3055話

 ニールセンが数人の冒険者達に追い掛けられているのをレイは特に何をするでもなく眺めていた。

 もしレイがその気になれば冒険者達を止めるといったことも出来たのだが、敢えてそれをするつもりはない。


「ちょっと、レイ! そこでただ見ていないで助けなさいよぉっ!」


 冒険者達に追われながらニールセンがレイに向かって叫ぶ。

 ニールセンにしてみれば、自分が誰かに悪戯をするのはいいのだが、こうして自分が追い掛けられるというのは想像していなかったのだろう。

 レイにしてみれば、たまにはこういうのもいいだろうと思って手を出していなかったのだが。


「セト、この辺りか?」

「グルルルルゥ」


 ニールセンに声を掛けられたレイは、その声を無視して地面に寝転んでいたセトを撫でる。

 撫でられた場所が気持ちよかったのだろう。セトは嬉しそうに喉を鳴らす。

 そんなセトの様子を眺めながら、レイは笑みを浮かべていた。


「その……レイ。あの妖精とやらを助けなくてもいいのか?」


 ガガが不思議そうに尋ねる。

 リザードマン達の世界には妖精がいなかったのだろう。

 だからこそ、長やニールセンの存在に戸惑っていた。

 あるいは妖精はいたのかもしれないが、リザードマン達に見つかるようなことはなかったのか。

 実際、このエルジィンにおいても妖精は過去にはきちんと存在した証拠があったが、今となってはお伽噺の存在か何かと思っている者も多い。

 そういう意味では、セレムース平原で妖精に遭遇したり、トレントの森でニールセンに遭遇したりと、妖精と接触する機会の多かったレイは色々と特別な存在なのだろう。


「ああ、ニールセンも少しは運動した方がいいだろうし。暫くはあのままにしておいてもいい」

「うちの者達も気になっているようなんだが」

「え?」


 ガガの言葉に、レイはセトを撫でる手を止めてリザードマン達に視線を向ける。

 するとそこでは雌……いや、女のリザードマンや、子供のリザードマン。それ以外に男のリザードマンも幾らか、話をしたいといった様子を見せていた。

 それでも勝手に動き出さないのは、ガガから許可を貰ってからそうしたいと思っているのだろう。

 そしてガガは、妖精はレイの管轄だと判断してこうしてレイに尋ねていた。


「そうだな。ニールセンに話を聞いたり、ちょっと触ったりするくらいはいいけど、子供達の場合は強く握ったりしないように気を付けてくれ。……もっとも、ニールセンが本気で嫌だと思えば反撃するだろうけど」

「本気で嫌……? 見る限り、追い掛けられるのを好んでいるようには思えないが」


 ガガの目には、ニールセンは本気で嫌がって逃げているように見える。

 しかしレイが言うには、ニールセンはそこまで嫌がっていないという事になるのだが……それがガガにとって疑問だった。


「妖精にはいざとなれば妖精の輪という転移能力がある。それを使えば容易に逃げることが出来るのに、実際にはそれを使うようなこともないまま逃げ回っている。その時点でニールセンが本気で逃げている訳じゃないのは明らかだ」

