3052話
レイの前に姿を現した水狼は、その大きさがセトより小さいものの、それでも普通の狼……レイに分かりやすいところでは妖精郷の周囲にある霧の空間を守っている狼と比べると、数倍くらいの大きさを持つ。
以前水狼と遭遇した時は、それこそセトよりも大きく、体高も七mから八mくらいはあったような気がする。
その時に比べると、明らかに小さくなっている。
小さくなっているのだが……水狼から感じられる迫力は明らかに以前よりも上だ。
ただ、水狼と最初に戦った時は巨大だったが、次に接触した時は小さくなっていたのを考えると、大きさそのものはある程度自由に変えられるのだろう。
それでも違うのは、やはり感じられる迫力が以前とは大きく違うということか。
「ワフゥ……ワウ!」
しかし、そのくらいの巨体になった水狼であっても、レイの前にやってきたところで態度に変化はない。
水狼が明らかに普通よりも大きかったので、冒険者やリザードマンの中には反射的に武器を構えようとした者もいた。
リザードマンはともかく、冒険者達は以前の戦いについて思い出した者もいたのだろう。
しかし、冒険者の指揮を執っている者や、あるいはガガやゾゾといった面々がそれを止める。
巨大な水狼が、レイの敵ではないというのを分かっていたからだ。
もし敵対した場合、かなりの強敵になるというのも出来れば敵対したくない理由だった。
実力者揃いだけに、明らかに目の前の水狼は以前の水狼よりも格が上がっていると理解出来たのだろう。
これがこの世界に普通にいるモンスターであれば、もし何らかの理由で敵対して戦いになって勝利しても、素材や魔石を入手することが出来る。
しかし、この水狼はその名前通り身体が水で出来ている狼だ。
湖に存在するモンスターに魔石がないのは既に知られているし、倒しても身体が水である以上は得られる物が何もない。
あるいは水狼が敵対的な存在で、冒険者やモンスターを襲うのなら倒すことも考えるが、レイに懐いている様子を見れば、敢えてここで攻撃をするといったことをする必要はない。
「いいか。攻撃はするなよ。絶対だ」
言い聞かせるように、冒険者の指揮をしている男が告げる。
ここにいるのは優秀な冒険者達なので、その言葉の意味を理解して無意味に攻撃をするつもりはない。
リザードマンの方でも、ガガやゾゾといった者達に攻撃をしないように言われれば、上位者に逆らうといったことは基本的に考えないので攻撃をしたりはしない。
「レイ……本当に大丈夫なのか? こうして見ている限りだと、かなり強そうだぞ? 以前と比べると、明らかに強力になっている」
冒険者の一人が、レイに対してそう告げる。
冒険者として水狼の存在を見てもかなりの強さであるというのが理解出来た。
だからこそ警戒したのだ。
「ああ、こうして見た感じでは問題ない。敵意がないのは分かるだろう? ……まぁ、敵意を持っていてもそれを隠しているという可能性はあるかもしれないけど」
あるかもしれないと口にしながらも、レイは本当に水狼が自分に攻撃をしてくるとは思っていない。
そんなレイの予想を裏付けるかのように、水狼は湖を出るとレイの前にやって来る。
「ワオオオオン!」
嬉しそうに鳴き声を上げる水狼。
そんな水狼を目の前にしながら、レイは特に気にした様子もなく手を伸ばす。
すると水狼は、レイが撫でやすいようにと頭を下げる。
そんな水狼を見て、離れた場所で様子を見ていたセトは少しだけ羨ましそうな様子を見せる。
レイに撫でて貰えるのは、セトにとっても非常に嬉しいことだ。
水狼が羨ましいと、そんな風に思ったのだろう。
「えーっと、それでお前は一体どうしたんだ? 最近はこっちに出て来てなかった……んだよな?」
最後だけは、近くで様子を見ていた冒険者達に尋ねる。
レイは最近この辺りで行動をするようなことはなかった。
いや、実際にはガメリオンの解体とかで生誕の塔の護衛をしている冒険者達に会いに来てはいたのだが、言ってみればそれだけだ。
湖に近付いて、水狼と接触しようとしたことはなかった。
そんな自分が久しぶりに湖の側までやって来たので、接触してみようと思ったのかもしれないとレイは考える。
