匿名ばかりのカメムシ山ぁぁぁ!!
その後の名刺や連絡先の交換がおざなりになってしまったのは我ながら失態だが、それでも玉石混交の中から宝玉を見つけ出した事には変わらない。
それだけで上機嫌になるには十分だ。料理もやけにうまい、がっつかないようにと思っていてもつい取り過ぎてしまう。
やがて垣山さんの挨拶が終わると作曲家のパーティらしく、垣山さんが作ったと思われる曲が流れる。
あるいはプロデュースされた歌手により歌われる事もあり、その度に拍手が起こる。青春時代を共にした曲もあれば、聞き覚えのない曲もある。それほど入れ込んでいる存在ではなかった以上後者の方が多いのは仕方がなかったが、そういう曲に限って他の人間が盛り上がっているのは正直気に入らない。
そして一曲終わる事にゲストが一人壇上に上がり、垣山さんに向けて祝いのスピーチを述べる。腹を膨れさせた僕は仕事モードに戻り、スピーチをしている人間の品定めに入った。
一挙手一投足、ワンフレーズまではチェックしていく。人間どんなに着飾っていても口から出る言葉にはどうしても本性が出てしまう。スピーチと言うもっともらしいフィールドを用意された所でそれは変わらない。実りがあるか否か、正確に見極めねばならない。こっちだって商売なのだ。
だが、しかしどうにもこうにも手ごたえがない。まあ作曲家のパーティで政治信条や社会情勢についてうんぬん言う人間などいないと言うのはわかっていたが、誰も彼もテンプレートそのものの祝いの挨拶しか言わない。
「私が初めて垣山先生にお世話になったのは十五年前です。念願の作家になったはいいけど予想外に忙しくて精神的に参ってて、その時先生の作品に出合った事により道が開けまして。それからは先生とお仲間のみなさんの作品なくしては生きられない状態で…いい年こいたおばさんがとか言われますけど、そんないい年こいたおばさんでも先生やそのお仲間のみなさんたちの作る物には魅かれてしまいます。私ももう少しだけでも皆さんに魅かれるような作品を書いてみたいと思ってはいるんですけどね、なかなかたどりつける物ではなくて参ってしまいます」
木下スーザン先生とてこんな調子であり、たまにテンプレート通りでないのが出て来た所で、一部の人間たちばかりが盛り上がるだけで僕を含めた大半は後から一部の人間に流されて乗っかるだけだ。
「垣山先生には本当に尊敬の念をいくら抱いても足りませんよ。私などは一緒に仕事をした事はありませんが同じ業界の端くれに立つ者として本当に尊敬、と言うか嫉妬の念を抱いています。先生の曲が流れて、つまり先生の仕事に触れて不愉快になる人はめったにいませんからね。でも私などは、まあ私の作品に直に触れている人はあまり文句は言いませんけど、間接的に触れている人はずいぶんと口やかましく意見して来ますからね。そしてその大半が誠にご立派な意見で、もし耳を貸さないのであれば貸すまで徹底的に教えて差し上げようと、なんとも気高い志をお持ちの方が多くてね。垣山先生もまた私と同じ業界で仕事をしている以上そういうご意見を受け取った事があるとおっしゃっておりましたけど私よりはずっと少ないそうで、いやはや実にうらやましい。これからも、垣山先生にはお仲間の皆様たちと共にもっと素晴らしい物を作り上げていただきたいと思います。ファンの末端として楽しみにさせていただくと同時に、同業者としては負けたくないという思いもあります。今度私の作ったゲームにも唸って頂ければこの上ない幸いです」
そんな中、河野さんだけは違った。同業者として尊敬しつつ同時にライバル心をきっちりと表現し、そしてこれからの活躍に対する期待の念を含ませている。その上にユーモアまである。これまでのどの曲どのスピーチに比べても拍手の数が明らかに多い。
僕も全力で自分の両手のひらを叩き付けた。
