3042話
馬車から降りたレイはエレーナとアーラと共にセトに乗ってトレントの森を走っていた。
「こうしてみると、特に何かが変わったようには見えませんね」
走っているセトの背中に乗っていたアーラが、周囲の様子を見ながらそう呟く。
実際、その言葉は決して間違っている訳ではない。
鳥や獣、あるいはモンスターの鳴き声はそれなりに聞こえてくるし、結構な数が森の中で動いている……つまり普通に生活している様子が理解出来た。
「黒い塊にしろ、黒いサイコロにしろ、触れると危険だが、触れなければ問題はない。周囲に余計な被害を出さないというのは、穢れの特徴かもしれないな」
「そういうものなのですか?」
「俺が倒した奴はそうだったな。……ただ、問題なのはそれを倒せる奴がかなり少ないということなんだが」
今のところ、穢れを倒すことが出来るのはレイと長だけだ。
ただし、長の場合は花の形をした宝石に穢れを封印して、その後で儀式を行い、ようやく倒せるというもの。
それに対し、レイの場合は魔法を使えば普通に倒せる。
その差は大きい。
レイとしてはエンシェントドラゴンの魔石を継承したエレーナなら何とかなるのでは? と思っている。
それだけではなく、ヴィヘラはアンブリスを吸収したことによって、マリーナは世界樹の巫女という風に、普通の人間以上の存在となっていた。
それを考えると、ヴィヘラとマリーナも普通に穢れを倒すことが出来てもレイは驚かない。
(さすがにアーラやビューネは難しいと思うけど)
トレントの森を進みつつそんな風に考えていると、やがてレイ達は生誕の塔に近付く。
近付けば、その護衛をしている者達がレイ達の姿を見つけるのは当然だった。
レイやセトがその気なら、生誕の塔の護衛をしている者達に見つからないように忍び込むことも出来るのだが、今回は別にそのような真似をする必要はない。
普通に話をする……より正確にはエレーナが穢れについて説明し、その駄目押しとしてレイが対のオーブを使ってダスカーに説明をして貰うつもりなのだから、堂々と近付いて向こうから見つけて貰う必要があった。
相手に怪しまれるようなことは、この場合しない方がいい。
「おーい、レイ!」
見張りをしていた者達はすぐに近付いてくるのがセトだと理解し、そのセトの背に乗っているのもレイであると確認すると手を振って声を掛けてくる。
レイはセトに合図をし、速度を落とす。
「どうしたんだよ……って、姫将軍!?」
気軽にレイに声を掛けた男だったが、レイの後ろに乗っているのがエレーナであると理解すると、驚きに叫ぶ。
叫んだ男の仲間達も、唖然とした表情を浮かべていた。
勿論、ここにいる冒険者達はエレーナのことを知っている。
レイとパーティを組んでいる訳ではないにしろ、貴族街にあるマリーナの屋敷にエレーナが住んでいるのはそれなりに有名な話だ。
だからこそ、レイとエレーナが一緒に行動していても不思議ではない。
不思議ではないのだが、それでもやはりこうして直接姫将軍と呼ばれている人物を前にすると、緊張してしまう。
ここにいるのはギルドからの信頼が厚い実力者達なのだが、そのような者達であってもエレーナを前にした場合は緊張してしまう。
姫将軍というのは、それ程の重さを持つ異名なのだ。
……姫将軍の異名以外にも、絶世の美貌という表現が相応しいエレーナの美貌を直接見たことによる緊張もそこにはあるのだろうが。
そのように緊張した冒険者達に、ちょうどいいとレイは口を開く。
「悪いけど、ここにいる冒険者達全員、それとリザードマン達にも話がある。今は日中だから色々と動いている奴も多いと思うけど、そういうのも含めて全員……それが無理なら、集められる限りの人数を集めてくれないか?」
「……本気で言ってるのか?」
エレーナの存在感と美貌に圧倒されていた者達だったが、それでもレイの言葉の意味はすぐに理解し、そう尋ねる。
本気か? と口にはしたものの、エレーナが一緒にいるということは冗談で言ってる訳ではないというのはすぐに理解したのだろう。
……なお、当然この場にはレイとエレーナ以外にアーラもいるのだが、アーラはレイの邪魔にならないように特に口を開くでもなく黙り込んでいた。