「ああ、俺達がいても水狼が姿を現すことはなかったな。湖の広さを考えると、ここに来るよりも他にも色々とやるべきことがあったのかもしれないが」
「あとは、レイ殿が来たから水狼でしたか? このモンスターも来たのではないでしょうか?」
話の成り行きを見守っていた長は、取りあえず水狼はレイの敵ではないと判断したのだろう。
自然に話に入ってくる。
「ワウ?」
しかし、水狼にとって長は……そして少し離れた場所で様子を見ているニールセンは、初めて見る存在だ。
こちらもまた、レイの様子から敵ではないと判断したのか、長やニールセンに襲い掛かる様子はない。
(あれ? これってもしかしてかなり危なかったんじゃないか? もしここで水狼と長が敵対することになった場合……)
その場合、レイは戦いを止めることが出来たのか。
戦って負けるとは思わないが、この場合は双方に勝つのではなく、戦いを止めるのが目的なのだ。
そうである以上、もし戦いになった場合はかなり面倒なことになってたのは間違いない。
そのようなことにならず、お互いに友好的に接したようで何よりと安堵するレイ。
「ワウ……ワオオオオン」
長を見ていた水狼は何故か嬉しそうに雄叫びを上げる。
「あら?」
長の方は何故自分を見て水狼がそこまで嬉しそうにしているのか分からない。
分からないが、それでも友好的な相手にはこちらもまた友好的になる。
これで水狼が長を敵対視していたのなら、長も水狼に友好的な思いは抱かなかっただろう。
何故水狼が長に向かってそこまで友好的な……それは横で見ていたレイを始めとした他の面々も、そして当の長すら分からない。
そんな中で、唯一予想出来たのはニールセンだった。
(多分、長と喧嘩をしたら自分が酷い目に遭うって分かったんじゃないかしら?)
それは、長という相手をよく知っているからこその結論。
自分がこれまで長にされてきたお仕置きの数々を考えれば、ニールセンには長と敵対するという選択肢は最初からない。
もしそのような真似をすれば、それこそ最悪の未来が待っていると決まったようなものなのだから。
「何かしら?」
「っ!? い、いえ。何でもありません!」
水狼と何らかのやり取りをしていた長だったが、不意にニールセンの方を見てそう尋ねる。
その顔には笑みが浮かんでいるものの、その笑みは圧倒的な迫力があった。
もしここで何か言葉を間違えようものなら、自分にとって決定的なミスとなる。
そう判断してもおかしくはないような、そんな笑み。
ニールセンが何を考えていたのかは、長にも何となく分かったのだろう。
しかし、結局ここでその件に対してこれ以上突っ込むようなことはなかった。
水狼やレイとのやり取りがあるからというのもあるが、実際のところはここにいる他の冒険者やリザードマン達にあまりあからさまな光景は見せたくないという思いがあったのだろう。
そんな長に、レイが声を掛ける。
「長、それで水狼とは友好的にやっていけそうか?」
「そうですね。向こうから攻撃をしてくる様子もないので、問題ないかと。……今まではトレントの森の隣に存在する湖ということで、あまり興味を抱いたりはしなかったのですが」
長にとって重要なのは、やはり妖精郷を守ることなのだろう。
その為に妖精郷が存在するトレントの森は注意して見ていても、その隣にある湖は全く気にしてなかったとまではいかないが、それでもトレントの森と比べると注目度はそこまで高くなかった。
しかし、こうして水狼が自分に友好的に接してくれるのだ。
友好的な関係を築けると考えてもおかしくはない。
「言っておくけど、この湖は広い。そして中には色々な生物が住んでいる。水狼のように友好的な種族もいるが、敵対的な種族もいるぞ。……そもそも、俺も最初に水狼と遭遇した時は戦いになったんだし」
「そうなんですか?」
長は驚きの表情を露わにする。
長から見て、レイと水狼の関係は過去に戦ったような間柄だとは思えなかったのだろう。
「言っておくけど、別に夕方の河原で殴り合ったとか、そういうのじゃないぞ?」
「……は?」
レイの口から出た例えが理解出来なかったのだろう。
