第4話
「ただいまー!」
不思議な生き物に出会って生まれた高揚感が抜けないまま軽やかな足取りで、リアンは玄関の扉を開け中へ入った。すると扉が開く音に反応した母親が素早く椅子から立ち上がり、心配そうな表情をして足早に近づいて来ると、その手がリアンの小さい両肩を掴んだ。
「ちょっと遅かったわね、お母さん心配してたのよ?」
「ごめんなさい」
口では謝ってもリアンの顔は嬉しそうに笑っていた。そんな我が子を不審に思った母親は続けて言葉を投げかけようと口を開いた。
が、突然母親は目を見開き顔色を真っ青にさせると切羽詰まったような声を出す。
「リアン! あなた、この怪我どうしたの……!?」
唇を震わせ、今にも倒れてしまいそうな姿で詰め寄る母親の言葉でリアンは腕を怪我していたことを思い出した。そして突然忘れていた傷が痛み出し、同時に母親にどう繕うか内心慌てふためく。
心臓もバクバク鳴り始めてしまい、音が聞こえやしないかと冷や冷やする。
「え、えっと……」
――お母さんにバレちゃったらもう外に出してくれないかもっ! どうしよう……!
焦ったリアンは咄嗟に頭に浮かんだ出任せを口にした。
「よ、よそ見してたら枝に気が付かなくて……! 擦っちゃったの!」
今度は嘘がバレやしないかと冷や冷やし、心臓がドクドクと跳ねているのを誤魔化すために、リアンは不自然な笑みを浮かべた。
「そんなことどうでもいいわ! 早くこっちにいらっしゃい! 手当をしなくっちゃ……!」
動揺しているのか自分で訊いておきながらそんな言葉を返し、リアン右腕を掴むと小走りで部屋の左上に配置してあるテーブルまで連れていくと、立ったままのリアンを置いて目前にある台所へ回り壁際に置いてある棚から胸にすっぽり収まる大きさの箱を両手で抱えて急いで持ってくる。
それを床に置くと立ち上がった母親はまたリアンの右腕を引っ張って台所側にある裏へ続く扉を開けて外へ出ると、家庭用の井戸から少量の水を引き上げると、腕の傷に出来るだけ優しく、けれど素早く掛けて傷口を洗い、痛みで顔を顰めたリアンを連れてまた家の中へ入る。
そして入った左手にある浴室へ続く扉を開けると清潔なタオルを掴んで戻り、リアンを連れて先刻の床に置いた箱まで行くと、膝と腰を屈めてから蓋を開け、中から深緑色した瓶を取り出してリアンの傷口に中身の薬草を塗りつけると大き目のガーゼを当てて包帯を丁寧に巻きつけた。
そこでやっと母親が大きく溜め息を漏らし、がっくりと肩を落とした。
その様子を見てリアンは罪悪感で心がいっぱいになる。
「ご、ごめんなさい」
おどおどしながらそう言うと、母親は俯いていた顔を上げ、弱々しく頭を振った。その顔は微笑んでいたが、どこか辛そうでもあった。
「いいのよ……あなたに頼んだお母さんが悪かったわ。リアン、ごめんね」
途端に罪悪感が募って、焦りも増す。
「お母さんは悪くないよ! 謝らないでよ!」
「でもねぇ……」
「お願いだから!」
うーん、と母親は頬に手を当てて唸ると、数秒後にっこりと笑って口を開いた。
「じゃあ、また同じことにならないように、しっかり気を付けてね?」
「うんうん!」
慌てて大きく上下に頷くリアンをみてようやく安心したのか、母親はいつもの微笑みを見せてくれた。そして立ち上がりざまにリアンの頭を優しくひと撫ですると、使った薬草が入っている瓶を仕舞った箱を両手で抱えて台所へ運び、棚の上に戻す。
そんな母親の背中を見ていると、ハッとキシの実を採って来たことを思い出してズボンのポケットに手を入れ、掴むと引っ張り出し、顔を上げて視線を母親へ向ける。
「お母さん、キシの実採ってきたよ」
「ん?」
肩越しに振り返って見つめてくる母親に実を握った手を差し出して、そっと開いて見せた。すると母親が微笑みながら近づいてきて、小さい平の上にある実を一粒ずつ掴んで自分の平に乗せ、頷く。
「ありがとうねリアン。助かったわ」
その言葉を聞いて、胸のつかえがとれた気持ちになり安堵する。罪悪感も消えうせ、リアンは心から微笑んだ。心も弾んで、満たされる。
「またいつでも頼んで! 今度は怪我しないようにするから!」
