3040話

 自分が生誕の塔に行くと聞かされたエレーナは、素直に疑問を口にする。


「何故私が?」


 その疑問は、当然のようにレイも言われると思っていた。

 だからこそ、特に動揺したり驚いたりといった様子もなく口を開く。


「色々と理由はあるが、まず大前提として今回の件……具体的には穢れの件や妖精郷について知っている者はかなり少ない。それはいいな?」


 確認の意味を込めて尋ねるレイに、エレーナは当然といった様子で頷いて見せる。

 エレーナにしてみれば、その程度のことを分からないと思われる方が不満ですらある。


「この件を知ってる中で偉い……というか、地位があるのはダスカー様とワーカーだ。けど、今は増築工事やら何やらで忙しくて、生誕の塔まで説明に行くことが出来ない。かといって、生誕の塔にいる護衛の冒険者やリザードマンを連れてくるとなれば、それはそれで本末転倒だしな」


 守る為に護衛として冒険者を置いており、さらにはリザードマン達にとって生誕の塔は神聖な場所だ。

 そのような場所に出て来る穢れや妖精について説明するからギルムまでやって来いと言うのでは意味がない。

 あるいは半分ずつ連れてくるといった方法もあるが、それはそれでダスカーやワーカーの時間を取りすぎる。


「でも、それで何故私が?」

「正確には、エレーナじゃなくてエレーナの持っている対のオーブだな」

「ああ、なるほど」


 それだけで、エレーナはレイの言いたいことを理解したのだろう。

 納得した様子を見せる。

 同時に、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべる。

 もし本当に対のオーブだけが必要なのなら、それこそ対のオーブだけを持っていけばいい。

 そのような真似をしなかったのは、レイがエレーナのことをしっかりと考えていてくれたからだと、そう理解したのだ。


「そうなると、レイは私を生誕の塔まで送り、それから領主の館に戻るということになるのか?」


 対のオーブを使うということは、そうなる。

 あるいはレイの持つ対のオーブをダスカーに渡しておくという手段もあったが、レイの様子を見る限りではそのようにするとは思えない。

 また、ダスカーが非常に忙しい状況となると、対のオーブを実際に使ったり、あるいは下手な真似をして壊さないようにする必要がある為、レイが管理をするのが最善だと思ったのだろう。

 レイとしては、そこまで深く考えていた訳ではない。

 ただ、それでも自分が領主の館で対のオーブを使おうと考えていたのは間違いないので、エレーナの言葉に頷く。


「そうだ。エレーナが生誕の塔に行けば、まず間違いなくその場にいる連中は注目する。……もっとも、リザードマン達の中にはガガやゾゾを抜かせばエレーナと親しい奴はいないので、そこまで気にしないだろうけど」


 冒険者の場合は、姫将軍の異名を持つエレーナについて間違いなく全員が知っているだろう。

 しかし、リザードマンはそもそもエレーナと関わることそのものが少ない。

 レイが口にしたように、ガガやゾゾはレイと共にマリーナの家でエレーナと接したこともあり、模擬戦をしたこともあるのだが。


「少しお待ち下さい。そうなると、穢れが出てくる場所にエレーナ様をお連れするということになるのですか? それは……もし穢れと遭遇した場合、どうなるのでしょう?」


 レイとエレーナの会話を聞いていたアーラは、賛成出来ないといった様子でそう告げる。

 アーラにしてみれば、エレーナが何故そのような危険な真似をしないといけないのかと、不満に思うのだろう。

 穢れについてもっと詳しく分かっていれば、もう少し話は別だったかもしれないが。


「穢れについては、今のところ俺しか倒せないから逃げ……いや、どうだろうな」


 逃げるしかない。

 そう言おうとしたレイだったが、その視線がエレーナに向けられる。

 エレーナは元々はただの人だったものの、今は中途半端ながら継承の儀式を成功させ、エンシェントドラゴンの魔石を継承している。

 外見こそ普通の人間ではあるものの、正確には人間ではない。

 ……もっとも、その歴史上稀に見る美貌を普通と表現するのは明らかにおかしいのだが。

 ともあれ、そんなエレーナである以上、もしかしたら穢れをどうにか出来る可能性も否定は出来なかった。


「エレーナなら、もしかしたら竜言語魔法とかで穢れをどうにか出来るかもしれないな」

「それは……ですが、それは確実にそうなるとは言えないのでしょう?」

「試してない以上、その辺りについてはまだ色々と分からないことが多いのは間違いない。そもそもの話、俺の魔法で穢れを倒せるというのも何らかの確信があってそうした訳じゃなくて、やってみたら倒せたんだし」


