3041話

「待たせたな」

「いえ、問題ありませんよ」


 マリーナの家の門の内側。

 それでも外からは見えない場所に停まっていた馬車の御者にレイが声を掛けると、その御者は笑みを浮かべてそう返してくる。

 実際にレイがエレーナと話していた時間は三十分程度。

 それだけの時間をここで待っていたとなれば、それなりに退屈だった筈だ。

 それでも御者は不満そうな表情は一切見せず、そう言ってきたのだ。


「そう言って貰えると助かる。それで、これからトレントの森の方に行って貰う。……セトがいるから、間違いなく注目されることになると思うけど」

「それは問題ありません。この馬車を無理に停めるといったような真似は……そうですね。余程後先考えないような者でもなければ、そのような真似はしないでしょう」


 断言する御者だったが、レイはその言葉に反論はない。

 実際にこの馬車を強引に停めるといったような真似をすれば……それこそ、実はダスカーからの急ぎの伝言といった用件ではない限り、ダスカーと敵対するようなことになってもおかしくはなかった。


(問題なのは、貴族の中にはそういうのを全く気にしないような奴がいるってことなんだけどな。いや、貴族に限らないか)


 家が裕福で、親が子供を可愛がるあまり、あるいは興味がなくて叱るようなことがなく、我が儘一杯で育ち、自分は何をしても許されるのだと妙な勘違いをした者。

 そのような者がいた場合、セトがいるからこの馬車にはレイが乗っている。

 そうである以上、クリスタルドラゴンの素材を自分に渡すように命令する。

 無謀にもそう考え、この馬車にちょっかいを出してくるという可能性は十分にあった。


「貴族派であれば、私が何とかしよう」


 エレーナがそう告げる。

 実際、貴族派であればエレーナを前にして強引な真似はまず出来ないだろう。

 馬車にエレーナが乗っていると知らなければ、そのような真似をしてもおかしくはなかったが。


「とにかく、普通に考えればその辺は大丈夫だと思う」


 そんなレイの言葉に、エレーナやアーラも頷く。

 なお、ニールセンは既にレイのドラゴンローブの中に隠れており、御者に見つかる心配はない。

 もし見つかっても、レイが見たところダスカーに忠誠を誓っている人物のように思えるので、そういう意味ではニールセンのことを知られても構わないとは思えたのだが。

 それでもわざわざ知らせる必要もないだろうと判断し、レイはニールセンをドラゴンローブから出すような真似はしない。


「セト、この馬車についてきてくれよ。子供達が遊びたいと言ったり、美味そうな料理を出すような屋台があっても、寄り道はしないから」

「グルゥ」


 大丈夫と、そう喉を鳴らすセト。

 そんなセトを見つつ、取りあえず安心するのだった。






「ちょ……おい、見ろ! あの馬車、セトが一緒にいるぞ!」

「え? ってことは、あの馬車にはレイが乗ってるのか!? おい早く上に知らせてこい! レイを見つけたって!」

「ちょっと待って。あの馬車はダスカー様の馬車よ? あの馬車にもしレイが乗っていても、馬車を停めることは出来ないわ」

「何? ……ちぃっ、それならどうしろってんだ。くそ……いや、まぁ、いい。レイが乗ってると思しき馬車は見つけたんだ。それをどうするのかは、上の方で考えてくれるだろ。とにかく、連絡をしてこい!」


