彼だけを見つめて

睡田止企

第1話

 一目惚れだった。

 そして、初恋だった。

 私の初恋の彼は、映画の中にいた。

 映画研究部の自主制作映画の中に。


 私の家の周りは騒がしい。

 なので、中学に入学したら、静かな部室で放課後を過ごすことを夢見ていた。

 中学に入学した私は色々な部活を見学し、映画研究部に入部することにした。

 先輩がほとんど活動しておらず、部室を一人で使用できる。部活内容は、現在は、映画鑑賞のみと楽。映画研究部は理想的な部活だった。

 広い部室には名作映画のDVDとビデオテープが数多くあったが、その多くはサブスクで見れるものだった。ビデオカメラなどの撮影機器もあったが、段ボールの奥に仕舞われていたり、埃をかぶっていたりして使用されていないようだった。

 部室には名作映画が収まった棚とは別に、小さなラックがあった。ラックの天板には、「映研製作物」と書かれたシールが貼られていた。ラックの中にはタイトルにH07やH10など飛び飛びの数字が記載された自主制作映画のDVDとビデオテープがあった。タイトルは撮影年度のようだった。全てが平成に撮影されたもののようで、昭和のSや令和のRから始まるタイトルのものはなかった。

 時間潰しに古い順に自主制作映画を見ていこうと思ったが、テレビに接続されているのがビデオプレイヤーではなくDVDプレイヤーだったので、DVDの中で一番古いH20というタイトルのDVDを見ることにした。

 十年以上前に中学生が作った映画は、内容としてはあまり面白くなかった。

 内容がホラーということは分かるが、全体的に、暗くて見えづらい夜のシーンが多い。幽霊に見せるために顔色を真っ青にメイクした男子たちは見分けがつかない。

 お墓のシーンになった。

 霊感がないヒロインが呑気にソフトクリームを食べているシーン。その背景に一人の男の子が映っていた。

 そこで私は恋に落ちた。

 一目惚れだった。

 そして、初恋だった。

 彼はすっきりとした目鼻立ちの男の子だった。何もかもを射抜くような目線が格好良く見えた。その彼の目線は常にヒロインの手元のソフトクリームを追っているようだった。甘いものが好きなのだろうか。そう思うと彼がとてもかわいく見えた。

 映画を最後まで見たが、彼が出てくるのはその1シーンだけだった。

 下校時刻になるまで、その場面だけを何度も見返す。

 桜が綺麗なある日のことだった。 


「あたしはずっと部活だったわ」

 久美が紙パックのジュースのストローをいじりながら言った。

 久美は幼稚園からの幼なじみで、私にとって唯一と言っていい友達だった。

「私もずっと部活だった」

「映画撮ってんの?」

 私は首を振った。

「映画見てただけ」

「は? わざわざ学校まで来て映画見てんの?」

 久美は映像系のサブスクに4、5個加入していた。私もよく久美の家で映画を見させてもらっていた。

「映研の自主制作映画だから」

「えー、なんか折角のゴールデンウィークに勿体なくない?」

 ゴールデンウィーク中に見ていた映画は一本だけ。それも彼の出ているシーンしか見ていなかった。それでも充実したゴールデンウィークだった。

「いや、楽しいよ」

「お、恋か? 誰? 誰と一緒に映画見てたのよ?」

「一人で見てたよ。映研で活動してるの私だけだから」

「なーんだ、勘違いか。恋する乙女の顔だと思ったんだけどなぁ」

 私は自分の顔に手を当てる。彼を思い出して頬が緩んでいたようだ。

 久美には彼に恋したことを話してもいいかとも思ったが、やめておいた。話したら絶対に彼の顔を見たがるだろうが、久美はホラー系が大の苦手だった。

「まあ、あんたが誰かに恋するってのも想像できないか」

 久美はそう言ってジュースを飲んだ。ストローを吸うために唇をすぼめるのが、なんだか拗ねているように見えた。久美は恋バナが好きだが、私は恋愛に無縁でその手の話題が提供できない。基本的に恋バナをする時は久美の話を聞いているだけだった。

「そういえば、あたし、彼氏できた」

「おめでとう」

 私は小さく拍手した。

 空気に少し暑さが出てきた春のある日のことだった。


 映画研究部の幽霊部員だった吉川くんが学校をやめた。

 吉川くんは入部当初から一度も部活に顔を出すことはなかったから、幽霊部員の存在すら知らなかった。同じクラスでもないし、正直に言えば、知らない人が辞めても私には関係のないことだと思っていた。