「さて最後になりますが、レコードCDの時代、いやその先の時代まで愛される事になるであろう多数の曲。老若男女に愛される多数の曲を作り上げて来た垣山先生ですが今を代表する曲と言えば、やはりこちらでしょう」
そして夕暮れが空の支配者となりし頃になると、司会者のスピーチと共にこれまで以上に出席客が引き締まり始めた。普通のパーティともなれば後半はだれるのが世の中の常だと言うのに、いったいどんな曲が流れると言うのだろう。
「皆様、ご静聴下さいませ」
今日だけで十何回と聞かされたそのフレーズに従うまでもなく、出席者全員が黙って流れる曲を聞いていた。
僕もそうするつもりだったが、ちょうど隣に来ていた木下先生の顔を見て思わず声が出そうになった。
泣いていたのだ。
木下先生は僕にとってなんだかよくわからない曲を聴いて泣いていたのだ。
僕の知らない曲が流れて来た事はこれまでも何度かあったが、それでもその時は他の誰かが僕に教えてくれる事があった。でも今回は僕以外の全員が全員完全に聞き入っている。この曲は何ですかなんて聞ける空気じゃない。
逃げ出したかった。
この孤独から脱するにあたって、今までの半世紀の人生と二十七年の経験が、完全アウェイの場所に飛び込んで来た経験は幾度もあるつもりなのにまったく役に立っていない。
これまで三曲ほど流れて来た、垣山さんが担当したゲームの曲だと言う可能性が高そうだという事はわかるが、思い入れも何にもない以上感慨の抱きようもない。僕は会場をさ迷い歩きながら自分と同じ感覚の中にいる人間を必死に探し求めうろうろ歩き回った。自分なりの音感を駆使した結果この曲が良い曲でありそうだと言う事だけはわかったが、それでも没入する気にはなれなかった。
そしてようやく曲が終わるやこれまでのどの曲より激しく、そして統一されたスタンディングオベーションが発生した。
これまでの曲の後にもあった拍手なり声援なりが作品に対する純粋な尊敬だったはずなのに、ラストと言う事を差し引いてもその盛り上がりは凄まじくなんとも宗教的だった。
「わかりますよ板野さん、私も今年で五十一歳ですから。昔は徹夜で四十枚書く事も出来ましたけど今はもう午後十時にはまぶたが塞がって仕方がなくて、ゲームをやる時は平気なんですけどね」
ようやく拍手が鳴りやみ、異教徒の儀式に巻き込まれたかのような空気が掻き消えたと思い安堵のため息を吐いていると、木下先生が極めて好意的な解釈と共に僕の方に歩み寄って来た。
木下先生のこの日本人的な、普段見慣れていたし自分自身もしていたはずの笑顔が今の僕にとっては何とも苦々しい。
「そうですね、私はこの先の仕事があるので失礼させていただきます…木下先生とのインタビューの最後の見直しもしなければいけませんし…ああやっぱり私も年ですかね、気持ちだけは三十路のつもりなんですが…」
とにかくこの場所から逃げ出したかった。
塵芥だったはずの物が、化け物になって僕を襲ってきている。そしてその脅威を共感してくれる人間は一人もいない。
誰も彼も危機感を持たず目前の快楽に酔い痴れている。パーティにおいて一滴も飲まれていないはずの酒の匂いにあてられて僕の足はふらついた。
年のせいと言う言葉が、今の僕には何よりも強力な精神安定剤だった。
「大丈夫ですか」
「河野さんは」
「明日多忙と言う事で既にお帰りになられましたよ」
僕は二回深呼吸をした後にスマホと河野さんの名刺を取り出し、身体を必死に安定させながら河野さんに向けてメールを打ち込んだ。
大船に乗っているはずなのに全然安心できないこの気持ち。船酔いと言う体験を、生まれて初めてしたような気分になった。しないか否かで言ったら、しない方がいいかもしれない体験。でもした事により、船酔いで苦しむ人の気持ちがわかった気にもなった。ある意味、得をしたと言えるかもしれない。
だがそんな事を考えられるようになったのは電車に乗っている最中だ。