 そんなやり取りが色々な場所で起きる。

 中にはこうして堂々とセトが馬車の側にいるのを見て怪しみ、馬車がブラフではないかと思っている者もいた。

 ただし、やはりセトが一緒にいるので馬車が一番怪しいと思う者は多く、何人もがそんな馬車を追い始めた。


「随分とついてきてるけど、俺達がギルムから出るとなれば、どうするんだろうな。やっぱり一緒にくるのか?」

「冒険者ならギルムから出る手続きがかなり省略されているものの、それ以外の者の場合はそう簡単にはいかないだろう」

「なら、問題はないか。……もっとも、冒険者も結構多いらしいけど」

「その場合は、ギルムから出ると馬車と歩きの違いが出るだろう。向こうが馬車を用意していれば、どうにかなるかもしれないが」

「もしそうなったら、ちょっとセトに頑張って貰う方がいいな」


 基本的に馬車を牽く馬であっても、セトを怖がることは多い。

 現在レイ達が乗ってる馬車を牽く馬のように、しっかりと訓練された馬車なら、そこまで怖がるようなことはないだろうが。

 ダスカーにとっても、この馬車を牽く馬はそれなりに貴重な馬だ。

 だというのにこうしてその馬を用意したのは、セトの存在を考えに入れていたからだろう。

 今更ながらにそのことに気が付き、感謝するレイ。


「私達が正門に向かっているのに気が付いた者も出て来たようだな。追ってくる者が少なくなった。馬車を用意したのか、もしくは諦めたのか」

「出来れば諦めた方であって欲しいんだけどな」


 馬車を用意してまで追ってくるような相手がいた場合、それこそセトに頼んで相手の馬を怯えさせるといったような真似をしなければならない。

 レイとしては、出来ればそのような真似は避けたい。

 馬が驚くだけならまだしも、それによって暴走してどこかに走っていく……それも馬車ごとそのような真似をするとなれば、間違いなく大きな騒動となってしまう。

 それだけではなく、ギルムの前には今も結構な数の商人や冒険者達、それ以外にも様々な者達が中に入ろうと手続きを待っているのだ。

 そのような場所で大きな騒動を起こした場合、どうなるか。

 レイ達を追ってきた馬車だけならまだしも、何の関係もない者達が乗っている馬車も暴走してしまうかもしれなかった。

 そうならないよう、ギルムから離れた場所……街道からも離れ、トレントの森に向かう途中でセトに馬を驚かせて貰うといった手段もあったが、今の状況を思えば出来れば止めた方がいいだろうというのがレイの考えだった。

 そうこうしているうちに、馬車は正門に到着する。

 本来なら街を出る手続きをきちんとする必要があるのだが……御者が警備兵に何かを見せると、そのまま特に手続きをするようなこともないまま外に出ることが出来た。

 セトが一緒にいるので、警備兵達も馬車にいるのが誰なのかというのは予想出来たのだろう。

 そしてレイがギルドカードを見せた警備兵から事情を聞いている者達がいたのも影響していた。

 現在レイがギルムに戻ってくると、当然だが大きな騒動となるのは明らかだ。

 それを知った上でレイがギルムに戻ってきたのだから、それを知った警備兵達は何か問題が……それもちょっとやそっとでは解決出来ないような何らかの問題が起きたと判断してもおかしくはない。