 レイのその言葉は真実だった。

 自分の魔法なら確実に敵を倒せるという確信があったから、穢れを……黒い塊、黒いサイコロ、黒い塵の人型を倒した訳ではない。

 そうである以上、エレーナなら絶対に敵を倒せるという確信はレイにもない。

 ただ、それでも恐らく……本当に恐らくではあるが、エレーナならどうにかなるだろうという予感はあった。


「でしたら……」

「アーラ」


 レイに対し、更に何かを言い募ろうとしたアーラだったが、エレーナからの声を聞くとそれ以上は何も言えなくなる。

 今の状況を思えば、アーラにとってはまだ言い足りないと思うところはあるのだろう。


「レイ、私は行こうと思う」

「いいのか? ……いや、行って欲しいと頼んだ俺がこういうことを言うのもどうかと思うけど」

「うむ。レイから頼まれたから行くことにしたのは間違いない。だが、私が行くと決めた理由はそれだけではない。私自身、穢れという存在に興味があるのだ」

「興味? ……穢れにか?」

「うむ。実際のところ、現在その穢れというのが何なのかというのは、具体的には分かっていない。だが、もし私がそれを知ることが出来たら……そうなったら、どうなると思う?」

「どうなるも何も、俺としては助かるとしか言いようがないけど?」


 レイの言葉に一瞬意表を突かれたような表情を浮かべるものの、エレーナはすぐに笑みを浮かべる。


「そうだな。レイであればそう言ってもおかしくはない」

「……一応聞くけど、それって褒められてるんだよな?」


 自分のことをどういう風に言ってるのか、あまり分からない。

 それでも取りあえず自分が貶された訳ではないのは、間違いのない事実だと思える。


「ふふっ、どうだろうな。……とにかく、私が行くと決めたのだ」


 レイは何がどうなって、こうしてエレーナがやる気になったのかは分からない。

 しかし、それでもこう言っている以上、レイが反対しても行くだろう。

 ……そもそも、レイにしてみればエレーナに生誕の塔に行って貰いたかったのだから、最初から反対するようなつもりはなかったのだが。

 アーラもエレーナがこう言えばこれ以上自分が何を言っても無駄だと判断したのか、黙り込む。


「では、早速だがこれからの予定を話すとしよう。アーラは私の装備の準備を頼む」


 エレーナの言葉に、アーラは不承不承ではあったものの、装備を整えるべく家の中に向かう。


「それで、これからのことだが……レイのことだ、もうダスカー殿と大体の話は決めてあるのだろう?」

「そうだな。ただ、あくまでもそれは大雑把な流れだ。実際には色々と予想外の出来事が起きる可能性があるから、そうなった時はエレーナの判断で動いて貰う必要がある」

「予想外の出来事。それはつまり、穢れと遭遇した場合か?」

「ああ。さっきも言ったように、エレーナなら穢れをどうにか出来る可能性がある。それを試してみるというのは、悪い話じゃないだろう?」


 その言葉に笑みを浮かべるエレーナ。

 エレーナはヴィヘラのように強敵との戦いを楽しむといったことはないのだが、だからといって嫌いな訳でもない。

 ましてや、放っておけば大陸が滅びてしまうと言われている穢れだ。

 そのような相手を倒せるのなら、自分でも試しておきたいと思うのは当然だろう。

 これはレイが大変だからそのように思うという一面があると同時に、一応は貴族派に所属する者として、穢れの対処をレイだけに任せきりになるのは不味いという判断もあった。

 もっとも、純粋に割合で考えると前者の方が圧倒的に大きいのだが。


「分かった。もしそのようなことがあったら、しっかりと試してみよう。私の役目は、極論すると生誕の塔の護衛達にしっかりとダスカー殿の話を聞かせるようにすることだと考えてもいいか?」