エレーナと一緒にいる時、その美貌や存在感から多くの者が自分よりもエレーナに目を奪われるというのは、今までの経験から理解している。
そういう意味では、エレーナと並んでいても存在感を消されないレイ……そしてマリーナやヴィヘラといった面々は特別な存在なのだろうと。
そう思うアーラだったが、アーラもまた一般的な視点で見た場合は間違いなく美人に分類される顔立ちなのは間違いない。
もっとも、その外見に見合わぬ剛力を知れば、口説こうと思う者はいないとまではいかずとも、かなり減るだろうが。
エレーナとの件に関しては、比べる相手が悪い。
……ただし、そのようなことを理解した上で、アーラは別にエレーナに嫉妬をしたりといったようなことはない。
寧ろ自分が心酔しているエレーナがそれだけのカリスマ性を持っているのだと、嬉しくすら思ってしまう。
アーラがそんな風に思っている間にも、レイと生誕の塔を護衛している男達の間では話が進んでいた。
「ああ、本気だ。理由については、俺からの言葉だとそこまで信頼出来ないかもしれないから、姫将軍のエレーナから説明させて貰う。また、ダスカー様からも追加で説明がある」
痛い。
説明しながらそう言おうとしたレイだったが、何とか表情に出さないように我慢する。
姫将軍とレイに言われたエレーナが、こちらも照れ臭さは表情に出さなかったものの、それでもレイの背中を抓ったのだ。
レイの後ろに乗っているからこそ、可能なことだった。
「姫将軍が……それにダスカー様か? 一体何があった?」
レイの説明に、ようやくこれが何か大きな出来事があったのだろうと判断する。
ちょっと強いモンスターや、それどころか可能性は非常に低いが盗賊の類がいたからといって、それだけでエレーナやダスカーが出てくる筈もない。
「その辺の説明をする為に必要なんだよ。……多分、俺が言っても信じないだろうし。それで、どうだ? すぐに集められるか?」
「それは……集められるかどうかと言われれば、集められると思う。だが、リザードマンの中にはトレントの森を探索してるような奴とかもいるぞ?」
リザードマンにとって、生誕の塔は守るべき存在だ。
元の世界でもそうだったが、このエルジィンという異世界に転移してきたリザードマン達にとって、生誕の塔は自分達の世界の残滓とも呼ぶべきものなのだ。
だからこそ、生誕の塔はどうあっても守るべき存在だった。
そんな生誕の塔の存在する、トレントの森。
リザードマン達にしてみれば、生誕の塔の存在するトレントの森をしっかりと確認し、危険があるようならその対処をする必要があった。
この地に存在するリザードマンを率いているガガは、本人が強いということもあって、先頭に立って戦っている。
そんなリザードマン達を全員集めるのは、そう簡単なことではない。
しかし、それでも今のレイとしては可能な限りの人数を集める必要があった。
穢れや妖精について話す必要がある以上、どうしてもガガも含めた者達を集める必要がある。
「それでも頼む。今のこの場所の状況についての説明だ。少しでも多くの者に説明する必要がある」
「……分かった。すぐにどうこうとは出来ないかもしれないが、それでも可能な限り集めよう」
レイの様子を見て、男も悠長に構えていられるような余裕はないと、そう理解したのだろう。
エレーナに目を奪われるのを何とか堪えながら、そうレイに言う。
「頼む。このままだと下手をすれば本当に面倒なことになりかねない」
その言葉に男は頷くが、かといってすぐに指示を出すような真似も出来ない。
「話は分かった。だが、俺達のように見張りをしている連中も集めるとなると、モンスターが来たらどうする?」
「取りあえずその辺はセトに守って貰う。セトがいると知れば、多くのモンスターは自分から近付いてくるようなことはないだろうし」
セトの気配を察知して、それでもセトのいる場所に近付いてくる相手というのは、セトを倒すだけの自信を持つモンスターか、あるいは相手との実力差を理解出来ないようなモンスターか。
前者のモンスターは基本的に高ランクモンスターであるので、トレントの森に現れるという可能性はない訳ではないが、それでも少ない。
以前レイ達が遭遇した、翼を持つ黒豹はそのいい例だろう。
そして後者は、ゴブリンのような存在を意味している。