「こらぁっ! 勝手な事を言うな! って、わひゃぁっ!」


 レイの言葉が聞こえたのか、ニールセンが叫ぶ。

 だが、その叫んだ隙に捕まえようと冒険者が手を伸ばし、ニールセンは間一髪回避することに成功する。

 冒険者達はこうして情けない姿を見せてはいるものの、それでもギルドから優秀だと判断されただけあって、ニールセンが叫んで動きが鈍った隙を見逃すようなことはない。

 そのまま捕らえようとし……だが、ギリギリのところでニールセンはその一撃を回避することに成功した。

 そのようなやり取りを見ていたレイは、もしかしたら長がこの場からさっさと逃げ出したのはこれが理由なのか? とふと思う。

 自分もこうして冒険者達に追われるようなことは遠慮したかったので、ニールセンをこの場に残して逃げ出したのだろうと。

 長の性格を考えれば、意外とあるような気がするとレイには思えた。

 とはいえ、それを実際に口にするようなことはなかったが。


「レイ」


 と、今まではニールセンのやり取りを呆れた様子で見ていた男……この場の冒険者の指揮を執っている男が、レイとガガの会話に割り込んで来る。

 男としては、出来ればもう少し様子を見ていたかったのだが、自分の立場上そういう訳にもいかなくなったのだろう。


「どうした?」

「妖精についてはいい。だが、穢れについてもう少し詳しく教えてくれ」


 そう言ったのは、実際に穢れを間近で見ることになったからだろう。

 自分達にはどうしようもなかった巨大なスライムに、穢れ……黒いサイコロは確実にダメージを与えていた。

 ダスカーから説明があり、レイからも話を聞いていたものの、間近で見たことによってその脅威を本当の意味で理解したのだろう。

 もしレイやエレーナがいない状況で、黒いサイコロが自分達に襲ってきたらどうなるか。

 そう考えると、少しでも黒いサイコロの習性を知っておき、いざという時に対処出来るようにしたかったのだろう。

 それはレイと話していたガガも同様だ。

 ……いや、ガガの場合は実際に自分が黒いサイコロと戦って時間を稼ぐといった真似しか出来なかったので、余計にそのように思うのだろう。


「そう言われてもな。二人の……いや、他の連中の気持ちも理解出来るけど、あの黒いサイコロについて知っている情報はそんなに多くないぞ? 基本的に相手に触れるような物理的な攻撃は黒い塵になって吸収されるから意味がない。攻撃をするのなら、魔法とかが必須となる。それくらいだ」


 レイにしてみれば、本当に分かっているのはそのくらいしかないのだ。

 出来ればもっと詳細な調査をしてみたいという思いがあるのは事実だったが、この場合の問題はそんな真似は到底出来ないということだろう。

 もし迂闊に調査をしようとした場合、黒いサイコロに触れてしまって黒い塵となって死んでしまう可能性も否定出来ない。


(研究者達の中には、それでも構わないと言うような奴もいるかもしれないけど)


 研究者達にとって、未知の存在を解き明かすというのは非常に大きな意味を持つ。

 知的好奇心を満足させるというのは、研究者達にとってある意味で快楽なのだ。

 中には知的好奇心よりも自分の権威を増したいと思ってるような者もいるだろうが。

 その内心はどうあれ、研究者達が穢れについて知ればどうなるのかはレイでも予想出来た。

 中には危険だと考えるような者もいるだろうが、危険を承知の上で知的好奇心を満たそうとする者も多いだろう。


「魔法か。今のところレイとエレーナ様しか倒せないということは、魔法は魔法でも普通の魔法では駄目だという認識でいいのか?」


 レイと話していた男は、エレーナの方を一瞥するとレイに向かってそう尋ねてくる。

 一応ダスカーからもその辺についての説明は受けているのだが、それでもこうして目の前で黒いサイコロを見て、色々と思うところがあったのだろう。


「そうなるな。直接攻撃するのは絶対に駄目だ。もしそんな真似をすれば、それこそ武器が……場合によっては腕や足が黒い塵になって黒いサイコロに吸収されてしまう。それこそ、試してはいないし試させるつもりもないがヴィヘラですらどうにもならないと思う」


 ざわり、と。

 レイの話を聞いていた者達がざわめく。

 レイのパーティメンバーであるヴィヘラは、ギルムにおいてもかなり有名だ。

 娼婦や踊り子の着るような薄衣を着ている極上の美女というだけでも有名になるのは当然だが、それ以上に有名なのはその戦闘狂ぶりだった。

 特にヴィヘラの被害に遭いやすいのは、やはりギルムに来たばかりで事情を知らない冒険者達となる。

 ギルムに来た以上は自分を一流の冒険者だと勘違いをした者達がヴィヘラと遭遇する。

 そうなると、気が大きくなっている者の中にはヴィヘラに強引に言い寄る者も多い。

 それで断られて素直に諦めるのならいいが、自分は優秀な冒険者であり、実力もあると認識している者にしてみれば、一度断られたからといって素直に退いたりはしない。

 強引に……といった風に手を出した時、その相手は後悔することになる。

 そんなヴィヘラだったが、戦闘狂だけにその強さはギルムでも知られている。

 不意打ちの類を考えず、正面からヴィヘラと戦って勝利出来る者が一体どれだけいるか。

 少なくてもこの場にいる者達が正面からヴィヘラと戦っても、勝利することはまず不可能だと断言出来た。

 そんなヴィヘラですら、黒いサイコロを相手にした場合は勝てないのか。

 話を聞いていた者達がそのように思ってざわめくのは当然だった。


「一応言っておくが、ヴィヘラが勝てないというのは単純に戦闘の相性によるものだぞ。基本的にはヴィヘラは格闘で戦う。もしヴィヘラが俺やエレーナのように魔法を使うことが出来たら、ヴィヘラにも十分勝利の可能性はあった筈だ」


