっている可能性は否定出来ないし)


 転移してきた湖は広い。

 それこそ、ギルムと同じくらいの広さはあるだろう。

 そのような湖だけに、レイ達が接しているのは湖の本当に一部でしかない。

 だからこそ、まだレイ達が接触していないようなモンスターが湖に潜んでいても、そこにおかしいことは全くないのだ。


(そういう意味だと、巨大なスライムも何でまた俺達のいる場所に直接出て来たんだろうな)


 そんな疑問がレイの中に浮かぶが、出て来た以上は仕方がない。

 これで巨大なスライムが友好的な存在ならよかったのだが、そのようなことはなかった。


「それで、レイ様。このスライムが小さくなっていった場合、どのくらいになったら報告すればいいのでしょう?」


 ゾゾの言葉に、レイは改めて巨大なスライムを見る。

 明らかに以前よりも小さくなっているとはいえ、それでもまだちょっとした丘くらいの大きさがあるのは間違いない。

 そうである以上、今日明日で消滅するといったようなことはないだろうが、それでもこれだけの巨大なスライムである以上、出来れば自分の目で消滅する瞬間は見たい。

 問題なのは、それが具体的にいつになるのかということだろう。

 一定の速度で最後まで小さくなるのか、それとも一定の大きさよりも小さくなったらそれ以上は小さくなる速度が上がるのか。

 初めての経験である以上、レイにも今回の一件がどうなるのか、具体的には分からない。

 分からないが、だからといって放っておくことも出来ない。

 今回の一件で具体的にどういうことになるのか分からない以上、警戒しておく必要があるのだから。


「取りあえず明らかに小さくなる速度が早くなったり遅くなったりとか、異変が感じられるようになったら説明してくれ。そうすれば俺も動く。……具体的にどう動けばいいのかは、ちょっと分からないが」


 明確にどうこうといった説明は出来ず、あくまでもそういう風になったらといったような説明。

 しかし、ゾゾはそんなレイの説明に対しても素直に頷く。


「分かりました。そのようになったらすぐにレイ様を呼びにいきます」


 そう言うゾゾに頼んだと言うと、焼きたてのパンを渡す。

 ゾゾや、ゾゾと一緒にいる者達の分もだ。

 晩秋に近い季節である以上、湖の近くにいるとどうしても冷えてしまう。

 本来なら温かいスープでも渡せばいいのだろうが、この場で巨大なスライムを警戒しながらとなると、皿やスプーンの類が邪魔になる可能性が高い。


(ゾゾの性格を考えると、俺から渡された以上は邪魔になったからって捨てるとか、そういう風には出来ないだろうし)


 結果として、食べればなくなるパンを……少しでも温かいのということで、焼きたてのパンを渡すことになった。


「ありがとうございます」


 一礼するゾゾに頷くと、レイはセトと共にその場を後にする。


(それにしても、本当にやることがないってのは時間を持てあますよな)


 実際にはレイが野営地に来てからそんなに時間は経っていない。

 しかし、今までが色々とありすぎた影響によって、こうして不意に何もしなくてもいい時間というのがあると、少し困る。


「セト、ちょっと周辺を見回りに行くか? 野営地からそんなに離れなければ大丈夫だと思うし」

「グルルゥ?」


 本当にいいの? と喉を鳴らすセト。

 レイがここにいる理由を知っているので、迂闊に野営地から離れるのは危険なのではないかと、そう思ったのだろう。

 そう心配するセトを、レイは軽く撫でる。


「安心しろ。俺が野営地にいるのは、あくまでも黒いサイコロがやって来た時、それに対処する為だ。つまり、すぐに動けるのなら多少離れた場所にいても構わない。……それに、こう言ってはなんだが、俺が守るもう一方の樵達は今日はもういないしな」


 それはつまり、何かあってもこの場所を守るだけでいいということになる。

 また、この場にいる者達も黒いサイコロと遭遇した時にどのようにすればいいのかを十分に理解している。

 そうである以上、多少離れた場所にレイがいても、レイが来るまで持ち堪えることが出来れば問題はないと、そう理解している筈だった。


「それに……セトの足の速さを考えれば、野営地から少し離れたところで問題はないだろ?」

「グルゥ」


 レイの言葉にセトは大丈夫といった様子で喉を鳴らす。

 セトにしてみれば、レイに頼られたということで自信満々なのだろう。

 実際にセトの速度を考えれば、何かあってもすぐに駆けつけるのは難しい話ではない。


(それに、もしかしたら長から連絡が来るよりも前に俺とセトで黒いサイコロを見つけられるかもしれないしな)


 もし黒いサイコロを見つけることに成功すれば、ニールセンを通して長から連絡があるよりも前に敵を倒すことが出来る。

 そう考えれば、見張りをするというのはそう悪い話ではない。


「エレーナの竜言語魔法の影響で動物やモンスターの縄張りがどうなったのかとか、ちょっと調べておきたいし。もしかしたら、未知のモンスターと遭遇出来るかもしれないぞ」

「グルゥ? グルルルルゥ!」


 レイの言葉を聞き、本当? と疑問に喉を鳴らしたセトだったが、やる気に満ちた鳴き声を上げる。

 セトにしてみれば、未知のモンスターとの遭遇は魔獣術によって新たなスキルを習得、あるいは現在のスキルが強化されるかもしれないという意味で、そう悪い話ではないのだろう。

 勿論、それはセトだけではなくレイも同様で、そういう風になったらいいなと思いながらセトと共にトレントの森の中に進むのだった。

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