河野さんにメールを打ち込んだ時点で僕の気力は切れてしまい、駅まで徒歩十五分の所をタクシーに乗り込み、席があったのをよい事に電車では尾羽打ち枯らした姿をさらして座り込んだ。
そんな僕がかろうじて気力を取り戻せたのは、カバンの中にしまいこんでいたロウソク型の物体があったおかげだ。
あの臆病者の大ぼら吹きは、結局僕の前に名乗り出て来る事は出来なかった。
ホテルのスタッフでしたとか言うオチであったとしても慈悲深い僕は許してやったつもりだが、僕がこうして実名で行動を宣言してやったって言うのに出て来ないんだなんて、何が五十二歳の会社重役だ。
ちゃんちゃらおかしいなんて言う美辞麗句じゃ片付けられない要するに単なるバカだ、アホだ。そのバカの代名詞みたいなやつの事を考えて、僕は必死に沈んだ気持ちを引き上げていた。
おそらくは、ああいう奴らを垣山さんも河野さんも日々相手に、それもメインの相手にしているのだろう。
心底同情を禁じ得ない。
関わりたくない連中にも否応なしに関わらされる。社会人と言うのはどうしてもそうしなければいけない物だが、最近はそういう連中に限って声がでかい上に自由に物が言えている。昔はそんな連中は孤立して勝手に滅んで行ったと言うのに。
ようやく自分の住処に戻って来た僕は、着替えて入浴してビールをあおってそのまま眠り込んでしまった。まだ午後七時半だと言うのに、まるで瞼が開かない。
年のせいだ、さもなくとも運動不足のせいだ、そうに決まっている。僕は薄れ行く意識の中でその言葉を必死になってつぶやいていた。
当然、そんな寝方をすれば次の日に反動が来る。二日酔いはなかったし疲れも取れていたが、起床そのものが午前一時半だった。
夕食をまともに取ってなかったので腹が減る。仕方がないので冷蔵庫のチーズを口に放り込んでみるが、それでも空腹は紛れない。とりあえずあと三時間ほど横になろうとしたが、今度は目が冴えてしまう。
二十七年間の新聞記者生活は僕を夜型にしたが、かと言って人間睡眠不足でうまく行く物ではない。強引に布団に入り込んで目を閉じて一応眠りに落ちる事に成功したが、午前四時にはすっかり眠気がなくなっていた。
新聞はまだ届いていない以上ニュースをチェックするにはテレビかネットしかないが、テレビは通販番組やら何やらでまだまともなニュースはやっていない。となるとネットだが、そんな所を頼るほど僕の感覚は鈍ってはいない。
しかし新聞が届くまでの一時間余りの間、やる事がない。木下先生とのインタビューの推敲をするほどまでエンジンがかかっていない以上、他にする事もない。
僕はスマホを手に取り、ツイッターにログインした。
そこには昨日もまた僕の心を潤しに匿名のおばかさん達がボランティアに来てくれているのだろう。うーん、こういうのを嫌よ嫌よも好きのうちって言うのかねえ。まったくどこまでも滑稽で、どこまでも面白いおばかさんたちだ。生半な芸人よりずっと面白い。
板野和夫 04:29
昨日は疲れたよ、本当に疲れた。七時半に帰って来て二度寝してさっきようやく目が覚めた。まあそんな中でも河野和夫さんって言う素晴らしいお方と会えたのは収穫だったけどね。
と思いきや残念ながら、いや喜ぶべき事に昨日匿名の臆病者君たちは僕によっていなかった。それでもネット上でしか吠える事が出来ない連中にはできない体験を僕はして来た。僕に喰ってかかりたいんなら同じぐらいの体験をしてからにして欲しい。
いやそれはまあ無茶だとしても、せめて僕と同じ土俵に立ってから話してもらいたい。僕と河野さんは垣山浩二さんの作曲家五十周年記念パーティと言う舞台の同じ出席者だ。
とか思ってたらハマチャンとか言う最近よく自爆芸を見せに来るうじうじ君が何かよくわからないアドレスを貼り付けて来た。アドレスからすると動画サイトのそれのようだがそんなところに別に関心はない。
板野和夫 06:10
無言でアドレスを貼り付けるだなんて、キミは本当に礼節ってもんを知らないね。僕だって我慢の限界って奴があるよ!
