湖の少女

星谷光洋

はるか昔のお話

人がまだ生まれていない、はるか昔のことです。ひとりの若神が静かな湖のほとりで暮らしていました。鳥たちがさえずり、虫たちが控えめに鳴いていました。その頃は、彼以外には誰も湖には誰も住んではいませんでした。

 

彼は自分の姿がはずかしいものだと思い、森の深いこの湖から離れたことがなかったのです。彼はやせて細い顔立ちで、体もほっそりとした姿でした。

 

ほかの神さま方の姿が、雄々しく、あまりに神々しく光輝いているものだから、自分の姿を湖面にうつしては、ああ、私の姿はなんとみっともない姿なのだろうと思っていたのです。

 

古い樹の洞(うろ)が彼の家。ふた部屋があり、石と土で手作りした暖炉に、星のカケラのランプ、朝露に濡れたクモの糸で織ったカーテン。ふかふかの綿でつくった暖かいベッドがありました。彼の家は居心地がよく、これ以上の家はないと思っていました。

 

銀色の満月が、湖面に映えて美しい夜でした。ですが、吐いた息が白くなるほど凍えてもいました。

 

彼はいつもの角笛を吹いていました。月の光が湖面にきらめいていて、光がゆらめき幻想的な靄が浮んでいたのです。

 

彼の奏でる音楽は、透明な音符が螺旋を描きながら舞っているようでした。その音の軽やかでいながら、どこか寂しげなメロディのまわりだけは、ほのかな暖かさが漂うのです。彼は柔らかくなめらかな調べに酔いしれていました。

 

ふと、湖に花火のように光るものがみえたのです。彼は一瞬驚いて湖をみつめました。

 

確かに誰かいるようです。

 

湖の中になにやら人影が見えました。

 

こんなに寒い夜に、まさかとよく目を凝らしてみたのです。驚いたことに、その人影は少女でした。こちらにゆっくりゆっくりと近づいてきます。

 

湖面の波紋が、月の光を鏡のように反射しています。

 

彼は、とっさに木陰に隠れました。

 

その少女は髪もぬれ、白く薄いドレスが肌にまとわりついていました。青白い顔、悲しそうな瞳。岸にたどりついた少女の体は風に揺れるハイビスカスの花のように震えていました。

 

彼は、さんざん迷ったあげく、少女の前に姿をあらわした。このままだと、この子は死んでしまう! と思ったとたんに少女はしおれた花のように倒れ込んでしまいました。

 

 

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