3032話

 取りあえずギルムに戻るということになると、レイは他の面々と一緒に移動を開始した。

 最初はレイだけで行こうとしたのだが、ギルムに入る際の手続きをする警備兵が新人だった場合のことを考えると、多数で同時に移動して、ベテランの事情を分かっている警備兵をレイに担当させた方がいいということになったのだ。

 それを抜きにしても、黒いサイコロが出て来た以上は木の伐採は出来ない。

 今のところ黒いサイコロを倒すことが出来るのはレイだけだ。

 そのレイがギルムに向かうと言ってるのだから、もし再度黒いサイコロが出て来たら逃げるしか出来ない。

 あるいはレイ達が黒いサイコロの中でも他よりも大きな個体……黒い塊の時は転移の出入り口だった個体を倒していれば、まだ安心は出来たのだろうが。

 そうではない以上、樵達の安全を確保する為にもギルムに戻った方がいいと判断したのだ。


「グルルゥ」


 そうしてトレントの森から街道に出る少し前、セトはレイに向かって喉を鳴らす。

 レイから言われたように、少し待ってからマリーナの家に上空から入るつもりなのだ。

 具体的には三十分くらいしてから突っ込むのが最善だとレイは思っていたが、セトにそこまで詳しい時間を数えられるとはレイには思えなかった。

 もっとも、セトの能力を考えるともしかしたら……と、そう思ってしまうのだが。

 その辺に関しては、結局のところ実際に試してみるしかない。

 今回の件はそこまでの時間を合わせる必要がある訳でもないので、多少の差異があっても特に問題ないのだが。


「じゃあ、頼むな」

「グルゥ!」


 レイの声を聞き、やる気を見せながら離れていくセト。

 マリーナの家に行くまでそれなりに時間を潰す必要があるので、何か面白いものでもないのかと思っているのだろう。

 そんなセトを見送ると、レイは他の面々と一緒に歩いて移動する。


「そう言えば、この時間に帰るのもそうだが……何より、伐採した木を運ばなくてもいいってのは楽だよな」


 ふと、冒険者の一人が呟く。

 すると他の面々も同様に頷いた。

 冒険者達は樵の護衛もそうだが、伐採した木を運ぶのも仕事のうちだ。

 そういう意味では、かなり忙しいし重労働だ。

 とはいえ、ギルドにある程度信頼されている冒険者達だけに、その実力も相応のものではある。

 だが、それでも疲れるし、大変だし、面倒なのは事実。

 しかし、今日に限っては違う。

 レイがいるので、午前中……正確には黒いサイコロと遭遇するまでに伐採した木は、レイのミスティリングに収納されている。

 つまり、冒険者達は手ぶら……あるいは自分の武器を持つ程度で、楽に歩くことが出来ていた。


「レイがいると本当に便利だよな。……なぁ、レイ。レイは前も伐採した木を運んでいたんだろう? なら、これからもそれは出来ないのか?」

「出来ないな」


 冒険者の一人が言いたいことはレイにも理解出来る。

 実際、レイがこちらの仕事に回れれば冒険者達はかなり楽を出来る……だけではなく、伐採した木を運ぶ効率も上がり、最終的には増築工事そのものも今までよりも早く進むのだから。

 しかし、だからといってレイがそちらだけに関わるような真似は出来なかった。


「元々俺が伐採した木の運搬を含めて色々な仕事をしていたのは、あくまでも増築工事の初期で色々と足りなかったからだ。こう見えて、俺も高ランク冒険者だ。そっちだけに集中する訳にはいかないんだよ」


 これは嘘ではないが本当でもない。

 あるいは嘘でもあって本当でもあると表現すべきか。

 レイの場合、やろうと思えば出来る。

 しかし、そうなるとここだけではなく他の場所からも手伝って欲しいと言われるのは目に見えているので、出来れば遠慮したかった。

 また、今となっては穢れの件もある。

 昨夜や今日といった具合に、現在のところはトレントの森の中だけにしか敵は出て来ていない。

 だが……それはあくまでも今のところだ。

 場合によっては、それこそレイには予想もつかない場所に敵が姿を現す可能性もあった。

 それこそ妖精郷に突然姿を現せば……と、そんな風に考えていたところで、ふと気が付く。


(あれ? ニールセンってどうしたんだ?)