 警備兵として、何らかの問題を解決しようとしているのだろうレイの邪魔をするような真似は許容出来ないといったところか。

 実際、そんな警備兵の配慮にレイは助かったと思う。

 いや、レイだけではなく、馬車に乗っていた他の全員もそうだろう。


「ぷふぁっ……あれ、何か深刻というか面倒そうな様子だったと思ったんだけど。そうでもなかったの?」


 いつまでもドラゴンローブの中にいるのが飽きたのか、ドラゴンローブから抜け出したニールセンがそんな風に告げる。


「一応言っておくけど、馬車が停まったらまたドラゴンローブの中に入れよ? もしくは、このまま馬車の中に隠れていてもいいけど」

「ぶーぶー、それじゃつまらないじゃない」

「結局ニールセンもギルムに戻るんだから、あのまま向こうに残っていても……それはそれで問題か」


 レイがニールセンに突きつけた、三つの選択肢。

 レイと共に行動するか、エレーナと共に行動するか、妖精郷に戻るか。

 そんな中でニールセンが選んだのは、レイと一緒に行動するというものだった。

 ニールセンにしてみれば、エレーナと一緒に行動するのも面白いと思ったのだが、そうなるとトレントの森で行動することになる。

 トレントの森で行動していると、場合によっては長に何らかの手段で戻ってくるように言われてもおかしくはない。

 それは遠慮したかったし、その点では妖精郷に戻るという選択肢もなしだ。

 最終的に残ったのは、結局レイと一緒に行動するというものだけだった。


「私が一人でギルムに残っても、好き勝手に動くような真似は出来なかったんでしょう?」

「出来ると思うのか?」

「思わないわよ。だから、こうしてレイと一緒に行動してるんじゃない。……あーあ、早く私達が自由にギルムで行動出来るようにならないかしら」

「それは……すぐには無理だろうな」


 そう答えたのは、レイではなくエレーナ。

 レイよりも政治に詳しいからこそ、今回の件で妖精について知られても、そう簡単に妖精達がギルムで行動するといった真似は出来ないだろうと思ったのだ。

 それはアーラも同様だったらしく、エレーナに続けて頷く。


「そうですね。ニールセン達がギルムで自由に行動するとなると……数年、もしくはそれ以上の時間は必要になるかと。もっとも、その数年の間に妖精郷が移動するといったようなことがなければの話ですが」

「う……そうなったらちょっとつまらないわね」


 アーラの言葉はニールセンの期待していたものと大きく違ったのだろう。

 不満そうな様子で呟く。


「そう言ってもな。今のこの状況を考えると、妖精についてそう簡単に話したりといったような真似は出来る筈もないだろう? それくらいはニールセンにも分かると思うが?」

「それは……」


 ドラゴンローブの中に入っているとはいえ、それでも実際にギルムを見て回った経験を持つニールセンだけに、レイの言葉は強く納得出来るものがあった。

 だが同時に、そのような場所だからこそ自分も好きなように動き回ってみたいと思うのだろう。

 そうして話していると、不意に御者が声を掛けてくる。


「皆さん、そろそろトレントの森が見えてきましたが、どうすればいいでしょうか?」

「あ、じゃあこの辺で停めてくれ。……ニールセン」


 レイは御者に言葉を返してから、ニールセンにドラゴンローブの中に入るように言う。

 ニールセンはそんなレイの指示に、不承不承といった様子で従う。

 ドラゴンローブから出て、まだそれ程時間は経っていない。

 それだけに、出来ればもう少し馬車の中で動き回っていたかったのだろう。

 それはレイにも分かるが、だからといってニールセンに好き勝手させる訳にいかないのも事実。

 ニールセンもここで自分勝手な真似をすれば、それを長に話されるかもしれないという思いもあったのだろう。


(御者の声が聞こえてきたってことは、御者にも馬車の中の声は聞こえていた筈だよな? だとすれば御者にもニールセンの声が聞こえていたってことになるんだけど……どうなんだ?)


 御者も馬車に乗ってるのがレイ、エレーナ、アーラの三人であるのは知っている筈だ。

 そんな三人以外の声が聞こえてくれば、気になってもおかしくはない。

 しかし、こうして見た限りではニールセンの声を気にした様子はなかった。

 実は聞こえていなかった……というような楽観的な予想はさすがに出来ない。

 ここでレイが思ったのは、恐らく聞こえているのだろうが御者は聞こえない振りをしているということだった。

 今回の件でわざわざダスカーから指名されて御者をやっているような人物である以上、ダスカーの信頼が厚いのは間違いない。

 だからこそ、こういう時にどうすればいいのかは十分に分かっているのだろう。


(そういう意味では、ダスカー様に感謝だな。実は何も知らないで下手に興味を持つような奴だったりした場合、面倒なことになっていただろうし)


 馬車から降りると、レイは感謝を込めて御者にサンドイッチを渡す。


「俺達が戻ってくるまで待機していて貰うけど、もしモンスターが襲ってきたら逃げてもいい」

「分かりました。ただ、最近は街道の近くのモンスターは冒険者によって倒されてますので、心配はいらないかと」

「だといいけどな。ここは街道の近くではあっても、逸れてるんだ。万が一があるかもしれないと考えれば、注意するに越したことはない。このサンドイッチは俺達が戻ってくるまでに腹が減ったら食べてくれ。お勧めだ」


 実はそのサンドイッチはセトやニールセン、イエロに渡したサンドイッチと同じ店で買ったものだ。

 当然ながら、それだけに美味い。

 ドラゴンローブの中で話を聞いていたニールセン、羨ましいという思いを込めてレイの身体を蹴る。

 声を上げる程に痛い訳ではないが、それでもいきなりで衝撃があったことを表情に出さないようにしながら、レイはセトとエレーナ、アーラに声を掛けるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る