板野和夫 06:11
と言う訳で、ブロックしたから。自分の殻から永遠に出て来ないでね。キミのためにもその方がいいと思うよ。
それに、アドレスだけ貼り付けておいて後は無言だなんて礼儀とか以前の問題じゃないか!僕だって我慢の限界と言う奴はある。何度も注意してやったはずなのにいう事を聞かないような奴なんかもうどうなったって知らない。そのまま無残に野たれ死んでも自業自得って奴だ、永遠にさようなら。
板野和夫 06:14
言っておくけど距離が近くなったのと立場が近くなったのは全然違うからね、それを忘れて失敗をする奴が最近の世の中には多すぎる。自分が何様かも明かす勇気もないくせに僕と対等に話そうだなんて十年早いんだよ。
新聞を読みながら校正を行う時間、僕にとっての仕事であり道楽である時間。
適当に朝飯をかき込んだ後にやって来る至福の時間。だがそういう時間は世の定理に従い早く過ぎる。まあ元々四回もセルフ校正した文章だから今更直す所はなかったのもあったが、新聞を読みながらでもメール送信を含めて一時間足らずですべて終わった。こうして新聞を通して有益な情報に触れていると、紙と言う物体である事が理由なのかどうかはわからないが森林浴をしたような気分になって来る。
誰か三太郎 06:20
あーあオレ知らねえぞ
アンチKKK@デパート勤務 水曜日は日曜日 06:21
今ならまだ間に合います、「オッパイ坊や」を取り消しましょう
くぁふじこ 06:23
もう手遅れでしょ
MIKAMIKA 06:26
つまんねープログラムだな板野和夫ってのは
ゆいLOVE 06:28
この三日間をもって、言論人としての板野和夫は死んだな
日曜日とは言えよくもまあ、雁首揃えて殴られに来る変態が揃いも揃って…しかも今回は妙に上から目線な物言いが勢ぞろい。
まったく、どこまでうぬぼれ屋共の集まりなんだか、何が板野和夫は死んだ、だ。元から死んでいる事さえ気が付かないような奴に言われる筋合いはない。
板野和夫 07:20
〉アンチKKKくん
キミは一体何なの?あのK2とかってオッパイ坊やに命でも狙われてる訳?そんなら僕に言いなさい、助けてあげるから。今回だけ特別に、キミのような奴でも助けてあげるから。奥さんと子どもが可愛いんでしょ?
ゆいLOVE 07:24
ほれ見ろこの通り。わかる気のない奴には何を言っても無駄だって事。ハマチャンさんはどうか察して下さいって必死になってたのに、一から説明しなきゃわかんないなんて板野和夫は本当にバカだね。
匿名にさん付けで、実名である僕を呼び捨て…ああ、こいつは一体どこまで心がひね曲がってしまったと言うのか!
板野和夫 07:26
〉ゆいLOVE
キミの住所どこ?今度会いに行くよ。面と向かってキミが…ああ行かない方がいいか、キミみたいな品性が下劣で他人を敬えないような人間に関わると僕だけが損をする。ああ、おかしいを通り越して気持ち悪いねえ、と言う訳ではいさようなら!
板野和夫 07:28
キミたちもね、これ以上僕を楽しませたくないのであれば二度と来ないでね。まあそんな勇気はないだろうと思うけど今度来たら僕から素晴らしいプレゼントを送るよ。
板野和夫 07:45
プレゼントってのは具体的に言えば僕の秘蔵の写真だよ。それが嫌ならきちんと自分が何様なのか名乗り出て来てね。
もちろんこれまで通りそのままにしておいてオモチャ扱いしてやってもいい、でもさすがに堪忍袋の緒って奴は僕にもある。仏の顔も三度撫ずれば腹が立つだ。
プレゼント。それは一枚の写真。
僕はこの前買って来た二つの道具を持ちながら自撮り写真をスマホで撮った。贈り物は相手の事を考えなければならない、当然の理屈だ。
何もわかってないような腰抜け坊や君たちにはこれがふさわしいだろう。現物を送り付けてやれないのが実に残念だ。K2とか言うオッパイ坊やとその哀れな取り巻き連中たちの程度って奴を思い知らせてやるのは、意地悪でもいじめでもない。
うるさいオッサンと言われようが知った事か、仮面に頼る事しかできないバカ者にはしっかりと教育してやらなければならないと言う親心だ。
僕はスマホの電源を落とし、再びパソコンと向き合った。
地方議会の親玉様により生活を脅かされている庶民のため、僕は戦う。まずは協力してくれる事になるであろう人間たちの連絡先を調べ、協力を取り付けなくてはならない。さすがに今日は予定を組まねばならないし、まだしばらくは東京で集められる資料を集める事になるだろう。
だがいずれは現地に飛ばねばなるまい。それでも真の民主主義と平和で平等な生活の為に、僕は戦う。有象無象共に構っている時間はない。
とりあえずは今日の午後、親玉様によって経営を圧迫され親玉の妹婿が社長をやってる会社に吸収合併された地元の小規模な企業の元社長、今は東京に放り出されて支店長と言う名目で飼い殺しにされている人と会う事になっている。
誰よりも地元を愛していながら追い出された無念、僕が何とか晴らしてやらねばならない。
