第20話 魔物の行方
あまりにも唐突な報告に、一瞬だけど頭の中が真っ白になる。
「そ、それは……大丈夫、なの?」
ミュラトール領を管理しているお父様と会ったのはほんの一日前。魔物が逃げこんだ、という報告を受けているようには見えなかった。
だから今日か、昨日の夜に魔物が逃げこんだのだろう。こちらに報告が来たということは、お父様のところにも報告はいっているはず。
「分裂型の魔物のようなので……時間がかかりすぎなければ、恐らくは」
不安要素は残るけど、今日明日で甚大な被害が出るような話ではないようなので、ほっと胸を撫で下ろす。
「まあ、すでに数を増やしているようなので、魔術師に依頼してくれればの話ですが。昨日のこともありますし、即決即断は難しいかもしれません」
だけど続いた言葉に、胸の前で手を握る。
できることなら早く依頼を出してほしいけど、それを決めるのはお父様だ。
「一応、今回は他領から逃げてきたものなので、依頼料はそちらとの折半になる、というのは伝えてあります。それと……先日お邪魔したあなたの家から馬車が出たのも確認したので、遅くても一週間ほどで依頼がくるとは思いますよ」
一週間。分裂型の魔物は、一体だけでも数を増やしていく。少しだけならそこまで脅威ではないけど、増えれば増えるほど、討伐が難しくなる。何しろ、一体でも取り逃せば無限に増える。
ただ、増える速度は個体ごとに変わるので、今回逃げこんだ魔物がどのぐらいの速度で増えるのかはわからない。
それでも、遅くても一週間ということは――それぐらい経てばどうにもならない事態になる、ということだ。
「ここからが本題なんですが……依頼がきた時や事態が急変した時には知らせたほうがいいですか?」
「それは……ええ、そうね。教えてくれると助かるわ」
何か起きた時に――たとえ何もできなくても、教えてもらえたほうがいい。
領地や領民は大丈夫か。やきもきしながら過ごさずに済む。連絡がないのなら大丈夫なんだと、そう思えるから。
「わかりました。それでは本日は失礼します。ゆっくり休んでください」
◇◇◇
それからは音沙汰なしで、三日が経ってもどうなっているのか何もわからないままだった。
アンリ殿下はミュラトール領に逃げ込んだのを確認してすぐ、他の人に後を任せて城に戻ったらしい。らしい、というのはジルから聞いただけだから。
王太子としての職務が溜まっているようで、それらを処理しきるまでは塔の出入りを禁じられたそうだ。そのため、もう何日もアンリ殿下を見ていない。
「王太子なんてやめてしまえばいいのにねぇ」
「さすがにその発言はどうかと思いますよ」
長椅子でくつろいでいるジルに苦言を返す。アンリ殿下は魔術師の弟子ではあるけど、それ以前に王太子だ。妹はいるけど弟はいないので、国を継ぐのは彼しかいない。
むしろそれでよく魔術師の弟子が許されているものだと、ジルの弟子になった当初は思っていた。次代を継ぐからこそ、魔術師に対する理解を深め、それと同時に彼らに頼る範囲を減らすためなのだとわかったのは、ジルの破天荒振りを理解してすぐだった。
それ以外にも色々としがらみがあるようだけど、細かいことは知らない。アンリ殿下もジルも、そういったことを直接言葉にしたりはしないから。
「いっそのこと、魔術師だけの国を作るなんてのはどうかな?」
「一晩もせず離散する未来が見えます」
個人主義が固まっても、国にはならない。それに魔術師と認める人がいなければ、どうやって魔術師を定めるのか。
ただ魔力が多いだけでは、魔術師にはなれない。魔力を使って何を成すかが大切だ。
――そんな、とりとめのない話をしているとノックの音がした。
「失礼します」
入ってきたのはノエルだった。彼の腕には書類が抱えられている。今日はどんな被害報告がやってきたのか。
動く気のないジルの代わりに書類を受け取ろうと立ち上がると、ノエルがちらりとジルを見た。
「ミュラトール領から依頼が来ました」
「おや、私の出番かな?」
簡潔な言葉に、ジルの頭が少しだけ持ち上がる。ジルが派遣されるということは、それだけの被害が予想されるということだ。領地や領民は大丈夫なのだろうか。
「いえ、僕が行きます。彼女の生家があるのなら、無関係とも言えませんし」
思わぬ宣言に、ぱちくりと目を瞬かせる。ノエルはあまり依頼を受けたことがないと言っていた。
それは、大丈夫なのだろうか。魔術師だから魔物の討伐はできるだろうけど、怪我をしない保証はない。
「どうして、ノエルが?」
「領地の危機を救えばあなたの両親に恩を売ることができるので」
なんだかものすごく打算的な理由だった。
疚しさを感じさせないほど清々しく言われたので、あ、なるほどと納得しかけてしまう。
「いや、でも、私の両親に恩を売る必要なんて……それよりも、ノエルが怪我をするほうが嫌よ」
両親に恩を売ったところで、得られるものなんてほとんどない。それに、依頼料を払っているのだから恩と感じるかどうかも怪しい。
ギリギリ納得しきれないでいると、珍しくジルが声を上げて笑った。
「そりゃあ、私の可愛い弟子の基準が師匠である私になってしまっているのもしかたないことだとは思うけどね。私よりも見劣りするからといって、甘く見てはいけないよ。彼はれっきとしたフロランの弟子で、私の弟弟子だ。長年ここで過ごせるほどの実力が彼にはあるということだよ」
「それは、その……わかっています、けど……」
魔術師である彼の心配を、魔術師の弟子でしかない私がするのがおこがましいことはわかっている。だけどそれでも、万が一を考えてしまう。
「それにね。分裂型の魔物なら、私よりも彼のほうが適任だよ。彼はフロランのもとで、フロランの魔術を習っているからね。それでも納得しきれないというのなら、どうかな。君も彼と一緒に行って、彼の働き振りを見てみるというのは――元々、そのつもりでここに来たのだろう?」
最後の問いかけの瞬間、ジルの金色の瞳が私から外れてノエルに向く。
視線を追うように私もノエルを見ると、彼はゆっくりと頷いた。
「そうですね。彼女さえよければ誘うつもりではいました」
「師匠である私が許すから、魔術師の仕事を見学しておいで。きっといい勉強になると思うよ」
おろおろとジルとノエルの間で視線をさまよわせる。
一緒に行くか行かないか。その答えはすぐに決まった。ここで待っていても、大丈夫かどうか心配し続ける。
それなら一緒に行って、無事を確認したい。
わかりましたと頷くと、ノエルが扉を開けてくれた。
「ああ、ジル。ひとつ訂正しておきます。心配してもらえることを僕は不快には思っていませんよ。それだけ大切にされているということですから」
「なるほど。たしかにそれは一理あるね。私の可愛い弟子は、一人ここに残される私を心配してはくれないのかい?」
あっさりとした手の平返しに、思わず苦笑を浮かべてしまう。
心配、と言えば心配だ。
「弟子がいないからと自由に出歩いて、誰か呪わないかという心配はしていますよ」
「私の可愛い弟子は、私のことも大切に思ってくれているようで嬉しいよ」
そんなやり取りを最後に扉を閉める。
各領地には、緊急の依頼でもすぐに迎えるようにと転移石が配置されている。転移石は塔と繋がっていて、移動に時間はかからない。
「さて、行きましょうか」
こくりと頷いて返して、転移石が管理されている部屋に向かった。
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