断罪されても王太子が変わるだけですが、何か?
チョコころね
前編
「パッヘルベル公爵令嬢レティシア、君を断罪する!」
「はぁ」
レティシアは非常にやる気のない声を上げた。
実際、扇の下ではあくびを噛み殺している。
「『はぁ』じゃないだろう!?」
「では、断罪とは何ですか?」
「覚えがないと言うのか!」
「はぁ」
「覚えがないと言うなら、言ってやる!」
レティシアは、扇を持っていない方の手を振った。
話など、聞くだけ無駄だ。
「結構です。私をその、断罪して?何がしたいのか、おっしゃっていただければ」
出鼻を挫かれたリヒャルト王子は、次の行動に悩んでしばしフリーズしたが、自身の左手を掴む女性に手を引かれ、はっとしたように口を開いた。
そして、レティシアを指差していた右手を、口に当てコホンと咳払いする。
「あーそのだな。断罪されるような君は、私の婚約者にふさわしくない。よって、この…」
王子は左手で、
女性は嬉しそうに王子にしなだれかかる。その際、襟ぐりの開いたドレスからはみ出しそうな豊満な胸を、きちっと王子に当てるのを忘れない。
「イザベル・キルヒホフ男爵令嬢を我が婚約者とする!」
「はぁ…キルヒホフ男爵令嬢ですか。殿下は本当にその方でよろしいのですね?」
「ほらぁ!また男爵令嬢ってバカにした!くやしいー、リヒャルト様ぁ」
黄色い声を出した男爵令嬢はハンカチで目を覆い、王子に縋りついた。
「レティシア!君はまだ罪を重ねようと言うのか!」
罪の所在が、いかに軽い場所にあるか分かりやすい発言である。
確かに、レティシアも身分的な意味で『
「殿下がその方でいいなら、どうぞ。私との婚約は今、この時を以て破棄としてください。よろしいですね?」
念を押すようなレティシアの問いに、気圧された王子だが、胸の女性をしっかり抱き直して笑った。引きつり気味に。
「と、当然だ」
その言葉と同時に、レティシアはパチッと扇を閉じ、後ろを振り向くと優雅に一礼した。
流れ落ちる青銀の髪に、真珠を散りばめた濃紺のドレス。
麗しき公爵令嬢の一連の仕草に、その場にいた者は皆、感嘆の息を吐いた。
「ここにおられる52名の王立高等学院生並びに先生方は、私達の婚約破棄の証人となりましたので、後ほど宣誓書に署名をお願いします」
ブルーグレイの瞳に魅入られたように、各人は一斉にうなずいた。
王国が誇る高等学院、その108代卒業パーティのハイライトだった。
「レティシアァー!!どういうことだ!?」
卒業パーティから五日後、パッヘルベル公爵邸の玄関にリヒャルト王子の声が響き渡った。
そのままレティシアの部屋に向かおうとする王子を、複数の侍従が無表情に押しとどめた。
「なにをするか、貴様ら!」
「たとえ我が国の王子殿下でありましても、旦那様、お嬢様のご許可なくこの屋敷に入れる訳には行きません」
直立した執事長が、きっぱりと宣言する。
「では、レティシアを呼べ!」
「お断りいたします」
「なんだと!」
「殿下は最早、お嬢様の婚約者ではありません。そして、訪問の先触れもなく、いきなりお出でになり玄関先でお嬢様の名を呼び捨てにする男を、お嬢様に取り次ぐ執事はこの屋敷にはおりません」
一片の曇りもない正論である。
王家と並び立つほどの力を持つ、公爵家の家臣だからこそ力を持つ言葉だが。
「ぐぐぐ…」
「お引き取りを」
深く頭を下げる執事長をにらみつけて去って行った王子は、翌日アポイントを入れてから再び屋敷にやってきた。
応接室に通されたリヒャルト王子は、そこでお茶を飲んでいた元婚約者の姿を見つけた。
「レティシア!」
レティシアはそちらをちらっと見て、これ見よがしにため息をついた。
「き、君は…!」
「殿下、私はもう貴方様の婚約者でもなんでもありません。名前で呼ぶのはお止めください」
なんだと…との言葉を、王子は最後まで言えなかった。
二人の侍従に、脇を取り押さえられたからだ。
「何をするか、無礼な!」
「無礼はどちらですか?」
自分を見る真っ直ぐな目。
誰よりも正しく美しい――…リヒャルトはいつの頃からか、この瞳を見るたび訳の分からない焦燥感に駆られていた。
「冷静にお話が出来ないのなら、お帰り下さい」
リヒャルトの憤りは収まっていなかったが、また同じ手続きを踏む方が腹立たしいと、気づかぬほどには愚かではなかった。
彼は息を整えた。
「…以降、パッヘルベル公爵令嬢と呼ばせていただく。これでいいか?」
「…どうぞ」
侍従の手が離れ、リヒャルトは居住まいを直すと、レティシアの向かいの席についた。
「ご用件は?」
茶も勧めず、レティシアは尋ねた。
リヒャルトはグッと奥歯を噛み締めて、あふれそうな文句を飲み込み、何とか口を開いた。
「…私は父上から『王太子』を外された」
「はぁ」
「それだけか!?」
「私も、私の家も、何もしてはおりません…これでいいですか?」
リヒャルトは右手を強く握り込んだ。
「何もしていない訳はないだろう? 君との婚約を破棄した途端の処置だぞ」
「えぇ、私との婚約を破棄したからこその処置ですね」
「だからそれは君が…!」
勢い込んだリヒャルトに、レティシアは大きくため息をついた。
