第21話 積み重ねられたもの
アニエスはいつだって私の前に立ちはだかった。
赤よりも青を。
黄色より紫を。
学院よりも優秀な魔術師を。
次期伯爵よりも高貴な相手を。
いつだって立ちはだかり、別の道に私を引っ張った。
こちらのほうがふさわしい。素晴らしい姉に見合う素晴らしいものを。
そう言い張って。
そして、姉を賞賛し褒め称える一方で自分自身については語らない姿を見た人たちは、自らの才能も美貌も鼻にかけない、なんて慎ましい淑女なのだとアニエスを評価した。
「優秀だって聞いてたからお姉様を預けたのに、いつまでも表舞台に出さないで塔にこもらせてばっかり」
これまで溜めこんでいたのだろう。吐き捨てるように言うアニエスに視線を落とす。
アニエスはいつだって、素晴らしい姉にふさわしい完璧な妹を装っていた。だから王家主催の夜会でも、完璧な妹を崩すことはないと思っていた。
だけど、完璧な妹であることよりも、姉が評価されていないことのほうが、彼女には大切だったようだ。
「挙句の果てに、こんなどこの誰とも知れない魔術師と恋人になるなんて……せっかくクロードみたいな外れくじを手放させたのに! これじゃあだいなしじゃない!」
「えっ」
肩で息をしながらやって来たクロードが素っ頓狂な声を出す。
アニエスと一緒にいてようやく追いついたのだろう。疲労の浮かぶ顔に、困惑が混じる。到着早々外れくじ扱いされたのだから、気持ちはわかる。
「お姉様には王家や王家に連なる人――いえ、むしろもっと上位の……神に等しい人でないと釣り合わないのに!」
王妃の器ではないといくら言っても聞かず、むしろ謙遜する慎ましいお姉様も素敵と解釈する始末。
魔術師の弟子だって、ジルが経緯を面白がらなければ歯牙にもかけられなかっただろう。
それほどの人間ではないと、そんな高みを目指せるほどではないと、何度言ってもアニエスは聞かなかった。しかも肥大し続けて、神に等しい存在にまで進化した。
「だから絶対絶対、あなたなんて認めないんだから!」
翡翠色の瞳がこれでもかとノエルを睨みつける。ノエルはちらりと私を見下ろしてから改めてアニエスを見て、首を傾げた。
「あなたに認められても認められなくても、どちらでもいいですしどうでもいいです」
何を言われているのかよくわからない。そんな仕草と言動に、アニエスの顔が引きつる。
ここまであけすけに物を言うのは珍しい。夜会でもある程度は取り繕っていた。
ここがよく知った領地で、周りに私たちしかいないのが原因なのか、それとも――
「あ、あ、あなたなんて……! 表情も変わらないで、気持ち悪いし薄気味悪いし、それに元々はただの孤児だったくせに――」
振り上げた手が陶器のような肌を打つ。
響く乾いた音と衝撃に、アニエスがぱちくりと目を瞬かせた。
「いい加減にしなさい」
「お、お姉様?」
本当に本当に本当に、いい加減にしてほしい。
我が師ジル。あなたは積み上げられた価値を取り払うのは侮辱だと言っていたけど、この価値だけは――私ではない私のために積まれたこれは、受け入れられない。
「あなたが、あなたの思う姉を慕うのは勝手にすればいいわ。だけど、私の選んだ人を侮辱するのは許さないわ」
少しだけ赤くなった頬に彼女の白い手が添えられる。
そこでようやく私に叩かれたことを理解したのだろう。翡翠色の瞳にじんわりと涙が浮かんだ。
「な、なんで? だって、私、お姉様のために、絶対にこんな人よりも、もっともっとふさわしい人がいるのに」
理解できないと言うように、アニエスが視線をさまよわせ、うわ言のように呟く。
私だって、理解できない。昔はもっと普通の仲のよい姉妹だったのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
いつからか私に似合うからと選ぶようになって、宥めても懇願しても聞かなかった。
それでも、ドレスや髪飾りぐらいなら、可愛いものだと甘んじた。
学院の件も、思いのほか魔術師の弟子が楽しかったので受け入れた。
だけど、将来の相手――私とアニエス二人の人生を捧げようとするのだけは許せなくて、これ以上は無理だと悟った。
「私のためだと言うのなら、私の選択を受け入れなさい」
「違う、違う、違うわ。お姉様は今はちょっと自棄になっているだけよ」
宥めても懇願しても叩いても諭しても、届かない。
実際の私ではなく、彼女の中にある姉像だけを信じている姿にため息が落ちる。
やはり、アニエスから離れようと決断して正解だった。これ以上は付き合えない。
彼女の目指す高みは、私では手が届かない。
「だって、そうじゃないとこんな、あんな魔術師の弟子なんて――」
これ以上は話しても無駄だと諦めて、どう話を打ち切ろうか考えていた私の耳が、ぴん、と張り詰めた糸のような音を拾う。
どこから、と思って周囲をうかがうけど、糸なんてどこにもない。
「それ以上喋れば侮辱とみなすと言ったはずです」
聞こえてきた声に冷たい瞳の向く先を追うと、言い募っていたアニエスの口が、まるで見えない糸に縫われたかのように固く閉ざされていた。
「あなたの口上に付き合う義理はありません。これ以上は聞き苦しいので黙っていてください」
アニエスが呻き声を漏らしながらノエルを睨む。だけどそんなことはどこ吹く風とばかりに、ノエルはアニエスから視線を外し、お父様のほうに顔を向けた。
「それで、魔物はどちらに?」
「え、あ、はい。え、ええと、受けて、くださるのですか?」
「申請された書類は受理されています。一度引き受けた依頼を放棄したりはしません」
淡々と言うノエルに、お父様がほっとしたように安堵の息を漏らす。そして呆然としていたクロードもお父様に促されて、「あちらに」と動きはじめた。
「あの、ノエル……」
いつもと変わらない顔を見上げる。淡々としていて事務的で、彼の顔からはどんな感情もうかがえない。
だけどそれでも、感情がないわけではない。喜びもするし怒ることもあるのだと、彼自身が言っていた。
だから今も、傷つくか怒ったかしているはずだ。もっと上手にできなかったのか、ノエルを傷つけることなく話せなかったのかと、自らの不甲斐なさが心苦しくて、申し訳なくなる。
「話は後にしましょう」
だけど、謝ることすら封じられる。
ノエルの言う通り、今は話しこむような状況じゃない。魔術師の弟子に徹するのだと決めていたはずなのに、アニエスによって乱された。業務に私情を持ち込むなと、フロラン様も言っていたのに。
「それよりも、あなたの見る目は確かなのだと……あなたの妹に見せつけてあげるほうが大切です」
ノエルが一歩踏み出すと同時に、その足元から糸が張り巡らされた。
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