第15話 祖母の秘密


 カモはそう言って俺の肩を小突いた。それ自体は軽い力だったから脅しみたいなものだったのだろう。だけど、妹は突然現れた大人に俺が暴力を振るわれたのだと思って叫んだ。


「きゃぁー! お兄ちゃん!」

「うるせぇ、このクソガキ」


 妹の方へと手を伸ばすカモの手を掴んで、得意の小手返しを喰らわせようとする。ひょろ長くて背も低いカモならとりあえず倒せば驚いて追いかけて来ないかも知れない。


 だけど、同級生相手にしていたのとは訳が違う。こちらもテンパっているし、相手は本気だ。俺はカモの手を上手く掴む事も出来ずに、とにかく身体を思いっきりぶつけて妹へ伸びる手を引き剥がすことにした。


「うわっ! わわっ!」


 こちらが坂の上側で、カモが下側になった時に体当たりしたのが幸いして、カモは坂道でバランスを崩して尻餅をついた。コンクリートの地面に尻を打ちつけたカモは、痛みに顔を歪めて唾を吐いた。


「おい、クソガキ! どこのガキだ? えぇ⁉︎」


 よほど痛むのかなかなか起き上がらないカモを尻目に、俺は妹の手を引っ張って坂を駆け上がる。少し走れば喘息を起こしていた妹を心配したが、この村に来て体調が良くなっていたおかげで思ったよりも早く走れている。


 祖母の家が見えてきた。後ろを振り向くが、カモは追いかけて来ていない。青い屋根の家が物凄く懐かしく見えて、急いで引き戸を開ける。やはり鍵はかかっていない。


「ばあちゃん! 助けて!」


 先に妹を中に押し込んで、鍵を閉めた。奥から祖母が出てきて何事かと驚いているが、とにかく窓の鍵を閉めてくれと頼む。


「変態が追いかけてきたの! お兄ちゃんが肩を叩かれて、怖かった!」


 妹がそんな風に叫んだから、祖母もとりあえず鍵を閉めて回ってくれた。

 俺はめちゃくちゃ情けないけど、玄関に上がってすぐの廊下に座り込んで動けなくなっていた。今になってカモの顔が、手がこちらに伸びてくる感覚が、風呂に入っていないような悪臭が思い起こされて怖くて仕方がない。嫌な汗が額から垂れて、目の中に入る。


「桐人ちゃん、一体どうしたの? 何かされたの?」


 妹と一緒に戸締りをしていた祖母が戻ってきて、タオルを渡してくれる。よほど汗だくで目に余ったんだろう。


「カモが……、あの髪の毛がボサボサの二十歳くらいの変質者、あいつが追いかけて来て。明日香の事連れて行こうとしたから体当たりした。ばあちゃん、怖かったよ……」


 俺の話を聞いた祖母は、小学生の付けたあだ名のカモという名前には聞き覚えがないから首を傾げていたけれど、髪の毛がボサボサの二十歳くらいという人相には心当たりがあったらしい。険しい顔つきになってどこかに電話をすると言う。


「桐人ちゃんと明日香ちゃんは居間でオヤツでも食べておいて」


 そう言って電話のある部屋へと向かう祖母に、俺と妹は返事をして居間へと移動する。妹は酢昆布が好きだから早速座卓の上のおやつを食べていたけど、俺はばあちゃんの電話が気になって「トイレに行く」と妹に告げてからこっそり電話を聞いていた。


「ありゃあアンタんところの昭三しょうぞうだろ? ちゃんと座敷に入れとけ。私の孫に何かしたら堪えんぞ」


 そんな怒ったような低い声が聞こえてくる。祖母のこんな風に怖い声は初めて聞いた。じっと耳を澄ましていると、まだしばらく電話は続く。


「そうだ。いくら綾川に代替わりしたからって、うちが……天野が神子の家だったって事は忘れるな。この雫山村は天野のお陰で無事に過ごせているんだ。いや、代々の神子のお陰でな」


 天野の家も神子の家系だったのか? 代替わりして綾川……さやに変わった?


「いいか? 神子のありがたみ、それを忘れたら雫山村は終わりだ。お前は若いもんで、もう忘れてるのかも知れないから、ちゃあんともう一回伝えといてやる。村長なんてお偉いさんになったからって、息子一人ちゃんと躾出来てなかったら足元を掬われるぞ。いいか、神子のありがたみを絶対に忘れるな」


 その後も二言三言話してから祖母は電話を切った。俺はわざと足音をたてて廊下を歩くふりをしてからトイレに向かう。祖母は俺が聞き耳を立てていたことに気づいてはいない。

 トイレに入ると鍵を閉めてからホウッと息を吐いた。バクバクと今更胸が暴れている。カモも怖かったけど、祖母の話も怖かった。


「カモは、村長の息子なのか……。神子は天野の家から代替わりしてさやになった。代々同じ家が神子を継いでいる訳じゃないんだな」


 初めて聞いた祖母の低い声を思い出すと、背筋がぞくっと震えた。



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