第24話 神子の神事
皆が本殿の中に集まると、広いと思っていた空間も息苦しく窮屈に感じる。
ぐるりと縄が張られた空間の真ん中には、直径一メートルくらいの丸い形をした分厚い木の蓋が置いてある。奥の祭壇には野菜や果物、お酒などのお供物が飾られていて、青々とした葉っぱが白い花瓶に入れられていた。
「ばあちゃん……」
「桐人ちゃん、心配しなくていいよぉ。皆の真似をしたらいい。おばあちゃんがついてるからねぇ」
丸い蓋を真ん中にして、板の間に座る人々。皆一様に険しい顔つきをしていて、今からどんな事が始まるのか全く分からない俺はすごく怖い。父親は村長の近くに座り、俺は祖母の隣に座っていた。
宮司のような格好をした人が何かを言いながら、白い紙が付いた棒を振った。皆が頭を下げているから、俺も真似をする。
宮司の口から漏れる小さな声、しかも難しい言葉の羅列の中で聞き取れた言葉は、『雫山』『神子』『十三歳の儀』『災いをしずめたまえ』『ささげる』……。
「雫山の大事な神子を傷つけたもの、今からそちらに送ります。ですからどうかお赦しください」
確かにそう聞こえた。するとどこからか白い布に包まれた長細い塊が男達によって運ばれて来た。布で巻かれて縄で縛られている。あれは……何だろう……?
「桐人ちゃん、目を閉じていなさい」
祖母が俺の手を引っ張って、小さな声で囁いた。咄嗟にギュッと目を閉じると、耳から入ってくる音がいやに大きく聞こえた。
「く……、重いのぉ」
「ほら、もうちょっと」
ガタガタンと木がぶつかるような音……、あの丸い蓋が開けられたのか? あと聞こえてきたのは男達が懸命にあの塊を運ぶ息遣い。服が擦れる音、床の軋む音、誰かがすすり泣く声、鼻を啜る音、あとは何人か近くに座る大人の興奮したような大きな鼻息……。
ドシャリ……と鈍い音がした。今日聞いたあの嫌な音ととてもよく似た音は、鋭くなった耳にこびりついて気分が悪い。これが、お葬式?
「では……今代の神子、綾川紗陽を連れてくるように」
宮司の緊張した声に思わずギュッと瞑っていた目を開けた。見える範囲にはさっきの白い塊はどこにも無い。やっぱり、あれはカモの死体だったのか……?
皆の座る空間の真ん中には、真っ黒な丸穴が化け物の口のようにポッカリと開いていた。分厚い木の蓋は近くの壁に立て掛けられている。
まさか、まさか……あの穴にカモの死体を? あの穴はどこかのお墓に繋がっているんだろうか? テレビドラマで観たお葬式では、こんな穴は観た事が無い。でも、もしかしたら映してないだけなのかも知れないけれど。
「皆、順番に石を持ってください」
村長や、そばにいた人達がカゴに入った大小様々な石を配って回った。その間に、幕の向こうから担架に乗せられた紗陽が運ばれてくる。紗陽は白い着物を着せられて、頭に包帯を巻かれていた。
良かった、生きていたんだ……良かった……!
でも、あの状態の紗陽に神事なんて出来るんだろうか? 大人達が次々に石を手にする。祖母も小さな石を受け取って俺に手渡してきた。一人一つの石を手に持って、皆硬い顔をしている。先程よりもっと泣いている大人が沢山いた。村長は鼻水を垂らしながらも石を配っていた。
「ばあちゃん……」
「桐人ちゃん、とにかく大人の真似をしたらいいから」
祖母は手が痛いほど強く握ってくる。父親は先程石を配っていたけど、今はどこにいるのか分からない。
真っ黒な化け物の口みたいな穴と、担架に乗せられた白い着物の紗陽。何か恐ろしい事が始まりそうで、段々と息が出来なくなってくる。神事って……何?
「では、順番に神子の石打ちを……」
そう言って宮司は、寝かされた紗陽の肩に優しく石で触れた。続いて大人達は順番に手に持った石で紗陽に触れていく。優しく優しく……。いつの間にか列になっていた真ん中辺りに俺と祖母は並んでいた。紗陽は眠っているのか、動かない。
あと三人くらいで祖母の番だという頃になると、時折ピクピクと紗陽の手が動いたり、胸が呼吸でかすかに上下しているのが見えてきた。
よかった。この神事、紗陽は寝ているだけなんだ。だから怪我をしていても神事は出来ると祖母は言ったのだと理解する。
「桐人ちゃん」
いつの間にか自分の番になっていた。皆は紗陽の身体の色々なところに石で触れていたから、俺は大人の真似をして床に膝をついて、紗陽の右手に優しく石を触れさせた。どさくさに紛れてそっと触れた手はほんのり温かくて、心底ホッとしたら今度は立ち上がれなくなる。
「桐人ちゃん。大丈夫?」
祖母が手を貸してくれて立ち上がった。それから石を近くに置かれたザルに戻し、列に沿って本殿を移動する。あとまだ石を持った大人が俺の後ろには十人くらいはいた。
「すみこさん! どこ行くの?」
祖母が俺の手を引いて突然列から離れた時、鋭い声で近くにいたおばさんが祖母を呼んだ。祖母が手を握る力が強くなったから、俺もギュッと握り返す。
「ちょっと話すだけだよぉ。このままじゃあ桐人ちゃんがおかしくなってしまう」
おばさんにそう答えた祖母は、俺を抱きしめた。祖母と俺は同じくらいの身長だから、祖母の肩に顔を乗せる。すると耳元で祖母が優しく話し始めた。
「桐人ちゃん、お葬式は無事終わったよ。あとは神子の神事だけど、びっくりするような事が起こっても、何にも心配いらないから。怪我が治って元気になれば、また綾川の娘は学校に来るからな。大丈夫だよぉ」
「びっくりする事? 今からどうするの?」
「あの穴の中は部屋になってるから、少しの間入ってもらうだけだ。心配いらない。また学校で会えるよ」
カチカチ、と歯が音を立てた。足がブルブルと震えて止められない。あんな暗い穴の中に、しかもカモの死体が入っているはずの穴の中に紗陽は……さやは、入るって言うのか!
「カモは……あの穴の中? 大丈夫なの? そんなところに入って……」
情けないくらいに声が掠れて震えている。舌を噛みそうになりながらも、何とか祖母に尋ねた。
「大丈夫。神子なら大丈夫だよ。あの中で神子が村の為にお祈りをするのが神事なんだ。おばあちゃんの妹だって昔神子だった時にあの中に入ったんだから、心配ないよ」
「ばあちゃんの、妹?」
「うん、妹。昔、イネコっていう名前の妹がいて、この村の神子だったからあの中へ入ったんだよ」
祖母の妹が経験したのなら……怖くても、身の危険は無いはずだ。まさか子どもを一晩中閉じ込めたりはしないとは思う。どれくらい中に入らないといけないんだろう? 早く出られたらいいけど。
「怖いのは、どのくらいの時間続くの?」
少しでも怖い時間が短ければいいのに。そう願って祖母に尋ねた。同じ時間だけを、俺も「頑張れ」って祈ろうと思って。
「怖いと思うのは、ほんの少しの間だよ」
祖母の声と身体は小さく震えて、俺の身体をギュッと一層強く抱きしめた。
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