第6話 異名を持つ者
朝、目を覚ましたノアスは一度ため息をついて瞼を下ろした。瞼の裏に映るのは昨日の事だ。
一連の出来事を思い出してノアスは再びため息をつく。
「何で俺、一緒にダンジョンに行く約束しちまったんだ」
しかし昨日の状況ではそれしか選択肢が無かったと考える。
色々言いたいことはあるけど、それらを言った所で〝一緒にダンジョンに行く〟という真実は変わらないのだから、せめてもの抵抗を込めて最後にため息をつき、ノアスは口を結んだ。
相変わらず天気も良く周りの人たちも活気的だ。以前の失敗を学んだノアスは面倒事を避けるため目立たないローブを身に纏う。
案の定、街の住人たちはノアスに気づかず平和な日常を送っている。ノアスもまた平和に自分の日常であるダンジョンに向かう事が出来た。
「……ん?」
ダンジョンのある施設に近づくにつれて同業者の何人かがノアスの視界に止まった。彼らは何か珍しい事態が起きたのか、モグラ同士で顔を見合わせて何かを話している。
「おい、孤独姫が来てるぞ」「まじかよ。久々に見たな」「誰かを待ってるみたいだけど」
そんな事をモグラたちは漏らしていた。
「孤独姫?」
ノアスはポツリと呟く。けれど自分には関係のない事なので特に気を留めず歩き続ける。
「あっ! おーい! おーい!」誰かが前方から叫んでいる。その声に導かれるように周りのモグラたちの視線がそちらに集まる「ノーアース君。こっち、こっち!」
ノアスと同じ銀髪に目元を隠す仮面。華奢な身体を支えるように右手には愛用している短めの杖を持っている。
そしてその人物をノアスは知っている。嫌というほどに知っている。そう、――エリィだ。
「ノアス君。本当に来てくれたんだ! 来ないかと思ったよ!」
エリィは子供のように心底嬉しそうな笑顔を振り巻き、ウサギのようにぴょんぴょん飛びながら手を振っている。それが発火剤になったようで、
「ノアス!?」「って、あの?」「まさか白狼と繋がってるのか、孤独姫が!?」
先程エリィに集まっていた視線が一斉にノアスへ降り注ぐ。例によって目立つ事を嫌うノアスは顔を引きつらせながら全力で走り出した。
「チィ、あいつ。行くぞ、ほら!」
「え、どうし――うわぁ!?」
ノアスはエリィの手を握って即座にこの場を離れた。
「もう、ノアス君がいきなり走るからビックリしたよ」
ダンジョン内の壁に背中を預けたエリィは、乱れていない呼吸で隣のノアスにそう言った。
「お前が大声で叫ぶから!」
ノアスは尖った声音でエリィを叱責する。
目立ちたくないノアスは、周りの疑問の目を潜り抜けながら最速の距離でダンジョンに駆け込んだ。
ダンジョンの入り口である一階層はモグラの数も多い。なのでダンジョンに潜ったノアスとエリィはその後もしばらく歩き、やっと落ち着ける場所に到達したのだ。
「叫ぶのダメだったの?」
「俺はあんまり目立ちたくないんだ。あんな人が多い所で叫ぶなよ」
「そんなに人が多かったですか。複数の足音がしたから何人かはいるだろうと思いましたが、気付かなくてすいません」
ノアスはエリィの仮面に視線を移してから髪を掻きむしった。
「……次からしなければいい。っつっても次は無いけ――」
「そう言えばノアス君」
「あ?」
エリィが地面をコンと杖で叩きながら歩き始める。
「さっき、周りの人たちが白狼とか何とか言ってなかった? それってノアス君のことなの?」
隣を歩くノアスを覗くようにエリィは、前かがみになってノアスに尋ねる。
「白狼、ね。まあ勝手に呼ばれてんな、そんな名前。俺の銀髪といつも独りでいるからそうなったんだろうな。多分」
「白狼って名前よく聞くよ。攻略組でも七階層までしか攻略が進んでないのに、たった一人で十階層まで進んだとか。大型の魔物を一瞬で倒した、とか。それでダンジョンを潜る人たちの中では結構有名だよ。でもそっかぁ。まさかそれがノアス君だったなんて。やっぱり実力者なんだね、ノアス君!」
「実力者……ね」
ノアスの声音が低くなる。もし、自分が強かったらあの時の結果を変えられたかもしれない。そう考えると無意識に視線が下に行ってしまう。
最後に自嘲気味に笑った。
「死んじゃったら元も子もないもんね」