 敢えてヴィヘラが魔力を使って攻撃するとなると浸魔掌だが、その浸魔掌も相手に触れる必要がある。

 そうである以上、触れた場所が黒い塵となってしまう可能性は否定出来なかった。


「そうなるのか。……それで、これからどうするんだ?」


 唐突に話が変わり、レイは疑問を抱く。

 これからどうするのかというのは、具体的にどういう意味かと。


「取りあえず俺はダスカー様と約束した通り、この生誕の塔の野営地で寝泊まりすることになるな。……聞きたいのはそういうことか?」

「そんな感じだ。ただ、今はいいけど……冬になったらどうするんだ?」

「それは俺も分からないんだよな。出来れば黒いサイコロも冬になったら大人しくなってくれればいいんだが」


 マジックテントがあれば、冬であっても特に問題なく暮らすことは出来る。

 ドラゴンローブには簡易エアコンの機能があるので、冬であっても寒さに凍えるような心配はない。

 そもそもマジックテントで暮らすのではなく、他の冒険者達のように生誕の塔で暮らすという手段を取ってもいいのだから。

 しかし、今の状況を思えばそんな真似をすると他の者達を黒いサイコロとの戦いに巻き込む可能性もあった。

 また、冬になれば去年と同じくギガントタートルの解体をスラム街の住人達に頼んだりするので、毎日のようにギルムまで戻る必要もある。

 そんな諸々を考えると、正直なところどうすればいいのかは全く決まっていなかった。

 レイとしては、マジックテントがあれば快適なのかもしれないが、出来ればやはりマリーナの家で皆と一緒に寝泊まりをしたい。


「実際に冬になってみないとどうなるか分からないな。もしかしたら冬になれば黒いサイコロ……いや、穢れが出なくなる可能性もあるし」

「それは……本当か? 俺が見たのは巨大なスライムとの一件だけだが、寒いからといって動きが鈍るような相手には思えなかったぞ?」


 蠢く闇とでも呼ぶべき存在である以上、寒さや暑さでどうにかなるとは思わなかったのだろう。

 それはレイも同感だったが、しかしレイの魔法で燃えつきているのも事実である以上、炎による攻撃が無意味という訳ではない。


「俺の魔法が効果があったんだし、極端に寒くなれば動きが鈍ってもおかしくはないと思う。実際に試してみないと何とも言えないけどな。あるいは……黒いサイコロをトレントの森に送ってきている側に何らかの影響があるか」


 そう言いつつも、黒い塊の時に転移の出入り口と思しき場所を攻撃し、転移してきた元々の場所に向かって攻撃をしたにも関わらず、翌日には黒いサイコロがトレントの森に転移してきたのだ。

 冬になって寒いからという理由で攻撃を止めるとはレイには思えなかった。


(そもそも、今更の話だが……トレントの森に転移させてきている者達は、自分達が黒いサイコロとかを送っている場所がトレントの森であると認識してるのか?)


 レイがふとそんな風に疑問に思った理由は、転移先がトレントの森に限定されている為だ。

 もし自分が穢れの関係者で自由に黒いサイコロを転移させることが出来るのなら、トレントの森だけを狙って転移させたりといった真似はしない。

 それこそギルムの街中に穢れを転移させるだろう。

 そうなれば穢れを倒すことが出来る者が少数である以上、大きな騒動となる。

 穢れと敵対しているレイを攻撃するという意味では、トレントの森よりもギルムに黒いサイコロを放った方がいい。

 そのようなことが出来ていない以上、もしかしたら向こうは自分達がどこに黒いサイコロを放っているのか知らないのではないか?

 そうレイは考え、ふとした思いつきの割にはそう間違っていないような気がするのだった。

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