 トレントの森で別行動をしてから、その行方は全く分からない。

 妖精の件は秘密なので、そう簡単に人前に出て来られる状況でないのは間違いないのだが。

 色々と予想外の事態だったのでニールセンのことをすっかり忘れていたレイだったが、それでも今どうしているのかは気になる。

 さり気なく周囲を見回す。

 だが、既にトレントの森から出ている以上、木の枝や茂みに隠れるといった真似も出来ない以上、現在はレイの近くにいないのは間違いなかった。

 だとすれば、一体どこにいるのか。


(セトと一緒だといいんだけどな。……その辺は多分大丈夫だと思っておきたい)


 あくまでもそうなっていればいいという希望的な観測ではあったが、それでもやはりそうであって欲しいと思う。


「レイ、どうした? ……もしかして、またあの黒いサイコロでも出たのか?」


 周囲の様子を見ているレイに、冒険者の一人がそう尋ねる。

 その一言に他の冒険者たちも周囲の様子を警戒し始め……それを見たレイは、慌てて首を横に振る。


「いや、そういうのじゃないから安心してくれ。ただ……そう、セトが予定通り上手くやってくれるかどうか、ちょっと心配だったんだよ」


 レイの説明を聞いた者達が、安堵の息を漏らす。

 もし今この状況で新たな敵が姿を現したりしたら、それこそ一体どうなっていたのかと、そう思ったのだろう。

 ここにいる中で黒いサイコロに対抗出来るのがレイしかいない以上、そのように思うのは当然だったが。

 もし再度黒いサイコロが現れた場合、敵の相手はレイに任せ、自分たちは樵達を守りながら少しでも戦場から離れるといった真似をする必要があった。


「多分……本当に多分だけど、心配する必要はない。今のところあの連中が姿を現すのは、トレントの森の中だけだし」

「それはそれで、仕事が出来ないから困るんだけどな」


 樵の一人がそうぼやく。

 樵達にしてみれば、自分達は木を伐採してこそ仕事をこなせるのだ。

 実際に報酬は伐採した木によって変わってくる以上、このままでは予想していたよりも稼ぐことが出来なくなってしまう。

 樵達がギルムに来ているのは、出稼ぎの為だ。

 もっと直接的に表現するとなると、金を稼ぐ為となる。

 だというのに、その金を稼げないとなると……それこそギルムに滞在するだけで余計な金が掛かってしまう。

 もう少しで今年の増築工事も終わるので、最後に大きく稼ぎたいと思っていた樵達にしてみれば、今回の件は完全に意表を突かれた形だろう。

 あるいは、もうそろそろ冬になって増築工事が一段落する今になってトレントの森で木の伐採が出来なくなった……と、そのことを不幸中の幸いと捉えるか。

 あるいは、もう少し金を稼ぐにしても樵ではなくもっと別の仕事……例えば普通に増築工事の仕事をすることが出来る。

 ただ、技能職である樵と違って、増設工事の方は下働きが主となる。

 大工の技術があれば、また話は別だが。


「その辺については、ワーカーと相談してみるとか? 黒いサイコロの件に関わっている俺が言うのもなんだけど、今回の件は樵達には関係のないところで仕事が出来なくなったんだから、もしかしたら多少の報酬は貰えるかもしれないだろうし」