「なぜ分からないのですか?」
「なに?」
「私と婚約を解消して、
「あ、あぁ」
「男爵令嬢に、この国の王妃が務まるとお思いですか?」
リヒャルトの頭にカーっと血が上る。
「また君は、身分で彼女を貶めようというのか!?」
「貶めていません。ただの質問です。お答えください、リヒャルト第一王子殿下」
一言一句ハッキリと尋ねられ、リヒャルトは考える気になった。
「それは…これからの問題だろう? これから色々教わり、覚えて行けば問題はないだろう」
レティシアは真顔で尋ねた。
「殿下は、私といくつの時に婚約されたか、覚えておられますか?」
「…11歳だ」
「そうです。それから6年、私は王妃様に教育を受けてまいりました」
リヒャルトはレティシアが何を言いたいのか、ようやく察した。
「そ、それは、時間のある時だろう? 母上も忙しいし、君も学院に行ったり社交をしていた」
「だから?」
「イザベルはもう学院を卒業した。これから毎日時間を使えば…」
「王妃様のお時間は?」
忙しいと先ほどご自分で言われたので、お分かりですよね?とレティシアは言外に尋ねる。
「…また時間のある時に少しずつ頼めばいい。覚えることは他にもあるだろう」
「確かに、他にも覚えることは山ほどあります。男爵家での教育と、公爵家での教育の差の分も」
こちらは5、6年では終わりませんよ、と静かにレティシアは告げた。
「私は公爵家の娘として恥ずかしくないように、周辺4カ国の言葉、歴史、特色などは、
リヒャルトの頭は、急激に冷えて行った。
彼も一応は、王太子としての教育を受けてきた人間である。
「ですから尋ねたのです。
まるでリヒャルトを『断罪』するようにレティシアは、あの日と同じ言葉を繰り返した。
「現在、社交界デビューをした公爵令嬢を名乗れる女性は、私一人。せめて、お相手が侯爵家の令嬢でしたら、少しは……家によっては、考慮の余地があったかもしれませんが、男爵家では最初から無理な話なのです」
17歳の男爵令嬢を選んだ時点で、リヒャルトは王太子の資格を失ったのだ。
頭の中で言葉を反芻しているように、黙ったままのリヒャルトに、レティシアはさらに言葉を重ねた。
「王家にはリヒャルト殿下の他にも、アルベルト第二王子殿下、シュヴァルツ第三王子殿下がおられます。どちらの御方も万一に備えて、王の後継者としての教育を受けておられます」
「な…」
そう、王子のスペアはいるのだ。
いないのは…
「そして、この国で王妃教育を受けているのは、未婚では私だけです。アルベルト殿下のご婚約者、クライスラー侯爵令嬢ならご聡明ですし、これからでも何とかなるかもしれません。あとは…」
レティシアは遠い目になる。
「そうですね、まだ13歳のシュヴァルツ殿下なら、お若いご令嬢を婚約者に定めて、その方の教育を始めれば間に合うでしょう」
レティシアは心の中で
『王妃様に、再びの教育を引き受けていただければですが…』
と付け加えた。
王妃との相性が、特段悪いという訳ではないレティシアでさえ、6年も相手をしていると、時にお互いが疎ましくなったのだ。
もう一度繰り返せとは、王であろうとも言いにくいだろう。
(私だったら断るわね)
リヒャルト第一王子は、国王と家が定めた、『パッヘルベル公爵家の娘』の結婚相手だった。
大抵の令嬢が見惚れる甘い
けれど貴族の婚姻とは、大方そんなものだろうと知っていたので、不満はなかった。
恋愛で結ばれた夫婦など、物語の中でしか聞いたことがなかったが、それなりに皆うまくやっているのも見ていた。
リヒャルトへは婚約期間の6年で、何とか家族的な親しみは湧いて来た。
後はこれから共に過ごす事になる、長い
分かりやすい肉体美とあからさまな
だが、この事態によって『リヒャルトと結婚せずに済むかもしれない』という可能性が芽生えた方が、何倍も重要だった。
レティシアは二人を徹底的に放置した。
リヒャルトを諫めるでもなく、イザベルを
周囲がレティシアに何を言ってこようとも、『殿下もそのうち目が覚めるでしょう』と痛々しく微笑み、彼らにも放っておくことを勧めた。
信頼は美徳である。
婚約者を信じ抜こうとする、けなげで美しい公爵令嬢の姿は、人々の同情を買えるだけ買った。
イザベルがせっせと己のノートを破いたり、転ばされたふりをして王子の歓心を買っている間に。
妨害が入らないことで、王子と男爵令嬢は、ますます自分たちが正しい(だから誰も止めないんだ)と思い込んだ。
それがあの『卒業パーティ』での、盛大な自爆に繋がった。
イザベルはレティシアに
全ての事情聴取を終えた後で、国王はあっさりとリヒャルトを王太子から外した。
王妃もため息一つついたのみで、止めはしなかった。
パッヘルベル公爵家には、王家から丁寧な詫び状が届いた。
レティシアには慰謝料として、王妃のコレクションから国宝級の真珠のネックレスが届いた。
パッヘルベル家は謹んで、これらを受け取り、王家への遺恨を残さないことを約した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます