第7話 愛ある恋人とは

 夕食を食べてくるという手紙を出し終えて、塔の入口に向かう。アンリ殿下と一緒に。

 アンリ殿下も今から帰るそうで、外に馬車を待たせているのだとか。

 戻ってきて早々帰るなんて、だいぶ疲れたのだろう。アンリ殿下の苦労が偲ばれる。


 外に出ると、私を待っていたノエルがちらりとこちらを見た。


「お待たせいたしました」

「いえ、それほど待ってはいないので……アンリ殿下も今から帰られるところですか。魔物が目撃情報を確認しに行かれたとお聞きしましたが、いかがでしたか?」

「ああ……痕跡はあったが、数もあまり多くはなさそうだったから、兵を向かわせれば十分だろう。申請書はすでに提出してある」

「かしこまりました。それでは、本日はお疲れ様です。また明日もご苦労おかけすると思いますが、ジルの弟子になったのが運のツキと思って諦めてください」

「ああ……そうだな」


 アンリ殿下の苦労は塔全体に周知されているのだと、淡々としたノエルの言葉が物語っている。

 乾いた笑いを漏らしたアンリ殿下は、それではと言って去ろうとして――何故か、足を止めた。


「ああ、そうだ。……ノエル、彼女は俺の大切な妹弟子だから、くれぐれも傷つけるようなことはしないように」

「肝に銘じておきます」


 それだけ言って、今度こそアンリ殿下は馬車に乗って去っていった。

 馬車の姿が完全に見えなくなると、ノエルはくるりと私のほうに向きなおった。


「ずいぶんと大切にされているようで」

「二人しかいない弟子ですので」

「そういうものですか……。フロランのところも、もう少し弟子が定着するようになれば、その気持ちもわかるようになるかもしれませんね」


 それについては、大変申し訳なく思う。

 フロラン様の弟子がやめる理由のその弟子として謝罪したい気持ちでいっぱいになった。


「……まあ、言ってもしかたのないことです。それよりも本日の食事ですが……希望はありますか?」

「好き嫌いはこれといってありませんので、お任せします」

「なるほど……。それではどうぞ、こちらに」


 ノエルがそう言って、一台の馬車を手で示す。御者席には誰もいない。代わりに、木造りの人形が杭のように刺さっている。

 無人の馬車は、フロラン様が発明した魔術のひとつだ。あれこれと飛び回る時に一々御者を待っていられるか、という理由で発明された。

 人形が支えている手綱が馬に指示を送るように作られているそうで、すごいのはすごいのだが、やはりなんというか、地味だ。

 道行く人は御者席なんて注視しないし、人形が乗っているのでぱっと見では無人だとは思わない。馬がいなければさすがに目立つと思うけど、馬は欠かせない。

 人ひとり分の食事や賃金を減らせる代わりに、手綱を操作するために絶えず微量の魔力を使わなければいけないし繊細な技術も必要になる。


 微量の魔力だけを使い続けるのには、神経を使う。だから魔力の扱いに長けている人でなければ使えないし、そんな神経をすり減らすぐらいなら普通に御者を雇う人が大半で、魔術師ですらほとんどこの魔術を使わない。


「……フロラン様の魔術を使えるるなんて、さすが長年弟子をしているだけはありますね」

「お褒めにあずかり光栄です」


 先に乗ったノエルの手を借りて、馬車に乗りこむ。ふかふかのクッションに包まれていると、馬車が動き出したのを感じた。


「……揺れが少ないのですね」

「静音や振動の削減の魔術を取り入れてありますので。魔道具に落としこめられれば、流通も可能だと思います」

「そちらも、フロラン様の発明で?」

「はい。あの人は馬車が苦手なようで……どうにか快適に過ごせないかを模索しているのですよ」


 私の知る限り、フロラン様は塔にこもりきりだ。この魔術が公表されたとしても、その恩恵に預かれるのはフロラン様以外の人だろう。

 いや、馬車に乗る機会が少ないからこそ、苦手なのかもしれない。慣れればそういうものだと諦めもつく。


「それはともかく……先日、あなたの婚約者が心変わりしたとお聞きしました」

「ええ、まあ、そうですね。お恥ずかしながら」

「ひとつ伺いますが……その方を愛していたのですか?」


 真剣な色を湛えた水色の瞳に見据えられ、慌てて首を横に振る。

 おかしな勘違いはしてほしくなかったから。


「愛を語らうには、過ごした時間が短すぎました。あの人は学園に、私は塔に進みましたから」

「僕にお付き合いを申し込んだのに、見せつけてやりたいなどといった私怨は含まれていない、ということでよろしいですか?」

「……見せつけてやろうとは微塵も考えていませんでした」


 アニエスの横にクロードがいても、なんの感慨も浮かばなかった。

 またか、とそれだけしか思わなかった。

 クロードの心変わり――というほどの付き合いもないので微妙なところだけど、彼を責める気にならなければ、アニエスを選んだことに対する悲しみも抱かなかった。


「そうですか。それならなんの心配もいりませんね。明日、王城で夜会が開かれるのはご存じですよね。そちらに僕のパートナーとして出席していただきたい」

「パートナー……として、ですか?」

「はい。縁談がくるのを避けたいということでしたら、参加したほうが有意義だと思ったもので……どうしますか?」


 これまで社交の場でノエルを見たことはない。それはつまり、彼が普段社交界に出入りするような人物ではないということだ。

 だけど夜会に出席するということは、王城から招待状が届いている、ということで。


 魔術師を招待したいと思う貴族は多い。破天荒なジルですら招待状が届いている。

 でも、魔術師本人に送っても、魔術師の弟子に招待状を送る人はほとんどいない。やめる人が大半で、長く続いても魔術師になれるかどうか定かではないから。


「ああ、言い忘れていました」


 そんな私の疑問に気づいたのか、ノエルが何の気なく言う。


「僕はフロランの弟子ではありますが、魔術師ノエルとしても登録されています」

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