「死ぬことはいいんだ、別に。ただやる事はやらないとな」
「……それってどういう――」
「ところで何でお前は孤独姫って呼ばれてる?」
今度はノアスがエリィの言葉を遮った。このまま会話を続ける事をノアスは嫌った。触れてほしくない部分に触れられてしまう危険があったからだ。
「孤独姫……お前ってわたし?」
「……は? そりゃあそうだろ、あの感じを見ればお前だって判る」
「そうだったんですか? やけにわたしの周りで聴く名前だったので多少の疑問は抱いていましたが、まさかわたし本人だったとは!?」
エリィは、あははと少し恥ずかしそうに笑みを零す。
「お前……」どこか掴めない女だとノアスは改めて実感する。「まあいいや。てことはお前、何で呼ばれてるか解ってないのか」
以前ノアスは異名を持つ者について聞いたことがあった。異名が付けられるということは何かしらで目立ち、どんな形であれ認められた者に付くという。ノアスの場合はたった一人で未攻略階層を三つも攻略したことから名づけられたのだ。
「わたしが女でノアス君みたいに一人だけでダンジョンに潜っているからかな?」
エリィが孤独姫と呼ばれるには何かしらの理由があるはず。確かにモグラの人口比では圧倒的に男が多い。さらに女一人でダンジョンを潜るという事は確かに目立つ事だ。
「というかお前も一人で潜ってるのか」
「うん! 友達と潜る時もあるけど基本的には、ね」
ノアスはエリィの顔を隠している仮面を見て納得した。
目が見えない女が一人でダンジョンに潜る。これだけのインパクトに加えてきちんと生き残っているのなら異名がついてもおかしくない。
自分の中で納得したと同時に幾つかの疑問が湧いて出た。
「なあ、どのくらいの階層まで潜ってるんだ? それに目が見えないのにどうやって生き延びてるんだ」
考えてみればエリィのような華奢な少女がたった一人で生き残る何て難しいだろう。数十人のパーティーですら翌日には片手で数えられるぐらいに減るのが当たり前な世界。それ程ダンジョンで生き残るのは厳しいのだ。
それなのにエリィはきちんと生き残っている。異名を持つという事はモグラになってある程度の時間は経過しているだろう。
「わたしは八階層までなら行った事ありますよ」
「お前も俺とほとんど変らないじゃねーか」
「いえいえ。そんな事ないですよ。十階層まで行くってとんでもない事なんですよ。このダンジョン自体何階層まで続いているか判らないので、あまり知ったような事言えませんが」
ノアスは十階層を狩場として独りで潜っている。エリィの言う通り『十階層に独りで到達する』という事は偉業とも言える。
攻略班と呼ばれるグループが攻略した階層までが世間一般に公表され、それを基準に情報が共有されモグラたちはそこまでの範囲内を冒険すると行った仕組みが自然と出来ていた。なので、それ以上先の階層を攻略する者たちは数少なく、そう言った行動を取る者たちはどれも強者と認知される。現にそのほとんどに異名が付けられているらしい。
「なら尚更どうやって生き残ってんだ。その……目が見えないのに。別に言いたくないならいいけど」
聞いていいのか、迷ったがこの際自分にも活用出来ることかも知れないのでノアスは尋ねる。
「別に良いですよ。隠している訳では無いので。ただ、約束してください。同情とかは一切しないでくださいね?」
エリィの言葉に力が入る。
「別にしないけど」
「なら話します」安堵の笑みをエリィは浮かべた。「呪児って聞いたことあります?」
「呪児?」
「ええ。生まれつき呪いを背負った子供を指す言葉です。何故呪いと呼ばれているのかは知らないですが、呪児と認定された子供は何かしらの不自由を背負います。私で言うと目が見えなかったり、髪色が変わったり……他の呪児の方とは会ったことないですが、話によると耳が聴こえなかったり、光を浴びる事が出来なかったり、と複数の呪いがあります」
エリィはコンと地面を叩いて足を止めた。
「その呪児? とお前が生き残ってる理由がどう結びつくんだ?」
ノアスは眉を曲げて疑問を言葉にする。
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