第29話 雫山村の真実
図書室の窓ガラスに鳥がぶつかった事が騒ぎになって、俺と紗夜は昼休みが終わりそうになったから図書室を後にした。
廊下を歩きながら再び紗夜に聞いてみたら、「生まれた時から決まっているの」と言っただけで、詳しくは教えてくれなかった。部外者には話したらダメな事なのかも知れない。
これ以上俺は聞く事をやめた。変な質問をして、毎回悲しそうに目を伏せる紗夜を困らせたくなかった。別に大人になったら分かる事なんだから、無理に今聞かなくてもいいだろうと、そう思っていた。
だけど六年生に上がった梅雨のある日、雫山村はそのほとんどがなくなってしまった。
大人達は大勢死んだ。保育園と小学校にいた子ども達と先生は無事だったけれど、それ以外は大変な被害を受けた。大きな地震が来て山が崩れ、家は土に呑まれるか揺れで潰れたりした。
俺の大好きだった祖母は家が潰れて死んでしまった。出かけていた母親と村役場で働いていた父親は無事だったけれど、クラスメイトの家族で亡くなった人が大勢いた。壊滅的な被害を受けた雫山村からは、生き残った人達もそのほとんどが逃げるように街へと出て行ってしまう。
祖母を亡くした我が家も家が潰れてしまったから、とりあえずは無事だった学校の近くにある鉄筋コンクリート造りの新しいアパートに引っ越すことになった。それから先は両親が話し合いをしている。
俺は紗夜と離れ離れになりたくなかったけれど、小学六年生の子どもにはどうする事も出来ない。雫山小学校だって、通う子どもが激減したから閉校になる話も出ている。俺達の卒業式が最後になるかも知れない。
――「卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、本日まで立派にご子息を育ててこられた保護者の皆様にも、心よりお祝いを申し上げます。ご存じの方もおられると思いますが、私自身もこの雫山小学校の卒業生のひとりでございます。当時はまだ建て替え前の古い校舎でしたが、毎回行事の際に招待いただきまして学校へ参りますとあの頃の思い出が少しずつ蘇ってきます。卒業生の皆さんは、夏に起きた災害で随分と辛い思いをしたでしょう。卒業生もたった六人になってしまいました。この学校も君たちが最後の卒業生になる事が決まっています。まだ子どもで、十分に若い皆さんには無限の可能性がありますから、どうか……どうか立派な大人になってください。……申し訳ありません、嬉しくて涙が止まりませんね。では……以上をもちまして、私からのお祝いの言葉とさせて頂きます。 今日は本当に、おめでとう」
卒業式の村長の祝辞に、先生方も保護者も大人達は皆涙を流していた。全校生徒でもたった三十人になってしまった雫山小学校。まだ引っ越しをする事が決まっている家族が多くいるようだから、そのうちこの村自体が無くなってしまうかも知れない。
うちも雫山村を出る事が決まっていた。村役場が隣の地域と統合される事になった父親の転勤に合わせて、祖母が亡くなった悲しい思い出の村を出る事にしたのだ。
「じゃあ写真撮ろう!」
元気な声で皆に呼びかける丸本の家も引っ越すらしい。家族全員が無事だったのは奇跡だったと喜んでいた。三谷は中学受験に合格したから、離婚が決まった母親と一緒に街へ行くという。次に会う時は三谷ではなく岩崎になるけど、と笑っていた。結局、残った六年生は俺と紗夜、丸本、三谷、川滝、松本だけだった。
石川先生は奥さんを梅雨の土砂崩れで亡くしてしまった。俺達が卒業したら、この村を出て実家のある土地に帰るそうだ。
卒業生は紗夜以外の全員が、近々この村を出て行くと決まっていた。
「紗夜の家はやっぱり引っ越ししないの?」
「うん、お父さんもお母さんもここから動けないって。ここには、お姉ちゃんもいるから」
そういえば、紗夜には姉がいると言っていた。両親は姉を大切にしていると前に言っていたから、何かしらの姉の都合を優先したんだろう。
「紗夜、今までありがとう。この小学校で、紗夜や皆と過ごせて良かった。色々辛い事もあったけど、また大人になったら同窓会をするって丸本も言ってたし、皆で集まろう」
「きりと……、ありがとう。きりとのお陰で私は……生きてるって思えたの。両親とはまだぎこちないけど、紗陽の分も生きていく」