相手が自分よりも圧倒的に強いのに、数で掛かればどうにかなると楽観的に考え、そして実際に戦い、それでようやく自分達には勝てないと判断して逃げ出すような、そんなモンスター。
そのようなモンスターの場合は、倒すのは難しくないものの、数が多く、更には馬鹿なだけに何を考えているのか分からない以上、思いも寄らぬ行動をする可能性がある。
戦うのとは別の意味で厄介な存在なのは間違いなかった。
それでもこうして見張りをしている者達が戦うよりは、襲ってくるモンスターの数が少なくなるのは間違いなかった。
「グルルルルゥ!」
任せて! と自信に満ちた様子で喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、ここで敵が来ないかどうか見張っているのでレイの役に立つのなら問題ないと考えているのだろう。
レイと話していた冒険者も、そんなセトの様子を見て納得したように頷く。
セトがどれだけの強さを持つのか知っているので、ずっと見張りを任せることは出来ないだろうが、それでも自分達がレイ達から話を聞いている間の見張りを任せるといったくらいなら、問題ないと思ったのだろう。
「分かった。じゃあ、それで。ただ、一応上に聞いてみる必要がある。そこまで大事となると、俺だけの判断で全てを決めることは出来ないし」
「それで構わない。ただ、話を聞けば間違いなく動くと思うけどな」
これがレイ個人の事情なら、上の方で自由に判断することが出来る。
ここを任されているような者ならそういう心配はないが、場合によってはレイが気にくわないから話を聞かないといったようなことをする者がいてもおかしくはないのだ。
だが、今回の件はギルムの領主であるダスカーからの指示によるものだ。
この件についてはギルドマスターのワーカーも事情を知ってるので、もしワーカーに連絡をしても指示に従うようにと言われるのは間違いない。
……もっとも、ワーカーがそのように指示をするのなら、レイやエレーナが穢れについて説明しなくても、ワーカーが説明すればいいだけなのだが。
そういう訳にいかないので、こうしてレイやエレーナが生誕の塔までやって来ているのだが。
「取りあえず上には聞くけど、レイ達は通ってくれ」
レイが怪しい相手――ボブとか――を連れてきたのならともかく、今回は違う。
エレーナとアーラが一緒にいるが、その二人の場合の身元は問題ないし、当然ながらダスカーからも許可は貰っている。
もっとも、もし厳格に許可があるのかどうかを確認しようとした場合、アーラは当初予定になかったので、色々と不味いことになっていたかもしれないのだが。
とにかく問題なく見張りのいた場所を通り、レイ達は生誕の塔に向かう。
ゆっくりと移動したのは、見張り達が上司に今回の件を説明する必要があると判断したからだ。
穢れの危険性を考えると、少しでも早く説明をしたいという思いがあったのだが、同時にこの程度の遅れでどうにかなるかと言われれば、そう違いはないだろうと思う。
「こうして見ると、やはりいい腕の者達が揃っているようだな」
レイの後ろで周囲の状況を確認していたエレーナがそう呟く。
冒険者達の身体の動きだけで、大雑把にではあるが実力を見抜くことが出来る。
エレーナもここに来たのは別に今日が初めてという訳ではないが、それでもこうして改めて周囲を歩く冒険者達の様子を見れば、その実力は十分に理解出来たのだろう。
「ここの重要性を考えれば、このくらいの強さの奴を選ぶのも当然だと思うけどな」
「うむ。もしイエロがここにいたら、喜ぶかと思ったのだ。強い冒険者を見るのはイエロも嫌いではないし」
「そうなのか? ……けど、イエロだけで残してきてよかったのか?」
現在、マリーナの家にはイエロだけが残っている。
他にもエレーナの馬車を牽く馬やマリーナの精霊がいるのだが、イエロが遊ぶ相手としてはあまり相応しくない。
あるいは馬ならそれなりに遊んでくれるかもしれないが……
それでも、エレーナが大丈夫だと言うのなら恐らく大丈夫なのだろうと、そうレイは判断するのだった。
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