へばりつく

三文字

へばりつく

 僕はへばりついている。へばりつくことだけが僕の取り柄で、一人、また一人と、そこから離れていくことが却って僕の取り柄を形作っているようにも思えた。


 重い体。体というよりは頭かもしれない。人気のない狭い部署で夜遅くまで働き、くたくたになって帰る、しがない一会社員。傍目から見れば、ただそれだけの人だ。


 「ただそれだけの人」が、小説を書くことだけにへばりついて、生きる意味を見出そうとしているのを、最近は我ながら滑稽に思っていた。


「……小説を書いているんですよ」


「小説! へえ……」


 職場で不意にそんなカミングアウトをした。口に出した瞬間、自分が滑稽だとずっとどこかで感じてきたことが、やっぱり本当に滑稽に思えてきて、さらにそれが他人に感心されてしまったのが余計に滑稽で、苦笑が止まらなくなった。


 それを気遣うかのように、「すごいじゃないですか」などと、向こうは誤解して励まそうとするが、それをなるべく聞かなかったことにしていてもやはりおかしくなる気持ちがこみあげてきて、僕はしばらくその苦笑を止めるのが難しかった。


 忙しいというのに、話しかけられただけでそんなことまで話すつもりはなかったのに、と後悔しながら僕は逃げるようにまた仕事に戻った。そして残業の時間はいつもより少し長くなった。でもそれがどうというわけでもない。仕事から帰ってきた後の目立った日課などPCをいじる位だ。そしてその日の真夜中もネットサーフィンをしていた。


 すると、とあるSNSで「文学愛好者なら誰でも歓迎します。会って話をしたいです」といったような募集をかけている投稿が目に入った。珍しいと思った。


 というのも大抵文学ジャンルでこういう募集をかける者というのは、文学の中でもひどく狭いジャンルに区切ってその中で会おうとする者がほとんどだからだ。だから僕は文学が好きでも文学愛好者のことは好きではない。となると自分は文学愛好者としての自覚がないから、このような募集を見ても何の意味もないんじゃないか。


 投稿を見てしばらくは迷ったが、深夜のテンションがそうしたのか、意を決してその投稿主に連絡を取り、会いに行く約束をした。


 その男の名前を挙げることはしない。いずれにせよ本名は知らないし、かといってわざわざペンネームだけ挙げて作品を紹介しないのも失礼だろう。


「あっ……すみません○○さん?」

「ああー! 三文字さん!」


 そうやって僕は駅の改札口で落ち合った。他にもこの土曜の夕べに待ち合わせをしている若者は多かったが、ほとんどが男女の出会いのようだった。


 その男に行きたいからと誘われ駅近くの串カツ屋に腰を下ろし、自分の飲みたい酒を各々注文した。男は上が黒のTシャツ、下はジーパンと簡素ないでたちで、それが安月給で働く僕には好感を持たせるものだった。


 しばらく好きな作家や作品のことを聞きあったりして、僕はとある作家が自分の人生にどれほどの影響を与えたかなどを気の赴くままに語った。


 酒を飲み進めるにつれて口はいよいよ滑り出し、話すつもりもなかった仕事や人生の話にまで話題は移った。


「へぇー、こんな時に忙しいだなって、いいじゃないですか三文字さん」

「いやぁちょっとしたワーキングプアみたいなもんでしょう。ブラック企業みたいなところで働いて、半端な金を稼いで、たいした金の使い方もしなくても貯金ができない。そのくせ本にだけは金をつぎ込むし、残業ばっかして時間なんかないのに睡眠時間を削って小説を書くんだよ? 僕って馬鹿だよね。

 でもねぇもう僕には文学しかたぶんないんだよ。現実に救いなんか求めない。かといってアニメやラノベなんかに夢も見れない。僕にできることは……むしろ救いのない現実を開き直ってただ見つめているくらいのほうが、性に合っていて、それしかない……」

「そして、それを、小説に書くと」

 と、合いの手を打って、男は笑う。


「まあ、当たらずとも遠からず」

 そう言って僕は笑った。笑ったら反対に涙が出てきた。おかしくて笑っていたはずなのに、後からすぐに、泣いているのを誤魔化して笑っているような気がしてきた。


 ふとよく見ると、向かいの男は鼻の付け根あたりを手で押さえるようにして目をつむりながらいつの間にか下を向いていた。そして男はこういうのだ。

「私も、自分から文学を取ってしまったら、何も残らないです……」

 そしてそれを見ていると余計に悲しくなって、酒を飲みながらまたいらぬ台詞が口をついて出た。

「僕たちみたいなもんには、それだけで充分なんだ。マーケティングだの、情報発信だの、そんな小賢しいことが最初からできていたら、文学になんか近づかなかっただろう、そうだろう?

 近頃はやっているアニメやゲームなんてオタクでもなんでもねえよ、あんなのにオタクと非オタクの区別なんかないだろ? でも文学にはある。

 ゲームやアニメをやってる人で文学なんか誰も読まないからな。もうここには誰もいない、誰も寄り付かない、誰にも見捨てられている、見捨てられた哀れな貧しい土地だ!」

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