花井桜

「そこまで、悩んでいるとは知りませんでした。」


「どうぞ」


私は、ティシュを差し出した。


「私は、最初は嫌でした。でも、今はあの愛が欲しくて堪らないんです。変でしょうか?」


「いえ、いいと思いますよ。でも、優季のくれた愛は二度と手に入らないですよ」


「私は、退屈で平凡な愛に包まれて生きていくしかないのでしょうか?」


「今、手にしている愛がそれならば、そうなのではないでしょうか?」


「つまらないです。」


「でも、仕方ない事ですよ」


私は、花井桜の目の前に、優季専用の懺悔ノートを差し出した。


「彼は、ずっと苦しんでいましたよ」


花井桜は、ノートを開いた。


「読んでいいのですか?」


「どうぞ」


彼女は、読みながら泣いていた。


私には、内容がわかっている。


【今日は、優しくしたいと思った。なのに、いざそうなると桜を押さえつけてしまう。嫌がれば嫌がる程、ゾクゾクする。】


そうやって、優季は話していた。


「優季が、こんなに苦しんでいる事に気づいていませんでした。」


「最後は、花井さんを殺すのではないかと怯えていました。それは、もう何ヵ月も…。花井さんにも言っていたのではないですか?」


「はい、よく、終わった後に言っていました。私は、優季に殺されるならいいと言ってしまいました。」


「それが、よけいに優季を苦しめたのかも知れませんね」


「そうですね」


花井桜は、泣いていた。


私にも、なぜ、あの三人が殺されたのかわからなかった。


カランカラン


「いらっしゃいませ、あー。早かったね」


「今日は、命日ですから」


「誰ですか?」


「私の弟です。新巻大乂あらまきたいがです。」


「初めまして」


「弟は、私とは真逆のマゾヒストです。」


「兄ちゃん」


「お客さんの前で兄ちゃんは、やめなさい」


「はい、香乂こうがさん」


「よくできました。」


「はい」


大乂は、冷蔵庫にジュースを閉まっている。


「大乂は、なぜ、三人が殺されたか知っているか?」


「えっ?知らないよ」


「あの日は、お客さんもまばらだっただろう?警察に話した以外で思い出した事はないか?」


「うーん」


大乂は、考えていた。


「あっ、そう言えば、僕が上がる前に三人が同時に、桜を殺すなら死にたいって呟いていたけど。関係あるかな?」


「わからないな」


私も大乂も、眉間に皺を寄せていた。


「あの、ここのお客さんは新規の人なんて滅多にいないのですよね?」


「いないよ。必ず、入ってきたら私が声をかけるから」


「だったら、お店のお客さんではないですよね」


「警察にも話したけれど、あり得ないよ。私は、全員を知っているし、そんな事をする人は一人もいない。」


「そうですよね」


「もう、10年も犯人が捕まらないなんてありえるのだろうか?」


「未解決ってやつだよね?」


「ああ、三人も亡くなっているのに」


花井さんは、ノートを閉じて私に差し出した。


「優季は、この場所が大好きだったんですね」


「大好きでしたよ。この場所で、三人で話をするのが…。」


「私は、優季と住んでいたのにきちんと知らなかった。」


花井さんは、泣いていた。


「生きていたら、彼は35歳でしたね?」


「はい、同い年なので」


「花井さんと結婚していたでしょうね」


「そうでしょうか?」


「そうですよ。優季は、花井さんを愛してるとよく言っていましたよ。花井さん程、自分を理解してくれる人間はいないのだと…。だから、これからも優季を思い出して、またここに遊びに来てください。」


「はい、必ず来ます。」


「夜になりましたら、お酒を出しますよ」


「ありがとうございます。」


花井さんに笑いかけた。


「あの、葵の話を聞かせてもらえませんか?」


並川桜は、手を上げた。


「そうですね。お話しましょう」


私は、並川桜の目の前に葵の写真を置いた。


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