 ただ、その時に貰える報酬は本当にレイが口にしたように、多少のといったところだろう。

 木を伐採した時のような出来高の報酬を貰ったりといったことはまず出来ない。

 それを不満に思うか、あるいは仕事をしなくてもせめてそれだけは貰えると納得するのかは、樵達次第だが。


「お、人が多くなってきたな。レイは顔を見られないように注意しろよ」


 話ながら歩いていた一行は、街道に出る。

 トレントの森から続く踏み固められて作られた道と違い、街道はきちんとした道になっている。

 当然のようにギルムに向かう者も多く、冒険者の一人が口にしたように通行人はかなり多くなってきた。


「こうして街道を歩くことは滅多にないけど、こうして見ると確かに人が増えてるように思えるな」


 いつもはセトに乗って空を移動しているレイにしてみれば、馬車を使ってではなく、こうして実際に歩いて街道を進むというのはかなり久しぶりの感覚だった。


「そうなのか? 俺達にしてみれば、これが普通の感覚だけど」

「レイと一緒にするのが、そもそも間違ってるだろ」


 そうして会話をしながら街道を進む一行。

 やがてギルムに到着すると、中に入る手続きをする為に並ぶ。

 ただし、冒険者――今回は樵も含む――とそれ以外の者では、並ぶ場所が違う。

 仕事でギルムの外に出ていた冒険者達は、中に入る手続きが大分簡略化されている為だ。

 レイ達の前には、荷車にガメリオンを積んでいる冒険者がいた。

 その冒険者達の機嫌がいいのは、ガメリオンを無事に倒すことが出来たからだろう。

 レイが見たところ、ガメリオンの傷もそこまで酷いものではなく、肉質にも影響がないように思える。


「それなりに腕の立つパーティみたいだな」


 レイの隣にいた冒険者の男が、小さく言ってくる。

 他の何人かもガメリオンの状態のよさに感心した様子を見せていた。


「けど、解体をしないで丸々一匹持ってくるのはどうなんだ? 使えない部位を捨てて、売れる場所だけ持ってくればもっと稼げるだろうに」

「そうだな。ガメリオンの状態を見る限り、戦闘能力って点だとそれなりに高いみたいだし。冒険者達の様子を見ても、疲れているようには見えない。戦おうと思えばもっと戦えたと思うんだが」


 そんな風に相手に聞こえないように言葉を交わしていると、不意にレイ達の前にいた冒険者達の一人が振り返る。


「どうかしたか?」


 それはレイ達に喧嘩を売ってるといったようなことではなく、単純に疑問に思っての質問。

 もしレイがフードを被っていなければ、レイをレイと認識出来ていて、もっと違う態度になったかもしれない。

 しかし、今は幸いなことに向こうもレイの正体に気が付いていないらしかった。

 そう見てとった樵の護衛の冒険者の一人が、さりげなくレイを隠すようにしながら前に出て口を開く。


「いや、このガメリオンは状態がいいと思ってな。凄いなって話をしてたんだよ」


 その言葉に、荷車の近くにいた冒険者は嬉しそうな表情を浮かべてる。


「だろう? このガメリオンを倒す時は結構苦労したんだよ。何しろガメリオンってのは大体そうだが、かなり瞬発力がある。この巨体が一気に跳んでくるってのは、厄介でしかない。それをこう、回避しながらすれ違いながら一撃を……」

「って、おい。自慢話はいいから。俺達の番だぞ!」


 どうやってガメリオンを倒したのかといった話を自慢げしていた男は、その途中で仲間にそう言われると、まだ話したりないのか不満そうな様子を見せる。

 だが、自分達の番だと言われれば、その場に留まる訳にもいかないのだろう。

 悪いなと小さく手を上げてから、荷車と共に移動して警備兵と話し始める。


「悪いな」


 そうレイが言ったのは、自分を庇ってくれた冒険者に対してだ。

 あのまま話していても、向こうがレイをレイだと認識出来たのかどうかは分からない。

 それでも万が一を考えると、あの行動にレイは助けられた。

 こうして並んでいる状況で、ここにレイがいるといったようなことを騒がれた場合、間違いなく面倒なことになっていたのだろうから。


「気にするな。レイには助けて貰ったんだ。この程度のことはどうってことない」


 レイがいなければ、黒いサイコロを倒すことは出来なかった。

 あの黒いサイコロに延々と狙われるということを考えると、そのような事態は絶対に遠慮したかった。

 そういう意味では、少し庇った程度でレイに恩を返したとは思えない。


「次」


 警備兵のそんな声が聞こえてくる。

 ガメリオン狩りをしていた者達は、すぐに手続きを終えたのだろう。

 元々レイ達が並んでいるのは、冒険者達が使う簡易的な手続きの方なのだから、こうして素早く順番が回ってくるのも当然だろう。


「ん? 樵か? 今日はまた随分と早いな」


 警備兵の一人が樵達の姿を見て、そう呟く。

 いつもなら夕方近くになってから戻ってくるのに、昼前に戻ってきたのだ。

 そんな疑問を抱くのも当然だろう。


「ちょっと問題があってな。それで一旦戻ってきた。それより早く手続きをしてくれないか?」


 冒険者の一人がそう言い、警備兵も慣れた様子で手続きを行う。

 そんな中、冒険者達はそれとなく動いてレイをベテランの警備兵の前に向かわせ……


「なっ!?」


 レイのギルドカードを受け取った警備兵は、それを確認すると驚きに大きく目を見開くのだった。

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