輝くような笑顔でそう言うリアンに、母親も微笑んで答える。
「うん。ありがとう」
「うん!」
幸せいっぱいの笑顔を浮かばせるリアンに、母親も幸せを感じて微笑んだ。
それから夕食を摂った後、暫くしてから母親に誘導されてリアンは敷かれた布団の上に体を横たえた。ついで母親も隣りに敷いた布団に横になった為少しでも身じろぎすれば母親に気づかれそうで、リアンは心臓を緊張でドキドキさせながら寝付くのをじっと待った。やがて三十分もしないうちに隣りから穏やかな寝息が聞こえ始め、リアンは慎重に音を立てないよう注意しながら、ゆっくりと体を起こし、身を乗り出して母親の様子を窺う。母親が安定した呼吸を繰り返している事を確認し、安堵から溜め息を漏らしそうになったがハッと我に返り息を止めた。
――危ない危ない、お母さん起きちゃうところだった。
ちらりと母親が起きていないか一瞥するも、穏やかな寝息は変わらず身じろぎもしない。どうやら熟睡しているようだと分かり、ほっとして静かに息を吐き出した。
そして布団の中に腕を入れてごそごそ探す仕草をしたあと引き抜いたその手には、何かを包んでいる様に膨らんでいる白い布があった。リアンは立ち上がると台所へ向かって薄暗い中を歩いていく。僅かに床が軋んで音が立ち、母親が起きるかどうか不安になって時折眠っているか様子を見ながら足を進めた。壁際においてある棚につくと、しゃがみゆっくりとした動作で小さな戸をあけると、目的の物を取り出して掴む。途中でカタン、と音鳴ってしまい、それがまた静まり返った部屋にはよく響いて飛びあがりそうになったが、なんとか声を上げずに済みホッとする。そのかわり心臓の鼓動はすこぶる速かった。
嫌な汗が背中を伝うのを感じながら、慎重に床を歩いて玄関へ向かう。扉に手を掛けた後、最後に母親を一瞥し眠っているか確認してから、今度こそ扉を開けて家を後にした。
外に出ると、闇夜の中、すでに暗闇に順応していた目を凝らし、持ち出してきたカンテラにマッチで火をつける。無事に炎が灯ったのはいいものの風でゆらりと踊り、不安になったリアンは焦りながら消えられては困るとすぐに外界と遮断させて空気が触れないようにし、安堵の溜め息を漏らした。
――火が消えたらマッチも勿体ないし……。さて、行こう!
リアンの瞳が期待で輝き、心が弾んで自然に軽快な足取りになる。
笑顔を浮かべたリアンはカンテラをかざし柔らかく光る明かりを頼りに、暗闇に支配された森の中へと足を踏み入れた。
昼間通った道を思い出しながら、躓いて転んだりしないように気を付けて足を進める。静まり返った森の奥へ進んでいくうちに、何かの動物の「みーみー」という鳴き声が時折耳に届くようになってきていたが、それがまた大きく響いて聞こえていた。自分の足音すら普段の3割増しで耳に届く為、心臓はバクバクで、多少恐怖を感じていた。不審者などはいないとは思うが、やはり不安は残る。
ふと、動物の声を聞きながら、そういえばあの黒い生き物も鳴くのだろうか、と考える。
――鳴くとしたらどんな鳴き声なんだろうなぁ……ふふっ。いつか聞かせてくれる日が来るかな? でもあの子どこから来たのかなー。というか、まだいるのかな……。
何かに集中しながら歩くとすぐに着くもので、目前に例の岩壁に挟まれた小道が現れた。そうなるとリアンの頭の中は、あの不思議な生物の事で埋め尽くされ、今まで感じていた怖さなどは吹っ飛んで溢れんばかりの期待と好奇心で満たされてゆく。
耳には心地よい波の音と、潮の香りが鼻孔をくすぐった。
カンテラの柔らかい光を頼りに岩壁の間を歩き、抜けると、その双眸に夜の浜辺が映った。
月は出ておらず真っ暗なのが少し残念に思ったが、それもまた次に訪れる楽しみとなる。
波音が響く中で、リアンの砂を踏むサクサクという乾いた音が交じる。明かりを前に突き出し出来るだけ周囲を照らそうと工夫しつつ、目を細めて辺りを見回した。
しかし、会いたかった黒い生き物の姿は、そこにはなかった。
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