第27話 さや
流石にあの出来事の翌日は学校を休んだ。もしかしたら三谷も休んでいたのかも知れない。
あの後父親が言うには、神事は九日後に予定通り神子の怪我の具合が良ければ行われると言う。……ということは、やっぱりあの神事は夢だったんだ。あの事件と、その後の独特な葬式の方法に驚いて、倒れた間に変な悪夢を見たのだと思う。
「行ってきます」
「行ってきまーす」
「いってらっしゃい」
母親に見送られながら妹と一緒に家を出ると、自宅と祖母の家の間にある坂のところで赤いカーディガンを着た祖母の姿が見えた。またあの『かたあれ地蔵』に手を合わせている。熱心にブツブツと何かを唱えている祖母が俺たちに気付く気配はない。
「あ、おばあちゃんだ! でも、お参りしてるのに急に声掛けたらまたびっくりしちゃうよねぇ?」
「そうだな、今日はそっとしておこう」
前に祖母が熱心にテレビを見ていた時に、後ろから妹が声を掛けたら驚いてしゃっくりが止まらなくなった事があった。そうなってはマズイと、今日は声を掛けずに学校へ急ぐことにした。
赤いカーディガンを着た背中を丸めて、ブツブツと熱心にかたあれ地蔵に手を合わせる祖母の近くを妹と二人でそおっと通り過ぎた時、ふと何か大事な事を忘れたような気がした。
「おや、桐人ちゃんと明日香ちゃん。おはよう」
「あぁー、ほら見つかっちゃった」
ちょっと早めに家を出たから安心と、妹は祖母の大きめな腹に抱きついている。
「なぁに? おばあちゃんから隠れてたの?」
「だっておばあちゃん、前に急に話しかけて驚かせちゃったら、しゃっくりが止まらなくなったじゃない」
「そんな事あったねぇ。だから今日はそっと通り過ぎようとしたのね」
「うん。だっておばあちゃん、しゃっくり止まんなくなっちゃうもん」
散々甘えたら気が済んだのか、妹は「いってきます」と言って笑い皺を作る祖母から離れた。
「お兄ちゃん、遅刻しちゃうよ!」
「お前がばあちゃんに抱きついて時間食ったんだろ!」
ペロリと舌を出した妹が早足で坂を下っていく。俺も急いで後を追おうとして……足を止める。そして、笑顔で手を振る祖母の方を振り向いた。
「ばあちゃん」
「どうしたの?」
「ばあちゃんにイネコっていう妹……いた?」
あれがもし夢だったなら、祖母にイネコという妹はいないはずだ。俺は今まで祖母に妹がいたなんて事は誰からも聞いたことがなかったんだから。
「桐人ちゃん、何言ってるのぉ。おばあちゃんは一人っ子よ?」
「そっか……。いってきます」
「気をつけてねぇ」
やっぱりあれは夢だったんだ。祖母に妹なんかいない。あのおかしな神事は、葬式の途中で倒れた時に見た悪夢だ。
俺は清々しい気持ちで坂を駆け下りた。先を歩いていた妹に追いつくと、二人で仲良く学校へと登校する。途中、あの林が見えたからなるべくそちらを向かずに歩いた。大丈夫……カモは死んだけど、紗陽は生きている。
教室の前に着くと、ひどく緊張しながら中を覗いた。ほとんどのクラスメイトが登校し終えていて、皆思い思いに集まって話をしていた。丸本と三谷は何やらいつも通りじゃれあっているし、川滝と香川、横田と一緒にいるのは……紗陽だ。良かった、本当に生きてた……。
「おはよう」
皆に声を掛けたり掛けられたりしながら、思わず涙が滲む目を隠すように俯いて席に着く。
「きりと、おはよう」
いつの間にか川滝達はいなくなっていて、隣の席に『さや』が座ってこちらを見ていた。久しぶりの『さや』の人格だ。最近は何故かずっと『紗陽』だったから。頭に白い包帯が巻かれていてまだ痛々しげなその姿は、確かに息をして動いてこちらを見ている。ちゃんと、生きているんだ。
「おはよう、さや。頭……とか、大丈夫?」
「大丈夫。きりとこそ、ごめんね」
昨日の事はあまり皆の前で話さない方がいいだろう。カモが死んだ事は知っていても、
「さやが元気そうで本当に良かった。俺、昨日の晩に変な夢を見て、本当に怖かったんだ」
「ふふっ……そうなの? きりとって案外怖がりなんだね」
黒くて長い髪の毛に、白い包帯が眩しい。さやはこちらへと穏やかな視線を向けながら優しく笑いかけてくる。
「……怖かったんだ、本当に」
さやが……いなくなっちゃったかと思って。
「ねぇ、きりと。今日も昼休み図書室行こうね」
「うん、行こう」
そう二人で笑い合った後に、丸本と三谷が近づいてくる。
「天野、おはよ!」
「おはよう、天野くん。一昨日はありがとう」
丸本は日焼けした丸顔にニヤけた笑みを浮かべてで、三谷はもう元気そうだ。二人の顔は一昨日見たはずなのに、随分と懐かしく感じた。
「朝から仲良しだなぁ、天野と綾川は」
そう言って茶化してくる丸本に、三谷は「また始まった」というように苦笑いを浮かべている。
「図書室仲間なんだよ。何なら今日丸本も行く?」
「やだね、今日の昼休みはドッジボールだ」
「あっそう。残念だな」
嘘だ。本当は久しぶりに会えたさやと二人で話したい事がたくさんあった。だから丸本が断ってくれてホッとしたんだ。
「ほら、そろそろチャイムが鳴るぞ」
三谷の声に、周囲のクラスメイトも動き始めた。窓から入る風は、半袖の制服だとブルリと肌寒い。季節はすっかり秋になっている。
あの校庭の田舎らしいデカさのひまわりは、いつの間にかタネを取った後に抜かれて、畑の隅に山積みにされていたのを見かけた。次の日には無くなっていたから、先生がさっさと処分したのだろう。
「はい、皆さん。おはようございます」
担任の石川先生が教室に入って来ると、皆は急いで姿勢を正す。俺は黒板の上の時計をチラリと見ながら「早く昼休みにならないかな」と早くから考えていた。
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