あれから本当に姿を現すことがなかった紗陽の人格。紗夜にとっては、紗陽の人格も大切な存在だったんだろう。
「じゃあ、またね」
「うん、またね。きりと」
ほとんどの大人達は、雫山小学校最後の卒業式を、まるでこの村全体の卒業式のようにとても悲しんでいるように見えた。
「ねぇ父さん。あの家、俺達が住んでた家に住んでた親戚ってどうして村を出て行ったの? せっかく田舎で子育てをしたいって不妊治療までしたんでしょ?」
アパートに帰る道すがら、俺は父親に尋ねた。もう明日には引っ越すことが決まっていたから、前から気になっていて聞き忘れていたことを最後に聞いておこうと思った。
「あぁ、それは……妊娠したのが双子だと分かったから」
そう言った父親はもう、自分の故郷であるこの雫山村に二度と来るつもりが無いみたいだ。とにかく早くここから離れたがっているような、そんな気がしたから。土砂崩れで家ごと祖母を亡くした事がよほど辛かったんだろう。
「でも、どうして双子だとこの村から出て行くの?」
そう尋ねると父親は「双子は不吉なんだ」と呟いた。こんな田舎だと色々陰口を言われたりするのだろうか? そういえば、双子は良くないと昔は言われていたらしい。双子の片方は生まれた時すぐに殺された子もいたとか……本で読んだ事がある。
「そうだ、お父さん! おばあちゃんがよくお参りしてた家の近くのお地蔵さん、『かたあれ地蔵』の『かたあれ』って双子の『かたわれ』って意味なんでしょ?」
「え? そうなの?」
思わず俺が食いつくと、妹は得意げな顔をして説明してくれた。学校の帰りに家族で並んで歩きながらアパートに向かう事はなかなか無い事だから、在校生として初めて卒業式に参加した四年生の妹は嬉しいのだろう。はしゃいでいるのがとてもよく分かる。
「お兄ちゃん知らなかったの? あのお地蔵さんは、雫山村で亡くなった双子の片割れ達を祀っているって、私は前におばあちゃんから聞いた事があるんだ」
俺達が話す双子という言葉を聞いて、思い出したようにそう言い始めた妹。少し得意げなのは、俺が知らない事を自分が知っていたというのが嬉しいのだろう。父親は何も言わずに祖母の家があった方角を見つめながら頷いただけだった。
そんな父親を見て、思ったような反応が無かったのが面白くなかったのか、妹はアパートの方へ走って行ってしまった。母親は慌てて後を追いかけていく。
祖母がよく参っていた『かたあれ地蔵』は、この村で亡くなった双子の片割れを祀った地蔵だったのか。待てよ……。もしかして……! まさか、いや……それなら……。
「明日香は本当に元気になったなぁ」
「そうだね」
「次の街はここよりは便利な土地だけど、比較的緑の多いところだしあの様子なら明日香もきっと大丈夫だろう」
父親の目は、どこを見て何を映しているんだろう。妹や母親ではないどこかを見ている気がした。
「父さん、俺と一緒に卒業した綾川紗夜って確か
紗夜の言っていた姉、双子の片割れの供養の為の地蔵がある村、生まれた時から決められる神子、三谷の祖父の言葉、そしてあの……倒れた時の夢だと思っていた神事が現実だったんだとしたら……。
確かにあの日、カモの葬式の後に行われた神事に俺と一緒に参加した父親は、当然のように俺に向かって頷いた。
「ああ、綾川の家はお前の同級生のあの子だけだよ」
紗夜との楽しい時間を過ごした雫山小学校の図書室。いつも座っていたあの場所の後ろにあった雫山の郷土史が並べられた本棚の本を読んでいれば、もしかしたらもっと早く気づけるヒントがあったのかも知れない。それだって、子ども達の目につくところなんかにヒントを置いたりしないのかも知れないけれど。
紗夜、次の代の双子が現れなければ……君はずっと雫山村の神子でいないといけないの? この村が無くなるか、大人達がこんな馬鹿みたいな迷信に縋らなくなるまで……。
悲しい真実を知ったこんな時だって、やっぱり俺が一番に思い浮かべるのはどうしても……思わぬ事件で犠牲になった『紗陽』ではなく、月夜に出会った初恋の相手『紗夜』の、全てを悟った悲しげで綺麗な横顔だった。
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