長は一体何を言ってるのか分からないといった表情をレイに向ける。
いや、それは長だけではなく他の者達もまた同様だった。
レイが口にしたのは、一種のお約束的なものだ。
しかしそれが通じるのは、あくまでも地球……それも日本にいる一部の者達だけだ。
エルジィンにおいて、そんなお約束が通じる訳でもない。
それが分かったのだろう。レイは少し困った様子で水狼に視線を向け……
「ようは、戦ったことによって友情が芽生えたとか、そういう訳じゃないってことだと言えば分かりやすいか?」
「ああ、なるほど。なら最初からそう言ってくれれば分かりやすかったのですが」
「そうだな」
今回の件に関しては素直に自分が悪かったと思うので、素直に謝っておく。
「とにかく、水狼とは色々と……あった訳ではないけど、とにかく今は友好的な関係なんだよ」
水狼との間で具体的に何があった? と考えると、戦った以外は自分は敵ではないと話してオークの肉を与えたくらいしか思い浮かばない。
水狼という名前通り、身体が水で出来ているだけに、オーク肉を食べた時のことは少し驚きだった。
「敢えて言うのなら……餌付けか?」
オーク肉を与えて仲良くなったと考えると、やはり餌付けという表現が正しいのだろう。
また、相手が水狼というモンスターである以上、餌付けで仲良くなったというのは説得力がある。
「けど……何だか分からないけど、随分と強くなったように見えるな」
「ワフ?」
レイの言葉に首を傾げる水狼。
水狼にしてみれば、そこまで自分が強くなったという実感はないのだろう。
では、何故そうなったのか。
レイがいない間に水狼がこの湖で生き残ってきた結果として、強くなったという可能性もある。
しかしそういう理由で強くなったのなら、レイに向かって不思議そうにしたりする必要はない。
自信満々で自分が強くなったと、態度で示せばいいのだ。
なのに、水狼の様子からすると本当に自覚がないように思える。
(何でだ? 以前会った時と比べると明らかに上だ。だとすれば……)
そこまで考えたレイの視線が向けられたのは、未だに燃え続けている巨大なスライム。
ただし、その姿は明らかに……そう、見て分かる程に先程よりも縮んでいる。
レイが黒いサイコロを倒す為に使った魔法による効果……というよりは、黒いサイコロによって身体を黒い塵にされて吸収された結果、巨大なスライムの力が落ちたのだろう。
レイの魔法の威力が勝っていれば、巨大なスライムはとっくに燃えつきていた筈だ。
巨大なスライムの抵抗力が高ければ、レイの魔法を消し去った筈だ。
後者の場合は、抵抗力以外にもスライムの能力として再生能力もあり、総合的にレイの魔法に何とか対抗出来ていた。
しかし、黒いサイコロによって身体を黒い塵とされて吸収されてしまった以上、結果として巨大なスライムの能力は弱まった。
つまり、レイの魔法に対抗出来なくなり……その結果が、現在の縮んだ姿だった。
「あのスライムの力が水狼に流れ込んでいる……?」
「え? どういう意味だ?」
レイの言葉の意味が理解出来なかったのだろう。
話を聞いた冒険者の一人が不思議そうな視線を向ける。
「いや、何か確信がある訳じゃなくて、あくまでも状況証拠から考えたことなんだが。こうして見た限りでは、巨大なスライムが縮んでいる。黒いサイコロと俺の魔法で巨大なスライムが弱まって、その分の力が水狼に流れ込んで強くなったんじゃないかと思ってな」
「いや、けど……何でだ? 巨大なスライムが弱まったのは分かるが、何でその力が水狼に流れ込むようなことに?」
「そこまでは分からない。あくまでも俺が言ったように状況からの予想だし。もしかしたらこの予想は間違っていて、全く違う何かが理由で水狼がこんな風になってる可能性もある。……いっそのこと、この湖を研究してる奴に聞いてみたらどうだ? 今日はいないみたいだけど」
呟くレイに、話を聞いていた冒険者達はあまり当てに出来ないと首を横に振る。
そんな冒険者達の様子を見ながら、レイはミスティリングから水狼に渡すオーク肉を取り出すのだった。
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