第14話 変質者のカモ
どうしてさやが日によって雰囲気が違うと気づいたのかと言うと、俺が人の表情の変化に鋭い方だという事もあると思う。けれどそれ以上に、さやの俺を呼ぶ呼び方が日によって変わる事に気づいた。
「きりと、ごめん。消しゴム忘れちゃって……。貸してもらってもいいかな?」
「うん、いいよ」
さやが俺の事を『きりと』と呼ぶ時には、話し方や視線に『親しみ』を感じる。けれど、『天野くん』と呼ぶ時には……それとは違った感情のような、少し大人びた様子の、こちらを誘うような感じを受けるんだ。丸本は「綾川は都会っ子の天野の事が好きなんだよ」と言うけど、そこのところはよく分からない。
今日のさやは、月夜に出会ったあの『さや』だと確信が持てる。日替わりで雰囲気が変わる時もあれば、二日続けてそのままの事もある。でも基本的に、綾川紗陽は二つの人格を持っているような気がした。
紗陽とさや、日によって違う雰囲気はきっと『さや』の存在を知っている俺しか分からないくらいの小さな変化。既に俺の中で、綾川は『天野くんと呼ぶ紗陽』と『きりとと呼ぶさや』に分けられていた。
一番仲の良い三谷や丸本にさりげなく聞くと、元々綾川は昔から『気分屋』『ちょっと我儘』、だけど『とても優しい』性格なのだという。この矛盾しているとも思えるところが、綾川の中の紗陽とさや、二人の人格を表しているような気がした。
「二重人格……」
学校帰り、家に向かう緩やかな坂を登りながら独り言を呟いた。九月も終わりだというのに、まだしつこく暑い。黄色の帽子の中は汗だくで、ランドセルと背中の間が蒸して気持ち悪い。何度もランドセルの肩をずらしては、背中の間に隙間を作って空気を入れたりしてみる。一瞬涼しさを感じても、すぐに熱は戻ってきた。
夜に出会った月夜の中のさや、それと転校初日に教室であった紗陽は別人格だったから、初対面のような態度だったんだと思えば納得がいく。
確か、前にそういう本を読んだ事があった。何かの事件の犯人がそれだったとニュースで取り沙汰されていて、気になったから図書館で借りたんだ。
「かいりせい……」なんとかっていう名前の病気で、片一方の人格が出ている間の記憶が無くなってしまうとか。
だからさやが俺と会った事を、紗陽の方は知らないんだ。病気の原因はストレスとか辛い出来事だとか書いていた。
さやがそんな辛い目にあったなんて考えたく無いけれど、俺だってその辺の子どもよりはちょっと捻くれた子どもだと自覚している。ちょっとした親との諍いでそんな風になってしまう事もあるのかも。
もう少ししたら祖母の家だというところの交差点で、細い方の道から男が歩いて来た。
「げ……。またアイツだ」
二十歳くらいの男は髪の毛は伸び放題、よれたTシャツは黄ばんでいる。迷彩柄のハーフパンツにサンダルというのがいつもの服装で、違う服装の時を見た事がない。
ニヤニヤと笑いながら歩いてくる男は、俺達の中では「カモ」と呼ばれている。誰が名付けたのかは知らないけれど、冬も迷彩柄のズボンらしいからカモフラ柄のカモだと思う。小学生の帰宅時間になるといつの間にか現れるカモは生徒達の中でも有名な変質者だ。
俺はさりげなく早足になってから、交差点を通り過ぎた。そして道から外れて脇の林の中へと身を潜める。家までは一本道だし、カモに何となく家を知られたくない。
ここは何でもすぐに知れ渡る田舎だから、そんな事したって無駄なのかも知れないけど、それに気づいた時には既に林の斜面に隠れていた。
「くそっ、どこ行きやがったんだ? あのガキ」
そんな悪態をつきながら、カモは交差点でキョロキョロと辺りを見回している。やっぱり俺がアイツを見ていた事がバレていた。だからってあんな風に怒るなんて、やっぱりカモは変質者だ。
噂では小さな子どもが好きなロリコンなんだとか、普段は部屋に閉じ込められている引きこもりなんだとか、刑務所に入った事があるだとか、そんな噂が生徒達の間では囁かれていた。
カモの様子を見ていた俺はハッとする。家のある坂の上の方から妹が歩いて下って来たのが見えた。
緩やかなカーブを描く坂になっているから、まだカモは上から下ってくる妹には気づいていない。だけど、俺が飛び出せばカモに気づかれるだろう。足の遅い妹を連れて逃げられるのか?
考えているうちに、何も知らずに坂を下ってくる妹の姿をカモが捉えたらしい。ニヤリと笑ってから徐々に坂を登り始めた。
「明日香!」
俺はたまらず林の斜面から飛び出して、明日香の方へと駆け出した。まだカモは坂の下の方大体二百メートルくらい離れたところで少し早歩きになってこちらに向かって来ている。
「お兄ちゃん? どうしてあんなところに隠れてたの? あー! 私を驚かせようとしたんでしょ?」
「違うんだよ、あそこにカモがいるから、逃げないと」
「カモ? カモって……カモ?」
「馬鹿っ! 変質者のカモだよ!」
のんびりした妹を急かすように手を引っ張る。ゆっくり説明している暇はないのに、すっとぼけた事を言う妹にイライラしながらも坂の上へと戻ろうとする。妹は訳が分からないという顔をしてそれに抵抗した。
「お兄ちゃん、私鉛筆を買いに行くんだよ。邪魔しないで」
「だから! カモがこっちに来てるだろ! 一旦帰ろう!」
そこまで言って妹の手を引っ張ろうとした時、突然後ろから声を掛けられた。
「おい、カモって俺のことか?」
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