「お疲れのようですが」
「いえいえ、全く疲れてなどおりません。むしろこういう時の方が私は元気になるんで」
元社長さんは、自宅から一時間もかけて僕に会いに来てくれた。向こうが面会場所に指定した喫茶店は僕の家から徒歩二十分のくせに僕も初めての店だ。
それだけあの親玉様の目が厳しくそして恐ろしいのだろう。白い壁ばかりが印象的な、店主には悪いがあまり流行っているように思えない店。なんとなく密会には向いてそうだ。
一応無精ひげだけはきちんと剃って来たが、それでも目のはれぼったさだけはどうにもならなかった。でも元社長さんに答えたように、僕はこういう大敵と対峙している感触がひしひしと感じられる時こそ一番覇気が出るタイプだ。新聞記者であった時から変わらない僕の性だ。
「板野さんお食事は」
「いえいえ、今日はあまり腹が空いてないのでコーヒー一杯で十分です」
「私はピラフを」
あるいはトーストでも頼んでおくべきだったかもしれない。それでもこうして取材に協力してくれている以上、こちらとしてもそれに集中しなければなるまい。飯はいつでも喰える、一食ぐらい抜いても大した問題ではあるまい、とりわけ昼飯など。
「板野さんは大変まじめな方ですね」
「ありがとうございます。それで食べながらでよろしいのでお話の方を…」
元社長さんはスプーンを動かしたり止めたりしながら親玉とその取り巻き共が自分の会社に仕掛けて来たあれやこれやの非道を話してくれた。
「先祖代々守って来た地元の家と土地は手放さざるを得ず、今は元の家の半分の面積のマンションでわび住まい…ああ!あの男のせいで…!」
「大丈夫です、この板野和夫が必ずやあなたの無念を晴らしてみせます」
「ありがとうございます!息子にもあなたのような覇気があればと思うのですがねえ」
「息子さんって言うと、おいくつで…」
「今年で中二なんですけどね、勉強はできてますけどなんて言うか覇気がなくて、将来は役人になって確実な人生を歩みたいなって抜かしてて…それでたぶん今日は私のパソコンに引っついてますよ」
「なぜまた、あるいは年頃の男の子らしく、いや気を付けないと危ないですよそういう女性関係の話は」
「家内がいるから大丈夫だとは思いますよその類は。おそらくは今日発表されるっていう大ニュース…まあどんな大ニュースか私には知りませんけれどそれを心待ちにしているようですね。この日の事ずっと楽しみにしてたみたいでね。でもやっぱり、一粒種の息子にはどうしても私の無念を晴らしてもらいたいんですよ」
親と子の思惑が噛み合わない事はどこでもある。しかしもしその息子さんがあの親玉のせいで果たすべきを果たさずに一生を終えてしまったらそれは不幸以外の何でもないだろう。悲しい、実に悲しい。
「まあ私や私の同世代の連中も中学生の頃はあのアイドルがどの番組に出てるぞこんな事してるぞって必死になって追いかけたもんですけどね、その中にはアイドル本人ではなく作曲家とか作詞家とかが好きで追いかけてるって言う通好みと言うか変わり者もいましてね、息子はそういう類の人種かもしれませんね。何でもどこかの企業の専務さんのプレゼンテーションだそうで、父さんも見ろよってうるさかったんですけど、社会人たる物先約を破る訳にはいけませんし」
「素晴らしいじゃないですか、ビジネスマンのプレゼンテーションを見る事は大変な勉強になるはずです」
「まあそれはそうですけどね、確か河野和夫って」
「河野和夫さんですか、なるほどねえ」
河野和夫!確かにあの人のプレゼンテーションならば僕も見たい。まったく門外漢の分野であってもあの人の言葉には魅かれるだけの力がある。
「息子さんには河野さんのプレゼンテーションを盗むように言っておいてください、あの人の真似をすれば本気でうまく行くと思いますよ」
「そうですか、息子にもそう伝えておきます」
僕のアドバイスが気に入ってくれたのか、元社長さんの口はより滑らかになった。僕も腹が減った上にいい情報が手に入ってご機嫌になったので、スパゲッティを注文した。ありきたりの材料のくせに妙にうまいのは、食べている人間のテンションと空腹の為せる業だろう。
元社長さんと別れ家に戻って来た僕はウキウキしながらパソコンを開き、メモを取りながら原稿に起こした。帰宅してから四時間で一万字打ち込んだ、ああ疲れた。だが昨日とは違う快感にあふれた疲れだ、やる気が出る。
浅野治郎 19:00
板野さん、K2さんのお仕事ぶりをごらんになりますか?こちらのアドレスです
ひと段落ついたのをきっかけにツイッターを見てみると、僕の一つ後輩で今でも新聞社に籍を置いている浅野さんがこんなツイートを投げかけて来た。
匿名、しかもK2なんていうオッパイ坊やにさん付けする姿勢は感心しないが、実名である以上無下にもできない。でも
誰か三太郎 13:45
へぇ~見たいねえ何があるのか
MIKAMIKA 13:48
さあ、頼みますよ!
