第2話

 広大な海にぽっかりと浮いている小島。その島の外側は堅牢な岩で護られ、外敵から侵入できないようになっていた。岩の次に覆うのは自然豊かな森。それがまた岩沿いに島を一周するように広がって、島の中心部にある村を護っていた。

 しかし一か所だけ、森が途切れ、浜辺が岩の側に広がっている場所があった。

 どこまでも続く青空以外で唯一、外界との繋がりを感じることのできる、海。その海底には人が一人通れる程しかない、小さな穴が空いている。

 それは島の外へと通じているのだが、その存在を知る者は大人達のみだった。 



 「リアンー!」

 小鳥の囀りが、小さい家の窓から聞こえてくる。同時に暖かい日差しが入り込み、家の中はとても明るかった。

 その家の居間で食事の用意をしていた女性が、開け放っている玄関の扉から声高らかに我が子の名前を叫んでいた。

 その女性は、銀髪の長い髪を右肩辺りで紐で縛り一つに纏め、胸に流している。

 その双眸は海を連想させる深い青で、見ていると吸い込まれそうになる程。

 母親の声が聞こえたのか、一人の子供が外から走って来て、家の中へ飛び込んでくるように身を滑り込ませる。

 「お母さん! 呼んだ?」

 入って来たその子供も母親に似て、短い銀髪に同じく深い青の瞳を持っていた。

 明るく、人懐こい我が子。

 母親は自分の子供が大好きだった。

 側に寄って来た子供の小さい肩を引き寄せぎゅっと愛情をこめて抱きしめると、くすぐったそうな声が耳に届く。

 「ふふふっ、お母さん、どうしたの?」

 顔を見なくても、微笑んでいる子供の姿が容易に浮かぶ。それを思い、母親も微笑んだ。そしてゆっくり体を離すと、口を開く。

 「リアン。森に行って、薬草を採って来てくれないかな?」

 「うん、いいよ。なにがいる?」

 即答するリアンに、母親はあのね、と呟いて続ける。

 「キシの実が欲しいの。ぴりっとして美味しくなるでしょう? もう無くなりそうなのよ」

 「キシの実だね、うん解った。他にはなにかいる?」

 リアンに訊かれ、うーんと唸りながら視線を泳がせる。しかし何も思いつかなかったのか、母親は視線を我が子へ戻すと頭を振った。

 「ないわ。とりあえずそれだけかな」

 「うん、解った、行ってくる!」

 そう言うと、リアンは軽快な足音を響かせながら家を飛び出るように外へ出ていった。

 そんな我が子を微笑んで見つめた母親だったが、立ち上がると再度台所へと向かって歩いて行った。




 暖かい陽光が降り注ぐ中をリアンは森に向かって走っていく。リアンが駆ける度に体が上下に揺れ、それによって銀の短髪が自由に跳ねて、陽光にあたって輝いた。

 森に入ったリアンは己の膝まで伸びている草木を手で掻き分けることはせず、ばさばさの葉擦れの音を響かせながら前へ前へと進んでいく。

 カラっとした天気で、風も気持ちよく吹いては、走った影響で熱を持ち始めたリアンの体を冷ましてくれて、気持ちがいい。

 思わず途中で足を止め笑顔を湛えたまま背伸びをする。

 「んー気持ちいい!」

 森の匂いを胸にいっぱい吸い込んで、はぁ、と吐き出す。

 リアンの心が弾んだ。

 「よし!」

 そう気合を入れて、再度走り出した。

 目の端に映る過ぎていく木の枝の上に、小さなビシックを見つけたアリアンは立ち止まり、笑顔で手を振った。

 目がまるく、三角の形をした耳がふさふさの茶色い毛に覆われて天に向かって数センチ伸びている。それを、何かの音を感じた時ピク、ピクと動かす姿がとても可愛い。じっと様子を見ていると、短い四本の指が生えている腕の長い手を耳に伸ばし、毛づくろいをするのか、耳の裏側を掻いては口元に持っていき、赤い舌でぺろりと舐めている。空いた左手では薄い茶色で覆われ、真ん中だけが白い毛がふさふさ生えている、ちょっとぷっくりとした丸いお腹を掻いていた。毛の隙間からほんの少しだけ、桃色の肌が見えて、うっとりと見惚れてしまう。

 ――あああああ……触りたい……!!