 それは表現は悪いが、一種の客寄せパンダのような扱いだろう。

 しかし、エレーナはレイのその言葉に不満を漏らすようなことはしない。


「ふむ、レイの言うことであれば、その通りにしよう」


 エレーナのこの言葉は、もしそのような真似をするように言ったのがレイではなかった場合、素直にその言葉を聞くようなことはなかったという意思表示だろう。

 レイもそれが分かっているので、素直に感謝の言葉を口にする。


「悪いな」

「何、今の状況については私も理解している。ただ……悪いと思っていたら、今度……その、どこかに一緒に出掛けてくれると助かる」


 姫将軍と呼ばれるエレーナが、頬を薄らと赤くしてデートに誘う光景。

 もしこの光景をエレーナについて何も知らない者が見たら、姫将軍というのは乙女であると誤解するだろう。

 ……実際にはレイに恋する乙女であるのは事実なので、その認識は決して間違っている訳ではないのだが。

 それでも姫将軍と言われて多くの者が思い浮かぶのは、当然ながら凜々しい女将軍といったところだろう。

 そういう意味では、今この状態でマリーナの家の中庭に存在するのは、姫将軍ではなく恋する乙女だった。


「エレーナ様、装備の準備整いました」

「……こほん。うむ、助かった……うん?」


 アーラの声で我に返ったエレーナが咳払いをして気を取り直し、アーラの方を見る。

 するとそこには、アーラがエレーナの装備を持って立っていた。

 それは問題ないのだが、アーラもまた鎧やパワー・アクスを装備して万全の状態となっていたのだ。


「アーラ?」


 エレーナは自分とレイだけで――他にもセトやイエロやニールセンもいるが――行くつもりだっただけに、アーラのこの様子は完全に予想外だったのだろう。


「どうかしましたか?」

「何故アーラも万全の状態なのだ?」

「エレーナ様がトレントの森に行く以上、私がいかないという選択肢はないと思いますが」


 アーラにしてみれば、エレーナがトレントの森に行くのだから、自分も行くのは当然だった。

 しかし、そんなアーラとは違ってエレーナは少し慌てた様子で口を開く。


「そんな必要はないだろう? レイが連れて行きたがっているのは私だ」

「それでもエレーナ様のいる場所は私がいる場所ですから。そうである以上、私がそこにいるのは当然の話です」


 きっぱりとそう告げる以上、エレーナもアーラに対して何も言えなくなる。

 もしここでエレーナが残るように言っても、アーラが退くことはないだろう。


「レイ、構わないか?」

「セトの大きさを考えれば、三人くらい乗るのは全く問題ない。エレーナが問題ないのなら、俺は構わないぞ」


 レイにしてみれば、エレーナとアーラが一緒にいるのは特に問題はない。

 アーラ一人が増えても、セトの移動速度は変わらないのだから。


「感謝する」


 そう言い、エレーナはアーラの持ってきた装備を身につけていく。


「ねぇ、レイ。私はどうするの? 言っておくけど、また忘れられるのは嫌よ」


 エレーナが装備を身につけていくのを見ていたレイは、不意にニールセンにそう尋ねられる。

 この場合のどうするかというのは、当然ながらギルムから出る時……の話ではなく、生誕の塔に到着してからのことだろう。


「そう言ってもな。俺はエレーナを生誕の塔に届けたら、またすぐにギルムに戻るぞ? エレーナと一緒にいて、ダスカー様が妖精郷についても話した時にその姿を見せるか、あるいは俺と一緒にギルムに戻ってきて、ダスカー様が説明するのに付き合うか。どっちがいい?」


 そう聞いてから、レイは第三の選択があったことに気が付く。


「別の道もあったな。具体的には俺にもエレーナにも付き合わないで、妖精郷に戻るとか」

「うーん、取りあえずそれはないわね」


 あっさりとそう告げるニールセン。

 妖精郷に戻って長と会うよりも、レイかエレーナのどちらかと一緒に行動する方がいいと、そう思ったのだろう。

 そんなニールセンの言葉に、取りあえずレイは好きにしろと言うのだった。

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