まずは悪趣味変態君たちを構ってあげなきゃいけない。先着順とかいう訳でもないが、浅野さんにはたくさん相手がいる、彼らには僕しか相手はいない。どちらを優先すべきか明白じゃないか。
板野和夫 19:03
ああそうでしゅか、赤ちゃんたち~。ほ~らよちよ~ち
板野和夫 19:04
ああキミらにはこっちのほうがよかったかな~、ほ~らママのオッパイでちゅよ~、K2とかってオッパイ坊やといっちょになかよくおのみなちゃい。
ガラガラに哺乳瓶。こんな連中にはこれがお似合いだ。オムツが取れるようになってから出直して来い。まったく昨今の親はこんな幼稚園児にネット回線を使わぜているのか、ああ嘆かわしい!やはり僕らが導いてやらなければならないんだ。
浅野治郎 19:08
板野さん、いいんですか
板野和夫 19:10
いいんですよ、あんな匿名でしか吠えられない赤ん坊たちには、ガラガラと哺乳瓶がお似合いです。
浅野治郎 19:11
いやそうじゃなくて、K2さんのお仕事ですよ。ほらこれ。
動画サイトらしきアドレスだ。ウィルスをチェックしてアクセスすると、今日アップロードされた動画なのに500万人が見ていると言う。あのオッパイ坊やが500万人に何を見せようと言うのだろうか。
板野和夫 19:36
〉浅野治郎さん
今度の地方利権の問題が終わった後の、その次の仕事のテーマが決まりましたよ。最近世にあふれている教育格差の問題。無知が戦争を生む構図って奴を解き明かしてやりますよ。僕の手で世間を正しく導いて見せます。
―――――――自分を騙って僕に寄り添って来るだなんて、一瞬でも信用した僕がバカだった。
確かに何百万人だな、嘘は言ってないな。
だがこんなのただの揚げ足取りであり詐欺師のやり方だ。
やはり河野和夫は子どもたちの時間を搾取し愚民化を遂行する男だ。
こんな奴には負けない、負けてたまるか、この国のためにも。
浅野治郎 19:41
〉板野和夫さん
もし私がAJと言うハンドルネームを名乗り、五百万人に自分の文を読んでもらっていると言って来たら板野さんはどう対応しましたか?
板野和夫 19:42
〉浅野治郎さん
それとこれとは別問題です!まったく、浅野さんまであんな詐欺師に味方するんですか?
浅野治郎 19:44
〉板野和夫さん
まあうちの娘や甥御も河野さんには大変お世話になってますからね。ああいう業界ってのは多少の茶目っ気がないと生き残れないんでしょうね。新聞記者は楽ですよね、真実を伝えればいいんですから。まあとにかくお互い頑張りましょう
何が茶目っ気だ!あんな詐欺師まがいのやり方で人の懐に飛び込んで来て、持ち上げさせておいて派手に叩き落させて!
まったく許しがたい!!
だいたいなんでわざわざK2などと言う仮面を被ったのだろう、全くそんな必要ないじゃないか!
そうだ、中身さえ良ければ仮面など要らないんだ、仮面が要るのは俳優か詐欺師だけだ。
ああ、インタビューの原稿を送ってしまった自分が恨めしい!
それだけの技量があるんならばちゃんと勝負できたでしょう、木下スーザン先生、いや、山本由紀奈先生!!
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