 思わず手がにょきにょきと動くが、我慢。

 後ろ髪をひかれる思いで、ビシックから離れると止めていた足をゆっくり動かしながら周囲を見渡し歩いていく。

 実は以前、母親に頼まれてキシの実を探しに来た時、あのビシックがキシの実を食べている姿を目撃したのだ。

 ということは、近くに実が生えている可能性が高い。

 そう考えて、走るのはやめ歩いて探すことにしたのだ。

 木漏れ日が差し込む中、じっくりと辺りを見渡しながら歩いていくと岩が少しずつ狭くなってきていることに気が付いた。

 どうやら結構奥の方まで来たらしい。

 地面ばかり見ていた視線を正面の方へ向けると、細くなっていっている岩壁の間に、細い道が見え、そこにキシの実が生えていることに気が付く。

 リアンの顔が明るくなり、足音を響かせながら走っていくと膝と腰を曲げて視線を落とす。

 小さな丸い葉が、花弁のように並んでいて、その中央に小さな茶色い実が成っている。この実がキシの実だった。

 「やったー見つけた!」 

 明るくそう言うと、微笑みながら実を採っていく。

 一つの根から咲くのは一つの実だけなので数はそんなに取るわけにはいかないが、使用するときは実を潰して粉にしてから使うので、少量だけで十分足りる。

 丁度十粒採って立ちあがると、正面に続いている細い道の先が気になって来た。

 むくむくと湧きあがる好奇心。

 耳を澄ましてみれば、水が波打っているような音が聞こえ、独特な匂いもする気がした。

 暫く考えた末好奇心には勝てず、一歩、また一歩と足を進める。

 ――だって、ほら。なんか面白い実とか、新しい薬草とか見つかるかもしれないし!

 そう自分に言い訳しながら。

 逸る心を抑えながら、岩山が作っている人間が二人くらい通れるような細い小道を進んで顔を覗くと、視界が眩しくなり思わず両手を目の間に翳して避ける。

 そして、目が慣れるまでそのまま数秒待ち、ゆっくりと手をおろしたあと、リアンの顔が花が咲くようにほころんだ。

 「わあー!」

 そこは、浜辺だった。

 海がざざん、と音を立てながらゆっくりと波打ち、白い砂に飛沫を飛ばしながらかかっては砂を削りながら引いていく。

 「すごい! お母さんにも見せたいなー!」

 あまりの興奮に、リアンはテンションが高くなり、無意識に声を大きく出して叫ぶように言い、はしゃいでいた。

 急いで浜辺に駆け寄っていき、白い砂を掬ってみると、陽光に当たってキラキラと光り輝く。

 それすらも綺麗に思えて、リアンは心から感動した。

 「はあぁぁ……綺麗ー……」

 その視線を、掬って手の平に収まっている砂から、奥の方へ向けた時。

 その双眸に、浜辺に似つかわしくないものが映った。

 何か、黒いものが、横たわっている。

 砂浜よりそちらへ好奇心が向き、リアンは平にあった砂を元にもどすと、浜辺を歩いてそれに向かって行く。

 砂が柔らかい為か靴が埋まって歩きにくいが、リアンは気にせずに歩を進めた。

 さくさくと、心地よい足音と海の波打つ音が耳に届く。

 数メートル歩いてその横たわっている黒いものの側に辿り着くと、リアンは首を傾げながら膝と腰を曲げてしゃがみ、生体観察をする。

 あまり艶がなく、固そうな黒い体。背中の中央は背骨なのか、首と思われるあたりから尻尾まででこぼこしている。尻尾は長くて、こちらも固そうな皮膚だった。

 側頭部に二本の角が生えており、切っ先が細くて刺さったら痛そうだなと思い、リアンの体に鳥肌がたった。無意識に両腕を胸のあたりで組む。

 若干冷静になったリアンはじっくり顔を眺めた。

 寝ているのか解らないが、瞼を閉じていて瞳が見えない。すこし飛び出ている鼻先は小さくてかわいらしく映った。

 リアンは微笑んで、そっとその体に手を伸ばし、背中に触れる。

 やっぱり、皮膚が固くてしっかりしていた。

 「ね……起きて」

 そう言って、ゆっくりと優しく、僅かにそれの体を揺らす。

 すると数秒後、ゆっくりとそれの瞼が開いていき、リアンの青い瞳と灰色の目が合う。

 次の瞬間。

 「ひゃっ!」

 リアンは何かに押され、尻餅をついていた。

 上面に威嚇するように体を低くさせ、鉤爪が生えた前足で砂を削り、牙を剝き出しにしリアンを睨み付けている。

 「あっ……。っいた!」

 起き上ろうとした瞬間、ずきっと腕に痛みが走った。咄嗟に右手で左腕を掴もうとして手を伸ばした後、無意識に掴んではいけないと思い自制が入る。

 視線を左腕に落とすと、皮膚が切り裂かれ、そこから血が溢れ出ていた。

 「あ……、あ……」

 ――これ、どうしよう……。

 慌てながら、でもどうすることも出来なくて視線を正面にもどし、その生物を見る。

 その黒いものは先程と同様の姿で、ずっとリアンを睨み付けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る