優しいキス

それから、私は下川原君と一度も話さずに、この日を迎えた。


美笠蓮みかされん君が、飛び降りた話しは、衝撃だった。


一人欠けたって、何事もなかったように世界は回る事を実感した。


母親と父親は、素敵な夫婦のように座っていた。


下川原君は、生徒代表の挨拶をさせられていた。


卒業式は、何事もなかったように終わった。


「浅倉さん、これ私の番号と住所」


「ありがとう、百瀬さん。これ、私の住所。電話は、もったらかけるね」


「うん」


浅倉さんは、帰っていった。


「理美、帰るか?」


「先に行って、教室に忘れ物したから」


「わかった」


私は、卒業アルバムと冊子を持って両親と別れた。


下川原歩しもがわらあゆむの席に座って、それを開いた。


【静と動 三年一組 下川原歩】


俺の頭の中は、静かだった。無に近い感覚だった。勉強をしていても、頭にはまるで入ってこない。だから、口に出す。口に出すと嫌みを言われ、嫌われる。ただ、一人だけそんな俺を笑ってくれた。彼女は、動だ。毎日、毎日、眉間に皺を作り、目はキョロキョロ動いている。俺と違ってとてもお喋りなのがわかった。近づきたかった。近づくチャンスがやってきたのは、誰かの嫌がらせだった。お陰で、彼女と仲良くなれた。彼女が、嫌がらせを受けていた理由が二つあった。一つは、彼女自身の理由だった。俺は、彼女と一緒にいたい。俺の世界が動くのは、彼女といる時だけ。だから、俺は、ここを去る日に君を連れ出します。


ガタン


「えっ?」


振り返ると下川原君が立っていた。


「何で?」


「迎えにきた。」


「誰から?」


「百瀬さんのお母さんの彼氏からだよ」


「なんで?」


「あの、びしょ濡れになった日に聞いたんだよ。百瀬さんのお母さんが若い男と付き合ってるって。見たって言って、噂流すって言うから、やめろって言ったら水浸しになった。」


「下川原君、馬鹿でしょ?」


「馬鹿だよ。」


下川原君は、私を抱き締めてきた。


「卒業したら、百瀬さんが百瀬さんのお姉ちゃんみたいにされるって聞いたんだ。バスケ部の兄ちゃんの連れから。百瀬さんのお姉ちゃんが駆け落ちした相手の弟だったみたいで」


「下川原君が、なんで泣いてるの?」


「好きだからに決まってるだろ?百瀬さんを守りたいんだ。駄目かな?」


「ううん」


私は、下川原君に抱きついた。



25年後ー


「明日、三千絵ちゃんと美笠君と会うでしょ?何着ていく?」


「そうだな。これとか、これは?」


下川原君が、中三になりいじめられなくなったのは美笠君のお陰だったらしい。


一番前の窓側の席の下川原君と一番後ろの窓側の席の美笠君。


話すことはなかったけれど、二人はお互いを邪魔にも感じなかったと言う。


「歩はさ、いつから私が好きだったの?」


「あー。中2の時。俺が、変な事言ったら理美、笑っただろ?あれから、ずっと…。」


「あっ、そう言えばこんなにいるのにあの時のお喋りの内容教えてもらってないよ」


歩に頭を、グシャグシャに撫でられた。


私は、耳元で話した。


「親父さん、再婚してよかったな。」


「うん。」


私の頭の中のお喋りは、父にぶちまけた日に全て終わった。


父は、同い年の人と再婚し、母親は、篠君ではない別の人と駆け落ちした。


「新しいフレグランス、匂ってみて」


「いい匂い」


下川原君は、調香師になった。


私と下川原君は、チャチャと言う犬と三人で暮らしている。


「歩、大好きだよ」


「相変わらず、お喋りだな。理美の頭の中は…」


そう言って、おでこを撫でられる。


「喋ってないよ」


「こうしてって、言ってたろ?」


優しく暖かなキスが降り注がれた。


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