「映画研究部は同好会に格下げになったから」

 そう先生に言われたときも、吉川くんが関係しているとは思わなかった。

「吉川が学校やめて、部員数が四人になっただろ。大変だとは思うが、四人で力を合わせて、夏休み明けまでに部室を空けといてくれ。荷物の移動先は決まり次第連絡する」

 映画研究部は私以外活動していない。そのことを先生も知っていた。

 女の子一人に部室を片付けろとも言いづらく、先生自身が片付けを手伝いたくないがために、先生は「四人で」と言った。

 私以外の部員は、三人ともが先輩だ。関係性もない。先輩たちも部員であるとはいえ、面倒ごとを頼むのは私には難しい。

 先生は、困る私を見て、

「今日は雨が降るらしいから、早く帰った方がいいぞ」

 と話を切り上げた。

 職員室を出て、部室まで歩いていく。空を見ると濃い雨雲が広がっている。雨はまだ降っていない。

 部室の扉を開く。静かな自分だけの空間が広がっている。ここが無くなると思うと自然に溜息が漏れた。

 同好会は、複数の同好会で一つの部屋を使用する。同じ部屋になる同好会が静かであることを願う。

 部室の窓に雨粒が当たった。雨が降り出したようだった。

 梅雨真っ只中のある日のことだった。


「この暑い中大変だね」

 久美は部室の片付けをしている私を見てそう言った。

 一部の部室にはクーラーが付いているが、映画研究部の部室には付いていない。

「ビデオとかDVDとか、全部捨てちゃダメなの? 今時こんなので見ないでしょ」

「先生がダメだってさ」

「ふぅん。あ、これが、映研で撮った映画?」

 久美は小さなラックを指差して言った。

「そうだよ」

「へえ。恋愛映画ある?」

「どうだろ? 何本かはあるんじゃないかな」

「ゴールデンウィークにいっぱい見たんじゃないの?」

「……私が見た中にはなかった、かな?」

 私は彼の出ている平成二十年度制作の映画しか見ていなかった。

「本当は映画見てない?」

「え?」

「本当はゴールデンウィーク、デートとかしてた?」

「いやいや、相手いないし」

「確かに、相手いないか。––––でも、なんか隠してる気がする!」

 久美は私に詰め寄って行った。図星をつかれた私は黙った。

 沈黙の中、遠くから吹奏楽部の練習する音が聞こえ始めた。

「やば」

 久美は吹奏楽部だ。映画研究部の部室には休憩に来ていただけだった。小走りで部室を出ていく。

 去り際に、

「彼氏できたら、いや、好きな人できたら教えなさいよ」

 と言って行った。

 返事をする間はなかった。

 私は一人になった部室で片付けを再開する。入部以来、一度も開いたことのない段ボールのうちの一つを開けた。白髪のカツラやメガネなどの小道具や脚本が書かれたノートなど、映画撮影をしていたころの備品のようだった。

 ノートをパラパラとめくると、地図に目が止まった。学校からいくつか色付きの線が伸びていて、その先に「岩場」や「墓」などの文字が並んでいる。撮影地までのルートのようだ。

 ノートの他のページを見ると、私が唯一見た自主制作映画のストーリーの流れや、必要な小道具などがメモしてあった。

「これって」

 地図のページを再度開いた。「墓」の文字。私が何度も見てきたあのシーンはここで撮られたのだ。

 私は、その墓地に行こうと決意した。

 暑い夏のある日のことだった。


 墓地には夜に来たかったので、今日まで待った。

 今日はお盆。両親は実家に帰省している。今日だけは門限がない。

 墓地は山の麓にあった。わいわいと賑わっており、入り口には酒盛りをしている人達がいた。全員が半透明だった。私はその人達を通り抜けて、墓地の中に入った。

 夜の墓地は怖くない。周りから見れば不気味に静まり返っているのかもしれないが、私にとっては、賑やかすぎるくらいだった。それに、家の裏手にも墓地があり、この雰囲気には慣れていた。

 彼の出てきたシーンでは、お墓のすぐ後ろに森が見えていたので、墓地の敷地の端の部分を歩いていく。2、3分歩いたところで彼を見つけた。

 彼は、画面で見るよりも格好良かった。

 私は暫く彼を見つめていた。彼が私に見られていることに気がついた。数秒見つめ合い、私は照れて目を逸らしてしまった。

 頬に手を当てると熱を感じる。胸の鼓動が早くなってるのが分かる。

 彼に恋していると改めて実感する。

 私の恋の話は久美には言えない。––––久美は幽霊が苦手だから。

 私は、家から持ってきていたお饅頭を鞄から取り出し、彼のお墓にお供えした。

 彼の目がお饅頭を見る。そして、少し微笑んで言った。

「ありがとう」

 声まで素敵だった。

「甘いもの、お好きですか?」

「好きだよ」

 頬の熱が一段階高くなる。

 綺麗な月が輝くお盆のある日のことだった。

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